第一章 「対峙」
心地よい振動が体から離れていく。揺りかごが止まる。
もう、目覚めるときだ。
「みなさん、到着しましたよ」男性の穏やかで優しい声。
――わたし……寝ちゃってたんだ。
送迎車の後部シートに預けていた体を起こす。不意にあくびが出た。大きく空いてしまう口もとを隠す。頬が濡れていることに気づいた。
「ふっ、うぅ……はぁ、やっと着いた~」
助手席の方から、ため息交じりの声が聞こえてくる。
「そうですね、ナタリー」運転席に座る優しい声の男性が応える。「空港からけっこう距離がありましたから」
「マーリン、運転おつかれさまですっ」
「ありがとうございます、リン」
元気で大きな声。ルーティの前の席に座るリンの労いに応えたマーリンがつづける。
「さぁ、荷物を下ろして入場しましょう」
「トランク、開けます」
控えめでおとなしそうな声の少女がスライドドアを開けて車外に出る。
「あ、クレア先輩っ、私も行きます」
クレアを追いかけて、リンも車から降りる。
ルーティは涙をぬぐい、ひとつ深呼吸をした。先ほどの夢を思い出す。すごく懐かしかった。
――リアとわたしが家族になった日……
「ルーティ? もしかして泣いてた?」
ナタリーの顔が目の前にあらわれた。
「ちょっ、びっくりするじゃない! あ、あくびしただけよ」
「なんだ、あくびか……って、それよりルーティも寝ぼけてないで早く、はやく」
ルーティも手荷物を持ち、シートを動かしてドアをくぐる。
ここは、地下の駐車場のようだ。近くにあった掲示板からすると、関係者専用エリアらしい。
暗く広い空間に、どうん、という音と大きな歓声が響く。
「盛り上がってるみたいですねっ、楽しみです!」
手をにぎり、つま先立ちして目を輝かせるリンの言葉で、ルーティの眠気が吹き飛んだ。
ここは、遠征先の国にある巨大なアリーナ。地上のステージでは、世界中の「アイドル」たちが集結した「フェス」が行われている。今日は、全二日間の一日目だ。
「控室は……あそこから入れますね。みなさん行きましょう」
入口のセキュリティゲートを通過して長い廊下を抜けると、関係者用の控室が並ぶフロアに出た。本番中だからか、人の往来や部屋への出入りはほとんどない。
「ここです」
ある控室の前でクレアが声を上げる。ルーティたち五人が立ち止まった。
部屋の扉には小型ディスプレイが埋め込まれている。そこには、「キャメロット」と表示されていた。その文字列の下には、ナタリー・セレネス、ルーティ・ブルーム、クレア・アトロン、リン・トライストとつづいている。
「アヴァロン・プロダクション」の「プロデューサー」、マーリン・カウンセルが担当する四人組のアイドルユニット。それがキャメロットだ。
「へぇ」扉を開けたナタリーが言った。「けっこう、しっかりしてる」
五人が入室すると、マーリンがテーブルの隣に設えられたソファのそばに立ち、言った。
「みなさん、聞いてくださいね」
丸レンズの眼鏡。そのブリッジを上げて、マーリンがこの後の予定を説明する。
明日、ここのアリーナステージで、「ザ・インダクション」というフェスイベントの二日目に出場する。ライブ本番は午前中最後の時間帯だ。
今日は、一日目のライブがすべて終わったあと、ステージの下見を行うことになっていた。
およそ三時間後、同じ舞台でいっしょにライブを行うことになる「ヤマト・プロダクション」の「那由多」のメンバーと合同で下見をするようだ。
「十六時にこの控室に集合しましょう。それまでは自由時間です」
リンが「やったっ!」と声を上げる。
「じゃあさ、今やってるライブ観に行こうよ!」
ナタリーの誘いにリンが乗った。「いきますっ!」手を勢いよく振り上げる。
クレアは胸の前で両手を握り、こくこくとうなずく。ルーティも「いいわよ」と応えた。
「それなら……」マーリンが三つ揃いのスーツの内ポケットから関係者用チケットを四枚取り出す。「これをどうぞ」
