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第九章 「休暇」

 ルーティは見知らぬ部屋で目を覚ます。紅葉が描かれたふすまで囲われていた。

 暖かくてふかふかの布団をはねのけて体を起こす。身につけているのは浴衣だ。生地の薄いバスローブのようで心もとない。

 ――うっ、くうぅっ……

 全身の筋肉が痛む。空港でのライブのせいだろう。しかし、ここ最近の寝起きと比べると、頭の方はすっきりと心地よかった。

 不意にふすまが開く。

「おはよう」

 甲斐だ。彼女もルーティと同じ浴衣姿をしている。

 聖杯の中で交わした会話を思い出し、ばつが悪くて顔を伏せる。

「あの……ごめんなさい」

 顔を上げると、甲斐は布団の傍に座り、ルーティをまっすぐ見つめていた。

「私の聖杯で……あなたを責めたことを謝ります」

 フェスの対戦相手で襲撃者。こんな難しい相手にも、心を開いて向き合ってくれる。そんな彼女に尊敬と感謝の念を抱く。自然と口がひらく。

「わたしも、ごめんなさい。あなたの想いをよく知りもせず、否定してしまって……」

 甲斐は、うなずいて言葉を受けとめてくれた。ルーティがつづける。

「義理の妹が、亡くなったの」

 甲斐が、もう一度静かにうなずく。

「あなたたちとライブをした日に……最後を看取れなかった。もし、意識を失っていなければ、言葉だけでも……それが、やりきれなくて。だから、怒りをぶつけてしまった」

「そう、だったんだ……」

「すごく勝手な憎しみだって、わかってる。でも……わたし、なんだかおかしくて。妹がこの世界にもういないってことは理解しているんだけど……それでも、死んでしまったことが今でも信じられないの……」

