第10話 取り分
三人分の足跡は、しばらく道の真ん中を続いていた。
追いつきたくはない。だからといって、荷車を引いたまま速度を落とし続けるわけにもいかなかった。
「どのくらい前かな」
若いのが地面を見ながら聞く。
「分かる?」
「分からん」
「足跡あるじゃん」
「あるだけだ」
泥が乾いていないから新しい。せいぜい、それくらいしか俺には読めない。
昨日までなら、恐竜の足跡を見て同じことを考えていた。種類は何か。何頭いるか。どちらへ向かったか。そこから先は、知っている奴に聞けば多少は分かった。
人間の場合、三人だと分かっても役に立たない。腹が減っているのか、家へ帰るのか、誰かを探しているのか。足跡には何も書いていなかった。
「このまま行くぞ」
年長の男が言った。誰も反対しなかった。
南へ回る道を選んだ時点で、別の道はかなり遠い。ここからまた引き返せば、今日中に自分たちの集落へ戻れるかも怪しくなる。薬もある。工具もある。昨日直したばかりの荷車もある。森の中で夜を越す理由を、わざわざ増やしたくなかった。
しばらく歩くと、足跡が道を外れた。三人ともだ。
「西」
先頭の男が言う。獣道ほどの細い道が森の中へ伸びている。
若いのが覗き込んだ。
「どこ行ったんだろ」
「追うなよ」
「追わないよ」
声が少し不満そうだった。
「じゃあこのまま?」
「ああ」
三人の足跡が消えた途端、空気が軽くなった。俺だけではなかったらしい。槍を肩へ戻す者がいて、若いのも荷車の持ち手を握り直した。
「良かったじゃん」
「何が」
「別の方向行った」
「そうだな」
今度は俺も普通にそう思った。
森を抜けるまで、何も起きなかった。
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昼を過ぎた頃、小さな集落が見えてきた。地図にも印がある。ただ、俺たちはここへ来たことがなかった。
「寄る?」
若いのが聞く。
「水だけもらうか」
朝から歩き続け、水筒も軽くなっている。
集落は二十軒もない。古い家を使っているものと、新しく木を組んだものが混じっていて、周囲には低い柵がある。畑も見えた。人もいる。それだけで少し安心した。
門の前へ行く。
「こんにちは!」
若いのが声を張った。
返事がない。
「聞こえてない?」
「いるだろ」
柵の内側から、こっちを見ている人間がいる。女が一人。その後ろに子供もいた。なのに近づいてこない。
「水を分けてもらいたい!」
年長の男が言った。
ようやく一人の男が出てきた。五十くらいだろうか。俺たち六人を見る。次に荷車を見た。
「どこから?」
集落の名前を答える。
「何しに来た」
「交易の帰りだよ」
「どこと?」
「北の集落」
男は荷車から目を離さなかった。
「何積んでる」
俺たちは顔を見合わせた。
「薬と工具」
年長の男が答える。
男の顔が曇った。水を頼んだだけなのに、妙な反応だった。
「悪いけど、水は出せない」
「なんで?」
「足りない」
井戸が見えている。女が桶を持って歩いている。若いのも気づいたらしい。
「水あるじゃん」
男の顔が強張った。
「あるけど、出せないんだ」
「少しでいい」
「無理だ」
「六人分だぞ」
「無理なものは無理だ」
昨日の集落で門を開けなかった俺たちが、今度はこちら側にいる。だから、無理に入れてくれとは言えなかった。
「分かった」
年長の男が言った。
「行こう」
年長の男が短く言う。
「え、でも水――」
若いのが未練がましく言いかける。
「次で探す」
若いのは納得していなかったが、荷車へ戻った。
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俺も続こうとしたところで、門の男が呼び止めた。
「待て」
「何」
俺が振り返る。
「その薬、売れるか?」
「交換したばかりなんだけど」
「全部じゃなくていい」
「何と?」
男は答えなかった。俺たちの方を見て、それから集落の奥へ目をやる。
