第八章 「わたしは絶対に放さないから」
「うぐっ――!」
杭を突き立てようとしたとき、側頭部に、びしっ、と痛みが走る。
苦悶にあえぐ甲斐の姿に臙脂色のノイズが混じり、それが幕となって視界を塞ぐ。
ここではない光景を映しはじめた。
六人の少女が倒れていた。全員の肌に黒い斑点がある。イドラ化で死んだのだ。死に顔は、喜怒哀楽いずれかの感情を貼り付けたままで奇妙に引きつっていた。
それらの死の向こうには、満足そうな声で嘲るように笑う、禍々しい鎧武者の影。
――これは、なに……
湧き上がる恐怖と無力感が、目の前の光景を押し流す。別の光景が現れた。
甲斐と同じ弓道着を着た小さな少女が、満面の笑顔で「ねえさま」と呼び掛ける。リアを思わせる幼い声音に、どきりとした。
一瞬の強いノイズ。視界が歪む。
涙で濡れた少女の顔が恐怖に染まる。彼女の肩に人型イドラの真っ黒な手がかかる。
「助けてっ……! ねえさまっ」
体を動かしたくても、少しも思い通りにならない。覚えのない名前を必死に叫んでいた。
「梨夏っ! 梨夏ぁ――!!」
脳内に巣くっていた黒づくめの彼女の言葉が遠のいていく。
(なんだ、この強い連結はっ! つながりが維持できな――――)
「やめてぇっ―――!!」
ルーティの眼からぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。顔を覆う青い糸の隙間から拭いきれないほどの涙があふれていた。
甲斐の聖杯とつながっている。彼女の記憶と感情に巻き込まれているのだ。
――このままじゃ、正気を失ってしまう……
彼女との聖杯連結を断とうとしたとき、背後から声が掛かった。
「ここで、しまいや」
ルーティは、真っ白な雲に包まれて、甲斐から引きはがされた。
――環の声っ!? あの衝撃を受けて、こんなに早く復帰できるなんて!
朧雲の手で拘束されたまま、背後にいた環の前に立たされる。
咄嗟に杭を突き出すが、環は造作もなく左手で受け止める。聖杯連結攻撃は成立していない。彼女の両手には、ひと際きらきらと輝く粒子がまとわりついていた。
「そない苦しそうなん、すぐにはぎ取ったる」
杭をにぎりつぶした環は、ルーティと向かい合い、両肩にかかる青い糸の束をそっとつまみあげた。すると、あっという間に糸が擦り切れ、断たれる。
全身に巻き付いていた糸が、硬化して飴細工のようになる。ぱきっ、と音を立てて砕け、床に散らばった。頭からつながる六本の青い糸が縮み、消失したことを感覚する。
「くっ、うぅ…………」
ルーティのアドミレーションは、もう底をついていた。六本の糸による傀儡の力が消失した反動か、全身の筋肉が、だるくて動かせない。雲の拘束が解かれてデッキの床に倒れ込む。
「つかれたわ~!」環が座り込んで、大きな声を出す。
――こんな場所で無許可のライブをして……仇討ちにも失敗……
これからどうなってしまうのだろう。悪い方向にしか考えられない。唯一の救いは、当分の間目覚めることはなさそうだということくらいか。
「ルーティっ!!」
意識の突端で、聞きなじみのある声が耳に届く。この声は――
「君たちも大丈夫かい!?」
こちらの声は、マーリンだ。
「ああ、アヴァロン・プロダクションの……」環が応える。
「ルーティ、しっかりして!」
ふわっと柔らかな温もりに包まれる感覚。ルーティは、自分の手を取る王子様の名を呼んだ。
「ナタ、リー……」
しかし、彼女の凛々しい顔を覗くことはできなかった。
ルーティの意識は、どこか別の場所へ飛んで行く――
暗闇の中、向こうの空が微かに白む。
夜明けの光が、鬱蒼とした森とその入口にそびえる四本の柱を組み上げた門を照らす。ルーティは、その門が鳥居であることを思い出した。
「ねえさま」
鳥居の先から聞こえてくる。薄闇から現れたのは、甲斐によく似た少女だ。
「甲斐ねえさま」
少しずつ白んでいく光景の中、少女が手招きをしている。
――梨夏、さん?
甲斐を組み敷いたときに垣間見た光景で、そう呼んでいた。
――ここは、甲斐の聖杯の中だ。
杭、連理の矢、青い蜘蛛の糸。聖杯連結に関わるものをつなぎ過ぎたからだろうか。接触しただけで彼女の聖杯に侵入してしまった。
彼女の記憶を覗くつもりはなかった。連結を切断しようとする。しかし、反応がない。
代わりに、少女の背後にある森が、純黒の渦をはき出した。その黒渦が形を成す。それは、不気味で禍々しい鎧武者の形となった。見上げるほど巨大なそれが、こちらへ向かってくる。
「あぶない!」
少女の背後に巨大な人影が迫る。しかし、少しも彼女を気にしない。
――狙いは、わたし……?
