二十六
内藤新宿――江戸の四宿が一つ。表向きは旅人の休息地でありながら、ひとたび路地に足を踏み入れれば、幕府の規定をはるかに超えた飯盛女が客を引く無法の歓楽街であった。 その華やかな喧騒から遠く離れた片隅。陽光すら拒む鬱蒼とした竹林の奥底に、半ば腐ちかけた「仕舞屋」が泥を舐めるように佇んでいた。嘗ては怪しい情香を焚き、淫靡な逢瀬を買い渡していた場所。贅沢を固く禁じる奢侈禁止令の嵐に呑まれ、潰れた商家の残骸である。だが、そのさらに奥の奥――湿った土を掘り返した地下の密室には、甘やいだ情香など露ほどもなく、鼻腔を刺す薬品の酸臭と耐え難い生の血腥さが満ち満ちていた。
「はあ・・・っ、はあ・・・・っ!」
手枷足枷の荒縄を血塗れの擦り傷で引きちぎり、口の猿轡を吐き捨てた直吉は、暗闇の中で生爪の剥がれた指を壁に立て、這うように彷徨っていた。
悪いようにはせぬ――
本多家の用人に騙され、お菊と別れることを強要された。竹棒で骨が軋むほど打ち据えられても、将来を誓った女を捨てることなどできるはずがない。頑として首を縦に振らなかった直吉は、この地下の穴ぐらへ投げ込まれたのだ。
夕暮れ時。竹林の葉擦れの音が遠く聞こえるが、地下へ続く石段の先は、まさにこの世の地獄の入口であった。直吉が息を殺して階段の隙間から覗き込んだ光景――それは、人の業を極めた悪鬼の宴であった。
部屋の中央に置かれた肉厚な木製の解体台。滑り止めの溝には黒ずんだ血液が凝固している。そこに四肢を太い麻縄で強く縛り付けられていたのは、一糸まとわぬ姿の若い町娘であった。 その下腹部は大きく、丸く膨らみ上がっている。孕み女だ。
「うぐ・・・ううーーーっ!ううぅぅーーーっ!」
猿轡に潰された口から、狂おしい悲鳴が漏れる。娘はこれから自分が何を出刃で切り刻まれるのかを理解していた。死にたくない。胎内の我が子を殺されたくない。脂汗に濡れた白い肌を痙攣させ、必死に体をくねらせて縄に狂乱の抵抗を見せる。その血と硝石の混ざり合う腐臭の中、白衣を飛び散った鮮血で赤黒く染め上げた御典医・杉野良伯が、爛爛と見開いた眼球に狂気を宿らせてたたずんでいた。の手には、冷たく研ぎ澄まされた腑分け用の手術刀が握られている。
「ほう、活きが良い。実に良いぞ。それほどまでに死にたくはないか? どこの馬の骨とも知れぬ男の胤とは言え、腹の赤子が愛おしいか?」
良伯は脂の浮いた指先で、娘の大きく膨らんだ下腹部を撫で回した。撫でるたびに娘の全身が恐怖で跳ね上がる。その反応を楽しむように、良伯は淫猥な破顔を見せた。
「嫌か? 殺されたくないか・・・? 良いぞ、もっと抗え、もっと絶望しろ・・・。その『生きたい』という狂おしい執念と激痛が胞衣の血気を滾らせ、薬効を極上のものへと高めるのだ。ほっほっほ!これぞ『紫河車』の真髄!この生血滴る不老の秘術さえあれば、衰えゆく肉体もたちまち若返り、大奥の老女も幕閣の権力者もことごとく私の意のままよ・・・!」
解体台の傍らでは、神楽坂の悪徳口入屋・与兵衛が湿った手を揉み合わせながら下種な笑いを漏らしていた。
「へへへ・・・良伯先生、この女は上物でしょう?つい先日まで柳橋で売れっ子だった気丈な芸者でしてねぇ。男を突っぱねる気の強さ、これなら先生のお気に召すと思い、言葉巧みに生け捕って参りましたよ。」
「ほっほっほ・・・元締、素晴らしい目利きだ。しかし、向こうの男はもう完全に使い物にならんな。」
部屋の壁際に投げ捨てられていたのは、一糸まとわぬ若い侍の出で立ちであった。だがその体はげっそりと骨が浮き出るほど痩せこけ、肌は死人のように青白い。口の脇からは泡混じりの涎がだらだらと垂れ流され、虚ろな目球を天井に向けたまま「ハヒ、ハヒ」と落ち窪んだ胸を激しく上下させている。
