らしくない反応
待ってたのに……と、わざとらしく笑みを浮かべる鷹尾に、たのみもしないのに……と悪態をつく湯村は、じぶんの憤りがなんであるかを悟って、極まり悪くなった。黙々と歩きだすと、ひとりきりの足音がアスファルトにひびく。鷹尾は、湯村の背なかを見つめるだけで、追ってこなかった。
大学では、授業の遅れを心配した水島が予定より一日早く姿をあらわした。本調子ではないのか、不織布のマスクをつけている。ノートのコピーをまとめて渡すと、「ありがたや、ありがたや」と頭をさげた。コピー代として千円札を差しだされた湯村は、小銭いれを取りだしてお釣りを数えると、「いいから受けとれ」と制された。「湯村が好きなフルーツ牛乳代につかえよ」という。たしかにフルーツ牛乳は好物だが、水島にそれを話したおぼえはない。いつのまに気づかれたのか、ふしぎでならなかった。
マスクをしているせいでメガネのレンズが曇りやすい水島は、ときおり、ハンカチで水滴を拭った。メガネをはずした横顔をまじまじとながめる湯村は、年中行事などで親戚が集まるたび、「透くんは母親似ね」といわれるのが気恥ずかしかった。女顔であっても、好きな男にふりむいてもらえなければ、少しも役立たない。声変わりの完了するまでのあいだに、自身の特異体質を思い知った湯村は、いつだって、社会的な位置づけの不安が尽きなかった。
「湯村」
名前を呼ばれて、われにかえった。湯村の視線に気づいた水島は、右腕をのばし、シャープペンシルで脇腹を小突いた。その指さきには少しも力がはいっておらず、湯村を困惑させた。
「ご、ごめん」ひとこと詫びると、「なにが」と聞き返された。「え……」「湯村は、おれにあやまるようなことを、していたのか?」「それは……」「云い訳できなけりゃ、黙秘権を有効につかえ」
云うだけ云って、黒板へ向きなおる水島の横顔は、どこまでも男らしかった。入学式以来のつきあいだが、初期のころに水島の人物評価をまちがえてしまった湯村は、もういちど小声で「ごめん」と謝罪した。水島が聞き取ったかどうかは、わからない。たとえきこえていたとしても、気づかないふりをしてくれたらいいと思った。実際、水島は授業に集中したきり、やっかいな話題をもちだすことはなかった。
午後になり、湯村は渡り廊下のさきにある自動販売機で、フルーツ牛乳を買った。賞味期限を確認してトートバッグのなかへしまうと、バス停に向かった。自転車通学の水島は、まだ教室に残っている。同期生とサークル活動について話しあっていた。山岳部の学生に勧誘された経緯がある湯村は、なにかをはじめるべきだろうかと悩みだした。よけいな人間関係は避けるべきだが、来たる就職活動において、有意義な学生生活をアピールする要素は多いほうがいいだろう。
「バイトするのもありかな……」
短時間でも働ける求人をネット検索していると、スクールバスが低速で近づいてきた。顔をあげると、反対側の舗道に、水色のレインコートを着た男の子を発見した。
「あの子は……!」
本日の天気予報は晴れのち曇りで、降水確率は十パーセントである。
バス停の待合室で、クロスケをひざにのせていた男の子は、青空にもかかわらず、雨天のよそおいをして、駅の方向へ歩いていく。なんとなく気になってあとをつけはじめた湯村は、尾行をやめられなくなり、とうとう同じ切符を買って、改札口をとおり抜けた。プラットホームにたたずむ男の子は、黄色い長靴をはいている。電車を待つ人々から奇異な視線をよこされても、まるで知らん顔だ。
切符を購入するさい、すぐうしろの列にならび、手もとを注視した湯村だが、男の子は、背後の気配にふり向くことはなかった。
「どこへ行くのだろう」
隔駅停車の切符を見るかぎり、移動区間は九つさきの駅である。
「ずいぶん遠いな」
目的地までの所要時間も不明につき、金属アレルギーの湯村は、リストバンドのうえから嵌めている腕時計で時刻をたしかめると、到着した電車には乗りこまず、少年を見送った。来た道をもどる途中、自転車を押して歩く水島と鉢合わせた。
「あれ、湯村じゃん」
「水島……」
「まだ帰ってなかったのか?」と訊く水島の横には、女子学生が立っている。彼女の名前は星野操といって、水島とはよく愉しげにしゃべっていた。
「湯村くんって、こっちのほうなの?」
「ぼくの家ならМ町だよ」
「そうなんだ。じゃあ、電車通学?」
「スクールバスだけど……」
「え? そうなの?」
明快な気質をあらわす星野は、バス停とは逆方向から鉢合わせた湯村に、首をかしげた。それから、水島に腕をからませて見せるので、ふたりの雰囲気は交際をしている恋人のようだった。デートのじゃまをしては申しわけないため、湯村が「じゃあ、また」といって立ち去ると、追ってくる足音がした。
「待てよ」呼びとめる水島に、
「ぼくのことより、彼女を優先しなよ」という湯村は、ひとりでも平気なふりをした。
「彼女? 誰のことだ」
「星野操。つきあってるんでしょ」
「ばか、そんなわけあるか。荷物持ちをたのまれて、ホームセンターへいっしょに向かってるだけだ」
「でも、彼女のほうは気があると思う……。早く、もどってあげて」
ハンドルをにぎって自転車を支える星野は、湯村をにらみつけている。秘密を共有できる相手かどうか、審査しているのかもしれない。湯村にとって水島は、はじめて親しくなった学生だが、星野に横取りされた気分である。そんなふうに心を乱されるたび、じぶんの感情が浅ましくて厭になった。走りだすと、「バイバイ、湯村くん」と、星野が笑顔で手をふった。
✦つづく




