十三
向島の隅田川沿い。竹林に囲まれ、ひっそりと佇む阿波屋治兵衛の豪奢な別寮「風月庵」。この辺りは別寮や隠宅が集う、静かながらも華やかな場所だ。
しかし、別寮内は重苦しいと言うか只ならぬ雰囲気に包まれている。三人が集い、酒と膳を囲んでいるが、芸者を呼びどんちゃんやる訳でも、他愛のない話をする訳でもなく、仏頂面のままで酒を煽っている。その飲み方は、まるで憂さ晴らしに自棄酒を煽っているかのようだった。
「くそっ!まさか左門達が捕縛されようとは・・・、桔梗屋は遠島、山本屋は死罪。黒沢左門に至っては、切腹とは。北町の金四郎め、余計な真似を・・・。」
京極備前守が、不快げに扇子を畳に叩きつける。その隣では、柴田監物が冷や汗を拭いながら声を震わせた。
「我らの思惑を、吐きはしなかっただろうか・・・。もし吐いたのならば、評定所でどこまで吐いたかが問題です。我らの名が出れば、ただでは済みませぬぞ・・・。阿波屋、貴様が贔屓にしていた仙之助が放った刺客どもが仕損じるからこんな事態に!」
「痩せても枯れても与力、その心配は無いと思いますが。」
「黒沢の阿呆が・・・、妾宅に密書を隠すなどという失態を演じたせいだ。元同心の岩永又右衛門、元御用聞きの久蔵、僅かながらも検死に関する知識がある物に自害を装わせる。三島屋のおはつ、甚助、伊左衛門の始末・・・それまでは完璧だった。それを・・・。」
「しかし京極様、御安心を。入船町の件は渡海屋の残党に全て背負わせる手はずになっております。阿波屋が御用商人の座に就けば、金などいくらでも湧いて出ます。水野忠邦の首を飛ばす計画も、本多長門守様が……」
「渡海屋の大番頭が捕縛され、いよいよ佐葦の露に関する材料を手にし辛くなりましたな・・・。あの香り水で相手を骨抜きにし、夢一芝居に夢中にさせる。悪しき生業に手を染める物やのめり込む者が増える。その要因は行き過ぎた改革にあるとして水野様を失脚させ、長門守様を後釜に据えあの御方に後見人になって貰う・・・。」
「治兵衛、その名を出すなと言ったはずだ。」
京極が冷たく遮る。
「我らの絆は盤石・・・。捕らえられた羽虫どもの口さえ封じれば、御上もそれ以上は踏み込めまい。儂は大目付、幾らでも方法はある。」
「左様でございますな、万が一のことがあろうと京極様の後ろ盾がございますからなあ。此度の事は忘れ、再び褌を締め直し事に及びましょう。」
「しかし、気に食わぬのは高柳凌庵とか言う町医者よ。阿波屋、金では転ばなかったそうだな。」
「はい、口幅ったい事を並べて小判を突っ返してきました。」
「くっ、青二才の藪医者が。だが、中々の遣い手だと聞いておる。」
「まさかあれほどに腕が立つとは・・・。又右衛門殿は馬庭念流の免許持ち、確実に仕留められると踏みましたが・・・。」
「次なる刺客を考えねばならぬな・・・、誰かおらぬか・・・。」
「そうですなあ・・・。」
「とにかく、新たな死神に始末を願いましょう・・・。」
「左様、正義などというものは、黄金の重みで幾らでも歪むもの。この江戸を統べるのは法ではなく、我らという特権階級なのだからな。」
「御上は所詮飾り物、そうせい様ですからな・・・。」
たちが醜い哄笑を上げ、祝杯を挙げようとしたその刹那、庭先の静寂が激しく破られた。
バリンと障子が内側から蹴破られ、冷たい夜風と共に一人の男が舞い込んだ。
「何奴!?」
身を包むのは汚れなき白頭巾と白装束。しかし、その背には夜の闇を射抜くような黄金の輝き、三つ葉葵の御紋が鮮やかに刺繍されていた。