「義妹さんが生きているかもしれないって、思っているの?」

 ルーティは胸に手を当てる。

「妹が……リアがここにいて、わたしに話しかけてくるの。もういないのに、いるの」

 甲斐は、ルーティから視線を逸らさず、まっすぐ向き合っている。何となく気後れして、彼女の視線から逃れて顔を伏せる。途端に、背中に痛みが走った。

「うっ! いったぁ……」

 これまでに感じたことのない筋肉痛だ。

「大丈夫? 傷とかはなかったと思うけど」

「ええ……、体を使いすぎただけ。あの『蜘蛛』のせいだよ」

 甲斐がほっと肩を撫で下ろし、息をついて言った。

「今は、心と身体をやすめるべき。あなたも私たちも休暇中で、ここは私たちの国の環さんお気に入りの温泉。いっしょに休暇を過ごして、ゆっくり考えよう」

「えっ? 休暇……温泉? ここは、あなたたちの故郷なの?」

 意識のないうちに異国に来ていたことに驚かされる。甲斐は立ち上がって布団から離れた。

「そう、マーリンさんからお願いされて、あなたを連れてきたの」

 甲斐がふすまを開く。開いた先にあるリビングの大きな窓から、朝の光が差し込んでいた。東の空に上る太陽が、山を彩る美しい紅葉を照らす。

「目が覚めたんですね!」

「ほな、みんなで朝風呂 行こうや」

 同じ浴衣姿の伊奈と環が、リビングから声を掛けてくる。

 突然の状況にルーティは困惑する。一度でも敵対した那由多の三人とともに過ごせるだろうか? あのときと同じ「蜘蛛」となって三人を襲ってしまうかもしれない。

 ためらっていると、環がそばに来た。手を取られ、じっとりと顔を見つめられる。

「な、なんですか……?」

「身体はよごれてるし、髪はぼさぼさやし、せっかくのべっぴんさんが台無しやで」

 ルーティの羞恥がためらう気持ちにまさった。

「…………わかりました」


 脱衣所の洗面台には、大きな鏡があった。そこに浴衣を脱いだ自分の姿を映す。

 乾燥して広がった髪。疲れ切った顔。くすんだハリのない肌。少しだけ臭う体。

 ――こんな自分は、嫌だな……

 那由多の三人は、少し離れたところで入浴の準備をしている。

 伊奈は脱いだ浴衣を手際よくたたみ、かごに収めた後、長い髪を手早くお団子にまとめてヘアゴムでしばる。ひとつひとつの所作が美しかった。

 甲斐は体重計に乗っていた。すらりと背が高い彼女の背中は、張りのある筋肉で満たされていた。その隆起をつい目で追ってしまう。

「ルーティ、準備できたん?」

 環の声に驚いて、視線を引きはがす。いつの間にか近くにいた彼女は、全裸だった。

 彼女があやつる雲のように白くて肌理の細かい肌。なめらかな曲線で描かれたふっくらとした隆起は、甲斐とは趣が異なり、弾力性に富んでむちむちと揺れている。

「なっ……か、かくしてください!」

 腕とタオルで体を隠しながら、環から目を背ける。

「あっは♪ これな、わざと見せつけてるんや」

「恥ずかしくないんですかっ」

「だいじょうぶ。気にしてへんから」

 彼女は「あぁ」と何かに気づいたような声を漏らし、にんまりとした笑みを浮かべた。

「そうそう、脱衣所から向こうに、タオル持ち込めへんよ」

「えっ、そうなんですか……?」

「環さん!」タオルで大事なところを隠した伊奈がこちらにやってきた。「うそですよ! ルーティさん。このタオルは持ち込みOKです!」

「…………」

 あまりに呆れて、言葉が詰まる。非難を込めて、じっとりと、全裸の彼女を見つめた。

「ちょっとした冗談やって。そないな目で見んといて。気持ちようなってまうやん」

 頬を染めた環が悶えはじめる。彼女の印象が百八十度変わってしまった。

「環さんの悪い癖なんです。さぁ、ルーティさん。こんな変態さんの言うことは無視して、お風呂に行きましょう!」


 体と髪を洗って、さっぱりしたルーティは、伊奈に連れられて露天風呂へと向かう。

 ガラスの扉を抜けると、外気が全身を撫でた。ひやりとした鮮烈な感覚が心地よい。

「わぁ……」

 眼前に、紅葉に彩られた山々と、その間に川が流れる渓谷が広がる。

 露天風呂は、それを見下ろすように作られていた。大きな岩で囲われた湯舟は、お湯で満たされ、端に設置された樋から湯が注がれている。

「すっごく良い景色ですよね! でも、お風呂に入るともっと幸せになれますよ!」

 伊奈を真似て、かけ湯をする。そして、期待を込めて湯舟をまたぎ、湯に足を浸した。

「ふあっ!」身を刺すような熱さに、覚えのない声が漏れる。「くっ、うぅぅ――」

「はぁ~~」伊奈とともにため息を漏らす。

 熱い温泉でゆだる体が、ひやりと吹き抜ける風で冷まされ、また温かい湯を求める。気持ちよさが止まらない。

 伊奈といっしょに、空に吸い込まれていく湯気を見守っていると、自然と言葉が漏れた。

「空港では、ごめんなさい」

「えっ? あのライブのことですか? ルーティさんも含めてみんな無事でしたし……それに、あの蜘蛛の姿は、何か不測の事態が起こってたんですよね?」

「そう、だと思う……」

「それなら謝ることありませんよ! ルーティさんの方こそ、聖杯と身体は大丈夫ですか?」

 聖杯に意識を向ける。リアと、あの黒ずくめの女性の感覚は遠い。

「うん……大丈夫そう」

「良かった!」

 伊奈のはじけるような笑顔。裏表を感じさせない彼女の言葉に救われたような気がした。

「……空港のライブのあと、何があったの?」

「私も気絶していたんで、環さんから聞いた話なんですけど――」

 ルーティが気を失う直前、マーリンとナタリーが現れたらしい。

 ――マーリンは、レイラさんが呼んだのかな……

 最後にすれ違ったとき、空港へ行く、と言った覚えがある。それを伝えたのだろう。

 ルーティが気を失ったあと、マーリンは、四人の聖杯を診て、治療を行ったそうだ。

「私と甲斐さんは、意識を取り戻しました。でも、ルーティさんは聖杯の深いところで甲斐さんと強く連結していて、強引に切断すると、お互いに何が起こるかわからなかったそうです」

