第七章 「女郎蜘蛛」
「こちらです!」
ルーティの目の前で、男性が大きな声を上げた。手を振って、カートで大きな荷物を引く人たちをはき出しつづけるゲートに走り寄る。
――ここは……空港?
あの黒い車に乗ったことまでは覚えている。しかし、ここまでの道のりを思い出せない。
(お姉ちゃん、ここでいいの?)
隣で手をつないでいる幼いリアが、ルーティの顔を見上げる。小首を傾げた無垢な顔を見ただけで、些細な疑問を払いのけた。
(ここは到着ロビーだね。那由多の三人はここから出発するから二階に行かないと)
(えーと、二階は……)リアが首を巡らして周囲を確認する。(あっちから行けるみたい!)
ルーティはリアに手を引かれて二階へのエスカレーターへと向かった。ゆっくりと動くステップに乗り、左腕の時計を確認する。
(あの三人が乗る便まで時間があるから、今はいないかも……)
(じゃあ、あたし、空港って初めてだから、いろんなとこを見てみたい!)
二階に到着してすぐ、リアが大きな声を上げた。
(うわ~っ! ひろーい!!)
広大なフロアすべてが出発ロビーとなっていた。チェックインカウンターが収まる島がいくつも並び、天井も高い。大きな窓から自然光が降り注ぎ、明るくて解放感がある。
リアが目をきらきらと輝かせながら、せわしなくいろんな方向に首をめぐらせる。
国際線の電光掲示板を確認すると、やはり那由多の三人が乗る便は表示されていなかった。
(お姉ちゃん、三人がここにくるのは、いつになりそうなの?)
(たぶん……)ルーティは左腕の時計を見つめる。(あと一時間くらいかな)
(それなら)リアが近くの掲示を指さす。(あそこに行こうよ!)
リアが示したのは、ここから一つ上のフロアにあるショッピングモールの案内だった。おみやげを買ったり、地元の有名なグルメを楽しめたりできるらしい。
(いいね。行こう)
リアの顔が、ぱっと明るく晴れ上がる。ルーティは、突然訪れた幸せな時間をじっくりとかみしめながら、リアの手を取った。
三階は、出発ロビーよりもたくさんの人でにぎわっていた。
飲食店を中心に、衣料品やアクセサリのショップまで並んでいる。フロアの中央にはイベントを開催できるステージがあり、その奥には展望デッキへつづくゲートがあるようだ。
(いっぱいお店があるんだね!)
再び驚きの声を漏らしたリアの視線が固まる。その先にはドーナツショップがあった。
(食べたい?)
(うん)見透かされた恥ずかしさからか、リアの顔が赤くなる。
(お姉ちゃんも食べたいな、行く?)
(うん!)
リアにぐいぐい手を引っ張られながら店に入り、ディスプレイを眺める。
リアは小さな球状のドーナツ六個がカップに盛られたもの、ルーティは昔ながらのプレーンなドーナツを選び、二つ分の支払いをして商品を受けとった。
(あそこで食べよう)手を引くリアが指を差す。
そこは、出発ロビーフロアの上方を大きくぐるりと巡る空中回廊だった。そのところどころにベンチが用意されている。
(高いところから見下ろせば、三人が来たときすぐにわかるね)
出発ロビーを広く見渡そうな場所に目星をつける。幸いなことに周囲には誰もいなかった。
ベンチに座って、色とりどりの小さなドーナツが盛られたカップをリアに渡す。
リアは、備え付けの可愛らしいチャームが付いたピックで、桃色のチョコレートがかかったドーナツを突き、大きく口を開けてそれをほおばった。満面の笑みが浮かび上がる。
(ふぉいひい!)
ルーティも、ドーナツに口をつけた。
サクサクでしっとりした食感。やさしい甘みが心地よい。
口いっぱいにして食べすすめるリアの笑顔が思い出を呼び起こした。
(こんなふうにリアといっしょに出かけるのって、寮のみんなで行った遠足以来、かな)
(うーん……あ! お花がいっぱい咲いていた、あの高原だ!)
