第二十一話 冬の白波と、大三島の手習い所
冬に入り、北西の寒風が瀬戸内海に白波を立てていた。
そんな寒さの中でも、安成は今日も武吉、鶴姫、妙林たちに算術を教えていた。
その頃になると、話を聞きつけた他の番頭や水主たち、さらには島の子どもたちが集まり、時には安房や安舎も顔を出すようになっていた。
広間はもはや、賑やかな手習い所となっている。最初は三人だけに簡単な算術を教えていたが、大所帯になるにつれて、今では読み書きなども教えていた。
「二十六、か……!? ああ畜生、指が足りねぇ!」
権左が自分の手足の指を見つめながら大汗をかいていた。
「おい!新太!ちょっとこっちへ来て指を貸せ」
「権左の兄貴、何やってんだよ。ほら、これで数えなよ!」
隣で新太がゲラゲラと笑いながら、自分の手足の指まで突き出している。二人がかりで手足の指を並べて必死に計算している姿を見かねて、喜平が呆れたように声をかけた。
「おいおい権左に新太、お前ら何をやってんだ。馬鹿な奴らだな」
「何だと!」
権三が顔を真っ赤にして気色ばむ。喜平は自身の指を動かしてみせた。
「良いか、左手を指一本につき、五つで数えるんだ、右側は指一本につき一つだ」
喜平が冷静にその数え方を実演してみせると、権左と新太は顔を見合わせた。
「ほう、なるほどな、わからん」
「やれやれ」
喜平は深くため息をつくと、今度は広間をドタドタと走り回っていた島の子どもたちの首根っこを、次々とつかまえて床に座らせた。
「ガキども、後で干し柿をやるから大人しく字を書いてろ!」
「わぁい! 干し柿だって!」
「喜平のおっちゃん、嘘ついたら承知しねぇぞ!」
子供たちは大喜びし、現金なもので一斉に大人しくなって砂盤に字の練習を始めた。喜平はふんと鼻を鳴らし、手拭いで子供たちの顔の墨をぶっきらぼうに拭ってやっている。
その少し離れた畳の上では、妙林が幼い少女たちの横に座り、優しく筆の手を引いていた。
「そう、ここは一度しっかり止めて、それから優しく払うのです。ほら、上手にかけているでしょう」
「お師匠様、これなんて読むの?」
少女が指差した木簡を見て、安成はふわりと微笑む。
「これは『和』という字です。みんなで仲良く、穏やかに過ごすという意味があります。大三島の海も、早く春になって穏やかになると良いですね」
「うん! 私、この字をたくさん練習する!」
賑やかな声に導かれ、手習い所の隅には、墨の匂いとともに温かい時間が流れていた。そんな様子を、安成は机の向こうから微笑ましそうに見守っている。
「師匠! これであってるか!」
そこへ、武吉が割竹に書いた問題の解答を勢いよく持ってやってきた。
バタバタと大きな足音を立てる武吉に、鶴姫が「静かに歩け、小童」と小突くが、武吉は気にも留めずに安成の前に割竹を突き出す。安成はそれを受け取り、丁寧に目を通した。
「ほう、武吉殿、お見事です」
「よっしゃあ! どんなもんよ! 九九を極めた俺様にとっちゃあ朝飯前よ!」
武吉が胸を張ると、周囲で木簡を抱えて唸っていた水主たちから感嘆の声が漏れた。
「おぉ、武吉殿がかけ算を習得されたぞ」
「武吉に先を越されちまった、俺たちも負けてられねぇな!」
男たちの間で一気に活気が跳ね上がる。
「ふふ、小童はようやくかけ算を覚えたようですね」
勝ち誇る武吉の前に、鶴姫がすっと滑り込んで自分の解答を安成に差し出した。安成はそれを見て、優しく頷く。
「うん、鶴姫もお見事です。もう割り算も完璧ですね」
「おぉ、鶴姫様が割り算を習得なされたぞ」
周囲からさらなる歓声が上がる。鶴姫はふんと武吉の方を見た。
武吉は顔を真っ赤にして悔しがったが、これには「ぐぬぬ……」としか言いようが無かった。
「おーい武吉殿、悔しかったら次は筆比べでお鶴に勝ってみせるといい」
入り口から覗いていた安舎が、声を立てて笑いながら広間に入ってくる。その後ろから安房も、荷物の目録を片手に満足そうに頷いた。
「越智殿のおかげで、最近は兵糧の計算を間違える番頭が少なくなって助かる。おい権左、お前も早く武吉殿に追いつけよ」
「へへっ、越智様、そいつは耳が痛ぇです。よし新太、もう一回だ! 指を貸せ!」
「えーっ、喜平の兄貴の数え方じゃダメなの?」
そんなやり取りに、手習い所全体がどっと大きな笑い声に包まれる。
冷たい風が吹き抜ける瀬戸内の冬だったが、安成の手習い所は、島の人々の笑顔と熱気でどこまでも温かく満たされていた。