 そこで、マーリンが那由多にお願いをする。

「この場の後処理は、アヴァロン・プロダクションの責任ですべて行います。那由多の三人は、予定していた便で帰国してください」

 とまどう那由多の三人に、マーリンがつづける。

「那由多の皆さんは、帰国後に休暇を取ると聞きました。ルーティも同行させてくれませんか? 『さっきの今』なので難しいかもしれないですが……」

 ルーティが目覚めるまで、甲斐と物理的に離れてしまうのもよくないということで、環は、マーリンの申し出を承諾した。

「――それで、ルーティさんはこの旅館で目覚めることになったんです」

「伊奈、ルーティ、先に上がってるよ」

 甲斐の呼びかけに、伊奈が「はい!」と応える。

「ルーティさん、私たちもそろそろ出ましょうか」

「うん……」


 風呂から上がって、髪と体を拭く。少しだけ、ましな自分になった気がした。

 鏡の前で、ドライヤーを使って髪を充分に乾かしたあと、持ってきたブラシで髪を梳かす。しかし、絡まりが強くて苦戦する。

「うちが梳かしたげるわ」

 浴衣をきっちりと着た環がルーティの隣に立っていた。彼女の顔を見て、風呂に入る前のことを思い出し、警戒する。

「え……なんか怖いんですけど……」

「まあ、そう言わんと」

「あ、ちょっと」

 環がブラシを取り上げて後ろに立つ。鏡越しに、彼女の手が毛先に触れるのを見た。何をされるのか一瞬だけ怯んだが、杞憂だった。

 毛先にブラシを通して、丁寧に絡まりをほぐす。それが終わったら、髪の根本にブラシをあてて、ゆっくりと髪を梳かしていく。ブラシを扱う仕草や力の入れ具合がとても繊細だった。