(そう。見渡す限りのネモフィラ。すごかったなぁ)
リアが、ピックに刺した小さなドーナツをルーティの口先に突き出す。
(これ、お姉ちゃんにあげる)
リアにお礼を言って、カラフルなチョコレートスプレーがまぶされたドーナツをほおばる。
周囲の空気が変わった。しかし、その感覚は意識の端で認識しているだけで、ルーティの意識の大部分はリアとのおしゃべりに集中している。
コツコツと靴音が近づき、ルーティの傍でそれが止まる。ジャスミンの香りがふわっと漂ってきた。視界にちらちらと入ってくる姿も含めて、霊園で再会したあの黒づくめの女性であることがわかった。でも、声をかけることができない。
彼女の声が聞こえてきた。
(ようやく定着したか)
理解できる言語と同時に、きりきりきり、といった雑音のようなものも聞こえる。かすかに抑揚があったので、何か意味のある音なのかもしれない。
(――)
今度は、彼女のものとは別の雑音のような音だけが聞こえた。返事のようだ。
(上手くあの三人に近づきなさい。那由多四十七士の生き残りを確保できるチャンスよ)
(――――――?)
雑音の最後が上昇調となる。やはり、彼女と何かの存在が会話しているようだ。尋ねるようなイントネーションで発せられた音に、黒づくめの女性の声が応える。
(舞台は別で用意している。そこで、全員を手に入れる)
(――)
(おや)黒づくめの女性が回廊の手すりから下を覗き込む。(三人が着いたようだぞ。フーア)
ルーティは、ドーナツの最後のひとかけらを口に放り込んだ。フーアとはいったい誰なのか、という疑問は、心から抜け落ちていた。
食べ終わったカップを近くのゴミ箱に捨てて、リアが戻ってきた。回廊の手すりに近づく。
(あっ、見つけたよ! お姉ちゃん!)
ぴょんぴょんと跳ねながら出発ロビーを指さし、下のフロアへつづく階段へ向かう。
(リア! 待って、一人で行っちゃダメ!)
ルーティもあわてて立ち上がり、リアを追った。
出発ロビーに降りて、周囲を見渡す。しかし、リアの姿が見えない。
心がざわざわと波立つ。不安と焦りが襲ってくる。思わず、大きな声で彼女の名前を呼びかけたが、足早に歩く人たちの注目を集めただけだった。
――リアが、また奪われてしまう……
急速にふくらむ黒い感情に呑み込まれないように、国際線のチェックインカウンターの方へ向かって走り出した。流れていく景色にリアは見当たらない。
順番待ちの行列を一本、二本、と通り過ぎた先で、聞き覚えのある元気な声が響きわたる。
「ありがとうございます!」
足を止めて、声のした方を見つめる。そこでは、背中まで届く黒髪をひっつめてポニーテールにした伊奈が勢いよくおじぎをしていた。どうやらカウンターで自分の荷物を預けたところのようだ。彼女の傍には、甲斐と環がいる。
再びあの黒づくめの女性の声が聞こえてきた。冷たい声が、脳内をくすぐる。
(お前とリアのつながりを断ったのは、あの三人だ)
(……そう)
(大切な人との絆を断つ。そんな酷いことをするものを許せるのか?)
(……許せない)
(彼女たちにも、お前とリアが味わった苦しみを与えるべきだろう?)
(……与えるべき)
(それなら、チャンスは今しかない)
リアがいた。那由多の三人の方へまっすぐ駆けていく。
(待って……止まって!)
憎むべき三人がこちらを向く。先を駆けるリアと目が合ったようだ。
(ひっ)リアが脚を止め、振り返る。(お姉ちゃん、たすけ――)
(リアっ!!)
ルーティの何より大切な妹の姿が、かき消えた。
息を呑む。引き裂かれるような胸の痛み。両手で押さえた口から引きつった声が漏れる。
「リア……どこに……」
あの声がまた響く。彼女の声が、頭に充満する。
(また奪われてしまった……。お前が躊躇したからだ)
「あ、ああ……わたしが、守らなきゃいけなかったのに!」
立ちすくむルーティのそばを、たくさんの人が通りすぎる。無関心を装い、奇異なものを排除しようとする視線がルーティに突き刺さる。
昔、ブルーム寮で聞いた言葉が脳裏をよぎった。
(お父さんとお母さんが同じじゃないと家族じゃないんだよ? みんな、そうだよ?)
