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[BL]めぐりくる心の名において  作者: 地底乃人M


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ふたつの心


 三年生の秋、鷹尾は具合が悪くなり、入院が必要だと医師に告げられた。オープンキャンパスで湯村と会話したとき、しばらく静養する手つづきのため、大学を訪れていたのである。



「それから容体は急変して、なんとか生きぬいて、今は回復に向かっている。春馬は、曾祖父が開業した町医者の息子だから、じぶんの病状はよく理解していたはずだ。それに、まだ死ぬつもりなんてないだろう。あいつには、やるべきことがたくさん用意されている」

 


 成川と湯村は、大学のある町から九つ目の駅で電車をおりた。時刻は昼まえにつき、ふたりは鷹尾の自宅を目ざして歩きだす。成川の少しうしろをついてゆく湯村は、鷹尾の病気がどんなものかたずねようとして、ひらいた口をつぐんだ。聞いたところで、なにかできるわけではない。


「やるべきこと?」


「生きているうちは暇なしだ。あいつの躰は、あちこちで求めがあるんだよ」


「おつきあいしているひとが、そんなにいるんですか……」


「いくらでもあるさ。春馬の能力は、社会に必要とされている。おまえも見ただろう。あいつが書いた図面は、一級建築士をもうならせる。才能と宿命ってやつだ」


 成川は故意に誤解をあたえるような口ぶりにつき、湯村のほうで勘ちがいをしないよう、注意をはらう。前回、成川が知らない町を散策した理由を考えたとき、もしかしたら鷹尾と由縁のある土地だったのかもしれないと、いまさら気づいた湯村は、目のまえの人物からえられる情報だけが、真実にたどりつく手がかりなのだと(ようやく)さとった。間接的に示唆された事柄は山のようにあったが、成川に「まぬけ」と云われるほど、湯村は鈍感だった。もとより、恋愛経験が乏しいため、頭のなかの選択肢は少ない。


「成川さんは、鷹尾さんに憧れて……」


 ことばの途中で、むにゅっと頰をつねられた湯村は、「にゃにをするンでひゅか」と、変な声がでた。


「そのさきを云うのはやめろ。キスするぞ」


「……こんなところで?」


「単位を落として留年中のやつと、まぬけで泣き虫なやつのことなんか、誰も気にしないさ」


「ぼ、ぼくのことはとにかく……、成川さんが留年しているのは、鷹尾さんといっしょに卒業するためで……は……」


「それ以上云うと本気で泣かせる」


 真顔で見おろされた湯村は、ゾッとして口ごもった。成川いわく、外的に泣かせる手段は心得ているらしい。ほんとうに遊び人なのかとうたがっていると、ジーンズのまえをつかまれた。一瞬、湯村の息がとまる。成川を受けいれてもいいと、いちどきりのあやまちに高揚する愚かさが悩ましかった。目立たないようにふるまっても、生理現象だけはどうにもならない。


「光栄だな」


「……え?」


「おれは、おまえの大事なものにふれているんだぜ。ふつうは拒むだろう」


「……あ、……やめて……ください」


 成川の指が欲望のかたちをとらえるように動くと、ビクッと腰が慄えた。成川はキスのうまい男だが、さりげなく快感を煽る手つきも絶妙で、湯村を困惑させた。服のうえからではなく、直接ふれてもらえたら、きっともっと気持ちいいだろう。そんなふうに、快楽のほうへ思考がみちびかれてしまう。


「チビのことも、そのうちわかるさ」


「成川さん……」


「おれの理性に期待するなよ。おまえと春馬を引き逢わせたあとは、好きにやらせてもらうからな」


 脅迫めいたせりふで湯村をたじろかせて笑う成川は、どこまで本気なのか、判断に迷う。……もはや、好きにすればいいと思った。湯村にとって成川は、鷹尾の次に好きな男である。無理やりキスされたことも、くよくよ考えない。一方的に奪われた平穏な日常は(正しい表現ではない)、あまりにも刺激が強すぎたが、こんなふうに、誰かに(せき)をくずされるとは思わなかった湯村は、なぜか爽快でもあった。


 成川や水島の前では、じぶんをいつわらなくていい。これほど恵まれた環境に身をおく湯村は、鷹尾と顔をあわせたとき、どんな表情をすればよいのかわからなかった。ただでさえ、この幾日かのあいだに、ありえないくらい涙腺がゆるくなっている。実は鷹尾によって仕組まれた状況とはいえ、具合が悪くて休学していた本人と、口あらそいをするつもりはない。順序や筋といった理屈は、もうどうでもよかった。


 鷹尾春馬に逢える。湯村にとって、なにより切実な願いだ。本人がなにを語るのか、そのまなざしを意識して、遠い記憶を鮮明にした──。



「あんた、こんな甘いものよくのめるな。ブドウ糖がほしくなったのか? ウチの大学の説明会は、むだに話が長くて退屈だしな」


 いきなりあらわれた学生風の男は、ストローをさしてひと口のむと、紙パックを湯村の胸のあたりへ押しつけた。


「名前は?」

「え……」

「名前だよ。ぼけっとするな」

「湯村(とおる)です」


 とっさに名乗ったが、しまったと思った。見ず知らずの人間に教える必要はない。しかも、相手は名乗らずに立ち去ってしまう。唖然とする湯村は、無意識にフルーツ牛乳をのんで、ハッとなる。たったいま、自己紹介を放棄した男と間接キスが成立した。


「なんなんだ、あのひと……」


 うろたえる姿を、誰かに見られたのではないかと不安になり、ますます挙動不審になる湯村だが、もうこのとき、心はとらわれていた。たとえ、求めるものが異質なものであっても、どうすることもできない。そういう体質を呪って泣きたくなる夜は、数えきれないのだから──。



 ザザザッ、……それは心臓の音

 ザザザッ、ノイズ、……ザーッ


 

 過ぎ去った男の痕跡に途惑う湯村の姿を、向かいの学舎の窓から見つめる人影がいた。湯村が恋に落ちる瞬間を見届けた人物こそ、鷹尾の同期生で友人の成川であった。



✦つづく

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