第十三話 波濤(はとう)の源次
怒和島の北側海域。
そこは、文字通りの地獄絵図と化していた。
「親父!このままじゃ駄目だ、完全に包囲されちまう!一旦退こう!」
忽那水軍の若き将、忽那通乗は、血と潮風にまみれながら、激しく揺れる関船の甲板で怒号を上げた。
すぐ目の前では、大内勢の巨大な安宅船から放たれた無数の火矢が、忽那水軍の小早を次々と炎で包んでいく。
圧倒的な「数」の暴力。じわじわと退路を狭められ、忽那水軍は完全に袋の鼠となりつつあった。
だが、その傍らで自ら刀を血に染めていた頭領、忽那通光は、目を血走らせて息子を怒鳴りつけた。
「どこへ逃げ出すってんだ! 儂らに逃げ場なぞ、最初からねぇ! 忽那水軍の誇りを忘れて大内の犬に成り下がるくらいなら、大将、白井房胤の首を土産にあの世へ行くまでよ!」
通光の咆哮とともに、忽那の兵たちは死兵となって大内勢に肉薄する。
しかし、戦力差は如何ともしがたく、包囲の網はさらに狭まっていく。
激戦の最中、防戦一方の通乗が、ふと北の海域に目を留めた。海霧を割り、信じがたい速度でこちらへ突っ込んでくる影があった。
「――親父、あれ見ろ! 向こうから、とんでもねぇ速さの小早が近づいて来るぞ!」
「何じゃっ!? クソッ、大内の奇襲か?……ん?待て、女……?」
それは、大内勢の包囲網のわずかな隙間を、縫うように爆走する大三島水軍の快速船・韋駄天小早だった。
矢が雨あられと降り注ぐ中、その小早の舳先に、大薙刀を堂々と掲げた美しい少女が立っていた。髪飾りの鈴が、戦場の怒号を掻き消すようにチリンと高く響き渡る。
「私は大三島水軍、大祝が娘、鶴にございます!忽那の皆様、援軍に参りました!」
戦場に響いたあまりにも凛とした少女の声に、通光は目を丸くし、それから怒気を孕んだ声を上げた。
「大祝の姫じゃと!? 援軍ったって、見ればお前ら、その小早一艘だけじゃねぇか! 何の冗談だぁ!」
「詳しい話はあとです。このままでは全滅は必至、今すぐここから退きなさい」
「退くったって、どこへ退くんじゃ! この数の海で背を向けりゃあ、それこそ格好の的じゃ! 寝言は寝て言ぇえ、鶴姫よ!」
激昂する通光の前に、鶴姫の背後から一人の若者が一歩前へ出た。安成である。
彼は通光の鋭い視線を受け止めながら、力強く叫んだ。
「俺に策があります。忽那の頭領、今すぐ南へ――久田子水道へ舵をきって下さい」
その名を聞いた瞬間、通光と頼乗の顔が驚愕に強張った。通光は安成の顔を凝視し、声を荒らげる。
「お前……見たことがあるぞ、越智の安成じゃねぇか! 越智の人間なら知っとろうが! 今時分、引き潮であの難所、久田子水道なんかに入っちまったら、岩礁に激突してそれこそ全員海の藻屑よ! 逃げて死ぬくれぇなら、ここで大内の大将と差し違えてやるわ!!!」
絶望的な状況が生んだ、通光の悲壮な決意。
だがその時、小早の艫で舵を握っていた老人が、懐から煙管を出して船べりを叩き、大声で笑い飛ばした。
「――はっは、まーーあ! ほぉーぅ、忽那の悪たれが、ずいぶんと日和ったもんじゃのぉ!」
通光の顔が跳ね上がった。その声、その不敵な面構えに、見覚えがないはずがなかった。
「安心せぇ、この海の潮の流れも、隠れ根も湧き潮の位置も、全て知っておる。儂が先導してやるわな。お前らは四の五の言わんと、儂のあとを小鴨の様にただついてきたらえぇんじゃ。あの程度、難所とは言わんわい。――それとも何か、忽那の頭領は、ただの引き潮に怯える臆病者になっちまったのかぁ?」
その容赦のない挑発に、通光の額に青筋が浮かぶ。
「お、お前っ……!! その顔、その煙管 …『波濤の源次』……!! まだ、生きてやがったのか!!」
「『波濤の源次』? 源爺、何ですかそれは?」
鶴姫が首を傾げる。
「姫様が生まれるより、ずっと昔の話よな」
源爺がいたずらっぽく笑う。
「誰が臆病者じゃと! 俺を、この忽那通光様を誰だと思ってやがる! 誰が小鴨じゃと! お前の先導なぞいるかぁ! ――おい!! 通乗! 前の船を今すぐ切り離せ! 舳先を南へ戻すぞ!」
「おうよ! 野郎ども、船を切り離せ! 舵をきれ! 久田子水道へ突っ込むぞ!!」
源爺の見事な挑発によって、忽那水軍の絶望は一瞬にして「意地」と「闘志」へと塗り替えられた。
反転した忽那の船団は、韋駄天小早を追うようにして、恐るべき激流が渦巻く久田子水道へと南下を開始した。