がちゃり、がちゃり。鎧がこすれる音とともに禍々しい闇がやってくる。
「グフフゥッ!」
くぐもった声を上げて鎧武者が刀を振り上げる。ルーティの身長を超える巨大な漆黒の刀だ。
ルーティは、呆然と見上げることしかできなかった。
頭上から闇が降り注ぐ。暗転した舞台に、望月が浮かんだ。
月影が映すのは、十三人のアイドルたちだった――
†
「皆、準備はよいですか」
凛とした声に、「那由多四十七士」とは名ばかりの総員十三名が「はい」と応じる。
甲斐も静かに応えて、左手の和弓を握りしめた。隊長がつづける。
「千歳、琥珀、美鶴。大手門を任せます。それぞれ隊を率いて存分に戦ってください」
「おう、問題ねえよ!」
長身で短髪の立花千歳が、三白眼を見開いて粗野な言葉遣いで応える。後ろに控えた二人のメンバーと拳を突き合せた。
「だいじょぶだよー」
小柄な身体に抗うように、手を高く掲げて朗らかに応えたのは井伊琥珀。マッシュショートが良く似合う満天の笑顔で、傍の二人のアイドルに「がんばろー」と声を掛ける。
「裏手門側の人数、少ないのではなくて?」
腕を組んだまま自信たっぷりに胸をそらして、宇津瀬美鶴が少し高圧的に尋ねる。隊長に向かって、縦ロールの髪を揺らしながら言った。
「わたくしの隊の二人を連れて行ってはいかが?」
「裏手門側は、私と環の隊で十分です」
隊長が答え、こちらを向く。環もうなずく。
「問題あらへん。そろそろ行こか」
となりの伊奈、そして甲斐も「はい!」と応じた。
隊長である織田伊智が十二人のアイドルと視線を合わせていく。
つややかな長い黒髪。きりりと吊りあがった眼。目鼻立ちのはっきりした顔貌。楚々とした佇まい。戦いとは無縁の高貴なお姫様のような彼女が、那由多四十七士最強のアイドルだ。
「プロデューサーと同志の無念を晴らすため! ノヴム・オルガヌム位階第三位。ヴィヴィアン・サーペンドを討つ!!」
たおやかな立ち姿の伊智が、ぞっとするほど重く響く声を張り上げる。
「はい!」
伊智の言葉に圧されるように、総員が声を上げた。
「彼女が滞在する屋敷まで、大手門側と裏手門側に分かれて移動。屋敷に押し入り、彼女を捜索。発見次第、彼女とのライブを行います。いいですね!」
「はい!!」
月夜に、アイドルたちの決意が刻みこまれた。
甲斐は、伊智、環、伊奈とともに、裏手門組の一員として、市中を駆ける。
しんと静まり返る夜に、四人のはく白い息が、騒々しく後ろへ流れていく。
凍てつく寒さに耐え忍ぶように誰も話そうとしない。ふと、隣を走る伊奈の顔を覗くと、いつもの溌溂な表情とはかけ離れた硬い表情で、じっと一点を見つめている。
甲斐は、伊奈に話しかけた。
(伊奈は、ユニットに入って初の実戦だよね。緊張している?)
(は、はい! そう、ですね。緊張してます! ようやくプロデューサーと先輩たちの仇が討てるんです。足を引っ張らないように、がんばります!)
(私も同じく緊張している。環さんのサポート、がんばろう)
三か月前。ヤマト・プロダクション所属ユニット「那由多四十七士」を担当する暁月拓望〈あかつき・たくみ〉プロデューサーが海外遠征中にイドラの襲撃にあった。
同行していたのは、「七剣星」の吉岡妙と小野佳世を含めた十名。しかし、襲撃されたプロデューサーを守ろうと応戦した結果、七剣星の二名は行方不明。残り八名のアイドルはイドラ化により全滅。そして、プロデューサーも重度のイドラ化により帰らぬ人となってしまった。
プロデューサーと仲間の死を突きつけられた甲斐たちは悲嘆に暮れる。しかし、絶望の淵をさまよい歩くうちに、襲撃者がノヴム・オルガヌムのヴィヴィアンだと判明した。
ノヴム・オルガヌムは、黒のアイドルのみで構成された、イドラを率いて世界に混沌をもたらす悪のプロダクション。ISCIは、ノヴム・オルガヌムに所属する黒のアイドルを捕縛して連行するように全世界のプロダクションに通達していた。
残された十三名に希望の光が降り注ぐ。
「仇を討つ。那由多四十七士には大義がある」
誰が最初に言い出したのかはわからない。しかし、千歳や美鶴が強く推しはじめ、ユニットに入って一番日の浅い伊奈も含めて十三名の間でそれが日常の言葉になった。
視界に、ひらりと豪奢な着物が舞う。白地に銀と紫の刺繍。環の打掛だ。今度は、先を走る彼女に聖杯連結をつなぐ。
(環さんは……この討ち入りに反対でしたね)
(……そうやね。今でも疑問に思うとるよ)
十三名のほとんどが「仇討ち」を実行することで意見が一致すると、今度はプロデューサーや同志たちと同じように「ヴィヴィアンも暗殺すべき」とエスカレートしていく。
しかし、環だけは、ISCIからの正式な任務で、ヴィヴィアンを討つことを訴えつづけた。
(環さんは、なぜそう思うんですか?)
犠牲となった十名の中には、七剣星の吉岡妙など、環と特に仲の良かったメンバーがいた。報せを聞いて、環が前後不覚になるほど強く悲しんでいたことをよく覚えている。
(悲しみと怒りで曇った心のまま仇討ちしても……この喪失は、きっと乗り越えられへん)
環は、正々堂々のライブをしよう、と懸命に訴えつづけた。しかし、みんなの前で話すほど、暗殺を推す側の結束が強くなり、彼女たちの言葉がより過激になっていった。
甲斐も、環の言葉に迷うことはあった。しかし、そこにとどまっていられるほど、自分の心は強くなかった。次第に熱くなる仲間の「空気」に抗えず、恨みと怒りを生きる理由にして毎日を積み上げ、今日にたどり着いてしまったのだ。
(伊智、話してもええ?)