「ありがとうございますっ」
「行こう!」
「ちょっと、はしゃぎすぎは」リンとナタリーが控室を飛び出した。「ダメよ!」
ルーティの注意は届かなかったようだ。クレアも遅れて控室を出る。マーリンから、ふふっと優しい笑い声がもれた。
「ルーティも、早く行きたいんでしょう?」
「へっ? そ、そんなわけないじゃないですか!」チケットをプロダクションの制服であるブレザーのポケットに大事にしまって、コホン、と咳払いする。「わたしも、いってきます」
「楽しんできてくださいね。三人のこと、よろしく頼みます」
「わかりました。任せてください!」
ルーティはチケットの半券に記された席へ向かうため、アリーナ席へとつづくトンネルを足早に進む。四角に切り取られた光から歓声と熱狂が伝わってくる。鼓動が高鳴る。
光の扉を抜けた先で――アイドルたちは、戦っていた。
個性豊かな衣装や鎧をまとった彼女たちは、剣を、盾を、銃を、杖を手に取り、ステージの上で軽やかに舞って、互いに激突する。
アイドルたちが輝きの火花を散らすのは、中央の広大なステージ。それを取り囲むようにアリーナ席があり、その上には突き出すような形で二階席、三階席が用意されている。
二階席以上は、アリーナ全周の約半分を占めており、残り半分には巨大なディスプレイが三面設置されていた。そこには、ドローンを用いてあらゆる視点から撮影された、アイドルたちの戦闘〈ライブ〉映像が映されている。
観客席全体が沸き上がり、色鮮やかな光で満たされた。
「彼女たちがいれば、『イドラ』なんて怖くないっ!」
近くの席でペンライトを振りながら応援する観客の声を聞きながら、ルーティは、アリーナ席前方の指定席へ向かって、階段を降りていく。
――そう。わたしたちは、黒い脅威・イドラを退治する騎士だ。
世界は今、イドラに脅かされている。
イドラとは、人間の負の感情に含まれる黒色の精神エネルギー「イドラ・アドミレーション」が凝り固まった異形の存在。ヒトを襲い、イドラ・アドミレーションで満たされた心を喰らう怪物だ。
歴史とともに少しずつイドラは強くなり、その影響は拡大していた。
近年、交通や物流、デジタルネットワークを標的として、人間の生活、経済を停滞させ、ストレスや憎悪を生み出して争いをあおるなど、次第に活動が多発、高度化している。
人類の天敵。そう呼ばれるまでに至ったイドラに対抗するため、「アイドル」が生まれた。
歌い踊るアイドルではなく、感情をエネルギーに変換する心の新領域「聖杯」から湧き出す「アイドル・アドミレーション」を駆使して、人類を守る騎士となることを選んだ少女たちのことだ。彼女たちは「プロダクション」と呼ばれる組織に所属し、訓練や教育を受けながら、イドラ退治を担っている。
「ここの四席ですねっ」
リンの声が聞こえた方を見やる。ナタリーがこちらに気づいて手を振り、「こっちこっち」と手招きをする。ルーティは手を振り返した。
合流して席に腰を下ろしたとき、リンが声を上げた。
「やっぱり、本戦は規模も雰囲気も違いますねっ! 昔からこうなんですか?」
「そっか。クレアとリンは、本戦は初めてか――」
ザ・インダクションとは、八つの地域で行われる予選で勝ち残った十六のアイドルユニットが、本戦でリーグ戦とトーナメント戦を行って優勝を競う国際的なイベントだ。優勝ユニットは、今季の最優秀ユニットの称号と来季の活動費の支給などの副賞を獲得できる。
「――アイドルたちの実戦演習兼モチベ向上のための催しが、いつの間にか興行になって……世界中の有名アイドルが集まるから、チケットは入手困難みたいね」
「本当だ。当日券手に入らなかったって、投稿が――」
端末を覗き込むリンの言葉が掻き消えた。圧されるような歓声だ。
ステージに目を向ける。ライブが決着を迎えていた。アイドルたちがハイタッチをしている。
男性MCの声が、アリーナすべてを満たす。抑揚が個性的だ。
