第十五話 強者の誤算
怒和島の北側海域に本陣を構える、大内勢の総大将・白井房胤は、安宅船から戦況を見下ろし、不敵な笑みを浮かべていた。
「ふっ、忽那水軍め。もはや完全に袋の鼠だな。我らの勝利は近いぞ」
圧倒的な数を誇る大内勢の前に、かつて瀬戸内で恐れられた忽那水軍の兵たちもじわじわと後退を余儀なくされている。
房胤が勝利を確信したその時、物見の兵が慌ただしく駆け込んできた。
「報告! 忽那水軍の陣へ向かって、小早が一艘、猛烈な速さで突っ込んでおります!」
「む、小早が一艘加わったところでどうしようもあるまい。矢でも射掛けて、あとは放っておけい」
房胤は一べつだにせず、鼻で笑った。たった一艘の小船が、この大軍の生み出す大勢を覆せるはずがない――その驕りが、彼の目を曇らせていた。
しかし、しばらく経っても戦況に変化がないどころか、前線からの報告は慌ただしさを増していく。
「ふん、死兵となったか。最後の悪あがきを……よし、包囲を急げ! 一気に畳みかけるぞ!」
房胤が全軍に突撃の号令を下した、まさにその直後だった。前線の動きが、妙な変化を見せ始める。
「忽那水軍が、我らの包囲の隙をついて急速に後退を始めました!」
「何だと!? 何をしている、逃がすな! 全軍で追え! 奴らを一人残らず海の藻屑とし、奴らをここで滅ぼすのだ!」
慌てて逃げ出したと踏んだ大内勢は、功を焦って一斉に忽那水軍の後を追った。
だが、追撃戦が南の久田子水道へと差し掛かったところで、前線の兵たちの間に動揺が走り始める。
「おい、何だ奴ら……急に逃げ足が早くなったぞ!」
「ここから先は潮の流れが早くなっているのだ! 構うな、我らも追うぞ!」
引き潮の激流に乗り、凄まじい速度で水道へ吸い込まれていく忽那の船。大内の関船や安宅船もそれに続けとばかりに激流へと突入した。
――ガゴンッ!!!
不穏な衝撃音と、船底が激しく削られる音が、狭い水道に響き渡った。
「な、何だここは!? そこら中に隠れ根があるぞ!」
「しまっ――浸水だ! 船底をぶつけた! 沈むぞ!」
源爺の完璧な先導によって難所を滑り抜ける忽那水軍とは違い、隠れ根の位置など知る由もない大内勢は、次々と海面下の牙に捕らえられていく。ある船は激突して一瞬で傾き、またある船は岩礁に乗り上げて身動きが取れなくなった。
「追え! 奴らの航跡について行け! 何であいつらはあんなに速く抜けられるんだ!」
「クソッ、激流のせいで舵が利かない!」
――ドボンッ!
「おい! 誰か海に落ちたぞ! 助け――」
「それ以上こちらに近づくな! 巻き添えを食う、船首を回せ! 」
――ドカンッ!
制御を失った巨船同士が激流の中で衝突し合い、久田子水道は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌した。
水道の手前で戦況を見守っていた房胤の元に、悲痛な叫びが届く。
「 急に前線の船足が落ちました! 前方の船が次々と座礁し、水道を塞ぐようにつっかえている模様にございます!」
「何だと!? ええい、この水道に誘い込まれたというのか! このままでは奴らを取り逃してしまうぞ!一旦後続を退かせよ!」
房胤が怒髪天を突く勢いで怒鳴り散らした、その瞬間だった。
――ブォォォォォォーーーーーウ
――ブォォォォォォーーーーーウ
戦場の怒号を切り裂くように、重々しく地響きのような法螺貝の音が、大内勢の背後から鳴り響いた。
「な、何事だ!?」
房胤が驚愕して振り返った視線の先――海霧を割って現れたのは、大三島水軍の「折敷に縮み三文字」の旗印を爛漫とひらめかせた、無数の大船団だった。久田子水道に入り込み、身動きの取れなくなった大内勢の背後を完全に塞ぐ形で迫ってくる。
それと同時に、水道の岸に位置する島々の木々の隙間から、無数の火の粉が舞い上がった。
「――放てぇっ!!!」
伏せられていた弓隊が一斉に放った大量の火矢が、雨あられと大内の船団へと降り注ぐ。座礁し、密集して身動きの取れない大内の船は、格好の的だった。次々と帆や甲板に火が燃え移り、黒煙が天を覆っていく。
燃え盛る炎に照らされながら、白井房胤はガチガチと歯を鳴らし、己の致命的な誤算を悟った。
「しまった……。忽那水軍を追っていたのではない……誘い込まれたのだ。これは……大三島水軍の罠かっ……!」