心の奥底から強い衝動が襲いかかってきた。
ルーティは、叫び散らかしたい自分を抑えるため、口を両手で塞ぐ。崩れおちそうになる足をふんばって、必死にその場に立ちつづけた。
「――っ! ――――っ!!」声に出さない叫びを上げながら、髪を振り乱す。
(落ち着くんだ。那由多のことを何とかすれば、まだ間に合うはず)
口を塞いだまま、荒く息をつづける。こくこくと頭に響く声に素直にうなずく。
伊奈がこちらを指さした。そして、両隣の甲斐と環に何かを話しかける。ややあって、伊奈が「はい!」と大きな声で応え、こちらに向かってやってくる。
ルーティは、リアを亡くした後悔を憎しみで抑え込み、一歩踏み出した。おぼつかない足取りで伊奈へ近づく。静かに一本の杭を輝化した。
「リアを……わたしの、家族を……」
杭を握りしめ、腰のあたりに構える。
伊奈がようやくこちらの意図を察したらしい。目を見開いて、足を止める。ルーティは、そのままのスピードで伊奈に向かって突進した。
「返せっ!」
溌溂な笑顔が良く似合う伊奈が、何かを堪えて苦しそうな顔をする。そして、どちらにも避ける素振りを見せなかった。
どん――
体ごとぶつかる。
杭は、伊奈に届いていなかった。代わりに、甲斐がルーティの両腕を封じている。
「っ――!」
腕の痛みに歯を食いしばる。身をよじるが、痛みは変わらない。
取りおとした杭は、那由多の誰にも触れることなく床に落ち、アスタリウムの欠片となった。
いつの間にか、白いもやに包まれていた。環がやってくる。
「今、なんで抵抗せぇへんかったん?」
伊奈に向かって環が穏やかな口調で尋ねる。いつもはきはきとしゃべる伊奈は、ばつが悪そうに小声で「それは……」と応え、つづけた。
「私たちは、ルーティさんにとっての仇、みたいですね……」
「せやから、おとなしく討たれたろ思たん?」
「そうじゃないんです。やっぱり、憎しみって、怖くて、寂しいんだな、って……」
「ぐっ! うぅっ!」
痛みにうめくルーティを封じたまま、甲斐が二人の会話に参加した。
「私たちも……同じことをしようとしています」
「伊奈、甲斐、もし辛いんやったら……」
ポニーテールが、横にはげしく揺れる。
「いいえ。私は、この道を行くと決めました。どんなことになってもやり遂げます!」
「私も同じです」
伊奈と甲斐の宣言を聞いて、環がうなずく。
「ありがとうな。二人とも」
ルーティが痛みをこらえて声を絞り出す。
「リアを、返してっ!」
伊奈が一つ深呼吸をして、いつもの口調で声を発する。
「ルーティさんの憎しみ、ちゃんと受けとめましょう!」
甲斐がうなずくと、環が思案顔で応えた。
「ここやと邪魔が入るなぁ。どこか、ほかの場所――」
「環さん。私、広い場所を知っています」
甲斐が、ルーティを拘束したまま歩き出す。
環と伊奈が後につづき、さらに周囲を囲う白いもやもいっしょについてくる。どうやらこの白いもやが、周囲の人への認識阻害となっているらしい。
なんとかして甲斐の拘束を逃れようと、暴れたり叫んだりしても、もやの外にいる人は誰も振り向かなかった。
甲斐に引っ立てられて辿り着いたのは、最上階にある展望デッキだった。
いくつもの搭乗口が並ぶターミナルの真上にあるため、縦にとても長い。横幅も四人でライブするのに十分の広さがある。周囲は、ワイヤーのフェンスで囲まれており、滑走路の向こうの海や山のパノラマを楽しめるようになっていた。
薄布ような雲が、蒼穹に貼りついている。陽光が遮られて少し肌寒い。
入口のあたりで拘束が解かれたあと、那由多の三人の後について、デッキの奥へ移動する。
白く煙るもやがさらに広がっていく。それに触れた人たちは、何かを思い立ったように引き返し、やがて周辺からルーティたち以外の気配がなくなった。
(邪魔者が入ろうとすれば、朧雲による認識阻害で回れ右、ということだ)黒づくめの女性の声が脳に響く。(さあ、輝化しなさい)