「勝ったのは~っ! 『フォーミュラ』の四人だ!」
勝者をたたえる言葉と、アイドルたちの健闘をねぎらう拍手の中、MCの声がつづく。
「一時間の休憩のあと、本日最後のライブを行います! またお会いしましょう!」
周りの観客が顔を火照らせたまま、次々と席を立つ。観客席エリアの外にある売店やトイレに向かうのだろう。
リンとクレアは今の熱狂にあてられて呆然としている。ナタリーは端末で今のライブの振り返り動画を確認しているようだ。
反対正面にある巨大ディスプレイで、スポンサーのコマーシャルが放映された。有名なファストフード・チェーンのCMだ。
――さてと、それじゃあ小腹も空いたし……
ルーティが立ち上がりかけたとき、ふいに、くるるぅ、とかわいい音がした。もしかして、と隣に座っているクレアに視線を下ろす。彼女が、お腹を押さえて顔を伏せた。
「うう、はずかしい……」
そう言って縮こまるクレアの頭をなでて、ルーティが言った。
「お菓子と飲みもの、買ってくるわ」リンとナタリーの肩を叩く。「みんなは何がいい?」
リンが爽やかに応える。
「ルーティさん、ありがとうございます! 私は何でも大丈夫ですっ」
「私も、大丈夫、です」そう言って、クレアがマイバックを渡す。「これ、使ってください」
「二人とも了解。クレア、ありがとう」
ナタリーが端末から顔を上げる。
「僕も行くよ。四人分は一人じゃ大変でしょ」
「大丈夫。クレアのバックもあるし」ルーティがハンドバックから伊達眼鏡を取り出す。「あなたと行くと騒ぎになりそうだから」
「あ、メガネひさしぶりじゃん。印象変わっていいね、そっちも好きだな」
「す、すきって……ばかっ。そんな気軽に言わないで!」
ルーティが向かったのは、「ストーン・スコーン」という焼菓子のスコーンで有名なお店だ。この会場のある地域では、チョコやドライフルーツ入りが主流だが、ここはルーティたちが食べなれているプレーンなものにクリームやジャムをはさんだものを売り出している。
行列ができているが、このペースならあと十分くらいで買えるだろう。慣れていない眼鏡のフレームをいじりながら、端末で使えるクーポンを探す。すると、ステージの方から先ほどのMCとは真逆の折り目正しい声が届く。ニュースのようだ。
「昨日、『ISCI』本部から『聖杯探索〈ワールドツアー〉ユニット』・『カリス』による次の遠征先が発表されました。次の任務は大型イドラの群れの掃討。期間は二週間ほどを想定しているようです。待ち望まれたカリスの遠征。その遠征先の方の声が届いています」
ISCIとは、国連の一機関、国際対イドラ現象機関(International System of Counter Idola phenomenon)」の略称だ。世界中のプロダクションを統括し、アイドルとイドラの研究をになう、対イドラの最前線に立つ組織だ。
そして、カリスとは、世界中から選ばれたトップレベルのアイドルを招集して編成されたISCI直轄ユニットのことだ。彼女たちは、世界各地に遠征して、現地のプロダクションでは対応できない強力なイドラを排除しながら、有望なアイドルの聖杯を探索し、スカウトを行っている。この取り組みが聖杯探索〈ワールドツアー〉と呼ばれていた。
ディスプレイに目を移すと、ちょうど、カリスのメンバー三人の記者会見が放映されていた。
「みんな! 待たせちゃってゴメンね。すぐに行くから、もう少しがんばって!」
――あれが、ナイセル姉妹。そして、イドラの暗殺者〈イドラ・イレイサー〉か……
ルーティが端末を操作して、ISCI公式のプロフィールを表示する。
義姉のヴァージニア・ナイセルと義妹のグレース・ナイセル。そして、二つ名で呼ばれるISCI直属のディーナ・ヴァインベルク。三人すべて「5thランク」間近の4thランクだ。
プロダクション所属のアイドルには、ISCIが定めるランクが付与されている。
