第11話 昔を知る男
「そういう決まりだから」
男の手が荷車へ伸びる。
年長の男が、その手首を掴んだ。
「触るな」
周りの空気が変わった。前にいる連中より先に、後ろの二人が銃を構える。
「おい」
俺は年長の男を見る。離せ、と言おうとした。けれど男は手を離さなかった。
「荷物を見て決めるって言っただろ」
道を塞いでいる男の声は、まだ穏やかだった。
「見るだけだ」
「見る必要はない」
「なんで?」
「俺たちの荷物だからだ」
男が笑う。
「だから、その中から取り分をもらうんだよ」
「断る」
今度は誰も動かなかった。俺も、若いのも、たぶん同じことを考えていた。
何を言ってるんだ。相手は少なくとも八人いる。銃を持っている。こっちは六人、銃は一丁あるが弾は多くない。しかも荷車を二台引いている。
「断る?」
「ああ」
「聞いたことないな」
「じゃあ今日聞いたな」
年長の男が手を離した。道を塞いでいた男は、掴まれた手首を擦った。
怒るかと思った。違った。
「名前は?」
「何で」
「聞いてるだけだよ」
年長の男は答えない。
「まあいいや」
男は荷車へ視線を戻した。
「薬があるな」
誰も返事をしない。
「それと斧。釘。金具か」
見ただけで分かるらしい。
「薬を半分。斧を一本。釘は――」
「駄目だ」
年長の男が遮った。
「薬は持って帰る」
「半分残るだろ」
「全部持って帰る」
「何に使う?」
「人間に」
男が少し笑った。
「そりゃそうだ」
後ろで若いのが俺の袖を引いた。小さく首を振る。分かっている。喧嘩をするな、という意味だ。俺だってしたくない。
「なあ」
俺は年長の男に声をかけた。
「薬は駄目でも、他のものなら――」
俺が食い下がる。
「駄目だ」
年長の男が突っぱねる。
「でも」
「こいつらに渡すために取りに行ったんじゃない」
その通りだった。その通りなのだが、正しいことを言えば銃が消えるわけではない。
「分かった」
道の男が言った。あまりにあっさりしていた。
「じゃあ薬はいい」
俺は少し驚いた。
「斧と釘をもらう」
道の男があっさりと切り替える。
「だから――」
年長の男がなお食い下がろうとする。
「薬はいいって言ってるだろ」
男の声から笑いが消えた。
「こっちも譲ってる」
年長の男が何か言おうとする。
「待って」
若いのだった。全員がそちらを見る。
「何で俺らが譲ってもらうの?」
「おい」
俺が止める。
「だって変じゃん」
「黙ってろ」
「こっちの荷物なのに」
「黙れって」
男が若いのを見る。
「何歳?」
「十七」
「そうか」
「だから何」
「若いなと思って」
「関係ないじゃん」
「あるよ」
男は腰の銃へ手を置いた。抜かない。ただ、そこにあることを思い出させるように触れただけだった。
「長生きしたいだろ?」
若いのの口が閉じた。
「だったら、払うものは払った方がいい」
それでも若いのは目を逸らさなかった。俺はこいつの腕を掴んだ。
「いいから」
「でも」
「死んだら薬持って帰れないだろ」
それで、ようやく黙った。
年長の男を見る。
「斧と釘でいいなら渡そう」
「俺は――」
「帰るんだろ」
少し強く言った。
「何のためにここまで来たんだよ」
年長の男が俺を見る。昨日から、ずっと薬を持って帰ろうとしてきた。死んでいる土地を避けた。遠回りした。知らない三人を警戒した。熱を出した子供に一包だけ置いてきた。ここで撃たれて全部奪われたら、何のために歩いてきたのか分からない。
年長の男は奥歯を噛んだ。
「……斧一本と釘だ」
「話が早い」
道の男がまた笑った。釘の袋を一つ渡した。斧も一本。男は釘の袋を持ち上げ、重さを確かめる。
「少なくない?」
「一袋って言っただろ」
「釘とは言ったけど、一袋とは言ってない」
「ふざけんな」
「冗談だよ」
笑っている。俺は笑えなかった。
「これで通れる?」
「ああ」
男が道を空ける。
「気をつけてな」
「何に?」
若いのが言った。まだ喋るのか。
男は気にした様子もない。
「恐竜」
「守ってるんじゃなかったの?」
「全部守れるわけないだろ」