自分の意思か、誰かの意思か。それを判別することなく、ルーティは輝化を宣言した。
――輝け。
同時に那由多の三人も輝化を行う。伊奈が、空色の刀と羽織を。環が、白い薙刀と打掛を。甲斐が、臙脂色の和弓と上衣を。それぞれの輝化光の中で生成する。
ルーティが杖を携えて、サーコートを翻す。戦術を検討するため、コンセントレイトを発動した。青い輝きに包まれる。
(これがお前のコンクエストスキルか……)
脳内の彼女の声が心なしか饒舌となる。
(脳内に張り巡らせた微細な聖杯連結……これでニューロンの働きを強化、仲介、補助して、情報処理を加速。素晴らしい使い方だ)
改めて、自身のコンクエストスキルの原理を知った。さらにつづく。
(もっと有意義に使うなら…………それぞれの聖杯連結を太くするのはどうだ? 一度にやりとりする情報量を増やせば、さらに精度の高い分析やシミュレーションが可能になるはずだ)
そんな方法は考えたことがなかった。
(今の感情に任せて、その先を見てみようじゃないか)
これまでと一緒なら、あのフェスと同じ結果にしかならない。そもそも一対三の戦いだ。
声に従って、ルーティはコンセントレイトの発動方法を意図的に変えた。
(さあ、どうなる……)
しばらく何も起きなかったため、油断していた。刹那の違和感。それに気づいたときには、もう遅かった。
「ひっ! いや……あ、あ、あぁぁ! やめてぇっ!」
頭蓋の裏側を何万匹ものミミズが這いまわる。そんなおぞましい感触に悲鳴を上げる。思わず杖を取りおとした。
やがて、それがおさまると、今度は、頭蓋の裏側からノックされる。頭を突き破って、さっきのミミズたちが這い出てくる。そんなイメージが脳裏をよぎった。
「ああっ、ああああ――っ! かゆいっ、いたい!!」
膝をつき、頭を抱えてかきむしる。
唖然として見ていた那由多の三人が緊張した面持ちで近づいてきた。
「んうぅぅっ――――あぁっ!!」
突然、痛みの峠を越えた。痛みと不快感でくもっていた思考が晴れ上がる。清々しささえ感じるほど、すっきりした心地だ。
那由多の三人が足を止め、視線を上げた。伊奈が口を開く。声が震えていた。
「ルーティさん……それは、なんですか……」
視界の上端に、青い枝のようなものが映る。
(ふふっ、なかなか見ものだぞ)
展望デッキの床に、氷のアドミレーションで鏡面を作る。それを覗き込んだルーティは、信じられないものを見た。
頭から、樹が生えている。
アドミレーションが輝化した、青く輝くアスタリウム結晶でできた樹だ。頭の左右から三本ずつの合計六本。それぞれの樹は枝分かれして、青く透きとおった針葉樹の姿をしている。
(これは、なに? 伊奈の疑問に答えてあげなさい)
――これは、わたしの力……那由多を制するための新たな力……
アスタリウムの樹がうごめく。自らねじれて、糸のように細く長く伸びていく。枝は寄り合わさって、枝先の葉を巻き込みながら、どんどん伸びていく。
そうやって残されたのは、頭から垂れ下がる、六本の深い青色の糸だった。清らかな思考が一つの言葉を紡ぎ出す。
――この力で、リアを取り戻す。
六本の糸が、宙を自在に動き、輝化防具の腰当にマウントした六本の杭に群がる。そして、杭の根本に青い糸が一本ずつ巻き付いて、接合した。
今度は六本の杭すべてがルーティの頭上に浮遊し、それぞれの杭が外に向かって六方向に進む。糸がぴんと張り、体が宙に固定された。吊られる痛みや苦しさはまったくなかった。
それぞれの杭がルーティの周囲をデタラメに回りはじめる。青い糸が頭、首、肩と巻き付いていく。杭はスピードを上げながら徐々に高度を下げ、腰のあたりにまで達する。身体は、頭から生えた青い糸でぐるぐる巻きになっていた。
杭先を展望デッキの床に向け、ゆっくりと下降し、着地する。六本の杭が青いアドミレーションをまとい昆虫の脚のように変貌した。
心から感情が抜けていく。残されたのは、「次にやるべきこと」。何の喜びも憂いもなく、ただそれに身をゆだねる。これほどシンプルな思考は他にない。