聖杯の資質やアドミレーション操作の巧拙が総合して判定され、1st、2nd、3rd、4thとランクが上がり、5thとなったものは「トップアイドル」と呼ばれ、英雄視される。
――わたしとナタリーが3rd 、クレアとリンが2nd……やっぱりすごい人たちなのね。
スクロールしていくと、ひとりのアイドルに目が留まった。ルーティのかつての先輩、そしてトップアイドルにまで登り詰めたキリア・エクスフィリエンスだ。
彼女はカリスの前任者でもあった。トップアイドルの実力にふさわしい功績を残していたが、二年前のとある任務中に行方不明になってしまった。いまだに目撃者はあらわれていない。
うわさでは、強力なイドラに敗北して「黒のアイドル」になった、と言われている。
黒のアイドルとは、聖杯からイドラ・アドミレーションが湧き出てくるアイドルのことだ。ちなみに、アイドル・アドミレーションが湧き出てくるアイドルを「白のアイドル」と呼ぶ。
本来、聖杯はアイドル・アドミレーションを生成するものであり、アイドルであることを自覚した時点で、黒のアイドルであった人はいない、とされている。
では、いつ黒のアイドルとなってしまうのか。それは、イドラとの戦いで敗北したときだ。
アイドル・アドミレーションが尽き、かつイドラ・アドミレーションの影響を受けつづけると、聖杯の中にイドラ・アドミレーションが逆流する。これを「イドラ化」と呼び、この度合いによってアイドルへの影響が決まる。
おおよそ聖杯の半分以上まで溜まれば、深刻な頭痛と無気力感、さまざまな身体的な症状が発生する。さらに流れ込んで満杯近くになると、聖杯が矛盾に耐えきれずに壊れてしまう。すなわち、心が壊れて廃人となり、最悪の場合、死を迎えてしまう。
そして、聖杯の容量を超えるイドラ・アドミレーションが一気に流入した場合、聖杯は破壊されずに変形・変質してしまい、その聖杯はイドラ・アドミレーションを生成するようになる。このようにして黒のアイドルが生まれるのだ。
五年前、「ノヴム・オルガヌム」という黒のアイドルのみで構成された組織が、世界の表舞台に表れた。所属する黒のアイドルたちは、イドラを率いて街を襲い、イドラ・アドミレーションの収集とアイドルとなり得る少女の誘拐を何度も試みている。世界中のプロダクションがこの組織に対抗しているが、現在のところ戦況は一進一退を繰り返していた。
ルーティが物思いにふけっていると、うしろに並んでいる女性ふたりの話が耳に入る。
「さっきね、背が高くて、スラックスの黒スーツをびしっと決めた男装の方がいたの!」
「ふーん……ああ、あんたのヘキど真ん中ってことね」
「そう! 黒いつるのメガネをかけてて……かっこよかった~」
「惚れっぽいんだから……どこかのアイドルなんじゃない?」
――全身が黒……まさか、ね。
「お次の方、どうぞ~」
順番が回って来た。用意していたクーポンを見せて、みんなのお菓子と紅茶を注文する。
黒のアイドルかも、なんて突飛な考えは霧散してしまった。
「おまたせ。ナタリー、お菓子をみんなに分けて」
紅茶の紙コップを固定できる紙トレイに気をつけながら、スコーンが四つ入ったクレアのマイバックをナタリーに手渡す。
爽やかな笑顔が振り返る。ショートの金髪がわずかに揺れ、黄味がかった瞳がきらりと輝く。
この中性的で凛々しい顔。おおざっぱで小さいことを気にしない性格。相手の良いところをしっかりと見抜く観察眼。後輩たちが「王子様」と呼ぶのもうなずける。
「おかえり。運ぶの大変だったでしょ。まかせて」
アイドルとして格闘術で戦うナタリーは、普段の所作もきびきびとして隙がない。引き締まった身体と制服のブレザーとスラックスがとても似合っている。
「スコーンですねっ、おいしそう♪」
リンの橙色をした短い髪がふわっと浮き、髪と同じ色のつぶらで大きい瞳が、包み紙の中から現れた、クリームとジャムがたっぷり挟まれたスコーンを映す。