若いのが俺を見る。俺を見るな。
「人間からも守ってるって言ってたよね」
「そうだよ」
「誰から?」
男は少し考えた。
「悪い奴ら」
後ろで誰かが笑った。こいつらの仲間だった。
「行くぞ」
年長の男が荷車を引く。もう話したくないらしい。
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俺たちは道を進んだ。背中を向けるのが嫌だった。撃たれないと分かっているわけではない。それでも振り返らなかった。
十歩。二十歩。三十歩。
何も起きない。
道が曲がり、連中が見えなくなったところで、誰かが大きく息を吐いた。
「最悪」
若いのだった。
「お前な」
「何」
「もう少し黙ること覚えろ」
「だっておかしいじゃん」
「おかしくても銃は撃てるんだよ」
「撃たなかったじゃん」
「結果だろ」
「でも」
「でもじゃない」
声が大きくなった。若いのが黙る。俺も言いすぎたと思ったが、謝る気にはなれなかった。
怖かった。たぶん、それだけだ。
しばらくして、年長の男が荷車を止めた。
「休むぞ」
まだ休むには早い。誰もそう言わなかった。
道から少し外れた場所に荷車を置き、水を飲む。若いのは俺から離れたところに座った。
「怒らせたな」
隣の男が言う。
「誰を」
「あいつ」
「勝手に怒ってるだけだろ」
「お前もな」
「俺は怒ってない」
「じゃあ何でそんな顔してる」
水筒を投げてやろうかと思った。やめた。
年長の男は一人で荷物を確認している。薬はある。斧が一本と、釘が少し減っただけだった。それだけで済んだ――そう思おうとした。
「前にもあった?」
俺は年長の男に聞いた。
「何が」
「ああいうの」
「ない」
「噂は?」
「聞いたことはある」
「昨日まで言わなかったじゃん」
「俺たちのところまで来てなかったからな」
それで終わりだった。来ていない危険は、遠い危険だった。俺たちだって同じだ。西で誰かが食い物を取られていると聞いても、そこへ助けに行ったわけではない。今になって腹を立てているのは、自分の荷物を取られたからだ。
「帰ったらどうする?」
「話す」
「誰に?」
「みんなに」
「それから?」
年長の男が俺を見る。
「帰ってから考える」
若いのが離れたところで笑った。
「同じこと言ってる」
聞こえていたらしい。
「うるさい」
少しだけ空気が戻った。
---
休憩を終えて道へ戻った。
それから一時間ほど歩いた頃だった。
後ろから音がする。全員が振り返った。馬ではない。車でもない。走ってくる人間の足音だった。
「待ってくれ!」
男が一人、道を走ってくる。俺たちは槍を構えた。
「待て!」
年長の男が叫ぶ。
男は十歩ほど手前で止まった。息を切らしている。さっきの連中ではない。もっと年を取っている。五十を過ぎているように見えた。髪に白いものが混じっている。腰に銃はある。だが手には何も持っていなかった。
「お前ら」
男は息を整えながら言った。
「今、あいつらに会ったか」
誰も答えない。
「道で取り分を取る連中だ」
「誰だよ、あんた」
若いのが聞く。
男がそちらを見る。
「お前らと同じだよ」
「何が」
「取られる方」
年長の男が前へ出る。
「何で追ってきた」
「聞きたいことがある」
「何を」
「どこの集落だ」
俺たちはまた黙った。昨日なら答えていた。さっきも答えた。そのせいで何か起きたわけではない。それでも、もう簡単に言いたくなかった。
男は俺たちの顔を見回した。
「言いたくないならいい」
そう言って道端に腰を下ろした。
「水、持ってるか?」
若いのが俺を見る。俺も若いのを見る。
「何」
「昨日と同じ」
「何が」
「水」
確かに同じだった。知らない人間が来て、水を求めている。
俺は水筒を取り出した。
「銃、先に見せて」
男が眉を上げる。
「銃?」
「持ってるだろ」
「ああ」
「抜かないで。何丁?」
男は一瞬きょとんとして、それから笑った。
「一丁だよ」
「弾は?」
「六発」
「本当?」
「数えるか?」
「いや」
男は腰から銃を外した。ゆっくり地面に置く。その隣に弾を並べ始めた。一発、二発、三発――。