「用心棒、用心棒はどうしたのだ!?」
白頭巾が、静かに名乗る。
「葵幻之介、推参。」
「葵幻之介・・・、御用部屋で聞いた事がある・・・。貴様が葵の御紋を悪用する盗賊か?」
「誰か!誰かいないのかい!?」
治兵衛が悲鳴を上げ、京極は腰の刀を引き寄せる。
「貴様ァ、恐れ多くも葵の御紋を無断で使用するとは、正気の沙汰か。天一坊の再来か、あるいはただの狂人か。顔を見せい!」
「京極の怒号に対し、男は静かに立ち止まり、低い声で応えた。
「斬られた相手の面が解らなきゃ、閻魔様に申し開きできねえからなァ。」
男がゆっくりと白頭巾をずらす。現れたのは、端正ながらも鋭い眼光を湛えた、あの町医者、高柳凌庵の顔であった。
「お、お前は高柳凌庵っ!」
「覚えていたかい、此奴は忝い。」
ニヤリと笑うと、静かに備前守を指さす。
「貴様らが『佐葦の露』をばら撒き、江戸の若者を死に追いやり、三島屋を罠に嵌めて身代を奪ったこと。おはつ殿と歌之丞を暗殺し、その罪を死人に着せたこと。そのすべて、この凌庵が執刀し、膿を暴き出した・・・。」
「何を証拠に戯言を・・・。」
「問わず語りとはよく言ったものだ、お前さん達が酒の肴にべらべらほざいたじゃねえか。言い逃れは出来めえ、左門も角右衛門も自ら身を処した、手前も武士なら武士らしく最後ぐらい潔くしやがれ。」
「黙れ! 狂人の戯言よ!恐れ多くも葵の御紋を身に纏うとは・・・偽公方、天一坊の再来か!直ちに捕らえ、首を刎ねてくれる!」
京極が刀を抜き放ち、凌庵へと躍りかかる。だが、凌庵は微動だにせず、懐から一本の懐剣を取り出し、それを月光の下に掲げた。
「天一坊かどうか、此奴を見て貰おうか」
それは、彫りの深い三つ葉葵の装飾が施された、黄金の懐剣であった。徳川宗家の肉親にのみ、その身分を証すために授けられる、世に二つとない神器である。
「そ、それはまさか・・・徳川宗家の・・・・!」
京極の剣が止まり、柴田の膝がガタガタと震え始めた。
するとその時、寮の表門を破り、重厚な足音が廊下を鳴らした。監視していた京極の用人たちを、紙屑のように投げ飛ばし、槍を片手に乗り込んできたのは、老練なる気迫を纏った本郷丹後守である。その傍らには、忍び装束に身を包んだ梶野弥一郎、その配下である鬼岩と楓が跪いている。
「控えよ、京極備前! 柴田監物!」
本郷の雷鳴のような一喝が座敷を震わせる。
「これは本郷殿……何事か! なぜこのような場所へ!」
「一同、欲で目が腐ったか! この懐剣、そしてこのお方のお顔を拝して、まだ気付かぬか!」
本郷が自慢の槍を突き出し、凌庵の傍らに跪いた。
「こちらにおわすは、当代将軍家慶公御舎弟、松平源七郎斉勝様じゃ!控えおろう!」
「ば・・・、蟠竜様。」
阿波屋治兵衛は泡を吹いて畳に頽れた。京極と柴田は、突きつけられた真実の重さに、持っていた刀を力なく落とした。
蟠竜様—飛び立たず蜷局を巻く龍の事。産まれた時期が悪く、幼くして素性を隠匿され、身分が明るみになった今、将軍位御控すなわち宗家のスペアとして神田三河町の屋敷に留め置かれる将軍の弟。それが目の前にいる、高柳凌庵その人。嘘の様だが、紛れもない事実。堅苦しい暮らしを嫌い、権力の座を自ら捨てて野に下った姿、それが高柳凌庵なのだ。
「兄上のそうせいと言う言葉をはき違えたのが運の尽き、それはお前たちの私欲を認めた言葉ではない。善政を見抜き、家臣を信頼してこそ発する言葉、そして・・・天下泰平の世に仇成すものを斬り捨てよと言う御指令。この脇差はその証だ。」