ルーティが紅茶を手渡す。そっと伸ばされた彼女の手が慎重にカップをつかむ。
「ありがとうございますっ」
リンは、小さくてかわいい。そして、表情豊かで元気はつらつだ。
「これは、クレアの」
そう言って、ナタリーが焼菓子をクレアにわたす。ルーティも紅茶を差し出した。
「ど、どうも」
頭の高い位置でしばったボリュームたっぷりのポニーテールがぴょこんと跳ねた。四人の中で一番身長が高いクレアはおどおどした様子で両手を伸ばす。
彼女は口下手だ。人前で、流暢にしゃべることができない。それに、せっかくの大きくてたくましい頼れる身体なのに、不格好に背中を丸めてしまうクセがあった。
「気にしないで、クレア」
前髪で隠れたクレアの瞳は鮮紅色。その色に負けないくらい彼女の頬が紅潮している。
クレアのかわいい反応を満喫したあと、ナタリーに向き直る。
「はい、ナタリーの。わたしのスコーンは、ブルーベリーの方ね」
「了解」
互いに手渡し合ったあと、ルーティも席に座る。「いただきます」と言って、リンとクレアが食べはじめるのを見やり、スコーンを一口かじり、紅茶をすすった。
――はぁ、おいしい……
今日の移動の疲れが、ため息とともに押し出されていくようだ。
ナタリーたちも笑顔を浮かべている。四人の間に、会話の花がいくつも咲く。
この四人なら、どんなときでも、どこにいようとも、こんなふうに楽しい時間を過ごすことができる。ルーティは改めて実感した。
広告を放映しつづけていたディスプレイが暗転した。
観客席すべてが息を呑んだような静寂に包まれる。そして、あのMCの声がそれを破った。
「たいへん、長らくお待たせしました! 本日最後の第四試合。イース・プロダクション所属『スール』とフロンティア・プロダクション所属『プロキオン』のライブを開始します!」
再び歓声が沸き上がる。二階席、三階席からの声がアリーナ席に降り注ぐ。
リンがナタリーに尋ねた。
「プロキオンは四人なのにスールは三人です。……大丈夫なんでしょうか?」
「4thが一人、3rdが二人。ランク的には拮抗しているから――」
このフェスの出場資格は、三人もしくは四人組のユニットだ。三対四のライブとなった場合、そのまま行うか、相手の四人から一人を外して三対三で行うかを、三人組のユニットが決めることになっている。
「それでは、スールの入場です!」
MCの声に合わせて、修道服姿のアイドルがステージに現れた。歓声と拍手が最高潮となる。
ポケットの中が振動する。ルーティの端末が着信を告げている。通知は、リアからだ。
「ごめん。ちょっと話してくる」
ナタリーたちの「いってらっしゃい」を背に、観客席エリアから外に出る。外周エリアは、アリーナの喧騒が嘘のように静まりかえっていた。
着信音は鳴り止んでいた。リアとの懐かしい夢を見たからか、少し落ち着かない。一度深呼吸をしたあと、リアへ発信した。呼び出し音がすぐに途切れる。
「お姉ちゃん? 今大丈夫だった?」
「うん。今は休憩中みたいな感じ」
「本番は明日だよね。がんばってね」
「リアもがんばってよ」
「あ、手術のこと? 前と同じだから心配ないよ」
リアは、四年前くらいから少しやっかいな病気を患っていて、入退院を繰り返している。明日は二度目の手術を行う予定だ。
「ごめんね。アイドルのことを優先して」
「全然気にしてないよ。だって大事なライブなんでしょ?」
「うん……」
「それよりさ、帰国は明後日だよね? 空港まで迎えに行くね♪」
「え? 手術直後でしょ?」
「大丈夫。行けるよ」
「ダメだよ。安静にしてて」
ルーティが少し強い口調で言うと、端末の向こうでリアがうなった。不満げな声がつづく。
「それでも、行くの! あたしだって、いろんなことできるんだから」
「何かあったらどうするの? わたしがお見舞いに行くから」
「ぜったいに行くからね!」
