第十八話 湯築の評定
大三島の秋祭りが終わり、越智安成は、大祝安房の伴として伊予の国府・道後平野にそびえる湯築城へと赴いていた。
伊予守護・河野氏の本拠であるその城の広間には、瀬戸内の海の覇権を握る群雄たちが一堂に会し、独特の重苦しい潮の匂いと威圧感が満ち満ちていた。
板の間の最奥、上座には、当主・河野通直。
そして左右には、河野家の宿老たち、下座には怒和島で大内と死闘を演じた忽那通光、さらには「三島村上」と恐れられる能島村上家・村上義雅、因島村上家・村上吉充、来島村上家・村上通康の各当主たちが、互いに視線を火花散らせながら居並んでいる。
「大三島水軍、ならびに忽那水軍。此度の大内勢撃退、実に見事であった」
通直の重々しい声が広間に響く。大内の宿老・白井房胤を撃退した戦果は、それほどまでに巨大だった。
促されるままに、安房が久田子水道における戦の経緯を語り始める。
引き潮の激流、隠れ岩礁、そして大内勢の背後を完全に塞いだ大三島水軍の動き――。理路整然としたその大戦果が語られる間、各水軍の当主や宿老たちの視線が、安房の斜め後ろに控える若き軍師、越智安成へと一斉に突き刺さった。
圧倒的な大軍を阿鼻叫喚の地獄へと叩き落とした男、越智安成。
百戦錬磨の海賊衆たちの目が、値踏みするように、また品定めするように、安成の全身を容赦なく探っていく。安成は背中に冷や汗が流れるのを感じながらも、居住まいを正してその鋭い視線を受け止めていた。
ひと通り話を聞き終えた通直は、深く頷くと、居並ぶ諸将を見据えて鋭く言い放った。
「白井房胤は退けたが、大内がこのまま引き下がるはずもない。遠からず、本国から更なる大軍を動員して瀬戸内へ牙を剥いてこよう。――各々方、もはや身内での無駄な小競り合いや縄張り争いをしている場合ではない。今後はこれまで以上に連携を強化し、瀬戸内一丸となって大内にあたるべし。異論はあるか」
その言葉に、村上三島の当主たちも不承不承ながら深く一礼した。
大内という巨大な怪物を前に、瀬戸内の海の民が結束せねば生き残れないことは、誰もが理解していた。
評定が終わり、重苦しい緊張感から解放された安成が広間を退出しようとした時、背後から声をかけられた。
「お主が、越智安成殿か」
振り返ると、そこにいたのは能島村上水軍の当主、村上義雅であった。海風に鍛え上げられたその顔に不敵な笑みを浮かべ、安成を見下ろしている。
「は、はい。能島殿、お初にお目にかかります」
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。……伝聞には聞いておったが、まことに見事な知略であった。それと、これだけは直に礼を言っておきたくてな」
「礼、ですか?」
安成が首を傾げると、能島当主はガハハと低く笑った。
「お主が、我が愚息、武吉の鼻っ柱をへし折ってくれたそうだな。あやつは、酷く悔しがっておった。だがな、おかげで、あやつもようやく向こう見ずな行いを控え、慎重にことを運ぶということを覚えおったわ。あれは大器になる。越智殿、感謝するぞ」
豪快に安成の肩を叩き、能島当主は機嫌よく去っていった。
(あの気性の荒い村上武吉が、慎重になったのか……。なら、少しは安心だな)
瀬戸内の平和のためにも、あの乱暴な少年が大人しくなったのは重畳だと、安成は小さく安堵の息を吐いた。
湯築城の門を出て、安房と共に港へと続く坂道を下っていた、その時である。
「――おい! 待てや、越智殿!」
背後からの荒い大声に、安成の身体がびくりと跳ねた。
慌てて振り返ると、そこには息を切らせた一人の少年が立っていた。
手には、使い込まれた一本の木刀。ギラギラとした狼のような瞳で安成を睨みつけているのは、紛れもない、村上武吉本人だった。
「今日は鶴姫の奴は一緒じゃねぇのか。……ふん、まあいい!」
武吉はバッと木刀を構えると、その切っ先を躊躇なく安成の鼻先へと突きつけた。
「ここで会ったが百年目じゃ! 今すぐ俺と勝負せぇ! この前の瓢箪島での雪辱、今ここで晴らしてやらぁ!」
城下を通りかかる民たちが、何事かと怯えて足を止める。
目をらんらんと輝かせ、今にも飛びかからんばかりの野生味溢れる武吉の姿を、安成は呆然と見つめた。
(……慎重になった? これが……?)
安成は深く、深いため息を一つ。湯築城での引き締まった緊張感は、この制御不能な若き狼の登場によって、一瞬にして吹き飛ばされてしまうのだった。