間違いのない凌庵の身分を聞き、備前守は慌てて手を付いてその場に平伏し必死で弁明した。
「お待ちください御控様、獅子身中の虫とは何たること。我らの考えは、延いては徳川家の為、天下万民の為・・・。」
「見苦しいぞ備前、この期に及んでいい訳とは。武士なら武士らしく、潔く致せ。」
もはや弁解の余地なし、備前守は力なく立ち上がったかと思うと勢い良く刀を構えた。
「にっ、偽物じゃ!天一坊じゃ!この者は恐れ多くも、上様御実弟を語る不届き者じゃ!斬れ!斬って捨てよ!!」
備前守と治兵衛の声を聞き、別寮の周りを警護していた共侍と用心棒が駆け付けて来た。
「往生際の悪い奴・・・。なら仕方がない。」
スラリと抜いた白柄の二刀流、鍔や鎺に彫られた三つ葉葵。将軍より拝領された備前長船の銘刀だ。凌庵はそれを十字に構える。
「関わりなき者、両親のある物は立ち去れ!歯向かう物は悪と見なし、引導を渡してやる!」
真っ先に飛び込んできた用心棒二人を、凌庵は円を描くような足捌きでかわす。
「ヤア!」
「とりゃあ!!」
医者として人体の関節を知り尽くした動きは、無駄がない。すれ違いざま、一人の手首の筋を裂き、もう一人の膝裏を斬り上げる。備前守に連れてこられた用人の様な事件とは無関係の者は、致命傷にならぬ様にただ動けなくしている。弥太郎や楓は忍び刀を振るい、鬼岩は鉄拳を振るい応戦、丹後守も槍を振るって応戦する、弱くはないが寄る年波で度々危機に瀕しては、弥太郎に救われている。
「お、おのれぇ!!」
柴田監物が刀を抜き払い、震える手で正眼に構える。
「馬鹿者っ!!それでも徳川の禄を食む者か!!」
「やかましい!古だぬきが!!」
斬り込んでくる監物の剣撃を、槍で交わす。苦し紛れの監物の攻撃に、いよいよ息を切らせた丹後守。
「死ねぇ!!」
上段に思いっ切り刀を振り上げた監物の腹に、丹後守は槍を突き立てる。見事に胸骨部分に槍が突き刺さる。グッと監物が硬直し、口から血を流すとだらりと手を下ろして刀を落とす。槍を抜くと、膝から崩れ落ちた。
「ハアハア」と荒い息をした丹後守が、杖の様に槍の鐏を付いた。
配下を片付け終え、残るは阿波屋治兵衛と京極備前守。入り口付近まで逃げ込もうとした二人の前に、凌庵が立ちはだかる。
「どけ!」
「貴様達は腫物だ、世の中を蝕む腫物だ。切り取らせてもらう。京極備前守、阿波屋治兵衛、迷わずあの世へ行け。」
「己え!!」
備前守が斬り込んで来た刀を斬り上げ、「天誅!」と言う声と共に大刀を振り下ろし一刀両断に斬り捨てた。額から夥しい血を流し、備前守は後ろに倒れ込んだ。残る治兵衛はその場で腰をぬかし、がくがくと震えていた。
「阿波治・・・、貴様は殺さぬ。今回の一件を洗いざらい吐いてもらうぞ?」
ぶるぶると震えながらその場に土下座・・・、そう見せかけて懐に入れた右手を抜く。その手には南蛮渡来の短銃が握られていた。何処までも往生際の悪い奴め。それに気が付いた弥太郎は、懐から馬針を取り出して治兵衛の右腕に投げる。深々と馬針が突き刺さり、其の場に短銃を落とした。すかさず鬼岩が自慢の怪力でねじ伏せ、嗅ぎ縄で縛りあげる。
「そのものは生かしておくのだ、後の処遇は遠山殿に任せておこう。」
「畏まりました。」
ふと凌庵は、ちらりと丹後守を見る。肩を上下させながら、丹後守が凌庵を見た。
「爺、無茶しやがって。その息の下りよう、心音の乱れ。これ以上の立ち働きは、医者として見過ごせんぞ。」
