第9話 人間の敵
「水を分けてくれ」
外から聞こえた声は、弱っているようには聞こえなかった。
俺たちはしばらく黙っていた。
年長の男が立ち上がり、戸口へ向かう。
「行くの?」
若いのが小声で聞く。
「ここの連中がもう起きてる」
耳を澄ませると、確かに外が騒がしくなっている。俺たちだけが足音に気づいたわけではないらしい。
槍を持って外へ出ると、集落の中央に人が集まり始めていた。
門のところには、すでに五、六人いる。
「何人だ?」
俺が聞くと、昼間取引をした男が振り返った。
「三人」
「知ってる奴?」
「知らん」
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門は閉じたままだった。柵の向こうは暗い。松明が二つ灯され、その明かりが門の外まで届いている。そこに男が三人立っていた。
若くはない。かといって老人でもない。三人とも荷物を背負っているが、大した量ではなかった。旅をしてきたにしては少なすぎる。
「どこから来た!」
門の内側から声が飛ぶ。
「西だ!」
「どこだ!」
外の男が少し間を置いた。
「川向こうの集落だ!」
俺は隣の男を見る。
「知ってる?」
「川向こうなんていくつもある」
「名前は!」
門番が聞き返す。
今度は、外にいた別の男が答えた。聞いたことのない名前だった。
「知ってる?」
俺がまた聞く。
「知らん」
「俺も」
それだけで追い返す理由にはならない。この辺りにある集落を全部知っているわけではないし、地図に載っていない小さな集まりならいくらでもある。
「水だけでいい!」
最初に話した男が言う。
「明るくなったら出る! 中に入れなくていい!」
昼間の婆さんが、人をかき分けて前へ出てきた。
「何があったんだい」
「道を間違えた。水が切れた」
「三人とも?」
「そうだ」
「容器は?」
男が背中の荷物を下ろした。金属の水筒が一つ。それから、古い樹脂製の容器を出す。
「そこへ置きな」
婆さんが言った。
「水を入れて返す」
外の男が門へ近づいた。
「置けばいいんだな?」
「それ以上近づくんじゃないよ」
男は止まる。
こちらの誰かが、小さな通用口の前へ桶を持ってきた。完全に門を開ける必要はない。下の隙間から容器を受け取り、水を入れて戻せば済む。
俺はそれで終わると思った。
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男が水筒を地面へ置くまでは。
腰に何かある。服の下から、握りのようなものが見えた。
「銃」
俺が小声で言う。
隣の男も気づいた。
門の向こうの男がこちらを見る。
「何だ?」
「いや」
俺は何でもないように答えた。
銃を持っていること自体はおかしくない。俺たちだって遠出するときには持つことがある。おかしいのは、隠していることだった。
「水だけなんだよな?」
俺が聞いた。
「ああ」
「銃持ってる?」
男の顔から表情が消えた。一瞬だけだった。
「持ってる」
「何で隠してる」
「隠してない」
「服で見えなかっただけ?」
「そうだ」
嘘か本当か分からない。ただ、聞かれるまで言うつもりはなかったのは確かだった。
「三人とも?」
俺が続ける。
後ろの二人が動いた。そのうち一人が、少し身体を横にする。
「何だよ」
身体を横にした男が凄む。
「三人とも銃持ってるのかって聞いた」
俺は目を逸らさずに言う。
「旅してんだから持ってるだろ」
「何丁?」
「何でそんなこと教えなきゃならねえ」
水だけを求めてきた人間との会話ではなくなっていた。
門の内側で、槍を持つ手が増えている。向こうも気づいたらしい。
「喧嘩しに来たんじゃねえ」
外の男が言う。
「なら銃を地面に置け」
俺が突き放すように返す。
「水もらうだけだぞ」
「だったら置けるだろ」
返事がなかった。
婆さんが俺を見る。
「どうする」
「俺に聞くなよ」