環が、伊智に聖杯連結で呼びかける。甲斐も伊奈も交えて会話できるようにしてくれた。先頭を走る伊智がすぐに応える。
(大丈夫です)
(あんな、この討ち入りについてはもう何も言わへん。せやけどな、みんなが一線越えへんように……うちがちゃんと見張っとくさかい)
(わかっています。私も皆をただのテロリストにするつもりはありません。だから、あぶない領域に踏み込もうとするものがいたら、必ず止めてください)
(了解)
(この討ち入りで、皆の絶望を必ず晴らします。それが、隊長としての私の責任です)
(責任、ね……伊智は、ほんまそればっかりやな)
(仕方ないでしょう? 私たちを導いてくださる拓望さんは……もういないのですから)
ISCI未認可のライブをノヴム・オルガヌムに仕掛け、プロデューサーと同志の仇を討つ。
ヤマト・プロダクションの責任者に、那由多四十七士の決意を伝えた。
世界を覆うイドラの脅威。それに唯一対抗できるのがアイドルだ。しかし、イドラの勢力に対してアイドルの数は圧倒的に少ない。だから、緊急性、必要性が高いライブ以外は、プロダクションやISCIによって管理されていた。
今回の仇討ちはあきらかに不要不急と判断され、認可されない案件だったはずだ。
しかし、責任者は伊智たちの想いに共感し、ヴィヴィアンとのライブを黙認し、ISCIに対しても、事後に不当な処分を受けないよう、最大限尽力することを誓ってくれたのだ。
(任されてるんは、あんた一人やあらへん。うちら十三人全員や。伊智が責任言うんやったら、みんなのこれからのパフォーマンス、うまいことまとめあげることやない?)
(……そうですね)
(よろしくな)
(あっ!)伊奈が声を上げる。(見えてきました!)
武家屋敷と呼ばれる建築様式。その内と外を隔てる真っ白な分厚い塀が、見渡す限り立ち塞がっている。目の前にそびえる門も裏手とはいえ、壮麗だった。屋根は艶のある瓦で葺かれて大きく張り出し、隙間なく木材が組み合わされた門は見るからに堅牢だ。
甲斐たち四人は、門の真正面で待機する。見た目とは裏腹に、門には現代らしく防犯カメラやスマートロックと思しき端末が組み込まれている。しかし、どれも覚悟を決めた甲斐たちには意味のないものだった。
やがて、大手門の方角から派手な爆発音が聞こえてきた。
「千歳たちがライブをはじめました。私たちも参りましょう」
伊智がそう宣言し、腰の鞘に触れて鯉口を切る。刀を抜いて、門に向かって縦に振り下ろした。金属音が鼓膜を叩く。
「皆、行きますよ」
門の外見に変化はない。しかし、伊智が門に触れて、ぐぅっと押すと、その重厚さに反していとも簡単に開く。あのひと振りで門の錠を切断したのだ。
甲斐たちは、伊智につづいて侵入する。事前に頭に叩き込んでいた敷地内、屋敷内の間取りを元に、手分けしていくつかの部屋を改める。環から聖杯連結で報告があった。
(伊智、敷地ん中のアドミレーションを確かめたけど……裏手門のほうには一匹のイドラもおらへんかった。せやけど、中庭や。そこに強力なアドミレーションを発する誰かがおる)
(……わかりました。中庭に向かいます。環、甲斐、伊奈は必ず合流してからですよ)
(はい)
甲斐が応じた直後、隣の部屋から出てきた伊奈と合流する。
「これって、罠なんでしょうか……」
中庭へ向かう廊下を駆けながら、伊奈が声を潜める。
「わからない。でも――」
交差する廊下から走ってきた環が、甲斐の言葉を引き継ぐ。
「チャンスかもな。仇は一人。同志は十三名。罠が発動する前に決着がつけば、の話やけど」
集結した甲斐たちは、廊下の先で、月が清かに照らす中庭にたどり着いた。
たいていの球技ができそうな広さに、ぽつぽつと意味ありげに配置された岩や、秋には色とりどりの葉が楽しめそうな樹がいくつも植えられている。どこで写真をとっても均整のとれた風景となりそうな、そんな庭園――
その中央に、満月を見上げてたたずむ女性がいた。
彼女は、深い藍色のドレープドレスで覆われていた。青白い肌を大胆に露出するデコルテと、アシンメトリーなヒダやたるみで装飾された生地が、美しいシルエットをかたどる。
「ヴィヴィアン・サーペンド、本人です」甲斐が遠目で顔立ちを確認する。
もう一本の廊下を駆けてきた伊智が真っすぐ彼女のもとに向かう。甲斐たち三人も合流する。
瞳を険しく吊り上げた伊智とヴィヴィアンが向き合う。この場に不釣り合いなドレスを着た彼女は、リムレスの眼鏡を怪しく光らせながら言った。
「はじめまして。ヴィヴィアン・サーペンドだ」
「拓望さんと同志の仇討ちに参りました」
「ふむ……那由多四十七士。お前たちは、とても魅力的なユニットだ」
嚙み合わない会話に思うところがあるのか、伊智の瞳がさらに吊り上がる。彼女の左手が鞘に触れた。構わずヴィヴィアンがつづける。
「タエとカヨ。二人は素晴らしい。良い働きをしているよ」
伊智だけでなく、環も伊奈も、もちろん甲斐も、目を見開く。
「妙と佳世は生きているのですか!?」
伊智が身を乗り出し、叫ぶように尋ねる。
「もちろんだよ。黒のアイドルとして、だがね」
「くっ……!」