凌庵のぶっきらぼうながらも温かい言葉に、本郷は苦笑いを浮かべ、皺の深い顔を綻ばせた。
「これはしたり、儂はまだまだ錆びておりませぬ。若の危機と来れば、この丹後、たとえ地獄の果てまでもお供し、槍を振るうのが当然のことでございます。この程度・・・まだまだ、若造には負けませぬ。」
「終わりましたな・・・。」
江戸を蝕んでいた大きな腫瘍が、一つ摘出出来た瞬間だ。
弥太郎が闇に溶けるような足取りで二人の側に膝をついた。足元には、もはや物言わぬ屍と化した京極備前守と柴田監物、捕縛され絶望に身を震わせる阿波屋治兵衛が転がっている。
凌庵は、月光に照らされた凄惨な光景を冷徹に見つめ、静かに、しかし断固とした口調で応えた。
「病というものは、目に見える患部を切り取っただけでは完治したとは言えんのだ。まだ根っこは深く残っておる。悪党とは雑草と同じだ。日光を遮り、栄養を奪い、油断すればすぐにまた、この江戸の土壌から生えてくるものだ。」
凌庵の視線は、この一件の背後に潜むさらなる巨悪――水野忠邦の失脚を目論む本多長門守、そして未だ姿を見せぬ「新たな死神」たちの影へと向けられていた。
「若の苦労は絶えぬ、というわけですかな。本来ならば、神田三河町の御屋敷で、悠々と書を嗜んでおられるべきお身分でございますのに。」
丹後守の嘆きに似た言葉を、凌庵は鼻で笑って撥ね退けた。
「野に下ったのは俺の意志だ、爺。野に下った以上、この目に映る世の中が乱れたのならそれを正す。それが『高柳凌庵』として生きる俺の定めであり、医者としての意地だ。」
その言葉には、徳川の血を引きながらも、民の痛みを知る者として生きる道を選んだ男の、迷いなき覚悟が刻まれていた。
「弥一郎、爺を屋敷まで送り届けてやれ。一刻も早く温かい湯に浸からせ、血の巡りを整えさせるんだ。それと、兄上に京極一派は片付いたと、そして江戸の風通しがほんの少しばかり良くなったと伝えよ。」
「はっ。承知いたしました」
弥太郎が本郷の腕を支えようとすると、老侍は「儂はまだ年寄りではないわい」と子供のようにぶつぶつと小言を漏らしながら、弥一郎の肩を借りて竹林の奥へと消えていった。
静まり返った別寮に残された凌庵は、兄である将軍家慶より、正義の執行を許された証として拝領した一振りの名刀をゆっくりと鞘に収めた。カチリという硬質な音が、闇夜に響く。
それは、ひとつの事件という世の中の病巣を、医者として、そして徳川の影の番人として一部切り取れたという、重い確信の音であった。
江戸城、深奥に位置する御用部屋。京極備前守と柴田監物が断罪され、阿波屋治兵衛の巨悪が暴かれた直後のこの場所は、勝利の余韻など微塵もなく、重苦しい静寂と互いの腹を探り合う冷徹な視線が交錯していた。
老中首座・水野忠邦は、上座で微動だにせず、眼前の男たちを睥睨していた。その瞳には、政敵である本多長門守が、己を失脚させるべく虎視眈々と牙を研いでいることへの確信が宿っている。
「京極殿が何者かに成敗され、あのような醜聞が明るみに出るとは。大目付ともあろう者が、商人と結託して『佐葦の露』なる毒水を弄んでいたとは、開いた口が塞がりませぬ。」
本多長門守は自分が加担している素振りは臆面もせずしらじらしい溜息をつき、扇子を手弄んだ。その口調には京極の死を惜しむ気配などなく、むしろ「使い古した駒」を切り捨てた後の清々しささえ漂っていた。
「水野殿、配下の落ち度は、取りも直さず手前の不手際。あのような暴挙に及んだこと、心よりお詫び申し上げます。改革を進めてから、不心得者が増えた気がしますな。」