 頭に触れる手の感触も、頭皮をマッサージされているようでとても気持ちがいい。

 いつの間にか環に身をゆだねていた。

「ルーティ? マーリンからのメッセージあるんよ。伝えてもええやろか?」

「えっ? いきなり、ですね。……いいですよ」

「ほな、いくで――

『今はしっかり休んで元気を取り戻してほしい。そして、また義妹さんと向き合ってきてほしい。僕も、キャメロットのみんなも、ルーティのことを待っているから』

 ――やって。マーリンさんはやさしい人なんやね。拓望さんによう似とるわ」

「……はい。本当にやさしい人です」

「ナタリーも、うなずいとったよ。『僕には何もできないから』言うて、ほんまにつらそうにしとった。みんな待ってくれてるし、焦らんと、ゆっくり行こ?」

「でもっ、みんなに迷惑かけちゃってるから……」

 ブラシが緩やかに動く。青みがかった黒髪につやが戻る。

「ルーティ、ゆっくりでええの。マーリンさんの言うとおり、今はやすむことや。身体をやすめたら、心も休まる。そしたらまた、新しいことを考えられるようになる」

「はい……」

「これで終わり」環がルーティにブラシを返す。「安心して。ルーティの苦しさは、自分の聖杯と向き合えている証なんよ。そうできる人の方が、ほんまにすごいんやから」

「……ありがとうございます。それから……すごく、気持ちよかったです」

 鏡に映る環が微笑む。素直な気持ちを表すことができた。

「そうなん?……ほな、よかったわ」

 ぐぅうぅぅ――

 唐突に、盛大に、ルーティのお腹が鳴った。環の眼が丸くなる。ばっちり聞こえてしまったのだろう。鏡に映る自分の顔が真っ赤に染まった。

 ――心はリアのことでいっぱいなのに、お腹は空いてしまうんだ……

 自分の浅ましさに目がくらみそうだった。環に何を言われるか、と身構える。

「あっは。聞こえたでぇ」

 恥ずかしくて思わず目をつむる。しかし、あとがつづかない。

 ふわりと、梳かしたばかりの髪ごしに頭を撫でられた。そっと目を開く。

「ぜんぜん問題あらへんよ。ずっと眠ってたんやし、お風呂にも入った。お腹すくんは当たり前や。生きてる証拠やし。恥ずかしいなんて思わんし、思う必要もないんよ」

 環がルーティを立たせ、浴衣を着付け直す。小気味よい衣擦れの音とともに帯を締める。

「よしっ」環がルーティのお腹をぽんと叩く。「ほな、腹ごしらえして、遊びに行こか♪」


「ルーティさん! 朝食はどうでしたか? お口に合いましたか?」

 伊奈の言葉にうなずく。

「美味しかったよ」

 朝食を終え、身支度を整えたルーティたち四人は、山間にある川沿いの道を歩いている。

 環が先導して、この付近のパワースポットとして有名な由緒ある神社、その門前町に向かっていた。そこでは、グルメや雑貨、手作り体験に観劇など、いろんなことが楽しめるらしい。

 ルーティがつづける。

「いつもと比べて、とてもヘルシーで、今のわたしにぴったりだったと思う」

 炊き立てごはんに、豆腐とわかめの味噌汁。アジの干物と卵焼き。ここ数日、食欲なんて湧かず、携帯食で済ませていたけど、しっかり完食できた。

「いつものって、どんなメニューなんですか?」

「トーストと目玉焼き。それから、ベーコンにソーセージにトマト……」

「わぁ~♪」伊奈がごくりと喉を鳴らす。「明日は、それにしてもらいましょう!」

「そんなことできるの?」

「はい!」伊奈の瞳がキラキラしている。「憧れだったんです。そういう朝食!」

 伊奈は、細身で小柄な見た目に反して健啖家だった。今日の朝食もごはんを二回おかわりしていた。姿勢よくきれいに食事をする彼女に触発されて、食欲が増したのかもしれない。

