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凪の鈴音〜大三島、悠久の誓い〜  作者: nyancos


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第十一話 征矢(そや)鳴る宮浦

「――それで、その砂煙の向こうから武吉の小童が飛びかかってきたのです。ですが安成様は微塵も怯まず、低く沈み込んでその懐へ『えいっ』と体当たりをなされたのです。武吉はまるで木の葉のように吹き飛んだのですよ」


 瓢箪島での決闘から大三島へと帰還した翌朝、大祝の館の朝餉の席は、異様な熱気に包まれていた。


 鶴姫は、お膳の上の汁椀がひっくり返りかねんばかりの身振りを交え、まるで自分の手柄であるかのように勝ち誇って語り立てる。


「ほう、それでどうなった」


「それでも食い下がる武吉に、安成様は背中に大山積大神と天照大神の加護を纏い、一歩の迷いもなく踏み込んで、木の棒で見事に木刀を弾き飛ばしたのです。あの能島の向こう見ずが、砂浜にひっくり返って完全に降参いたしたのですよ!」


「あの日輪を背負った安成様の神々しさといったら、兄上たちにも見せたかった……」


 その熱弁を、上座に座る大祝安舎(やすおく)と、安房(やすふさ)が、目を丸くして聞いていた。やがて安舎が感心したように深く深く頷く。


「ほう……あの悪童、村上武吉を、一対一の果し合いでねじ伏せたか。越智殿、大したものだな」


「いや、まことに見事な知略だ。武吉の鼻をへし折るとは、これで能島の荒くれ者どもも少しは大人しくなるだろう」


 安房もまた、我がことのように嬉しそうに破顔する。


 兄たちの真っ直ぐな称賛の視線を一身に浴び、安成は当惑を隠せず、ただ苦笑いを浮かべて頭を掻くしかなかった。


「ははは…運が良かっただけです」


 そんな穏やかな、しかしどこか誇らしい朝の空気が、一瞬にして切り裂かれた。



「――火急の報せでござる!!」



 汗にまみれた伝令の水主が、障子を荒々しく開け放ち、平伏した。その肩は激しく上下している。


「大内の白井房胤(ふさたね)が大船団引き連れて厳島から出たぞ。あの方向は忽那(くつな)諸島を目指しとるに違いねぇ。海が真っ黒になるほど船が埋め尽くしとるわい!」



「何だとッ!?」


 安舎の顔から一瞬で笑顔が消え、宿老の座に直る。


 忽那諸島は、大三島水軍の主家である河野氏の居城・湯築城の目と鼻の先にある要衝だ。


「大内め、いよいよ本格的に瀬戸内の覇権を握りに来たか。忽那が落とされれば、我が大三島も危ない。一刻を争うぞ」


 安房が海図を広げ、険しい表情で指を這わせる。


「忽那諸島には忽那水軍がいるが……相手はあの大内の大軍。どれほど持ちこたえられるか、極めて危ういな」


 長兄の安舎は、毅然とした態度で立ち上がり、決断を下した。


「忽那を見殺しにはできぬ。直ちに援軍を出す。安房、お主が陣代として大三島水軍の本隊を率い、出陣せよ!」


「はっ!」


「越智殿、お主も安房を支えてくれ。鶴、お主は館に――」


「いいえ、私も参ります」


 安舎の言葉を遮り、鶴姫は髪飾りの鈴をチリンと高く鳴らして立ち上がった。その瞳には、すでに戦の覚悟が宿っている。


「大山積大神の加護は、常に海の上にあります。私も水軍の一兵として、安成様と共に戦います」


 その凛とした宣言に、安舎は一瞬気圧されたものの、隣の安成へと鋭い視線を向けた。


「越智殿、ならばお主は軍師として安房を支え、同時に、ともに戦場へ向かう鶴の護衛を願いたい」


「――はい」


 安成は深く頭を下げ、静かに拳を握り込んだ。


 出陣の命が下ると、大三島の宮浦の港は、瞬く間に怒号と熱気に包まれた。


 船具を運び込む音、鬨の声を合わせる水夫たちの声が響き渡る。


「おい! それは向こうの船じゃ!」

「ぐずぐずすんな! 早ぅ帆を張れや、矢箱を積み込めぇ! 陣代の関船に遅れるな!」


「皆の衆! 慌ててはなりません! 確実に準備を進めなさい!」


 港を仕切る水夫たちの怒号が飛び交う中、鶴姫は手際よく出陣の指示を飛ばしていた。

 その斜め後ろには、大薙刀を手に、側仕え兼護衛としてぴたりと従う少女、妙林の姿がある。


「妙林、遅れないでついてきなさい。白井水軍など、我ら大三島水軍の敵ではありませんわ!」


 先頭を歩く鶴姫が振り返り、髪飾りの鈴を鳴らして意気揚々と声をかけると、妙林は困ったように小さく笑い、大薙刀を握り直した。


「お任せください、鶴姫様。ですが、あまり先走って安成様を困らせてはなりませんよ。今回はまことの大戦さなのですから」


「分かっています。安成様、私の護衛、しっかり頼みましたよ?」


「ああ、分かった」


 安成が緊張で引き締まった表情で応じ、さらに歩みを進めた先――大三島水軍自慢の快速船・韋駄天小早のともには、すでにどっかと腰掛け、煙管を吹かしている源爺の姿があった。彼は数々の船をまとめる老練の番頭でもある。


「おう、越智様。あの能島の小童を泣かせた話が朝から若い衆の間でもちきりですぞ」


 源爺はニヤリと不敵に笑い、煙を吐き出した。その漆黒に日焼けした肌には、幾多の波濤を潜り抜けてきた傷跡が刻まれている。


 源爺の横からは、自ら手勢を率いる体格のいい若き番頭が声を上げた。


「へっ、大内が何だってんだ。いくら船が大きくても、この瀬戸内の複雑な潮の変わり目を知らなきゃ、ただの浮かぶ木っ端じゃ。なぁ、喜平!」


 胸を叩いて笑うのは、荒くれ者の番頭、権左だ。その隣で、冷静沈着な番頭の喜平が、静かに頷く。


「権左の申す通りでございます、越智様。白井がどれほど大軍を揃えようと、この瀬戸内の海を本当に知り尽くしているのは我らでございます。場所さえ間違えねば、必ず付け入る隙はあります。我ら番頭一同、軍師たる越智様の御下知にいつでも応じられるよう、手勢はすでに整えておりまする」


 頼もしい番頭たちの言葉に、安成の不安が少しだけ和らいだ。


 大内の大船団を迎え撃つ為の準備が少しずつ形を成していく。


(これから始まるんだ…本当に生死を賭けた戦いが………腹をくくれ)


 これまでとは明らかに違う緊張感に、安成はさらに覚悟を強くした。


 その横顔を見て、源爺は煙管を懐に仕舞い込み、不敵な笑みを深くした。


「越智様、また一段と頼もしくなりましたな」


「その通りです。神々の加護を得た越智様にかかれば、大内勢なぞ何するものぞ」


 鶴姫が高らかに叫ぶと、それを耳にした水主たちが呼応する。


「「「応!!!」」」


 大三島水軍の旗が、激しい海風を受けて一斉に翻り、宮浦の港を離れてゆく。

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