第四十話 大山積大神の申し子
「女だと! 舐めるな、叩き落とせぇ!」
大内勢の大安宅船の甲板に、怒号が響き渡る。
急激に変わり始めた底潮の渦に巻き込まれ、大船団の動きは完全に止められていた。
「妙林、行きますよ。遅れてはなりませんよ」
「はい、姫様」
身の丈より大きな大薙刀を振るう二人が敵船へと乗り込んでいく。
混乱する大内の兵たちが我先にと槍を突き出す。朝陽を反射する無数の刃が、燃えるような紅い衣を翻して躍り込んだ鶴姫たちへと殺到した。
「押し包め! 懐に入らせるな!」
「ひるむな、ただの小娘だぞ!」
遮二無二繰り出される突きを、鶴姫は鋭い踏み込みとともに、大薙刀の一閃でまとめて払い飛ばした。激しい金属音とともに火花が散る。
「退きません! この海は、大山積大神と我ら大三島水軍の庭! 穢す者は一人として生かしては帰さん!」
凛烈たる声が、爆炎の轟く海原へと響き渡る。
鶴姫は流れるような円運動で大薙刀を縦横無尽に振るった。
刃が空を切るたびに烈しい風が巻き起こる。防具を切り裂かれ、次々と甲板へ転がされていく大内の武者たち。その圧倒的な技量と気迫を前に、敵の列に明らかな動揺が走った。
「化け物め……なんだこの力は!」
「寄るな! 間合いに入るな!」
安成は叫び指示を出して、敵陣の防壁を切り崩していた。
「周囲の船を燃やせ! 安宅船を孤立させるんだ!」
安成の鋭い大声に、大三島の水主たちが応じる。
「応! 焙烙玉、もっと投げ込め!」
「敵の船を近づけるな! 火矢を絶やすな!」
導火線に火をつけられた焙烙玉が次々と宙を舞い、小原隆言の乗る安宅船を取り囲む船団へ容赦なく降り注いだ。
直後、あちこちの船から木肌が裂け、甲板が焼け落ちる凄まじい音が巻き起こる。
「うわあああ! 帆に火が移ったぞ!」
「水だ! 早く水を運べ!」
「だめだ、囲まれている! 船楼まで火が来るぞ!」
黒煙と肉の焦げる臭いが充満し、戦場は完全に大三島水軍の優勢に傾いていた。逃げ場を失った敵兵たちが、次々と海へ飛び込んでいく。
安成は刀を強く握り直し、鶴姫の背中を追って安宅船へと飛び移った。
「鶴! 敵将は船楼の奥だ!」
「安成様! ――心得ました!」
船楼の二階には、先ほどまでの余裕を完全に剥ぎ取られ、青ざめた顔で立ち尽くす敵将、小原隆言の姿があった。かつて大祝安房を討ち取った優越感はどこへやら、目の前の地獄絵図に狂わんばかりになっている。
「おのれ、小娘がぁっ!」
小原は自身の破滅を察知したかのように、腰の太刀を抜き放って階段を激しく駆け下りてきた。血走った目には知将の面影はなく、ただの執念だけが宿っている。
上段から振り下ろされた小原の猛烈な一撃を、鶴姫は大薙刀の柄で受け止めた。二人の力が拮抗し、押し込まれる。
「数に驕り、天の時も地の利も読めぬ愚か者め! この程度の男に安房兄上は……!」
鶴姫の細い腕に神がかり的な力が宿る。一瞬の隙を突き、大薙刀の重い石突で小原の顎を烈しく突き上げた。
衝撃に不意を突かれた小原が、体勢を大きく崩して後退する。
「小原様!」
「おのれ、下がれ!」
側近たちが色めき立ち、鶴姫へ斬りかかろうと割り込む。
「行かせません!」
だが、その刃を妙林が横から鋭く踏み込み、見事な太刀筋で力ずくで遮断した。
「しまっ――」
小原は焦燥の声を上げる間もなかった。
「安房兄上! 今、仇を討ちます」
極限まで体勢を立て直した鶴姫の大薙刀が、朝陽を浴びて鋭い半月を描いた。
風を切る一閃が、小原の首元を真横から容赦なく駆け抜ける。
鮮血が甲板を真っ赤に染め上げ、大内軍の先陣を率いた男の身体が、どさりと力なく崩れ落ちた。
「敵将、小原隆言、討ち取ったり!」
鶴姫の高音の名乗りが、爆炎の轟く海原に響き渡る。
その瞬間、大内勢の士気は完全に崩壊した。
「小原様が討たれたぞ……!」
「嘘だろ……!」
「退け! 船を下げろ! 巻き込まれるぞ!」
恐怖に顔を歪め、互いの船を巻き込んで大混乱の敗走を始める大内勢。
その無防備な背後へ、大三島水軍の火矢と焙烙が容赦なく降り注ぐ。宮浦の海峡は、壊滅した大内軍の船の残骸と黒煙で埋め尽くされていった。
大三島水軍の、完全なる大勝利であった。
激しく燃え盛る敵船の群れを背景に、鶴姫は大薙刀を床に突き立て、それを杖代わりにして激しく息を弾ませていた。
安成はその傍らにゆっくりと歩み寄り、傷だらけになりながらも戦い抜いた彼女の華奢な肩を、そっと優しく支えた。
「見事な戦いぶりでした、鶴」
その温かい声に、鶴姫は戦大将の厳しい顔から本来の少女の表情に戻り、心からの安堵を湛えて微笑んだ。
「いいえ……安成様が、私をここまで運んでくれたのです」
「「「うおおおおおおお!!」」」
「勝った! 勝ったぞ!」
「姫様が安房様の仇を討ったぞ!」
湧き上がる水軍たちの地を揺らすような歓声が、宮浦の海を包み込んでいく。
だが、安成も、そして鶴姫も、まだ知る由はなかった。
この奇跡的な大勝利が、大内勢の総大将であり、西国無双の軍略家でもある男――陶隆房という真の怪物の狂気と冷酷な闘志を、完全に呼び覚ましてしまったということを。
水平線の向こうで燻る真の暗雲が、すぐそこまで迫っていることを、この時の二人は、まだ知らなかった。