「御家人の馬鹿息子でさあ。少しは剣術で鍛えていたようですが、ナニ、自慢の腰も長持ちしませんでしたねぇ・・・。美味い料理をたらふく食い、代わる代わる若い女を抱かされる夢のような竜宮城・・・と思わせて、種が尽きるまで吸い上げられりゃ、誰だって廃人になりまさァ・・・。」
「少々薬が過ぎた様じゃな・・・、これでは世間に出ても役には立つまいよ・・・。」
「次男三男の極潰し、どうせあっしらに囚われずとも厄介者・・・消えた所で何の問題もござんせんよ。まあご安心くだせえ、予備の『種馬』なら既に捕っ捕まえてあります。」
「・・・直吉のことか?」
「ええ。お菊を渡せと強情を張りやがるんでね。手枷を嵌めて閉じ込めてありやす。次なる種馬として、あの女にたっぷりと種を仕込ませますよ。お菊を抱けぬ悔しさを、この女にぶつけさせれば、また勢いよく種を撒くでしょうからねぇ・・・。」
「元締はどこまでも情が深いねぇ・・・ほっほっほ!」
「で、どうしやす?この役立たず・・・。」
「なァに、古着と同じく使い道はある。老いに苦しむ者は、女だけでは無いからな・・・。この若侍の五臓六腑も、無駄にはなるまい。」
ひっひっひと怪しげな笑いを浮かべるこの二人、その姿は鬼も同然だった。二人の本性を垣間見た直吉は、がくがくと震えていた。
(なっ・・なんだと・・・・!?お菊ちゃんを狙っただけじゃねえ!人間を畜生みたいに閉じ込めて種付けさせ、腹を割いて薬にしてただと!?)
壁の棚には、これまで切り取られてきた人間の臓腑や胞衣、そしてまだ人間の形すらなしていない胎児が、黄色く濁った焼酎に漬けられていくつも並んでいた。その脇の縄には、カラカラに乾かされた人間の器官が幾重にもぶら下がっている。
「永命丸」――世間でもてはやされるその薬の正体は、禁忌の人胆と孕み女の胞衣を貪る、悪魔の秘薬であったのだ。
恐怖と怒りで全身の毛骨が逆立ち、ガタガタと歯の根が合わなくなる直吉。その拍子に、足元の 湿って腐ちかけた床板を踏み抜いてしまった。
―――ギシッ!
「誰だっ!?」
用心棒の林田十蔵の目が、鋭く光った。直吉は悲鳴を上げて身を翻し、階段を駆け上がろうとしたが、闇の中から飛び出した与兵衛の配下の巨漢に髪を掴まれ、床へ叩きつけられた。
「ヒッ・・・!」
「直吉さん・・・、見てしまったねぇ?」
「て、手前らは鬼だ! 畜生だ! 人の命を何だと思ってやがるんだ!!」
叩きつけられた直吉が叫ぶと、与兵衛が「喧しいわい!」と土足で直吉の顔面を蹴り飛ばした。鼻血が噴き出し、崩れ落ちる直吉の胸倉を掴み上げて与兵衛が顔を近づける。
「直吉ぇ、オメエは運がねえなァ。大人しく種馬になっていれば、いい思いができたものを・・・。おい十蔵先生、こいつの足を落としちまってくだせえ。」
背後から十蔵が静かに歩み寄り、冷ややかな手つきで柄に手をかけた。良伯が卑しい笑みを浮かべて口を挟む。
「足を切り落としたら、直ぐに儂が止血して縫い合わしてやる。丁度種馬が潰れたところだ、逃げられぬよう両足を奪い、ただ種を撒くだけの肉塊にしてくれよう・・・。」
「野郎共、この三下を床に押しつけろ!」
子分どもが直吉の上に組みつき、その両足を冷たい土間に暴露させた。十蔵の手から滑り出た一尺八 寸の抜き身が、暗闇の中でぬらりと光を反射する。命を奪うための冷酷な一閃が、直吉の膝元へ振り 下ろされた――!
死を覚悟し、目を強く瞑る直吉。 次の瞬間――不快な鉄の衝突音と共に、暗闇を切り裂く火花が爆ぜた!