「たしか……そう、七剣星だ。二人に匹敵するアイドルがあと五人いるのだろう? お前たちのプロデューサーは才能を開花させる天才だな。それが、なぜあんなことをしたのか……」
伊智の瞳が再び険しくなる。
「あんなこと?」
「私の告白を断ったんだよ」
「…………は?」
ヴィヴィアンは、まるで他人事のように平然とつづける。
「彼は、イドラに殺された私の初恋の人と瓜二つでね。どうしても手に入れたかったんだ」
眼鏡の奥にある藍色の瞳が一段と濃くなった。
「でも、断られた。それが許せなくてね。初恋の人と同じくイドラ化させてしまったんだ」
「な……っ!」
伊智が顔しかめ、ぎりりっと歯噛みする。
「よせばいいのに、アイドルたちのイドラ化も引き受けて……聖杯の許容量を超えてしまった。惜しいよ。私の恋人として、お前たちのような才能を育て、私の勢力を拡大して欲しかった」
「黙りなさいっ!」
伊智の言葉とともに、どぉんっ! と向こう側に見えていた建物が突然爆発する。四散する瓦礫。舞い上がる噴煙。その中から大手門側のアイドル九名が飛び出してきた。
「言ったろ? 伊智。この討ち入りは正しかったんだよ!」木刀をかついだ千歳が凄みを利かせて大股で近づいてくる。「こんな奴を野放しにできねえだろ」
千歳の両隣にいる、錫杖を持った琥珀と棒火矢をかかえた美鶴がうなずく。
「ふふ、役者はそろったな」
ヴィヴィアンが左手を掲げる。黒い輝きが掌中で集束し、直径二〇センチほどの宝珠が現れた。透明な球体の内部には、凝縮されたイドラ・アドミレーションが渦巻いている。
「仕上げだ」
ヴィヴィアンがそう言うと、左手の宝珠が一瞬だけ、かぁっ、と輝く。
不快でざわざわとした空気が吹き荒れる。何が起こっているのか、甲斐が思い当たると同時に環がぽつりとつぶやいた。
「イドラに、囲まれとる……」
「この一瞬で、こんな数を……」
そう言って、伊奈が首をぐるりと巡らす。中庭をイドラの群れが何重にも取り囲んでいた。
まるで百鬼夜行。手のひらに瞳が埋め込まれた不気味なマネキン。筋肉質で小柄な相撲取りのような鬼。後脚が四本で尻尾が二股に分かれた奇妙な大型犬。ぬらぬらとした粘膜をまとう巨大なスライム。身体に不釣り合いな大きな鎌をもつ小人……。
どこかの怪談で語られそうな妖怪型イドラが、中庭の端にひしめいていた。
ヴィヴィアンが高らかに告げる。
「お前たちが仕掛けたこのライブをよりおもしろくしよう。名付けて『リベンジ』だ。これから、とあるイドラとライブを行ってもらう。それに勝利すれば、私の処遇は自由にしてもらっていい。しかし、敗北すれば、お前たちには、黒のアイドルになってもらう」
甲斐の視線の先で、群れの中のイドラが一体、形を崩し、ただのイドラ・アドミレーションに戻った。両腕を大きく広げて、ヴィヴィアンがつづける。
「ここに集まったイドラは一切手を出さない。ただし、一定時間でイドラ・アドミレーションに戻るように命令している。これで、この空間に少しずつイドラ・アドミレーションが充満する。言わば、制限時間だ。ライブに時間がかかり過ぎれば、聖杯にどんどんイドラ・アドミレーションが溜まっていく。イドラ化で死を迎えるか、黒のアイドルとして生まれ変わるか……さあ、楽しませてくれ」
「勝手な、ことをっ……!!」
伊智はもう、怒りを隠さなかった。彼女の内でアドミレーションが急速に励起し、周囲の空間に漏れ出している。伊智が抜刀し、正眼に構えた。
「貴方の言う、『イドラ』をここに連れて来なさい!!」
伊智の激昂を嘲笑うかのようにヴィヴィアンの口が歪む。
「そうだな」彼女の宝玉が再び輝く。
ヴィヴィアンの傍らに、灰色の三角帽子に、灰色のスモックを身につけた小さな子どもが現れた。見た目どおりの舌足らずな声で召喚者に尋ねる。
「御用ですか~?」
気勢をそがれるような気配。だが、七剣星の五人は気を抜かずに身構える。
「これが」ヴィヴィアンが、やはり他人事のように告げる「私の初恋の人を殺して聖杯を侵したイドラだ。許せないから、パラノイアスキルで下僕にした」
「ヴィヴィアンさまをまもるのが、ぼくのしごとです~」ヴィヴィアンが、宝玉を彼に投げつける。「うわっ、とっ、と」
「ボガート、全力で暴れなさい」
「は~い」
「『リア・ファル』全解放」
彼が抱える宝珠から、莫大で濃密なイドラ・アドミレーションが放出され、まるで餌に群がる鰻の群れのように、ぬたぬたとボガートの身体に巻き付いていく。
禍々しい黒いかたまりが、急速に体積を増やす。やがて、小さな彼がいた場所には、獣人型と見間違うほどの筋骨隆々のイドラが立っていた。
「さあ、真打ち登場だ。がんばりたまえ」
そう言い残して、ヴィヴィアンの姿が、すうっ、と消失する。
「グフ、グフフフゥ――」
イドラは、黒糸威しの漆黒の甲冑をまとっていた。鬼の角のような前立ての兜の下には、能の武悪の黒い面をつけている。身長は二メートルを越え、あの子の為り変わりだとは思えない。
ボガートは、伊智の刀「不如帰」と比べて刀身も柄も二倍はある刀を抜き、振りかぶった。鎧武者を中心に黒い颶風が吹き荒れる。