「食べることが好きなの?」

「そう、ですね」伊奈は頭に手を当て、頬を赤らめる。「鍛錬すると、お腹が空くんで……なんか、恥ずかしいですね」

 脱衣所で聞いた環の言葉がよぎる。ルーティが首を振る。

「その方がいいと思う。わたしも、ちゃんと食べるよ」

 ぱっ、と、伊奈の笑顔がはじける。

「はい! 朝食は大事ですよね!」

 不意に、かすかな甘いにおいを感じた。

「この香りは……花?」

 ルーティたちは足を止める。歩道沿いの野原一面が、コスモスで満たされていた。

 向こうの山際まで開けた広大な敷地に、薄紅の花が咲き乱れている。

「こら、圧巻やなぁ」

 環と同じく、ルーティもその光景に目を奪われる。秋の少しひやりとした風に乗って、先ほどの甘いにおいが届けられる。

「花畑の中を通れるみたい」

 道路脇の看板を確認した甲斐の言葉に、環が応える。

「へえ、ほなちょっと行ってみよか」


 ルーティたち四人は、穏やかな陽の光を浴びながら、コスモスの赤とにおいに包まれていた。

「すごいですね! まるで、絵本の中みたいです!」

 ――絵本……そういえば……

 伊奈の言葉と目の前に広がる幻想的な光景が、とある記憶を呼び起こす。

 ――ブルーム寮のみんなと遠足に行ったとき……

 ここと同じように、見わたすかぎりネモフィラの花で満たされた高原の花畑だった。

 視界が、薄紅から淡い青に変わっていく――


「すっごくきれいだね!」

 はしゃぎまわるリアを追いかけていると、広大な花畑の中央にくりぬかれた広場に出た。

「絵本の中の天使になったみたい!」リアが空を仰ぎ、両腕を広げてくるくると回る。

 彼女が、ぐらりとバランスを崩した。

「リアっ!」

 慌てて身体を抱きとめる。ルーティにしがみついたまま、リアがつぶやいた。

「……ごめんね。ルーティ」

 広場の中央にある小高い丘。そこに設置されたベンチに腰かける。リアは、ぐったりと背をもたれさせたかと思いきや、すぐにルーティの膝を枕にして寝ころんだ。

「そんなに、辛いの……?」

「えっ? そんなことないよ。ただ、お姉ちゃんに甘えたかっただけ」

 膝の上から見上げるリアが、茶目っ気たっぷりに微笑む。

「ルーティ、見てよ」

 膝の上の妹の視線を追う。丘から見下ろすだけで、遠くの方まで視界が届く。敷き詰められた淡青色の花弁は、まるで空色のじゅうたんだ。

 心の底からすくい上げたような、ため息まじりの声でリアが言った。

「きれいだね」

「そうだね」

「また、来たいな……」

「わたしも。リアと二人で」

「できるかな」

「大丈夫。リアを連れていくよ。ぜったい」

「ほんとに? 約束だよ」

 下から見上げる彼女が、また微笑む――


 ――十二歳の春、だったかな……。

 リアは、この頃から体調が悪くなり、入退院を繰り返すようになっていた。

 ――そして、わたしは、アイドルに憧れはじめたころだ。

 このあと、アヴァロン・プロダクションへの入所が決まり、ブルーム寮を出ることになった。リアと離れて暮らすことになり、結局、再訪の約束を果たすことはできなかった。

「着きました! 門前町です!」

 伊奈のテンション高めの声で現実に引き戻される。

 ルーティは活気あふれる街並みの入口に立っていた。そこは、彼女たちの国における昔の住居を現代風に再現したお店が建ちならび、多くの観光客と思しき人たちが行き交っている。

 目元を拭う。涙がこぼれていた。ふと甲斐と目が合った。彼女の涼しい表情が曇る。

「ルーティ? 本当に大丈夫なの?」

「うん。聖杯に異変はない。心配いらない」

「……わかった」

「それよりも――」

 目抜き通りのそこかしこから香ばしい匂いが漂ってくる。醤油やみその匂いだけでなく、団子やクレープのほんのり甘い匂いや、肉の焼ける力強い匂いも感じる。

「たくさんいい匂いがする。食欲が戻ったのかも。またお腹減ってきた」

 甲斐の表情が柔らかくなった。

「お昼、食べに行こう」

「そのあとは、いろんなお店を見て回りましょう!」

 伊奈の言葉を引き取って、環が「最後に」と付け加える。

「あんたのために、とっておき用意してるんよ。楽しみにしてて」

 那由多の三人とともに、甘いものや辛いものをいくつも食べ歩きをしながら、彼女たちの文化や歴史に触れつつ、可愛く、エキゾチックな雑貨や服をウインドウショッピングした。

 趣向を凝らした街並みを楽しみつつ、時間を忘れて目まぐるしく動きまわる。

 ふと気づいたとき、伊奈がいなくなっていた。


 甲斐と環に連れられてやってきたのは、お茶を取り扱う店の奥にある庭付きの施設だった。

「伊奈を探さなくて良いの?」

 二人にそう尋ねたのだが、環におっとりとはぐらかされながら辿り着いたのがここだった。

 こぢんまりとした施設の中は、まるで箱庭のような場所だった。

 四畳半という狭さの畳敷きの部屋を、障子越しの陽の光が柔らかく照らしている。しんと静寂に包まれていて、部屋に充ちるサンダルウッドの香りがさらに気持ちを落ち着かせてくれた。