「最初に銃見つけたの、お前だろ」
そういう問題だろうか。
俺は門の外を見た。向こうは三人、こちらは十人以上、それに門もある。今ここで襲ってくるとは思えない。
それでも、門を開ける気にはならなかった。
「水は渡そう」
俺は言った。
「門は開けない」
誰も反対しなかった。
通用口から棒を使って水筒を引き寄せる。中身は空だった。もう一つの容器にもほとんど残っていない。本当に水が切れている。それだけは嘘ではなさそうだった。
水を入れて返す。男は受け取ると、その場で口をつけた。かなり飲む。後ろの二人にも回した。
「助かった」
「どこへ行くんだ?」
「東」
昼間、婆さんから聞いた話を思い出した。西から二人の男が来て、東へ急いでいった。
「昨日も仲間が通った?」
三人の動きが止まった。ほんの少しだった。
「知らねえ」
今度は返事が早すぎた。
「男二人。西から来たらしいけど」
「知らねえって」
その言い方で、昼間の男が俺の肩へ触れた。もういい、という合図だった。俺もそれ以上は聞かなかった。
「水は渡した。今日は門を開けない」
門番が言う。
「ここで休ませてくれよ」
外の男が食い下がる。
「外なら好きにしろ」
門番が素っ気なく答える。
「恐竜が出たら?」
「火を焚け」
「薪がない」
「そこら中にある」
「怪我人が出たら?」
「出てから呼べ」
外の男が舌打ちした。聞こえるように。
「感じ悪いな」
若いのが俺の後ろで呟く。
「聞こえるぞ」
「聞かせてんじゃない?」
たぶんそうだろう。
俺たちが散らないのを見て、三人は門から離れた。少し先の道路脇へ移動していく。誰も追わなかった。門も開けなかった。
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そのまま全員が寝床へ戻る気にはならなかった。交代で見張ることになり、俺たち六人も手伝うことになった。
「客なのに?」
若いのが不満そうに言う。
「飯食っただろ」
俺は取り合わなかった。
「豆と芋」
「寝床も借りてる」
「屋根穴空いてる」
「嫌なら外で寝ろ」
「見張ります」
素直でよろしい。
最初の見張りは俺と、ここの男二人だった。
門の上から外を見る。三人は道路脇で小さな火を焚いている。まだいる。
「昨日の二人と仲間だと思う?」
俺が聞く。
「思う」
昼間取引をした男が即答した。
「何で?」
「お前も思ってるだろ」
「まあ」
「じゃあ聞くな」
それもそうだった。
しばらく黙って外を見る。三人は火のそばで何か話している。距離があるので内容までは聞こえない。
「西で何かあったのかね」
もう一人が言った。
「恐竜?」
「またそれか」
「他に何がある」
昼間の男が鼻で笑った。
「人間」
俺はそちらを見る。
「人間?」
俺は思わず聞き返す。
「西の方じゃ、前からあるって話だよ」
「何が」
「集落から食い物持ってく連中」
「盗賊?」
「知らん。自分たちはそう呼んでないらしい」
「じゃあ何て?」
「知らん」
思わず笑った。
「お前も知らんばっかりじゃん」
「誰かさんが移したんだろ」
昨日から、ずいぶん便利な言葉になっている。
男は外を見たまま続ける。
「金なんて使えないだろ」
「ああ」
「食い物作れる場所は決まってる。井戸がある場所も、薬が残ってる場所も、道具持ってる場所も。だったら、作るより取った方が早いって考える奴はいる」
「恐竜より面倒だな」
「恐竜は嘘つかないからな」
その言葉を聞いて、少し考えた。
トリケラトプスが頭を下げれば、たぶん怒っている。ラプトルがこっちを狙っていれば、腹が減っているか、縄張りに入ったか、何か理由がある。分からないことは多い。でも、恐竜が水をくれと言いながら腰に銃を隠すことはない。
「昨日の二人、何しに東へ行ったんだろ」
「さあな」
男が欠伸をした。
「明日帰るなら気をつけろよ」
「何に?」
「人間」