「食い物なら少し出せる」
「水は駄目で、食い物は出せる?」
「そうだ」
意味が分からない。
「何の薬がいる?」
俺が聞く。
「熱のやつ」
年長の男が荷車を見る。熱の薬は多くない。交易先でも前より減っていたものだ。
「悪い」
首を振る。
「こっちでも必要なんだ」
「一つでいい」
男が食い下がる。
「一つでも駄目だ」
「頼む」
今までとは声が違った。男は門から出てきた。
「子供が熱出してる」
柵の中にいた子供を見る。あの子ではないらしい。
「三日になる」
「ここに薬ないの?」
「ない」
「前は?」
「……あった」
嫌な間だった。年長の男もそれに気づいた。
「なくなった?」
男はすぐには答えなかった。俺たちの後ろに道がある。誰か来ないか確かめているようにも見えた。
「持っていかれた」
「誰に?」
男は口を閉じた。
「昨日の三人?」
俺が聞く。
驚いた顔をした。それだけで、だいたい答えは分かった。
「来たのか」
「昨日、北の集落に三人来た」
「水をくれって」
男の顔色が変わる。
「何か渡した?」
「水だけ」
「中には?」
「入れてない」
男が息を吐いた。
「良かったな」
「何が」
「入れなくて」
誰も言葉を返さなかった。
俺は門の中を見る。さっきまで遠巻きにこちらを見ていた人たちが、いつの間にか増えている。男だけが警戒していたわけではない。集落全体が、外から来る人間を怖がっていた。
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「何を持っていかれた?」
年長の男が聞く。
「食い物」
「それだけ?」
「薬。弾。使えそうな工具」
「盗られたの?」
若いのが言った。
男は首を振った。
「違う」
「じゃあ渡した?」
「ああ」
「なんで?」
男は若いのを見た。
「渡さないと、もっと持っていかれるからだよ」
若いのが黙る。
「何人来た?」
年長の男が聞く。
「最初は五人」
「最初?」
「半年くらい前だ」
男はもう隠すのをやめたらしい。
「食い物を出せって言われた。断った。その次は十二人で来た」
「銃?」
「ああ」
「撃たれた?」
「一発だけな」
男が門の柱を指した。木に小さな穴が空いている。今まで気づかなかった。
「人には当てなかった」
「脅し?」
「たぶんな」
「それで渡した?」
「ああ」
「その後も?」
「月に一回来る」
年長の男が眉を寄せた。
「毎月?」
「だいたいな」
「昨日も?」
「昨日は取りに来た日じゃない」
「じゃあ何で来た」
「知らない」
俺たちは顔を見合わせる。三人は北へ向かった。その前の日には、二人が東へ急いでいた。
「仲間は何人いる?」
俺が聞いた。
「知らん」
「どこにいる?」
「西」
「西のどこ」
「知らんよ。行った奴は帰ってこない」
昨日まで何度も聞いた言葉なのに、今は少し違って聞こえた。知らないのではなく、知りに行けない。
「他の集落も?」
年長の男が聞く。
「取られてる?」
「たぶんな」
「何で一緒に追い払わない」
若いのが言った。
男が笑った。面白かったわけではない。
「誰が最初にやる?」
「みんなで」
「その『みんな』を誰が集める」
若いのは答えられない。
「隣の集落が取られてるから、銃持って助けに行くか?」
男は続けた。
「その間、自分の畑は誰が守る。子供は誰が守る。恐竜が来たらどうする」
若いのが俺を見る。俺にも答えはなかった。
俺たちは六人で交易に出るだけでも、留守にする人間を選んでいる。武器を持てる者を全部集めて、知らない場所へ戦いに行く。言葉にすれば簡単でも、やる方はそうではない。
「それに」
男が言った。
「あいつら、全部持っていくわけじゃない」
「え?」
「食い物を残す」
「……何で」
「次も取りに来るからだよ」
その言葉が、一番気味が悪かった。
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結局、熱の薬を一包置いていくことになった。年長の男は最後まで嫌そうな顔をしていたが、三日も熱が続いている子供がいると聞いて、持って帰る気にもなれなかったらしい。