「そこまでだ、外道ども!!」
躍り出たのは、捕物装束を身に纏った仙波忠介であった! 凌庵の忠告を受け、単身で仕舞屋の潜入調査を行っていた忠介が、疾風の踏み込みで与兵衛の子分を蹴り飛ばし、十蔵の凶刃を十手の鉤で寸分違わず受け止めていたのだ。
「直吉、無事か! 間に合ってよかった!」
「あ、貴方は!?」
「話は後だ、走れるか!?」
「はいっ!」
忠介は十手を翻し、襲い来る子分の顎を叩き割りながら、直吉を庇って古ぼけた階段をドタドタと駆け上がった。仕舞屋の表へと逃れ出た忠介たち。しかし、暗い竹林の敷地内には、すでに与兵衛一家の残党や雇われた浪人ども二拾人余りが、ギラつく抜き身を下げて待ち構えていた。
「くっ・・・、囲まれたか!」
背後から、階段を静かに降りてきた十蔵が追いつく。その眼光は狂気ではなく、ただ命を刈り取る殺し屋の冷徹さに満ちていた。相手はハナから奉行所の役人など生かして返す気はない。 忠介は腹をくくった。捕縛の十手を腰に押し込み、代わりに太刀を抜き払う。
「町方の犬が・・・、青臭い正義感で命を落とすか。」
十蔵が影のように踏み込んできた。 その太刀筋は凄絶の一言に尽きた。無駄な構えもなく、一瞬で忠介の咽喉を突く刃。忠介も指折りの剣豪であったが、人を斬り慣れた十蔵の『殺人剣』は間合いが狂っている。
ガキィィン!ズバァァン!
火花が飛び散り、忠介の着物の袖が切り裂かれる。血煙が舞う。十蔵の刃は、忠介の防戦をじわじわと破り、肉を削ぎ落としていく。
「少しは遣えるようだが・・・、所詮は温室の剣士よ!」
力が増した十蔵の刃が、忠介の左肩口を深く切り裂く。
「ぐあっ!」
「忠介様!」
鮮血が吹き出し、忠介の膝が折れかける。しかし、忠介は血を吐き出しながらも、刀を杖代わりにして猛然と立ち上がった。眼光だけは死んでいない。
「ふっ・・・終わりだ幕府の犬、貴様も種馬にしてくれようか・・・。」
十蔵が刃を高く掲げ、忠介の首級を刎ね飛ばそうと踏み込んだ。
――まさにその瞬間!
「そこまでだ、外道ども!!」
雷鳴のごとき怒号と共に一砲の石礫が空を切り、十蔵の刀の身を強かに弾いた。
――ガンッ!!
「ぬうっ!?」
痺れを切らせて十蔵が姿勢を崩す。竹林の闇を割り、現れたのは三つの影。眼光を剣のように光ら せた高柳凌庵、腕を組み仁王立ちする養生所の偉丈夫・松崎慶斎、そして身丈六尺を超える巨躯に重厚な十文字槍を引っ提げた武藤勘兵衛であった。
「凌庵先生・・・!」
「仙波殿、よく持ちこたえられた。助太刀致す!」
騒ぎを聞きつけ、地下から這い出してきた良伯と与兵衛が、その光景に顔をひきつらせる。
「り、凌庵っ・・・!何故此処がっ!」
「杉野良伯、神楽坂の与兵衛・・・お前たちの浅ましき陰謀、これまでだ!」
「ぬかせえっ!野郎ども、何をしている!叩き殺せ!一人たりとも生かして返すな!!」
与兵衛の悲鳴のような叫びに、暗がりから二拾人を越える無頼漢と殺し屋浪人が一斉に群がり直した。しかし、凌庵たちの陣形には一筋の隙も存在しなかった。
「ハッ! 久々に腕が鳴るわい!かかってこい、悪党ども!! 武藤家伝来の十文字、存分に馳走してやるぞ!」
武藤勘兵衛が野獣のごとき唸りを上げ、身丈を超える重厚な十文字槍を大車輪の如く旋回させた。
――ガリガリガリッ!ドゴォォン!