「まるで……蜘蛛みたいやな」
環の言葉が聞こえた。たしかに、今の姿は、繭に包まれた蜘蛛のように見えるだろう。
(素晴らしい。さあ、力を示すときだ)
青い繭が変形し、両腕だけが自由になった。右手から糸を放ち、床に落とした杖を絡めとる。
目や鼻、耳が繭で塞がれていても五感の情報は認識できている。蜘蛛の脚となっている六本の杭が感覚器官の代わりとなって周囲の情報を収集しているからだ。さらに、身体に巻き付いた青い糸が、筋肉の補助となり反応速度が向上している。
ルーティは那由多の三人を標的に定める。そして、今の自分に与えられた「やるべきこと」を遂行するため、ぐっ、と六本の脚をたわめて前に飛び出した。杭が展望デッキの床で、がきん、がきん、と騒々しい音を鳴らす。
その音は、意思のないロボットの走行音のようだ。ゼロとイチしか知らない獰猛な存在となってしまった。しかし、そんな後悔は、すぐに霧散する。
――リアを取り戻すのに必要がない感情だ。
杖を突き出し、那由多の三人に向かって三つの青い光弾を放つ。三人ともに飛び退いて回避した。青い輝きが、デッキの床で弾けて拡散すると、ルーティの聖杯に、ザザッ、とノイズが走る。光弾に潜ませた「盗聴の聖杯連結」が確立した。
三人が聖杯連結で言葉を交わしている。はっきりと聞こえはじめた。環の謎かけだ。
(美しい女の姿に化け、火を吹く子蜘蛛を操る妖怪とゆうたら?)
(女郎蜘蛛)
甲斐による端的な答えに、環がつづける。
(今の彼女そのものやな)
ルーティは、杭でできた蜘蛛の脚で、三人の周囲を旋回しながら、光弾を放ちつづける。
(蜘蛛型イドラとは何べんもやり合うてるけど、勝手が違うやろな。まずは基本でいこか)
那由多の三人が散開する。
環の身体から、再び白い霧が散布される。展望デッキのもやが濃くなった。
杭が勝手に情報収集と分析を行う。展望デッキ全域の認識阻害に加えて、アドミレーションの減衰効果が付与された。
アドミレーション効率を考えて、遠距離戦闘から近接戦闘に移行する。
その選択を見越していたように、行く先に球状の雲による機雷原が現れた。六つの脚を個別に動作させる複雑な機動でそれを突破し、地を這うような跳躍で一気に距離を詰める。目の前に伊奈が立ちふさがった。
「本物の蜘蛛みたいですね!」
伊奈が鯉口を切り、居合い抜きのようにルーティに切りかかる。脳で青い輝きが閃くと同時に、六本の脚が機敏に動いて、一度伊奈の間合いの外に出る。
黒づくめの彼女の声が問う。
(この距離で、伊奈とどう戦う?)
杖を両手でつかむ。杖の真ん中で分離し二本に分かれた。折れた箇所から青いアドミレーションが噴き出す。それが水に変質し刀の形になって凍りついた。二本の氷刀だ。
伊奈が目を見張る。正眼に構えると、不敵な笑みを浮かべた。
「望むところです!」
ルーティは、両手の氷刀で伊奈に襲いかかる。しかし、伊奈は刀一本で、ルーティの手数に対抗した。剣戟の硬質な響きとともに、欠けた氷の刃が宙にきらきらと舞い散る。
ひと際大きな音が鳴り、互いの刀がぶつかった。伊奈の刀は、すでに青い輝きを帯びている。
「負けませんよ! ルーティさん!」
再び脳に青い輝きが閃く。横合いからアドミレーションの威圧感が飛んできた。
六本の脚すべてを使って、強引に伊奈との鍔迫り合いから離脱する。
一瞬前までいた空間を臙脂の矢が横切った。左方向に残身の構えの甲斐がいる。彼女の周囲には、青い矢羽根がいくつも浮かんでいた。
左手の氷刀で甲斐を指し示し、脚を二本射出した。杭が青い糸を引いて甲斐に迫る。
甲斐は、もう一度弦を引いて矢を放つ。一本目の杭が打ち落とされる。猛スピードで迫る残りの一本は、難なく回避した。
ルーティは、甲斐の背後へ通り過ぎた杭を反転させた。杭の視点が脳裏に浮かぶ。彼女が振り向いた。感情を表に出さないクールな顔に、焦りの色が浮かぶ。