「これ、どのくらい飲ませる?」
集落の男が聞く。
「子供?」
「ああ。八歳」
「分からん」
「おい」
「俺たちも聞いてきただけなんだよ」
交易先で教わった量を思い出しながら、年長の男が説明する。間違っていたらどうする。そんなことを考えたが、口には出さなかった。
水はもらえた。薬を渡したからではないと男は言ったが、たぶん関係はある。
水筒を満たしてもらい、俺たちはまた道へ戻った。
「一個減ったね」
若いのが荷車を見ながら言う。
「薬?」
「うん」
「しょうがない」
俺は突き放すように言った。
「うちでも使うかもしれないのに」
「そうだな」
「だったら渡さない方がよかった?」
「知らん」
「それ便利すぎない?」
若いのがなじる。
「じゃあお前ならどうした」
若いのは考えた。
「渡す」
「じゃあいいだろ」
「でも、うちで誰か熱出したら後悔するかも」
「そのとき考えろ」
「最近そればっかじゃん」
「先のこと全部分かったら苦労しない」
少し歩いてから、若いのがまた聞いた。
「あいつら、盗賊なの?」
「知らん」
「でも取ってるんでしょ」
「ああ」
「じゃあ盗賊じゃん」
年長の男が前から言った。
「盗賊なら、取れるだけ取って消える」
「違うの?」
「毎月来るんだろ」
若いのが黙った。
俺も考えた。食い物を全部は取らない。次の月にまた来る。逆らえば人数を増やして戻ってくる。殺す必要がなければ殺さない。恐怖だけ残して、次も同じ場所から取る。
昨日、門の外にいた三人を思い出す。水を欲しがっていた。銃を隠していた。仲間について嘘をついた。俺は、腹を空かせた三人の旅人だと思おうとしていた。
「なあ」
若いのが言った。
「何」
「あいつら、何て呼ばれてるの?」
「知らん」
「さっきの人も知らないって言ってたよね」
「ああ」
「自分たちでは何て言ってるんだろ」
誰も答えなかった。
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夕方になる前に、道が広くなった。昔は車が通っていたのだろう。草の間から、白い線がところどころ残っている。
その先で、年長の男が急に手を上げた。全員が止まる。
「何?」
返事はなかった。
俺も前を見る。道の真ん中に、人が立っている。一人。その少し後ろに、もう二人。さらに道路脇の崩れた建物の陰にも、人影があった。
「何人?」
若いのが声を落とす。
「見えるのは六」
昨夜の三人はいない。少なくとも、俺にはそう見えた。
引き返そうとしたところで、後ろから声がした。
「止まれ」
振り向く。森から二人出てきていた。銃を持っている。
前の男が近づいてくる。俺たちより少し年上に見えた。武器は腰にあるだけで、手には持っていない。
「どこから?」
聞かれた。年長の男が、俺たちの集落の名を答える。
「交易帰り?」
「ああ」
男は荷車を見る。薬、斧、釘、金具――隠しようもない荷物だった。
「そうか」
男が笑った。妙に普通の笑い方だった。
「じゃあ、取り分をもらう」
若いのが眉をひそめる。
「何の?」
男は若いのを見る。
「道を使った分」
「この道、お前らのなの?」
若いのが食ってかかる。後ろにいた誰かが息を呑んだ。
男は怒らなかった。むしろ少し楽しそうだった。
「違うよ」
「じゃあなんで――」
「この辺りを守ってるからだ」
「何から?」
若いのが聞く。
男は一度、森を見た。
「恐竜」
それから俺たちを見る。
「それと、人間から」
誰も笑わなかった。
「どのくらいだ」
年長の男が聞く。
「荷物を見て決める」
「断ったら?」
男は首を傾げた。本当に不思議そうな顔だった。
「なんで断るんだ?」
道の前にも後ろにも、銃を持った人間がいる。男はそれを指すことさえしなかった。
「みんな払ってる」
そう言って、荷車へ手を伸ばす。
「そういう決まりだから」