「全周囲攻撃!」環が注意を促す。那由多四十七士総員が防御姿勢をとった。
「――グアウッッ!!」
鎧武者が長大な刀を振り下ろすと、形を持ったイドラ・アドミレーションの旋風が放たれた。
鋭い剣風がアイドルたちを襲う。びしっ、びしっ、と衝撃が訪れる。それほどの脅威ではない。そう思った矢先、甲斐は気づいた。
「輝化防具に無数の傷が!」
「何度もくろうたら、あかんよ!」
環の言葉に動揺が広がる。しかし、千歳が一喝した。
「しゃらくせぇっ。こんなのは、かすり傷だ! いくぞぉっ!!」
千歳がボガートに躍りかかり、木刀を振り下ろした。
ぎしぃっ!! 黒い刀が千歳の木刀を受け止める。輝化武具同士が擦れ、悲鳴を上げている。
「ははっ! いいね。これくらいじゃないと、やりがいねぇよなぁ!」
木刀の形がほどけ、神鳴る雷と化す。さらに雷が刃となり、鎧武者が振り回す刀と同じ、長巻となった。剣道の防具のような輝化防具をまとった千歳が、勢いのまま黒い刀を圧す。
「グウヴッッ!」
ボガートが負けじと膂力に任せて千歳を弾く。ギィィッ、と刀身が火花を散らす。
「こうたいだよー」
千歳とスイッチして、遊行僧の姿をした琥珀が躍り出る。しゃらん、と清涼な音をさせて、錫杖の石突を地に突き刺し、大きな環に左右三つずつの小環をつなげた杖頭を鎧武者に向けた。
「なが~い丸太!」
錫杖が輝き、変化がはじまる。琥珀の言葉どおり、丸太のように太くなって、ボガートめがけて勢いよく伸びていく。
「グウッッ――!」
腹を突かれたまま、鎧武者は向こうの屋敷の壁に激突した。丸太と壁に挟まれて、じたばたともがく。長大な刀の柄頭で錫杖を、がんがん、と滅多打ちにする。
「らんぼうだなー」
「琥珀? タイミング、わかっていますね?」
少し離れた、大きな庭石の上で、膝立ちの美鶴が、大振りな火矢筒をかついでいる。筒の先端で火矢が赤く輝いており、準備は万端だった。琥珀が「もちろん♪」と応える。
美鶴が笑みをこぼし、引き金をひいた。弾頭からアドミレーションが噴射して、ロケット弾が撃ち出された。火矢筒から反動を相殺する蒸気が放たれ、彼女の縦ロールの髪や巫女装束である白衣の袖、緋袴の裾が翻弄される。
火矢は瞬く間にボガートに迫る。そして、琥珀の錫杖と入れ違いで、腹の甲冑に突き刺さった。閃光と衝撃。鎧武者の周囲に群がっていたイドラも巻き込んで火の海となる。
「バッチリですわっ!」美鶴と琥珀がハイタッチする。
業火の中から巨躯がゆらりと立ち上がった。刀を振りまわす。十数の黒い旋風が放たれた。
「美鶴、琥珀。油断しとったら、痛い目みるで!」環の声とともに、十三名のアイドル全員が白い雲に覆われ、それが黒い風を相殺する。「来るで! 気ぃつけや!」
火の海からボガートが跳躍した。
千歳、琥珀、美鶴、環、そして伊智。七剣星に向かって、鎧武者が刀を振りかぶって落下してくる。伊智が一歩前に進み出た。彼女の身体を圧倒するほどの怪物が飛来する。しかし、少しもひるまず構えた刀でボガートの黒い刀を受け止めた。ぐっと押し返して巨躯を弾き飛ばす。
「鎧武者の撃破に専念! 急ぎますよ!」
伊智の声に十二名が応答する。にわかに庭園はアイドルの輝きに満ちた。
伊智、千歳隊の三名、琥珀隊の三名、そして美鶴の合計八名が前衛。環と伊奈が遊撃。美鶴隊の二名と甲斐が後衛。この陣形で鎧武者と対峙する。
ライブの中心は、やはり七剣星の五人だ。他のメンバーは、彼女たちの隙を埋め、攻撃・防御の補助をすることで、鎧武者に対して途切れない波状攻撃を仕掛ける。
ボガートは、十三名の連携に翻弄されている。しかし、目に見えるほどダメージを感じていないようだ。アイドルたちの連続攻撃をタフな身体でやり過ごしつつ、禍々しいアドミレーションを放つ黒い刀をめったやたらに振りまわす。思わぬ形で斬撃を受けるものが相次いだ。
伊奈は、空色の輝きをまとわせた刀をボガートに突きつける。
「こっちです!」
鎧武者の能面が、伊奈の方を向く。全身から敵意があふれ出している。地を震わせて走り来る巨躯の迫力と相まって、少し離れた甲斐でさえ恐怖で足がすくむ。
伊奈が脚を少し開いて重心を落とし、刀を強くにぎる。受け止めるつもりだ。しかし、激突する寸前、伊奈と鎧武者の狭間に現れた白い球体が破裂した。環が配置した雲の機雷だ。爆発の衝撃でバランスを崩したボガートは宙を掻きながら仰向けに倒れる。
「埒が空きません。千歳、琥珀、美鶴は『アンコールバースト』の用意! 一気に決めます!」
アンコールバーストとは、いわゆる必殺技だ。彼女たち三人は、威力重視の攻撃特化。伊智の号令に、三人が即応する。
「りょーかい。この人数相手に、よくたたかうよねー」
琥珀の言葉を皮切りに、三人それぞれがアドミレーションを集束、励起させる。
「グフッ、グフフゥ――ッ!!」
起き上がろうとするボガートから、再び黒い烈風が巻き起こる。
取り囲んでいた十三名全員が暴風に吞み込まれた。白い雲の残滓が消滅し、黒い風にさらされる。聖杯に違和感があった。思わず胸に手を当てる。
――まるで、梨夏を喪ったときのような……心の痛み……?
