第二十八話 爆炎の瀬戸
「ふふふ……大三島の海賊どもめ。今頃は、我らの到着はまだ先だと思い込み、のんびりと戦支度でも進めている頃合いか」
下島と姫子島の間の水道。その中心に鎮座する巨大な安宅船の甲板で、白井房胤は暗い海を見つめながら、満足そうにほくそ笑んでいた。
「我らが大軍を率いて大三島へ攻め込む報せは、おそらく奴らにも伝わっておろう。だが、まさか我らが大潮の順潮に乗り、すでに喉元まで迫っておるとは夢にも思うまい」
房胤は腰の刀の柄をぎりりと握りしめ、目を細める。忽那諸島での敗戦は、生涯の恥辱であった。あの時の屈辱を晴らす機会が、いま目の前に迫っている。
「兵たちの休憩が終わり次第、ここを発つ。夜明け前に引き潮に乗り大三島へ一気に攻め込む。不意を突いて踏み潰してくれるわ!」
その時であった。
――ドッカーーン!!!!
水道の北側から、夜の静寂を切り裂く凄まじい爆音が響き渡り、夜空を真っ赤に染める火の手が上がった。
「な、何の騒ぎだ! 何があった!?」
房胤が声を荒らげる。しかし、混乱はそれだけに留まらない。火の手は瞬く間に周囲の船へと燃え広がり、北側の海域は一瞬にして怒号と悲鳴の渦に包まれた。
足縺れを起こした伝令が、息を切らせて甲板に駆け込んでくる。
「て、敵襲です! 水道北側の島陰より、大三島水軍の奇襲を受けました!」
「馬鹿な……! 奴ら、もうここにいるというのか!?」
房胤の顔が、驚愕で引きつった。
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―――半刻前。
安成たちを乗せた漆黒の韋駄天小早は、新月で月明かりさえない北側の入り組んだ島々を、音もなく闇夜に溶け込むように進んでいた。
その韋駄小早天が、警戒が緩んでいる敵陣最後尾の一艘の関船へ、驚異的な速度でピタリと横付けされる。
「何だお前たちは!?」
不審に思った大内方の警護兵が船縁から覗き込んだ瞬間、甲板から身を躍らせた村上武吉が、不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「周防からの援軍じゃ!」
「そんな話は聞いて――ッ!? グッ、曲者……!」
言い終える前に、武吉の鋭い一閃が警護兵の喉笛を掻き切り、海へ引きずり落とした。そのまま関船の甲板に躍り込んだ武吉は、手際よく周囲を見回す。
「土産だ、ほらよ!」
用意していた油を勢いよくぶち撒けた。
武吉はすぐさま韋駄天小早へと飛び戻る。
「源爺、次じゃ、急げ」
「はいよ、年寄り使いの荒いやつじゃ」
快速船の機動力を活かし、敵が混乱をきたす中を縦横無尽に駆け巡りながら、次々と別の船へ油を撒くのを繰り返していった。
「そろそろじゃ、源爺、ここを離れてくれ!」
武吉が叫ぶ。韋駄天が急加速して敵陣から距離を取る。
実は武吉は、突入する直前、入り組んだ岩礁の影に「もう一艘の小さな舟」を隠し、引き潮の残るわずかな流れに乗せて敵陣へと送り込んでいた。その小舟の船腹には、大量の焙烙玉がぎっしりと詰め込まれていた。
小舟が、大内軍の中核である巨大な安宅船の横腹に吸い寄せられるようにたどり着いた、その瞬間――。
――ドッカーン!!!!
夜の海を震わせる凄まじい大爆発が巻き起こった。火薬の爆風は安宅船の巨体を一瞬で引き裂き、周囲の関船をも巻き込んで木っ端微塵に吹き飛ばした。同時に真っ赤な炎が広がり、黒煙とともに夜空高く噴き上がる。
「おっしゃぁ! 計算通りじゃあ! 師匠、潮の速さと導火線の長さを計算したんだぜ! 凄かろう!」
武吉は舳先で拳を突き上げ、らんらんと目を輝かせて安成を振り返った。
その姿に、鶴姫がすかさず大薙刀の石突きを叩いて怒鳴る。
「調子に乗るでない、小童! もともとは安成様の策であろう!」
「へん! それを計算して仕掛けたのは俺じゃろ!」
悔しそうに顔をしかめる鶴姫を前に、武吉は鼻を鳴らす。
安成はその見事な手際に、心から感嘆して笑みを返した。
「いえ、大したものです、武吉殿。俺の立てた策を、これほど完璧にこなすとは……本当に素晴らしい」
「へへん!」
武吉はこれ見よがしに胸を張り、鶴姫はさらに「むぅ……!」と歯噛みした。
だが、安成の知謀の真骨頂は、この爆音の直後に放たれた。
爆炎が上がると同時に、水道の北側の入り口を塞ぐように横一線に並んでいた、わずか数十隻の三島水軍の手勢が一斉に動いた。彼らは持っていた大量の松明に火を灯し、夜の海へと掲げたのだ。
そして、暗黒の夜空へ向けて、無数の火矢を一斉に射掛け始めた。
「これは……凄いですね。わずかな手勢のはずなのに、まるで大船団が押し寄せてきたかのようです」
鶴姫が息を呑み、隣の妙林も「凄い、松明が水面に映って大軍のように見えます……」と深く感心している。
「こりゃあ驚いた。敵から見れば、逃げ場のない北側から何百隻もの軍勢に包囲されたように見えるわい」
舵を握る源爺も、水面に何重にも映り込み、何倍にも膨れ上がった松明の光の列を見て、舌を巻いていた。
北側を完全に塞ぐように広がる、圧倒的な光の大軍勢。そして背後からの突然の爆破と火の渦。
大内勢、白井水軍の五百隻は、完全に恐慌状態に陥っていた。
「すげぇ……これが師匠の策か」
武吉は、燃え上がる敵陣と、夜の海を埋め尽くす偽りの大船団を見つめ、初めて恐怖に似た、しかし純粋な敬意を込めて目を輝かせ、息を呑んだ。
安成の描いた絵図通り、大内の大軍は、生き残るために唯一開けている南の海へと、狂ったように逃げ出そうと船首を向け始めていた。