長尺の十文字槍が風を切り、竹林の竹を薙ぎ倒しながら悪党どもの胸板を叩き潰す。跳びかかって きた浪人の刀を槍の柄で受け止めると、そのまま十文字の鎌刃で相手の腕を引っ掛け、猛然と横へ投げ飛ばした。別の男の顔面に十文字の石突が叩き込まれ、鼻骨が砕ける不気味な音が響き渡る。
その破壊の嵐の渦中へ、十蔵が鋭く踏み込んできた。 十蔵の刀が、勘兵衛の槍の柄をすべるように滑り、その首筋を狙う。
「ふん、尋常に勝負じゃ! 名を名乗れ!」
「・・・林田十蔵。」
「武藤勘兵衛、参るっ!!」
十蔵の殺人剣と、勘兵衛の豪快無比な槍術が衝突した。十蔵は刃を巧みに滑らせ、槍の間合いの内側へ潜り込もうとする。鋭い斬撃が勘兵衛の肩をかすめ、朱の血が滲む。しかし勘兵衛は怯まない。
「甘いわっ!」
勘兵衛は手元を引き、槍を短く持つと、石突で十蔵の膝を強かに打ち据えた。十蔵の体勢がわずかに崩れる。勘兵衛はその隙を見逃さず、槍を頭上で一回転させると、重圧な全身の体重を乗せて直線的に突き出した。
――ズゴォォッ!!
「・・・がっ・・・・!?」
十文字の鎌刃が、十蔵の胸甲を突き破り、背中へと深々と突き抜けた。十蔵の口から夥しい血が噴き出す。勘兵衛はそのまま槍を持ち上げ、十蔵の巨体を竹林の地面へ力任せに叩きつけた。
「其方の刀は・・・、金と殺意で錆びついておったな。」
頼みの綱であった十蔵が踏み潰されるのを見た与兵衛は、腰を抜かしながら脱兎のごとく逃げ出そうとした。だが、その背後に立ちふさがったのは、巨大な壁――松崎慶斎であった。
「医術とは・・・、傷つき病んだ命を救うためのもの! 人の命を弄び、虫ケラの如く搾取する不仁の輩を逃がす訳がねえだろうがっ!!」
「ひえっ! 親分を守れ!奴を殺せぇっ!」
与兵衛の子分四人が、短刀やドスを手に一斉に慶斎へ躍りかかった。 慶斎の瞳に漆黒の怒りが宿 る。唐土仕込みの密伝拳法が、闇の中で冴え渡った。
最初の浪人が振り下ろした太刀を、慶斎は濡れた手ぬぐいを払うような掌法で軽々と受け流す。そのまま相手の首根っこを掴むと、猛烈な力で腕の関節を逆に圧折した。
――バキッ!!
「あぎゃあぁっ!?」
悲鳴が上がる間もなく、慶斎の重厚な掌打が男の喉骨へ叩き込まれた。ゴボッと血を吐いて男が崩れ落ちる。続いて迫る二人の肋骨へ、慶斎の踏み込みを乗せた拳がめり込んだ。
――ドスッ!ボキッ!!
肺を潰された男たちが、泡を吹いて白目を剥き泥の中に転がる。
「くっそおっ! この藪医者がぁぁっ!!」
半狂乱となった与兵衛が、懐から抜いたドスを狂暴に突き出してきた。慶斎はそのドスを難なくかわすと、与兵衛の鳩尾へ鉄の槌のごとき拳を叩き込んだ。
――ガツゥンッ!