 湯気をあげる釜。解読できない漢字が絵画のように描かれた掛け軸。たった一輪のコスモスが活けられた花器。部屋のインテリアは、それらだけだ。

 甲斐と環に習って正座をして静かに待つ。

 障子に人影が映った。隙のない振る舞いで障子を開いたのは、着物を身につけた――

「伊奈!?」

「はい! ここは、茶道を気軽に体験できる施設でして、たまにこちらで、二人にお稽古の成果をお披露目しているんです。今日は、ルーティさんにも見てもらいたいと思いまして」

「茶道って……難しいんでしょ? わたし、マナーを全然知らないんだけど……」

「うちも全然知らへんのよ。習いって言われたけど、パスしてしもたわ」

「私も同じ」

 環と甲斐はそっけない感じでさらりと言う。それでも伊奈はにこりと微笑む。

「それで問題なしです! お茶とお菓子で、この場所とこの時間を楽しみましょう!」


 誰一人、口を開かない。

 そんな中、伊奈が、きりりとした表情で、迷いなく的確に準備を進める。緊張なんて言葉とは無縁の淀みなく流れるような所作は、とても素直で自然なふるまいだった。

 お茶を点てる伊奈が、この茶室と晩秋の午後に融けこみ調和する――

 庭園に、傾きつつある陽が差し、郷愁を誘う陰影を描く。伊奈の所作を追いかける衣擦れの音やお茶を点てる道具の奏でる音が小気味よく響いている。

 甲斐や環の息づかいは落ち着いていた。ルーティの呼吸も彼女たちと同じになる。

 ふと数少ない調度である掛け軸と花器に目を向ける。描かれた漢字と活けられたコスモスにはどんな意味があるのだろうか。想像を巡らせるほど、「今、ここ」につながるようだった。

