第二十四話 迫る白帆、それぞれの覚悟
日が高く昇る頃、来島海峡の激流を切り裂き、異次元の速さを見せつけた新型小早が宮浦の浜へと滑り込む。
船底が砂地に乗り上げるのとほぼ同時に、安成たちは船上に響くただならぬ喧騒に気づいた。
浜には武装した兵たちが慌ただしく行き交い、陣太鼓の音が遠くで重く響いている。
「おお、よくぞ戻った。今まさに、海峡へ使いを出そうとしておったところじゃ」
駆け寄ってきたのは、大祝家の長兄であり、一族の政務を司る大祝安舎であった。その後ろには、引き締まった表情の伝令兵たちが数名、今にも早船へ飛び乗ろうと控えている。安舎の表情はいつになく険しく、額には大粒の汗がにじんでいた。
「兄上、何事が起きたのですか。この騒ぎは一体……」
安房が船から飛び降り、厳しい声を張る。安舎は一度、安成や武吉に視線を走らせた後、声を潜めて告げた。
「大内領へ放っていた間者が戻ったのだ。戦の支度を整えよ。大内、安芸の白井房胤の軍勢が再び動いた。今朝方にも、関船や安宅船、小早を合わせておよそ五百隻の大船団が安芸の仁保島城を発っていると言うことだ。海を埋め尽くさんばかりの軍勢で向かう先は、我が大三島だ」
「五百隻……! 白井房胤、本気で我らを潰しにきたか」
安房の目が鋭く細められた。
「大三島を直に狙ってくるとはな。忽那諸島での先の戦で我らに手痛い敗走を喫したのを、相当に根に持っていると見える」
「我が方の兵力だけでは到底太刀打ちできぬ。ゆえに今、湯築のお館様、来島、能島、因島の村上水軍へ、即座に援軍を差し向けるよう使者を出すところじゃ」
安舎の背後で、伝令たちを乗せた早船が、水煙を上げてまたたく間に諸方へと散っていった。
瀬戸内の覇権をかけた大戦の火蓋が、まさに切られようとしていた。安舎は再び安房を強く睨む。
「援軍が整うまで、何としてもこの我らで敵を食い止めねばならぬ。猶予はないぞ」
安舎の言葉に、安房は深く頷くと、即座に振り返って浜の水主たちに声を張り上げた。
「皆の衆、聞いた通りだ! 敵は圧倒的な大軍で我らの喉元を狙っておる! だが、ここは神の島だ! 河野の本軍、そして村上の援軍が至るまで、我らの意地を見せてやるのだ! 直ちに戦支度をせよ!」
「「「おおおっ!」」」
地を震わせるような鬨の声が上がった。
一瞬にして戦の熱気に包まれる浜の中で、安成はドクンと心臓が跳ねるのを感じた。
つい先ほどまで、新型船の成功に胸を躍らせていたというのに、世界はあまりにも早く、容赦なく血なまぐさい戦場へと引き戻される。しかも、敵は数百隻の大軍勢だ。安成にとっても、その数字が持つ圧倒的な暴力性は容易に想像がついた。
「――おいおい、面白くなってきやがったな!」
その緊張感を切り裂いたのは、武吉の野性味あふれる声だった。彼は愛用の槍を肩に担ぎ、不敵な笑みを浮かべて安房の前に進み出た。
「俺も一緒に戦うぜ、大祝の大将。能島の村上武吉、助太刀いたす!」
安房は驚いたように目を見張った。
「武吉殿、お気持ちはありがたいが……良いのか?敵は五百隻の大軍だ、命の保証も致しかねるぞ」
「へっ、ここで尻尾を巻いて能島へ帰ってみろ。今度は『戦から逃げたか』って、親父に殴られちまう。それに、大人しく見てられるかよ。目の前で面白そうな戦が始まるってのに、指をくわえて見てられる性分じゃねぇんだよ」
武吉の破天荒な物言いに、安房は思わず苦笑し、「頼もしい限りだ」とその肩を叩いた。
武吉はそのまま、まだ海水に濡れている新型の韋駄天小早に目を留める。
「それよりも大将、この小早……さっきの化け物船、この戦で使うんだろ? あいつで敵のど真ん中に突っ込んだら、奴ら一溜まりもねぇぜ!」
武吉の期待に満ちた眼差しに対し、安房は静かに首を振った。
「いや、実戦で使うには、まだ皆の練度が足りぬな。あの速さは諸刃の剣だ。これだけの大軍を相手にする中、一歩間違えれば、味方と連携が取れずに孤立するか、自沈しかねん。今回は見送り、これまで通り関船と小早で迎え撃つ」
「ちぇっ、もったいねぇな。あのトビウオの初陣、俺が舵を握ってやりたかったが……。まあいい、これだけ敵がいりゃあ、いくらでも暴れられる。腕が鳴るぜ!」
悔しそうに天を仰ぐ武吉の横から、凛とした涼やかな声が割り込んだ。
「せいぜい、足手まといにならないことですね、小童」
見れば、鶴姫がすでに大祝の甲冑に身を包み、大薙刀を手に立っていた。その瞳には、一国の平穏を守るための覚悟が宿っている。敵が大軍であればあるほど、その瞳の輝きは鋭さを増していくようだった。
「なんだと? 誰に向かって言ってやがる、お転婆姫!」
「お転婆とは無礼な。私だって、戦場では一人の将です。危なくなっても、助けてなどあげませんからね」
「ハハハ! 言うじゃねぇか。どっちが首級を多く挙げるか、勝負するかぁ?」
軽口を叩き合う二人を横目に安成は、冷たくなっていく自分の手を強く握り締めた。
これから始まるのは本物の、圧倒的な数による命の奪い合いだ。じわじわと迫る巨大な戦火の足音に、安成はただ息を飲み、荒れる瀬戸内の海を見つめるしかなかった。