「待って――」リアが一方的に通話を切ってしまった。
遠くから聞こえる歓声とともに会場が少し揺らぐ。
「何かあったのかな……?」胸が締めつけられる。「声は元気だったけど……」
――たしか、前も……結局迎えに行けなくて、リアがすねてしまったような……
それと同じだ、とルーティは決めつけた。通話アプリを終了し、端末をポケットにしまう。
席に戻ろう。そう考えて一歩踏み出す。
「すまない。ちょっと尋ねたいんだが……」後ろからの声。
「ひゃ、っ……」冷たい手で首筋を撫でられたような感覚に襲われる。変な声を必死に抑えて振り向いた。「は、はい。なんでしょう?」
黒いつるが印象的なリムレスの眼鏡。その奥にある吊り目の瞳は、夜の海のように深い藍色だ。研ぎ澄まされた涼やかな顔と、すらりとした身体のラインに合う黒いスーツ。瞳と同じ色の長い髪はシニヨン風にゆるくまとめている。
とても美しい女性だ。しかし、少し異質な雰囲気を感じる。
「ここから出たいんだ。出口はどちらだろう?」
「ああ、出口ですか……」
施設案内によると、すべてのライブが終了するまで一般出口は限られていたはずだ。
「今の時間だと、ここから反対側の一部だけ開放されているみたいです」
「そうなのか」
彼女は、むう、と声を漏らし、額にしわが寄る。とても困っていることが解ってしまった。
「よろしければ、出口まで案内しましょうか?」
「大丈夫かい? そろそろ次のライブが始まる時間だが……」
「問題ないです。それじゃ、行きましょう」
ルーティは、綺麗な女性を先導してアリーナの反対側まで向かうことになった。
途中で二言三言、彼女と言葉を交わす。ここには取材で訪れたらしい。改めて確認すると、首から下げたプレスと書かれたパスカードに、ストラップの付いたカメラもそう主張している。
互いに少し緊張する時間を共有し、やがて、目的地に到着した。
「着きましたよ」と振り返ると、息がかかる距離に、吸い込まれそうな暗い藍の瞳があった。
じっと見つめられている。甘く濃厚な香りはジャスミンだろうか。彼女の青白い両手がルーティの右手を包み込む。
「ありがとう。助かったよ」
「そ、それほどでも……」
「最後に、少しだけあなたのことを取材させてもらっても良いかな?」
「え? どうして……」
「あなたは、キャメロットのルーティ・ブルームだろう? 私の仕事、お忘れかな?」
彼女が得意げな顔で、身体をそらす。ルーティは納得して答えた。
「……少しだけなら」
「では、ひとつだけ」女性は、ルーティの右手をしっかりと握ったまま質問する。「あなたは、なんのために戦うのかな?」
唐突な質問に戸惑ったが、ふと頭に浮かんだうわべの答えを口にする。
「大切な人のため? なの、かな」
その瞬間、彼女の瞳がさらに暗くなる。それなのに、声のトーンが少し高くなった。
「そうか、あなたとは気が合いそうだ」彼女が両手でルーティの右手を優しく撫でる。「ありがとう。明日は頑張ってくれ。それでは失礼するよ」
そう一息にまくし立てた彼女は、ルーティの右手を解放して、出口に向かう。
「どう、いたしまして……」
名前を聞きそびれた彼女の、コツコツというヒールの音が遠のいていく。ちらりと見えた怜悧な横顔で、唇が吊り上がった。
急に寒気が襲ってきた。たまらず自分を抱きしめる。イドラを思わせる濃青色の暗い瞳が、脳裏に焼き付いている。唐突に出会った彼女の怪しい雰囲気に圧倒されてしまったのだろう。
ルーティはその場から離れた。
自然と走り出す。急ぐためでなく、何かから逃げるように。
ライブを観戦するナタリーたちのところに帰り、「遅かったね」と言われたことは覚えている。しかし、肝心のライブの内容はほとんど覚えていなかった。
気づいたときには、ライブは終了していた。スールが勝利したらしい。ステージの上で、三人がインタビューを受けている。