 伊奈が茶筅を振るたびに、抹茶の濃い香りが広がっていく。茶室を満たし、自身の胸も満たす。異国情緒が高まってきた。

 やがて、アンティークのような器で、出来上がった抹茶が振舞われる。

 小さな茶室に四人がひしめきながら、器を受けとる。手の中にある器の感触とじわりと伝わる温もりが心地よい。ピリピリとしびれる足の裏もくすぐったくておもしろい。

 抹茶を口に含む。泡立てられた薄茶の爽やかな苦み。とろりと練られた濃茶の甘さ。それらを引き立てるように調和する、可愛い彩りと細工を凝らしたお菓子のやさしい甘さ。

 口の中に広がって、からだに沁み込み、心をほぐしていく。

 思わず、ほぅっ、とため息が出た――

 小さくて何もない部屋でお茶とお菓子を食べるだけ。それなのに、ルーティたちは「退屈だ」なんて言うことなく言葉少なに過ごしていた。

 たったこれだけでも満たされる。こんな経験は初めてだった。


「ごちそうさまでした」

 ルーティと甲斐、環が、伊奈に向かって挨拶する。伊奈は、スイッチを切り換えたかのように、いつもの元気いっぱいな彼女に戻っていた。

「こちらこそありがとうございました! 片付けと着替えをしてくるので、すみませんが、少し待っていてください!」

「茶室の外で待ってる」

「ほな、行こか」

 甲斐と環に促されて、ルーティも立ち上がろうとする。

「はい。――うぅっ!」

 しかし、足が思いの外しびれていた。

 なんとかこらえて、思い切って足の裏を畳に付けると……まるで電撃のように、しびれが脳天を突き抜ける。変な動きをしたことで、筋肉痛もはげしく主張をはじめた。

「っ!……くっ……ううぅっ……」

 甲斐と環が、うずくまるルーティを見て、顔を合わせる。

「あっは! お約束やな♪」

「そうですね」

「……二人は何ともないの?」

「まあ、そやなぁ。もう慣れてしもたわ」

「私もです。伊奈も、しびれたりしないんでしょ?」

「それはもちろん! ……あひゃぁ!」

 頓狂な声に、どすんという音。振返ってみると、伊奈が畳にうつ伏せで倒れていた。幸い彼女自身や片付けの為にまとめられた茶道具には何も影響はないようだ。

「どないしたん!?」

 環の声に、うつぶせのまま伊奈が応える。

「……私も、しびれちゃいました」

「ぷふっ」ルーティは口を押さえる。しかし、止められなかった。「あっははっ!」

 お茶を点てるときの引き締まった表情と凛とした姿。そして、目の前でうつぶせのまま足を曲げてじっとしている姿とのギャップに耐えられず、思わず吹き出していた。

 甲斐も環も、ルーティと同じタイミングで失笑していた。

「ちがうんです! きょうはたまたま……って、みなさん笑いすぎですよぉ!」

「ご、ごめんね。伊奈……ふ、ふふっ……あはははっ――――」

 足のくすぐったさと重なって笑いが止まらない。お腹が引きつりだす。

 ――わたしって、こんなに笑えたんだ……


「ほな、宿戻ろか。また温泉つかって、食べて呑んで思いっきり寝て。あぁ、幸せやなぁ」

「ですね!」

 環と伊奈がそう言って門前町の出口の方へ向かっていく。

 茶室を後にして、大通りに戻ってきた。日が傾いて、客足のピークが過ぎているのだろう。行き交う人の数は少ない。

「帰ろう、ルーティ」

「うん」

 ルーティは、甲斐につづいて環と伊奈を追いかける。

 大通りの両端に規則正しく並ぶ、照明代わりの石灯籠に火が灯された。

「ええなぁ……幻想的やわ」

 そう言う環とは違い、ルーティは、ゆれる灯りを見て物寂しさを感じていた。

 西日が大通りに差し込む。紅く強い陽が石灯籠の影を伸ばす。

 その影を踏んだとき、背中から服を引っ張られた。冷たい風が首筋を撫でる。肌が粟立った。

 そっと、うしろを覗く。石灯籠の細長い影の上に、幼い子どものシルエットが立っていた。

 それが言葉を発する。

(こんなことしてていいの? あたしのことを忘れたら、いなくなっちゃうよ)

 幼い影が一歩踏み出す。沈む間際の夕焼けが、それを包む闇を暴いた。

 リアだ。表情を曇らせて、恨めしそうにこちらを見上げている。

 ――ああ……そうだ。今日は、彼女のことを想う時間が少なかった……

(ごめんね、リア。寂しかったよね……)ルーティは身を乗り出して幼い彼女に訴える。(あなたを忘れるなんてあるわけない。だから……いなくなるなんて言わないで?)

 リアの唇が吊り上がる。微笑んでくれた。

(ありがとう、お姉ちゃん。あたし安心したよ)

「ルーティさん! 行きますよ!」

「すごい夕陽だ」

 伊奈の呼び声も、甲斐の言葉も、心に届いていない。

(じゃあ、お姉ちゃん。いっしょに帰ろ?)

 伸ばされた幼い手をしっかりと握る。

 ルーティには、リアの言葉しか聞こえていなかった。


【登場人物紹介】

■アヴァロン・プロダクション

〈キャメロット〉

 ルーティ・ブルーム

   [青色/杖/魔法使い/ランク3rd]

   十八歳。主人公。情報処理能力を高めて、戦術を立案する。


■ISCI(国際対イドラ現象機関)

〈那由多〉

 小松 伊奈

   [空色/刀/侍/ランク2nd]

   十七歳。相手の意識を引き付けて、ヘイト操作を行う。

 成田 甲斐

   [臙脂色/和弓/長弓兵/ランク2nd]

   十八歳。遠距離攻撃を絡めとり、自身の攻撃手段に変える。

 細川 環

   [白色/薙刀/行動阻害役/ランク4th]

   二十二歳。汎用性に富んだ粒子を操り、舞台を掌握する。


■その他

 リア・ブルーム

   ルーティの義理の妹。児童養護施設「ブルーム寮」で暮らす。


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