「グフフッ、フフゥッ――」
立ち上がったボガートが、どこか嘲るようなニュアンスで肩を揺らす。
「何が、おもしろいのですか?」伊智が抜刀して前に出る。「答えてみなさい!」
アドミレーションで満たされた刀が閃く。ボガートの胸部に深く長い刀傷が刻まれた。ここまでの攻撃で傷一つ受けなかった鎧武者にダメージが通った。
「グゥウッ――!!」
討滅できる。いつもと同じイドラ退治だ。心の隙間に希望と、油断が挟まった。
突然、聞き慣れない奇声が上がる。
「ぁあぁ、あぁぁ――っ!」
千歳隊の一人が、頭を抱えてうずくまる。よく見ると、全身に黒い斑点が現れていた。
「どうしたっ!」千歳が身体を丸くした彼女に近づく。「大丈夫か!?」
「イドラ化ですわ!」
美鶴の声と同時に、千歳隊のもう一人と琥珀隊の二人、美鶴隊の二人も正気を失い、黒い斑点を浮かべ、虚ろな瞳で互いに武器を向けあう。
「早すぎるわ……いったい、どういうことなん!?」
「環!」とまどう彼女に、伊智が声を上げる。「イドラ化した六名を拘束して!」
「……っ、了解!」
伊智、千歳、琥珀、美鶴がボガートに向かっていく。環が声を上げる。
「伊奈! スキルでみんなをこちらへ!」
空色の刀で、伊奈が六名をタウントし、引き付けることに成功する。
甲斐は美鶴隊の二人が操る輝化武具を狙って矢を放つ。二人が銃火器を取りおとす。しかし、四名のアイドルが伊奈に殺到する。
「止まり!」
伊奈の前に、環が立ち塞がる。朧雲を駆使して全員を封じようとするが、多勢に無勢だった。捕縛は失敗に終わり、四名のうち三名が、標的を変えて環に襲い掛かる。
「環さん!」
伊奈の叫びにも似た声に、環は落ち着いた声で応える。
「ほかの子らは、二人に任すで」
「はい!」
潔く応えた甲斐と伊奈は、残された三名と向かい合う。しかし、
――二対三。しかも、三人とも私たちよりも経験豊富な先輩だ……
伊奈が攻撃を引き受け、甲斐が狙撃する。そんな手の内などわかり切った相手だ。案の定、二度目で通用しなくなった。
「引導をお渡ししますわ!」気品と矜持に満ちた美鶴の声。
伊智たちのステージから、猛り狂う光と音が三つ、つづいた。
突然のことに、ふと集中力が途切れる。いつの間にか危険なところまで達していたイドラ・アドミレーションの浸食に意識を失いかける。
「あの輝き! これで鎧武者は――甲斐さんっ!」
闇に染まりつつあった視界に迫る影。突然、横から突き飛ばされた。衝撃で目を覚ます。
立っていたその場所には伊奈がいた。同志の刀が彼女の腹に突き刺さっている。
「伊奈!!」
苦痛に顔を歪ませながら、伊奈は歯を食いしばる。振り上げた刀を横に薙いで、発狂した同志を追い払う。しかし、抵抗はそこまでだった。甲斐は倒れてくる伊奈を受け止める。
意識を失った伊奈に触れ、聖杯を確認する。心はまだ生きていた。
安堵したのも束の間。ダァンッ! という音。銃声だ。すぐさまダメージ遅延のフィールドを展開するが間に合わなかった。アドミレーションの弾丸が直撃する。衝撃で伊奈もろとも吹き飛ばされた。這いつくばりながら、かすかに残った意識でステージを確認する。
イドラ化して狂った先輩アイドル三名は、互いを敵だと認識してライブをはじめた。向こうの伊智たちのステージからは、ボガートの低く唸るような哄笑が聞こえてくる。
――これで、終わり……?
このままではイドラ化する。先輩たちのようになってしまう前に、矢を輝化する。仰向けになって矢じりをにぎり、首にあてた。地面の冷たさが体に沁み込んでいく。
「甲斐。そんなこと、せんでええよ」
環の手が矢じりに触れる。パキン、と破裂したと同時に寒さが和らいだ。温かい布団に包まれたような感覚。これが、環のひときわ濃い朧雲であることに甲斐はすぐに気づいた。伊奈も同じものに包まれている。清らかな白いアドミレーションが二人を癒す。
「二人だけでも、生き残るんや」
「待って、環さん!」
甲斐の声を無視して、環は、伊智たちのステージへ向かう。
環を追って来た三名の先輩たちが加わり、発狂した六名が、彼女の前に立ち塞がる。
環は、朧雲を巧みに使いながら、一人ずつ薙刀で斬り捨てていく。髪を乱し、きつくしかめた表情で。彼女の聖杯は固く閉ざされていて、何を想っているのかはわからなかった。
六名を討ち果たした環が合流し、七剣星の五人と黒い鎧武者が、再び対峙する。
ここまでの激しいライブなどなかったように、ボガートの姿と動きはライブ開始当初と変わりがなかった。しかし、五人のアイドルたちは疲労とイドラ化の影響が出ている。
イドラ・アドミレーションが空間に満ちていたとしても、この短時間に彼女たちほどの聖杯でイドラ化がここまで進行するのは異常だ。
(すまねぇ……これで、終わりみたいだ)
(こんなのってないよぉ……)
(くやしい、ですわ)
激しい攻防の果てに、千歳、琥珀、美鶴がイドラ化により気を失った。
(私は、最後まで――)
(伊智! そんな必要あらへん。もうやめとこ? な)
(戦います!)
(伊智――っ!)