冗談みたいだった。でも、笑えなかった。
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夜中に交代し、二時間ほど眠った。
次に目を覚ましたときには、外が白み始めている。
若いのが戸口に立っていた。
「起きて」
「何」
「いなくなった」
身体を起こす。
「三人?」
「うん」
外へ出た。
門の前へ行くと、すでに何人か集まっている。道路脇の焚き火は消えていた。灰だけ残っている。
「いつ?」
「交代したときにはいた」
「その後?」
「気づいたらいなかった」
門番が答える。
別におかしいことではない。夜明け前に出発しただけかもしれない。俺たちにもう一度話しかける理由もない。
「良かったじゃん」
若いのが言う。
「何が」
「揉めなくて」
「そうだな」
俺もそう思った。
少なくとも、そのときは。
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「荷車直すぞ」
昼間の男が呼びに来た。昨日約束した車輪を見るらしい。
俺たちは倉へ向かった。右の車輪を外す。やはり軸が少し曲がっていた。男が工具を使い、金属を叩く。
「これ、持って帰る?」
若いのが聞く。
「工具?」
「うん」
「交渉次第だな」
俺は答える。
「こういうの作れないの?」
「作れる奴はいるんじゃない?」
「うちには?」
「いない」
「なんで?」
「お前が覚えろよ」
俺がからかう。
「俺?」
「若いんだから」
「何でも俺にやらせようとするじゃん」
若いのがふてくされる。
「二十五年後困るぞ」
「その頃おじさん生きてる?」
「お前ほんと嫌なこと言うな」
男が笑った。
車輪は昼前には直った。薬を積み、斧や釘、金具も荷車へ載せる。塩と干し肉は、すでに向こうの倉へ移っていた。帰りの荷車は、行きよりいくらか軽くなっていた。
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「南回る?」
若いのが聞く。
年長の男が地図を開く。昨日来た道。南へ大きく迂回する道。どちらも安全だとは言えなかった。
「西から来た奴らは東へ行ったんだよね」
若いのが言う。
「ああ」
「俺たちも東だよね」
「ああ」
「会う?」
「知らん」
「やっぱ南?」
年長の男がしばらく地図を見る。
「南だな」
誰も反対しなかった。
昨日は、死んでいる土地を避けるために遠回りした。今日は、人間を避けるために遠回りする。
俺たちは荷車を門へ向けた。
婆さんが見送りに出てきた。
「気をつけな」
「恐竜に?」
若いのが聞く。
婆さんは少し考えた。
「それも」
「それも?」
「道で人に会っても、すぐ近づくんじゃないよ」
若いのは笑わなかった。
「分かった」
門が開く。俺たちは外へ出た。
少し進んだところで、俺は振り返る。柵の上に見張りがいる。門はもう閉じ始めていた。
昨日ここへ着いたとき、俺たちは笑いながらその門を通った。何度も来た場所だったからだ。顔を知っている。何を持ってくるか知っている。何を持って帰るかも知っている。だから開けてもらえた。
昨夜の三人には、開かなかった。
その違いを考えながら歩いていると、前を行く年長の男が止まった。
「どうした?」
返事の代わりに、男が地面を指す。
道の泥に、人間の足跡があった。三人分。南へ向かっている。俺たちが選んだ道と、同じ方向だった。
「……南行ったんじゃん」
若いのが呟く。
誰も答えない。
年長の男が地図を畳んだ。
「戻る?」
俺が聞く。
男は首を振った。
「もう遅い」
「じゃあ?」
槍を握り直す。
「行く」
俺たちは、三人の足跡を踏まないように歩き始めた。
恐竜の足跡なら、どこを向いているかで考えることができた。
人間の足跡は同じ形をしていても、その人間が何を考えて歩いたのかまでは、教えてくれなかった。