正面の巨大なディスプレイで、ライブのリプレイが放映されている。それを見て復習していると、ナタリーが気持ち良さそうに大きく深呼吸をした。
「応援するって、やっぱいいな。スッキリする」
「そうですねっ」
リンが同意すると、クレアも、こくりとうなずいた。
周りが騒がしくなる。帰り支度を済ませた人たちが出口へ向かっていく。
時刻は、もうすぐ十六時だ。ルーティは気を取り直してナタリーたちに声をかける。
「そろそろ集合時間ね。控室に戻ろう」
「そうだった」ナタリーが手を叩く。「舞台の下見だ」
「……忘れてた?」
「そ、そんなわけ、ないじゃん」そう言って目をそらすナタリー。
ため息をつきながら、ルーティは立ち上がる。四人は観客席エリアを後にした。
地下エリアの控室に向かう。さっきまで、さんざん話していたのに、また話が盛り上がった。
ルーティは直前のライブを楽しめなかった悔しさからか、普段あまり口にしない言葉が、口からぽろり、とこぼれてしまった。
「こんなふうに、四人でまた遊びたいな……」
「いいね! 今度はスポーツを観に行こう」
ナタリーは、運動音痴のルーティと違って、スポーツが大好きだ。
「私もっ!」何にでも興味を持つリン。
「お弁当、作ります」料理好きのクレア。
柄にもないことで、からかわれると思ったが、三人ともまっすぐ受け取ってくれたようだ。どこか落ち着かない気持ちで「ありがとう」と応えたとき、控室が並ぶ通路にたどり着いた。
本日のライブが終了し、緊張から解放されたアイドルたちが頻繁に出入りしている。その喧騒と汗交じりの人のにおいを通りぬけると、キャメロットの控室が見えた。
「僕たちの部屋の手前、かな? 誰かいるね」
ナタリーの言葉どおり、扉の前で三人が向き合っている。制服姿の三人の少女たちだ。
よく見ると、彼女たちの制服はセーラー服。東洋の和服のデザインが取りこまれていた。
――もしかして……
すれ違う瞬間。彼女たちの内部で渦巻くアドミレーションを感知した。これまでに出会ったことがない感触だ。聖杯がおののき、心臓の鼓動が速まる。思わず立ち止まって振り返った。
和服セーラーを着た三人の少女もこちらを向いていた。とても長い黒髪をひっつめて背中に垂らした先頭の少女が、爽やかに高らかに名乗る。
「キャメロットの皆さんですね!」リンよりも元気で大きな声。「私は、ヤマト・プロダクション所属『那由多』の小松伊奈です。今日と明日はよろしくお願いします!」
しっかりと腰を曲げて、伊奈がお辞儀をする。髪の結び目は、かんざし風のヘアピンで留められていた。つづいて、彼女の左隣りにいるクレアよりも背が高いショートボブの少女も礼儀正しい会釈をした。右隣のいわゆる姫カットの女性は、腕組みをしたままにやりと笑みを浮かべ、艶めかしい視線をこちらに投げてくる。
「そっか! あなたたちが那由多なんだ。こちらこそよろしく!」
伊奈に引っ張られたのか、応えたナタリーの声量が普段よりも大きかった。
那由多の三人が秘める未知のアドミレーション。その正体が見極められない。彼女たちを観察していると、ショートボブの少女と目が合った。
視線の先の彼女が、ふっ、と笑う。それを見た途端、ルーティの聖杯からアドミレーションが湧き上がってきた。
そのエネルギーに後を押され、瞳をそらさないようまっすぐ向き合う。
――明日の初戦。必ず勝ってみせるわ!
【登場人物紹介】
■アヴァロン・プロダクション
〈キャメロット〉
ルーティ・ブルーム
十八歳。主人公。
リン・トライスト
十六歳。
ナタリー・セレネス
十八歳。
クレア・アトロン
十七歳。
〈プロデューサー〉
マーリン・カウンセル
キャメロットの担当プロデューサー。
■ISCI(国際対イドラ現象機関)
〈那由多〉
小松 伊奈
十七歳。
成田 甲斐
十八歳。
細川 環
二十二歳。
■その他
リア・ブルーム
ルーティの義理の妹。児童養護施設「ブルーム寮」で暮らす。