環の悲痛な叫び。それを最後に、ステージが静かになった。
ややあって、肩で息をするボガートのそばに、甲斐たちの仇が現れた。
「ゲームオーバー」忌まわしい声が朗々と響く。「結果は……四人、いや三人か。まあ、上々といったところか」ヴィヴィアンが指を鳴らす。「仕上げだ」
残されたイドラが一斉に形を崩し、イドラ・アドミレーションとなった。この庭園に充満していたものとともに集束し、三筋に分かれて、ボガートの傍に倒れている三名に降り注いだ。黒い奔流は怒涛のように彼女たちの聖杯を浸食していく。
やがて、すべてのイドラ・アドミレーションが彼女たちの中に入った。三人が、ゆっくり立ちあがる。そのシルエットは千歳、琥珀、美鶴だ。
「ボガート、お前は三人のエスコートだ」
しゅるしゅる、と鎧武者のイドラの身体がしぼみ、元の小人の姿に戻る。
「は~い」
ヴィヴィアンが、左手の宝珠の力を発揮する。彼女の傍に人が通れるほどの穴が開いた。
ボガートが促すと、千歳、琥珀、美鶴は、おとなしく穴をくぐった。ボガートがつづき、ヴィヴィアンも穴をくぐると、穴が閉じ、彼女たちの姿は跡形もなくなった。
見計らったかのようなタイミングで、甲斐と伊奈を包んでいた朧雲が消滅する。
朧雲の抗イドラ化作用で少しだけ体の自由を取り戻した甲斐が起き上がる。目の前に広がる光景に息を呑んだ。
イドラ化した先輩アイドルたちが、黒いまだら模様を身体中に浮かべて息絶えている。月光が照らす彼女たちの死に顔には、喜怒哀楽それぞれを誇張した表情が張り付いていた。
プロデューサーを喪った悲しみを怒りに変え、たくさん話し合って準備して、ようやく挑んだライブだったのに、仇に一糸も報いることができなかった。
「甲斐、さん……ライブは――」
伊奈も起き上がり、目の前の地獄と向き合った。情が深く、すぐに感情をあらわにする彼女だったが、がくんと首を垂れて、へたりこむ。
伊奈と目が合った。互いの空虚な瞳を映し合う。言葉や聖杯連結で確認しなくても、相手のしたいことがわかった。
なけなしのアドミレーションで輝化武具を生成する。伊奈は短刀を逆手に持ち、腹にあてた。甲斐は矢じりを再び首すじにあてる。
これから湧き上がる悲しみや憎しみに抗うことは難しいだろう。このまま、空虚なままで聖杯を壊してしまうべきだ。
アドミレーションの刃が、体に沈んでいく。
ふと、からから、と何かを引きずるような音と、か細い声が聞こえてきた。
「良かった…………無事、でしたね」
驚いた甲斐は、手を止めた。
「伊智さん!」伊奈の声。彼女も手を止めていた。
仇たちが消えたあたりから、伊智が刀を引きずって重い足取りでこちらに向かってくる。
「甲斐と……伊奈ですね。すみません……。私の、力不足でした」
「先輩たちが、イドラ化で……」
「ええ、千歳も琥珀も美鶴も、ここで倒れた六名も、皆のイドラ化を引き受けきれなかった。……だから、あなたたち二人は……せめて二人だけは、私が救います……」
「えっ……?」
伊智が、甲斐の眼前で足を止める。彼女の顔は狂気に染まっていた。瞳が縮み、頬に黒い斑点を浮かばせて、口を吊り上げて奇妙に笑っている。逆手に持った刀をゆらりと振り上げると、ためらいもせず甲斐の体へ突き立てる。しかし、手元が狂って地面に刺さった。
「すみません……必ず、楽にしてあげますから」
「そん、な……」甲斐は、伊智の顔を呆然と見上げる。「イドラ化……?」
「伊智さん、やめてくださいっ! 終わったんです。何もかもっ!」
伊奈が空色の刀を輝化して、伊智と切り結ぶ。
「私が責任を取らないと! この仇討ちを望んでしまったこと、皆の感情を煽ったこと……その責めを負わなければならない!」
甲斐も弓を輝化する。ふらつく足で立ち上がった。首筋にあてていた矢を弓につがえる。
――このまま聖杯を壊すつもりだった。でも、殺させたくない。殺されたくない!
伊智の刀を狙う。しかし、照準が定まらない。
そのとき、環が舞い降りた。
「またそれや! あんたの悪い癖やって言うてるやろ!」
環の身体も聖杯も、ボガートとのライブでぼろぼろだった。薙刀を重そうに引きずっている。
「ごめんね、環。私には、こうすることしかできないの!」
伊奈を突き飛ばして、伊智が環に向かっていく。環もそれに応じて薙刀を構えた。
「――っ、伊智っ!」
ぎぃんっ! 薙刀が伊智の刀を弾く。舞い上がった刃が月光を二度反射させて、地面を突いた。アドミレーションの粒となって、輝化解除される。
すかさず環が伊智を抱きとめる。しかし、伊智に立っている力は残されていなかった。環の腕からすり抜けて地にあおむけで倒れる。
「なんで?」唇を震わせながら、環が言葉を浴びせる。「なんで、あんなことを……みんなのイドラ化を引き受けるなんてしたんよ。あんた一人でそんなにできるはずないやろ」
「だって……私は、皆の隊長で、この仇討ちを望んだ首謀者……それが当然でしょ?」
「……そうかもしれへんけど! あんたかてひとりの人間なんやよ? そないぜんぶ背負いきれるはずあらへん! もっと、うちを、うちらを頼ってくれてもええやない……」
涙を流す環を見て、伊智の狂気に侵された表情が、少しだけ柔らかくなる。
「あっは……そう言ってくれるのは、環だけだよ」
伊智の双眸は、どこか遠くを見ている。
「私は、拓望さんを慕っていました。環と那由多の皆が大好きでした。優しさとまぶしさにあふれた日々が何よりも大切でした」
「うちも、おんなじやよ」
「それが、奪われた……許せなかった! だから仇討ちを望んだ。そうしないと……私を失ってしまいそうだった。でも、その気持ちが皆を復讐に駆り立てた。皆の憎しみは、私の心を映したもの。怖くて、目を背けていたら、もう止められなくなっていた……」
「それだけ、みんなのこと、好きやったん?」
「うん。あの日に、帰りたいよ…………」
「伊智……」
「環、最後の、お願いです」伊智の手が、環の薙刀に触れ、切っ先を自身の胸に向けた。
「いやや!」首を振って拒絶する環だったが、その顔が驚愕に染まる。「っ! それは……」
伊智の胸から、赤ん坊のような小さな腕が生えていた。真っ黒なその手は、つかむものを探すように宙を掻いている。
「皆のイドラ化を引き受けすぎたのかもしれません……」
「そ、それでも! そないなこと、できへん!」
環が薙刀を引く。しかし、伊智はしっかり刃の根本をにぎって放さない。
「こんなことさせて、ごめんね。でも、環になら……」
伊智が、薙刀で自身の胸を突く。黒い腕は苦しむようにもがきながら霧散した。同時に伊智の身体からも力が失われる。
「た、まき……ありがと……う」
か細い声がかろうじて聞こえた。目をつむる伊智に呆然とした環がすがる。
「は、ははっ……。あほやなぁ、伊智は……。あんな賢いのに、あほなんよ」
環は引きつるようにして笑う。その顔は、苦しそうで見ていられなかった。甲斐は、環に触れたくて、這って彼女に近づく。伊奈も同じように近づいてきた。
「なんや……二人ともゾンビみたいで、怖いやんか」
環に抱きついた。伊奈も反対から抱きつく。
「環さん……」甲斐も伊奈も、涙が溢れ出す。「ふ、ぐ、くうぅ――」
「やめて……そないされたら、うちかて――う、うぅっ―――」
空が暗く厚い雲に覆われる。雪が降りだした。
永遠の眠りにつくアイドルたちに白い六花が手向けられる。
甲斐たち三人の慟哭は、誰にも届かなかった。
†
再び舞台が暗転する。
空の向こうが金色に輝きはじめた。
暁光に照らされるのは、ルーティと、甲斐に似た幼い少女だった。
――今のは……甲斐の過去?