皮肉を込めた本多の言葉を、忠邦は冷たく聞き流した。一方、その傍らでは鳥居耀蔵が、青ざめた顔で平伏していた。かつて己の懐刀であった黒沢左門が、事件の核心に深く関わっていた事実は、鳥居の権威に大きな泥を塗ったのである。
「不徳の致すところでございます。元配下の黒沢があのような大罪に加担していようとは、夢にも思わず。この耀蔵、ひたすらお詫び申し上げる次第にございます。」
鳥居はひたすら謝罪を繰り返すが、忠邦の関心はすでに彼らにはなかった。忠邦の脳裏にあるのは、目撃者の証言にあった「背に葵の紋を背負った白装束の男」の存在である。
(……阿波屋を震え上がらせ、京極を執刀の如き剣技で屠った謎の刺客。そして、懐から出したという黄金の懐剣。……まさか、あの『蟠竜』が、悪陣を掃討すべくついに飛び立ったのか)
「過ぎた事はもう良い、再びこの様な不埒者が増えぬ様に一層取り締まりに力を入れるべきだ。耀蔵、頼んだぞ。長門守殿、ご尽力よろしく頼みますぞ。」
冷静かつ淡々と意見を述べつつも、忠邦の胸中はざわついていた。
(まあ良い、好きな様に飛び回るが良い・・・だが牙をむいたが最後、容赦せぬ)
パチンと扇子を鳴らし、再び議論を再開した。神田三河町の屋敷で大人しく書を嗜んでいるはずの、将軍・家慶の異母弟。身分を捨てて野に下った「松平源七郎斉勝」こと高柳凌庵。忠邦は、その存在が江戸の闇を照らす光になるのか、あるいは己の改革を阻む新たな障害になるのか、人知れず疑惑の念を深めていた。
御用部屋内が緊迫した空気が漂っている最中、家慶が自室に丹後守と金四郎を呼び出して状況報告を受けていた。
「ふふ、源七郎が自らその手を汚してまで、江戸の膿を書き出したと言うのだな。」
家慶の顔には、天下を統べる将軍としての厳格さはなく、一人の兄としての穏やかな、そしてどこか羨望の入り混じった微笑が浮かんでいた。
「あ奴め、あれほど堅苦しい城の暮らしを嫌い、町医者に成り下がったというのに。事件に介入し、悪を斬っている時が最も生き生きとしているのではないか?傷を負っていないか?」
「ええ、若の腕前は相当な物です。間違いなく、良き君主となりましょう。」
丹後守は、槍働きで疲弊した体を少し強張らせながら嬉しそうに頷いた。
「其方こそどうだ?腰の様子は?」
「はっ、源七郎様は『無茶しやがって』と拙者を叱る余裕すらございました。医者として薬箱を背負いながらも、その眼光は悪を射抜く龍の如く鋭くございました」
遠山金四郎も、自らの白洲での裁きを振り返りながら言葉を添えた。
「上様。源七郎様が闇を切り裂き、私が法で裁く。この車の両輪があってこそ、江戸の正義は辛うじて保たれました。しかし、手前としては源七郎様の手を煩わさず、自身の手で取り締まりる事が出来ねばならぬと考えております、この度はご迷惑をおかけしました。」
「よいよい、そう気に病むな。
家慶は、窓の外に広がる江戸の夜景を見つめた。
「そうせい、と言った余の言葉をあやつなりに咀嚼し、守り抜こうとしているのだな。・・・良かろう、私は城の中からこの国を診る。あ奴には町の中から命を救い、病を斬らせる。源七郎よ、飛び立った龍よ、励め。お前が自由である限り江戸の火は消えぬ。」
将軍の静かな笑い声が、夜の帳に包まれた江戸城に響いた。それは、権力という檻の中にいながらも、野に放たれた弟の活躍を、何よりも誇りに思う兄の慈愛の証であった。