そこで、映像が掻き消える。甲斐が、弓で杭を叩き落していた。
「ぐっ……!」
その直後、甲斐は胸を押さえて膝をついた。
杭には、断片的な「リアとの思い出」の複製が乱雑に詰め込まれている。杭に少しでも接触すれば、それが聖杯連結を介して相手の聖杯に一気に流れ込むのだ。
聖杯を内から破裂させるような重い衝撃となるはず。並みのアイドルなら気絶必至だ。
一時的にでも甲斐が戦闘不能となったことで良しとする。射出した二本の杭を輝化解除し、新たな杭を蜘蛛の脚として輝化する。そして、間髪入れず二本の氷刀を振りかぶった。
「杭に触れたらダメってことですね!」
再び伊奈と刀で切り結ぶ。今度は、体の前側にある二本の脚も加えた「四刀流」だ。
青い糸で反応速度を強化した機械仕掛けの刀捌きで伊奈に迫る。
彼女は、二本の杭を回避し、氷刀の斬撃を空色の刀で受けとめる。しかし、もう一本の氷刀は避けきれなかった。
「くっ!」
伊奈の羽織に青い太刀傷が走る。環の声が聞こえた。
(伊奈、下がり!)
ルーティは下に意識を向ける。床下で、急速にアドミレーションが集束していた。
即座にその場を飛び退く。伊奈も遅れて逆方向に飛び退いた。
雲でできた大きな手が、展望デッキの床から現れる。思いのほか大きかったそれに捕らえられ、にぎりしめた拳の内に閉じ込められてしまった。
「ふふっ、雲で蜘蛛、捕まえたわ。なんてな」
環のおどけた声が聞こえてくる。
(環さん! ありがとうございます!)
「伊奈、聖杯連結はルーティにぜんぶ聞かれとる」
(えぇっ?)伊奈の慌てたような声が、肉声に変わる。「本当ですか!?」
「ここからは、発声で会話やな」
「ルーティさんに何が起こったんでしょう……」
「朧雲で診ると、彼女の内にうっすらとイドラの気配がある。操られとる可能性もあるわ。もし、これが彼女の意思やないんやったら、止めたらな」
脳内で輝きが駆けめぐる。解析が完了した。
朧雲の凝集を否定するアドミレーションを杭に流し込む。拘束がゆるんだ。ルーティは雲ごしに感覚している環と伊奈のアドミレーションに向かって六本の杭を放った。
環が、声を張り上げる。
「伊奈、避けぇっ!」
「っ――!!」
ルーティは雲の拘束から逃れ、展望デッキに降り立つ。腰につながる青い糸の先、六本の杭が突き立つあたりに、環と伊奈が倒れていた。
杭を引き戻すと、再び蜘蛛の脚となる。
伊奈は逃れることができたようだが、環は苦悶の表情を浮かべてしどけなく倒れている。
(次は、伊奈だ)
タスクに従う安心感と、それを次々とクリアする達成感が、ルーティを満たしていく。
立ち上がり、悔しげに口を結ぶ伊奈に向かって、先ほどと同じく両手の氷刀と杭二本を突き出して構える。
「環さんの言うとおりなら、私が止めます!」
伊奈が、青色に濡れた刀を左手で拭う。青の輝きが左手に集束して短刀の形になった。
(ハラキリだ。対抗手段は……ふふっ、準備万端だな)
短刀が伊奈の腹に吸い込まれると同時に、彼女の左目が青に輝いた。
脳が閃き、その一瞬を垣間見る。
伊奈の瞳から、細くて小さな針が飛び出した。あれがスキルの要。聖杯連結の探針。あの短刀の元となったアドミレーションの持ち主に向かってまっすぐ飛来するのだろう。
加速する思考が、対抗策の実行を命ずる。
伊奈と甲斐、二人の特殊なコンクエストスキルをキャンセルする。そのためだけに想いを濃縮する「制限による強化」で錬成したアドミレーション。それを注ぎ込んだ二本の杭を、迫りくる探針に向けて放った。
ルーティの目の前で、杭と針が衝突する。ばちばちぃ! と青い輝きが火花を咲かせる。
「えっ!?」伊奈の左目の輝きが消えた。「うぐっ!」
腹から短刀がずるりと抜け落ち、床で砕ける。彼女は腹を押さえて苦しそうに膝をつく。
フェスでクレアを苦しめた、タウントの輝化スキルを制圧した。これまでに何度もシミュレーションしたとおりの結果となった。
――伊奈が苦しんでいるのは、特殊な性能を発揮するための代償か……?