動悸がおさまらない。怒り、悲しみ、恐怖、諦念、徒労感。思い出の中の甲斐が味わっていたものと同じ感情が、ルーティの聖杯に詰め込まれていた。
「ねえさま」
鳥居の向こうの幼い少女が手招きをする。そちらへ足が向かう。
リアの面影が、その少女に重なる。彼女の誘いに身をゆだねようとする。
「これ以上は、やめて」
突然現れた存在が、ルーティの手を引いて止めた。
「甲斐……」
はじめて出会ったときと同じ、和服のデザインが取り込まれたセーラー服を身にまとい、背筋を伸ばして毅然と立っていた。
「この子は、リアさんじゃない」
「わかってる……」
「それに、他人の聖杯に、無断で潜ろうとするなんて正気じゃない」
「――っ! わかってるよっ!」
同い年の甲斐に淡々と諭され、苛立ちで声を荒げる。甲斐はため息をついた。
「私の過去を観たのね」
「……ええ」
ルーティは、追体験した彼女の過去を振り返る。どうしても知りたいことがあった。
「あんなに辛いことがあったのに……なぜ、普通に活動できているの? 伊奈と環もそう。亡くなった人を想ったら、いつもどおりになんてできないでしょ……」
甲斐は瞳を閉じてしばし黙考した後、口を開いた。
「帰ってこない。もう元に戻らない。変わってしまった。それを理解したから、かな」
ルーティは納得できなかった。
「……わたしは養護施設で育ったの。そこでは『なくす』ことに慣れてるって子が多かった。そんなふうに斜に構えて、茶化しておどけて。そういう子ほど見えないところで、誰かや何かのせいにして、いじけてた」
「私が、そういう人間だってこと?」
「それってさ、亡くなった人とちゃんと向き合ってないんじゃない!? その人を大切にしていない! その人を貶めているんだよ! わたしはそんなことできない!」
甲斐がルーティを睨み据える。
「他人の心を決めつけないで。私は、なくすことに慣れてなんかない! 喪失ときちんと向き合いつづけたから、そう思っただけ。あなたに、それを否定する権利なんてない!」
甲斐の言葉が、まっすぐ突き刺さる。叫び散らかしたい気持ちをぐっとこらえて言い返した。
「わたしはリアを大切にする。絶対に放さないから!」
【登場人物紹介】
■アヴァロン・プロダクション
〈キャメロット〉
ルーティ・ブルーム
[青色/杖/魔法使い/ランク3rd]
十八歳。主人公。情報処理能力を高めて、戦術を立案する。
ナタリー・セレネス
[黄色/手甲/盾役/ランク3rd]
十八歳。障壁を展開して、ユニット全体の防御を担う。
〈プロデューサー〉
マーリン・カウンセル
キャメロットの担当プロデューサー。
■ISCI(国際対イドラ現象機関)
〈那由多〉
小松 伊奈
[空色/刀/侍/ランク2nd]
十七歳。相手の意識を引き付けて、ヘイト操作を行う。
成田 甲斐
[臙脂色/和弓/長弓兵/ランク2nd]
十八歳。遠距離攻撃を絡めとり、自身の攻撃手段に変える。
細川 環
[白色/薙刀/行動阻害役/ランク4th]
二十二歳。汎用性に富んだ粒子を操り、舞台を掌握する。
■ヤマト・プロダクション
〈那由多四十七士/七剣星〉
織田 伊智
隊長。那由多四十七士をまとめるリーダー。
細川 環
副長。伊智とは幼馴染で、気が置けない仲。
立花 千歳
長巻「雷切」を手足のように操る。粗野だが、義理人情に厚い。
井伊 琥珀
伸縮自在の錫杖を振り回す。いつも朗らかな笑顔を絶やさない。
宇津瀬 美鶴
棒火矢を豪快にぶっ放す。お嬢様言葉を話す自信家。
吉岡 妙
暁月プロデューサーの護衛任務中に行方不明となる。環と同期。
小野 佳代
暁月プロデューサーの護衛任務中に行方不明となる。
〈プロデューサー〉
暁月 拓望
那由多四十七士の担当プロデューサー。
■ノヴム・オルガヌム
ヴィヴィアン・サーペンド
[黒い青色/宝珠/ゲームマスター/位階第三位]
二十四歳。
ボガート
ヴィヴィアンの使い魔イドラ。シェイプシフター
■その他
成田 梨夏
甲斐の妹。