「本当に数えるの?」
「お前が聞いたんだろ」
六発並べ終える。若いのが笑った。
「変な人」
「お前に言われたくないな」
俺は水筒を投げた。男は受け取り、少しだけ飲んだ。
昨日の三人とは違った。喉が渇いていないわけではないだろう。それでも一口で止めた。
「助かった」
蓋を閉めて返してくる。
「それで、何を聞きたい」
年長の男が言った。
男は地面に置いた銃へ手を伸ばさず、こちらを見た。
「何を取られた?」
「斧と釘」
「薬は?」
「取られてない」
「そうか」
男の顔が少し緩んだ。
「まだその程度か」
「その程度?」
年長の男の声が低くなる。
「悪い。そういう意味じゃない」
男が頭を掻いた。
「最初はそれくらいなんだ」
「最初?」
「ああ」
嫌な言葉だった。
「次は?」
俺が聞く。
「食い物」
「その次は?」
「もっと食い物」
「その次は?」
男は答えなかった。
「人?」
若いのが聞いた。
男が若いのを見る。笑わなかった。
「働ける奴を出せって言われることもある」
「どこで働くの」
「向こうだ」
「向こうって?」
「連中のところ」
「何させられる?」
「畑。柵。運搬。恐竜が出たら追い払う」
「帰ってくる?」
「帰る奴もいる」
若いのが黙った。
「帰らない奴も?」
「いる」
「殺されるの?」
「知らん」
男はそう答えたあと、少し考えた。
「本当に知らない」
その言葉だけは信じられた。
「何でそんなことするんだ」
俺が聞いた。
「食い物が欲しいなら自分たちで作ればいい」
「作ってるよ」
「じゃあ」
「足りないんだろ」
「人数多いの?」
「多い」
「どのくらい」
「俺が最後に見たときで、百はいた」
誰も喋らなかった。
百。俺たちの集落で、武器を持って外へ出られる人間が何人いる。考えるまでもなかった。
「全員が兵隊じゃない」
男が付け加える。
「子供もいる。年寄りもいる。畑もある。家畜もいる」
「じゃあ集落じゃん」
若いのが言った。
「そうだよ」
「さっきの人たち、盗賊じゃないの?」
「そう呼びたいなら呼べばいい」
「違うの?」
男は少し考えた。
「俺は昔、あそこにいた」
風が吹いた。道の脇の草が揺れる。
「いた?」
「ああ」
「仲間だったの?」
若いのが聞く。
「そうなるな」
俺たちの手が、少しずつ武器へ近づく。
男は気づいた。
「だから銃を置いたんだよ」
地面には、銃と六発の弾が並んだままだ。
「今は?」
「違う」
「何で抜けた」
「嫌になった」
「何が」
男は笑った。
「長くなるぞ」
「短くして」
若いのが言う。
「お前、ほんと遠慮ないな」
「よく言われる」
「だろうな」
男は少し考えてから言った。
「最初は、あんなじゃなかった」
誰も口を挟まない。
「恐竜が増えて、集落が潰れて、食い物がなくなった。道も使えなくなった。人が死んだ。だから、生き残ってる連中でまとまった」
「それが何で取り分になるの」
「人が増えたからだ」
「増えたら畑増やせばいいじゃん」
「簡単に言うな」
「さっき俺も言われた」
男が笑った。
「そうか」
少しして、その笑いが消えた。
「畑を増やすには土地がいる。土地を守るには人がいる。人が増えれば食い物がいる。食い物を取りに行けば、また人がいる」
「ずっと足りないじゃん」
「そうだな」
「じゃあ減らせば?」
「誰を?」
若いのが口を閉じる。
老人か。子供か。怪我をした者か。働けない者か。誰かを選べば、その分だけ食い物は減らずに済む。でも、その「誰か」を選ぶ人間が必要になる。
「だから外から取る?」
俺が聞いた。
「最初は、助けてもらってた」
「助け?」
「食い物を分けてもらった。代わりに恐竜を追い払ったり、道を直したりした」
「じゃあ本当に守ってたんじゃん」
若いのが言う。
「ああ」
「今も?」
「守ることはある」
「じゃあ、さっきの奴が言ってたこと嘘じゃない?」
「全部はな」
それが余計に気持ち悪かった。嘘なら、嘘だと切り捨てられる。少し本当だから、面倒になる。
「いつから変わった」
年長の男が聞いた。