「がはっ!?えうぅ・・・!」
横隔膜を完全に破壊された与兵衛は、呼吸を奪われ、舌を伸ばしたままその場にもんどり打った。胃液と血を吐き出しながら、陸の魚の様に地面をのたうち回る。
その周囲でも、凌庵の刃が閃いていた。凌庵は決して命を奪わず、刀の柄頭と刃の峰だけを使い、襲い来る浪人たちの腕や膝の皿を的確に叩き割り、一瞬にして無力化していた。
「こ、こ奴ら・・・人間じゃねえ・・・・!」
残ったごろつきどもは戦慄し、武器を捨てて潰走しようとした。その瞬間、竹林の入口から激しい足音が響き渡る。
「新さん、仁吉! 手配は整ったか!?」
「南町の月番故に動き辛くてな!遅くなった!!」
「へへっ、お待たせしやした凌庵先生! 捕方三十名、周りを完全に包囲してやすぜ!」
「逃がしゃしねえぞ虫けら!!かかれぇ!!」
捕物の提灯が一斉に灯り、暗闇の竹林が昼のように照らし出された。新太郎と仁吉が率いる捕方が 一斉に雪崩れ込み、腰を抜かした悪党どもを次々と縄で縛り上げていく。仕舞屋という名の恐怖の巣窟は、瞬く間に奉行所の手に落ちたのだった。
与兵衛一派は縛られ、頼みの十蔵は絶命した。全ての盾を失った杉野良伯は、返り血で黒く汚れ切った白衣を擦りつけ、這い回るように仕舞屋の壁際へ逃げ込もうとしていた。
「ひ、ひぃぃっ!り、凌庵殿!助けてくれ!見逃してくれ!!同じ医学を学んだ同志ではないか!頼む、私の『永命丸』の完璧な処方箋を分かち合おう!儂が此処では耀と言う事が、この国の医学にどれだけの痛手になると思う!?これさえあれば、莫大な財と名声が手に入るのだぞ!?今、幕府の中で外科医の立場がいかに危ういか其方も知っていよう! これは蘭学の地位を確立する為の手段のなのだ!!」
凌庵は、這いつくばる老医を氷のように冷ややかな眼差しで見下ろした。
「この場ではっきりと言っておこう・・・お前のような外道に貸す手など、指一本足りとも存在し ない。何より・・・お前の命運は、ここで尽きている。」
「な、何ぃ・・・。」
凌庵が静かに身を引くと、背後の暗闇から足音が響いた。 現れたのは、真っ白な白装束を身に纏い、抜き身の刀を静かに下ろした若い男――宮永英助であった。その瞳には、深く静かな怨念と、狂気にも似た決意の炎が宿っている。
「杉野良伯・・・!我が父・英次郎、そして無念の死を遂げた妹・佐和の仇・・・覚悟いたせ!!」
「あ、仇!?そうか・・・、貴様はあの同心の子倅か!?」
「ようやく出会えた!人の命を弄ぶ鬼畜外道!天に代わって成敗してくれる!!」
「ほざけ青二才がっ!!天下を掴む私の偉大な夢を、貴様の様なガキに邪魔されてたまるか!ふふふ・・・、私とて元は武家の出だ、返り討ちにしてやるわぁぁっ!」
良伯は半狂乱となり、床に転がっていた十蔵の血塗られた太刀を両手で拾い上げると、振り回しながら英助へ躍りかかった。しかし、狂乱の刃など、怨恨によって研ぎ澄まされた英助の敵ではなかった。
「・・・父上、佐和・・・・見ていてくだされ!」
凌庵が横から瞬時に踏み込み、良伯の振り下ろした太刀の刀身を自身の刃の腹で弾き飛ばした。ガラガラと音を立てて刀が手から離れ、良伯が空を切って体勢を大きく崩す。
その剥き出しになった胸元へ、英助の刃が流星となって閃いた。
――ズバッッ!!
「ぐあぁぁっ!?」
深々と胸を一文字に切り裂かれた良伯。
「死ねぇ!!」
鮮血が吹き出す中、英助は間髪入れずに刀の切っ先を良伯の腹部深くへと突き刺した。
――ドスッ!!
「・・・がっァ!儂の・・・、儂の夢がぁ・・・。」
目を見開いたまま吐血する良伯。その腹からは、まるで体内に溜まった漆黒の毒素が抜け出るかのように、黒ずんだ血が泥の上へ激しく流れ出していった。良伯の膝が折れ、顔面から泥の中に倒れ伏す。二度と動くことはなかった。
「やった・・・。父上、佐和・・・。仇を・・・仇を討てたぞっ!」
刃を納めた英助は、その場に崩れ落ちるように膝をつき、絞り出すような慟哭の声を天へ向けた。 新太郎が静かに歩み寄り、英助の震える肩を力強く叩いた。
「・・・後処理は俺たち町方に任せな、英助さん。あんたの長い未練は、これで綺麗に晴れたはずだ。」
「ありがとう・・・、ありがとうございます・・・。」
「慶斎先生、怪我人の治療を頼むぞ。仙波さんも、傷は大したことはないはずだ。」
「解った、あんたはどうする?」
「仕上げだ・・・、この世の膿を取り出すのだ。」
仕舞屋を包む喧噪の闇から、不意に冷たい一筋の風が吹き抜けた。その風邪と共に、脱兎のごとく 凌庵は残る黒幕――本多征八郎、そして病巣の根源たる長門守への決着の場所へと飛んで行った。全ての膿が出される時が、刻一刻と迫っていた。




