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凪の鈴音〜大三島、悠久の誓い〜  作者: nyancos


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第二十九話 反撃の法螺

「水道北側から敵襲! かなりの軍勢、その数、百は下りませぬ!」


 次々に飛び込んでくる悲鳴混じりの伝令に、白井房胤(ふさたね)は怒りで顔を真っ赤に染め、床板を激しく踏みつけた。


「クソッ、一刻前にここへ着いたばかりだというのに、なぜ我らがここにいると分かったのだ!」


 周囲の船から上がる爆炎が、房胤の焦燥を煽る。北側の瀬戸を埋め尽くす無数の松明の光は、まるで大三島水軍の全軍が押し寄せてきたかのような錯覚を与えていた。


 狭い水道のなかで鎖を繋ぎ、身動きが取れなくなっている現状は、ただの格好の標的でしかない。


「ええい、躊躇うな! 船を繋ぐ鎖を切り離せ! 一旦、南の開けた斎灘へ出るぞ! 出た先で陣を立て直し、奴らを叩き潰してやる!」


 房胤の怒号により、大内勢、白井水軍の巨船群が、うねりを上げて動き始めた。


「敵襲だ! 急げ、南方へ抜けるぞ!」


「陣形を崩すな! 敵を水道へ引き込んで迎え撃つぞ」


 狭い水道から脱出すべく、我先にと南の広い海へと殺到していく。




 しかし、混乱のなかで水道を抜け、南の開けた海域へと躍り出た大内軍を待っていたのは、終わらぬ地獄であった。


 闇に包まれていたはずの南の海が、突如として昼間のような烈火に包まれる。四方八方の暗闇から、大三島水軍の旗印を掲げた関船や小早が猛烈な勢いで姿を現し、無数の火矢を雨あられと降り注いだ。


 安成の狙い通り、北側の偽りの大軍に怯えて飛び出した大内軍は、自ら網のなかへと飛び込んだのだ。


 逃げ惑う五百隻の船団は、出口で互いに衝突し、逃げ場を失って折り重なった。そこへ大三島水軍の焙烙玉が次々と投げ込まれる。


「ぎゃあああ! 火を消せ、火を消せぃ!」


「うわああ! 船が沈む、助けてくれ!」


 ドゴォン! と凄まじい爆発音が連続して響き渡り、火だるまになった兵たちが次々と暗黒の海へ飛び込んでいく。

 瀬戸内の急流に飲まれ、甲冑の重みで二度と浮かんでこない。燃え盛る帆柱が折れて隣の船を巻き込み、火の手は生き地獄のように広がっていく。

 水面は焼き尽くされる船の油と兵たちの血で染まり、夜空には肉の焦げる臭いと、絶望に満ちた阿鼻叫喚の悲鳴が響き渡った。


「クソッ、罠か……! 大三島水軍め、忌々しい。どこまで我らを愚弄すれば気が済むのだ!」


 房胤は激昂し、髪を振り乱して叫んだ。


 だが、歴戦の将である彼は、ただ取り乱すだけでは終わらなかった。ぎりりと奥歯を噛み締め、不敵な光をその目に宿す。


「だが、このままでは終わらせんぞ……! 我らの底力、見せてくれる!」


 房胤は懐から法螺貝を取り出すと、全力を込めて吹き鳴らした。



――ブォォォォーー

――ブォォォォーー



 島々に重低音の響きが渡っていく。それは、絶体絶命の包囲網のなかから放たれた、執念の合図であった。



---



 一方、敵を完璧に包囲し、圧倒的な戦果を上げていた大三島水軍の本陣。


 旗艦の甲板から燃え盛る大内の軍勢を見下ろし、陣代、大祝安房が豪快に唇を歪めた。


「見事に越智殿の策が嵌まったな! 敵は完全に浮き足立っておる!」


「ガハハ! これはもう我らの勝ち戦じゃなぁ! 大内の山猿どもめ、本物の海の戦いに震えておるじゃろう!」


 権左が大槍を肩に担ぎ、勝利を確信して大笑いする。


 しかし、その狂乱のなかで、冷静に敵の船影を数えていた喜平が、ふと険しい表情で振り返った。


「……待て。間者の報告では、敵はおよそ五百隻と聞いていたが……。この包囲のなかにいる軍勢、少し少なくないか?」


「何……?」


 それを聞いた安房の身体が、硬直した。すぐさま燃え盛る海へ鋭い眼光を向ける。確かに、火に包まれている船団の規模は、五百隻の大軍勢にしては一回り小さい。


 その瞬間、先ほど響き渡った白井の法螺貝の音が、安房の脳裏で不気味に繋がった。


「しまった、別働隊が他にいるぞ……!」



---


 同じ頃、下島の南側、本隊から少し離れた隠れた入り江。


 ここには、大内家の侍大将、小原隆言(たかこと)率いる、百余隻からなる別働隊が密かに陣を張っていた。


 静まり返った夜気を震わせ、本隊の方角から、あの独特の法螺貝の音が届く。


「……! あれは本隊からの、敵襲と危急を知らせる合図じゃ!」


 隆言が弾かれたように立ち上がり、腰の太刀を引き抜いた。


「白井の奴ら、不覚を取ったか! 軍を興せ、急ぎ水道へ回るぞ!」


 隆言の檄に、百余隻の船団が一斉に動き出した。彼らは夜陰に乗じ、包囲戦に夢中になっている三島水軍本隊の背後へと、音もなく迫った。


「隙だらけだぞ、大三島の者ども!」


 勝利を確信し、前方の大内軍への攻撃に集中していた大三島水軍の殿の船に、隆言の乗る関船が猛烈な勢いで衝突した。バリバリと船縁が砕ける凄まじい衝撃が走る。


「な、何事だ!? 後ろから船が――」


「我は大内家侍大将、小原隆言である! 命が惜しくば道を開けよ、大三島水軍の者ども覚悟せよ!」


 隆言は雄叫びを上げながら、松明の光に刃をギラつかせ、返り血を浴びた太刀を振るって大三島水軍の兵へと容赦なく斬りかかった。


 大勝利の歓喜に沸いていた大三島水軍は、予期せぬ完全な背後からの強襲に、一転して激しい動揺と混乱の底へと叩き落とされようとしていた。

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