ルーティが放った杭は、二本とも力尽きたように落下する。展望デッキの床で、きぃん、という甲高い音が重なった。それを合図に、残った四本脚が床を蹴り、伊奈に向かって突撃する。
伊奈は歯を食いしばって立ち上がる。構えた刀で、ルーティの氷刀と切り結ぶ。しかし、手負いの彼女には杭の不意打ちを避けることはできなかった。
「ぐっ、うぅ……!」
聖杯への衝撃に耐えられず、伊奈は刀を取りおとす。そして、前のめりのまま意識を手放した。倒れ込んでくる彼女を抱きとめたあと、床に放っておく。
(甲斐が狙っているぞ)
左を向くと、甲斐が臙脂色の和弓を引き絞っていた。つがえられているのは、連理の矢だ。
(乗り越えてみせろ)
甲斐が無言のまま矢を放つ。
その瞬間、再び脳が閃く。一瞬が描写される。自身の胸に、連理の矢が突き刺さっていた。矢に詰められたアドミレーションが、じわじわと聖杯に迫ってくる。
ルーティはハラキリに打ち克ったときと同じく、聖杯連結拒絶のアドミレーションを、今度は三本の杭に満たして放つ。そして、躊躇なくそれらすべてを自身の背中に突き刺した。
胸からと背中からの衝撃がぶつかり合う。体が前後に激しく揺さぶられる。しかし、それ以上の異変は生じなかった。背後で三本の杭が落下する音を聞いたのち、向こうで甲斐が胸を押さえてその場でくずおれる。
キィィィィ――――
傾きかけた陽が照らす滑走路を巨大な旅客機が疾駆する。そして離陸した。上から抑えつけられるような、ゴォォ、という爆音が展望デッキに降り注ぐ。
黒づくめの彼女の声が語りかける。
(立っているのは、お前だけだ)
デッキに転がる五本の杭が青い輝きに戻って消滅する。再び輝化することができなかった。この力にも限界があるらしい。
(それで、甲斐にとどめを刺しなさい)
ルーティは、最後の一本となった杭をつかみ、甲斐の方へ向かって一歩踏み出した。
青い糸でがんじがらめの甲冑が重い。複雑精緻な多脚機動の反動か、思うように走ることができなかった。よろめきながらゆっくりと歩く。しかし、誰も止める者はいない。
倒れるようにして甲斐の身体にとりつき、彼女を仰向けにしてまたがった。眉目秀麗という言葉がふさわしい涼しげな顔がしかめられる。
「や、め――」
それほど苦しいのだろう、ぱくぱくと口を動かすだけで、言葉がつづかない。
抵抗しようとする甲斐の両手を青い糸でデッキにつなぎ止めた。がら空きになった彼女の胸。そのふくらみに左手をついて、身体を押さえつける。
(さあ、リアを――)逆手に持った杭を振りかざす。
(取り戻せ!)
【登場人物紹介】
■アヴァロン・プロダクション
〈キャメロット〉
ルーティ・ブルーム
[青色/杖/魔法使い/ランク3rd]
十八歳。主人公。情報処理能力を高めて、戦術を立案する。
■ISCI(国際対イドラ現象機関)
〈那由多〉
小松 伊奈
[空色/刀/侍/ランク2nd]
十七歳。相手の意識を引き付けて、ヘイト操作を行う。
成田 甲斐
[臙脂色/和弓/長弓兵/ランク2nd]
十八歳。遠距離攻撃を絡めとり、自身の攻撃手段に変える。
細川 環
[白色/薙刀/行動阻害役/ランク4th]
二十二歳。汎用性に富んだ粒子を操り、舞台を掌握する。
■その他
リア・ブルーム
ルーティの義理の妹。児童養護施設「ブルーム寮」で暮らす。




