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凪の鈴音〜大三島、悠久の誓い〜  作者: nyancos


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第二十二話 沸き立つ血潮

 もう春だといというのに冷たい北風が、立ち並ぶ木材の匂いを乗せて吹き抜けていた。


 安成は鶴姫に連れられ、武吉を伴って大三島の浜辺にある造船所を訪れていた。


 目の前では、船大工や水主たちが巨木を削り、墨縄を引いて慌ただしく立ち働いている。建造中の軍船の骨組みを見上げていた安成は、ふとある部分に目を留め、首を傾げた。


「……なるほど。船底が随分と平らなのですね」


 その呟きを聞き咎めた武吉が、ニシシと鼻を鳴らして胸を張る。


「なんだ師匠、そんなことも知らねぇのか! 瀬戸内は浅瀬や隠れ根だらけだ。底が平らじゃねぇと、岩にぶつかって一発で底に穴が空いちまうんだよ」


「なるほど、座礁を防ぐための知恵ですか。しかし、これでは水の抵抗を大きく受けてしまい、速度が出にくいのではないですか?」


 安成の鋭い指摘に、武吉が言葉を詰まらせる。すかさず鶴姫が、補足するように言葉を重ねた。


「安成様の言う通りです。ですが、そこは櫓の数を増やしたり、一本ずつの櫓を大きくしたりして、漕ぎ手の力技で補う工夫をしているのですよ」


 鶴姫は武吉を一瞥すると胸を張る。


「なるほど、力で押し切るわけか」


 安成は、現代の祖父・宗次郎が大切にしていた漁船の姿を頭に浮かべていた。あの波を鋭く切り裂いて走る滑らかな船体を思い出しながら、懐から紙と筆を取り出す。


「それなら、こんな船は作れないかな、ちょっと、絵に描いてみますね……」


 記憶にある線をなぞるように、安成は必死に筆を動かした。その筆先が、これまでにない不思議な船の形を浮かび上がらせていく。


「何だ何だ? 面白れぇ絵を描いてるじゃねぇか」


 背後から声をかけてきたのは船大工の頭領、勘兵衛だった。その声に源爺がまず引き寄せられ、さらに「何ごとだ」と、鋸を引いていた権左、墨壺を持った喜平や新太、水軍の番頭たちが次々と集まってきた。


「ほう……船首を刃物みたいに尖らせるんか」


 勘兵衛が白髭を撫でながら目を細めて図面を睨む。安成は恐る恐る口を開いた。


「はい。今の軍船よりも、ぐっと鋭く尖らせてみたらどうかなと。こうして波をスパッと切り裂くようにできれば、瀬戸内の激しい潮の壁も、もっと楽に突き抜けられる気がするんです。……あ、でも、おかしいですかね?」


 すかさず、権左が鼻を鳴らして図面を指差した。


「当たり前じゃ! こんなに先を尖らせて細長ぇ船、弓をひく時にひっくり返っちまうぞ。こんな踏ん張りの効かねぇ船、瀬戸内の戦じゃあ使えねぇよ!」


「いや、待て権左」


 絵を奪い取るようにして見つめていた喜平が、声を上げた。


「越智様のこの絵、船べりのところをよく見てみろ。船底から根板、中棚、上棚が外側へ二段に折れ曲ってるぞ……どうだ、勘兵衛親方?」


 勘兵衛は白髭を何度も撫で、ニヤリと笑った。


「喜平の言う通りじゃ。先っぽだけをツルハシの頭みたいに鋭くして波を切るが、そっから後はこの船べりが、波を弾くようになってるな。案外踏ん張りが効くかも知れんぞ。それにこりゃ走り出したら船が浮き上がるぞ……こいつはおもしれぇ。これなら、わしらの技を使えば、十分に造り出せる」


 勘兵衛の言葉に安成の目が輝く。さらに後ろ側の線を書き足した。


「それから、こっちの船の船尾の板なんですけど、ここをほんの少し後ろへ傾けて、底を滑り台みたいに緩やかに反り上げるのはどうでしょうか。進んだ時に、後ろに引っ張られる水の渦が綺麗に抜けていくような気がして」


「ほう……!」今度は源爺が絵に顔を近づけた。


「いつもは後ろをストンと切り落とすが、こうやって斜めに逃がせば、確かに水が後ろに引きずられねぇな。これなら、櫓を漕いだ力がそのまま真っ直ぐ前へ進む力に変わるじゃろう。おもしろいのぅ!」


「さすがは、安成様です」

 鶴姫が胸を張る。


「何でお前が偉そうなんだ」


「黙りなさい、小童!」


 番頭たちの熱を帯びた議論に、武吉も鶴姫も完全に引き込まれていた。



「最後に、もう一つ。木の表面を炙ったり、松脂とかクジラや獣の脂を混ぜ合わせて作ったものを船底に隙間なく刷り込んでみるのはどうでしょう。水を弾いて船底をツルツルにすれば、水の上を滑るように走れるんじゃないかって思うんですが」


「船を炙る? 船の底に……脂を塗る、じゃと……聞いたこともねぇ」


 武吉が呆気に取られた声を漏らす。


 しかし、勘兵衛、源爺の二人は顔を見合わせ、同時に不敵な笑みを浮かべた。


「木肌を焦がせば、水を吸って重くなるのも防げるかも知れんな。鋭い舳先で波を切り、船べりの段差で波を弾き、傾けた艫で水を逃がし、船底を油脂で滑らせる………これは………」


 勘兵衛が唾を飲み込む。


 源爺が安成の肩をバシッと叩いた。


「たまげた思いつきじゃ、越智様! わしらの腕があれば、この小ぶりな船体が、まるで水面を跳ねるトビウオのように軽くなるぞ! 漕ぎ手の力を半分も使わずに、今までの倍の速さで突っ込めるかも知れん!」


「……!数の限られた俺たちにとって、それ以上の強みはねぇぞ」

 権左たちが色めき立つ。


「だが、これだけ縦に細長く引き締めた船、浮き上がっちまったら、操るのが相当に難しいぞ」


 喜平が腕を組んで指摘する。


「ええ、難しいでしょうね。皆さんには無理でしょうか?」


 一同に沈黙がはしる。


「越智様、それは誰に向って言っておるんじゃ?、儂らに操れん船なぞないわい」

 源爺が目をギラつかせる。


「難しいとは言ったが、できないとは言ってない」


「そうじゃ、そうじゃ」と一同が頷く。


「そうじゃ! こんなおもしれぇ船ができたらよぉ、俺に一番に乗らせてくれよ!」

 新太が身を乗り出す。


「新太と権左はもう少し腕を磨いてからにしろ」


「そりゃないぜぇ、喜平の兄貴」

「俺もかよ!」


 ドッと笑いが起きる。


 その光景に武吉の目が一気に輝き出す。鶴姫もまた、安成の描いた不思議な絵が、頼もしい職人たちの手によって本物の軍船の設計図へと生まれ変わっていく様子を、熱い眼差しで見つめていた。


 瀬戸内の冷たい春の海に、これまでにない全く新しい軍船の産声が、確かに響き始めていた。

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