男の顔から、さっきまでの軽さが消えた。
「さあな」
「いたんだろ」
「いたから分からないんだよ」
男は地面の弾を一発拾った。指の間で転がす。
「昨日まで普通だった奴が、朝起きたら急に悪くなるわけじゃない」
「じゃあ誰が始めた」
「みんなだよ」
「みんな?」
「一回だけ。今回だけ。ここは余裕があるから。あそこは出せるから。うちには子供がいるから」
男は弾を地面へ戻した。
「そうやってるうちに、払うのが当たり前になった」
「誰が決めたの」
若いのが聞く。
男は答えなかった。
「リーダー?」
若いのが聞く。
「いるよ」
「どんな奴?」
男が若いのを見る。
「会わない方がいい」
「怖い?」
「怖いな」
「銃持ってるから?」
「違う」
「じゃあ何」
男はしばらく黙っていた。
「正しいと思ってるからだよ」
「何を?」
「自分がやってることを」
若いのが首を傾げる。
「悪いことしてるのに?」
「本人はそう思ってない」
「なんで?」
「人間を守ってるからだ」
俺は、さっき道を塞いだ男の言葉を思い出した。恐竜から。人間から。あれも、誰かから教わった言葉なのかもしれない。
「名前は?」
年長の男が聞いた。
男は答えようとして、やめた。
「知らない方がいい」
「何で」
「名前を知ったら、次はどこにいるか知りたくなる」
「別に」
「その次は、どういう奴か知りたくなる」
男は立ち上がった。
「そこまで行ったら、会うことになる」
地面から銃を拾い、弾を一発ずつ戻していく。
「会ったら?」
俺が聞く。
六発目を入れてから、男は腰に銃を戻した。
「話を聞いちまう」
「それだけ?」
「ああ」
「何がまずい」
男は少し笑った。
「納得しそうになる」
誰も何も言わなかった。
---
「お前、どこへ行くんだ」
年長の男が聞く。
「東」
「俺たちと同じじゃん」
若いのが言った。
「途中までな」
「何しに?」
「知り合いに会いに行く」
「昨日の二人?」
俺が聞くと、男の目が変わった。
「二人?」
男が聞き返す。
「西から来て、東へ急いでたらしい」
「いつ」
「昨日」
「どこで聞いた」
「北の集落」
「年は?」
「知らない。男二人としか」
男が舌打ちした。
「何?」
「急ぐぞ」
「何で」
男はもう歩き出している。
「お前らも帰るんだろ」
「ああ」
「なら一緒に来い」
「だから何で」
男が振り返る。
「さっき取られた斧と釘」
「それが?」
「あいつらが何に使うと思う」
「知らん」
「俺も知らん」
「おい」
「でも、昨日から人が動きすぎてる」
男は道の先を見る。
「二人が東へ行って、三人が北を見て、今日は道に八人」
俺たちも同じものを見てきた。別々だったものが、初めて一つに並んだ。
「いつもじゃないの?」
「違う」
男ははっきり言った。
「連中が動くときは、理由がある」
「何の」
「だから、それを確かめに行く」
年長の男が俺たちを見る。俺は荷車を見る。薬は残っている。帰らなければならない。なのに、帰る方向に何かがあるらしい。
「名前」
若いのが言った。
男が振り返る。
「あんたの」
「俺?」
「リーダーのじゃないよ。あんたの名前」
男は少しだけ笑った。今度は普通の笑い方だった。
「それくらいなら教えてもいい」
名前を聞いた。俺は知らなかった。年長の男も知らないらしい。
ところが、六人のうち一番後ろにいた男だけが、足を止めた。
「……待て」
全員が振り返る。男の顔が強張っていた。
「その名前、聞いたことある」
白髪混じりの男が、そちらを見る。
「どこで」
「昔だ」
「いつ」
仲間はすぐには答えなかった。俺たちより年上だが、D-DAYの頃にはまだ子供だったはずだ。
「親父から」
男は言った。
「西に、人を集めて町を守った奴らがいたって」
白髪混じりの男は何も言わない。
「その中に、お前と同じ名前がいた」
「同姓同名だろ」
「親父が言ってた。市長の息子と、その友達が中心だったって」
男の表情が止まった。
若いのが俺を見る。俺も何も知らない。
「市長って何?」
誰も答えなかった。
白髪混じりの男だけが、しばらくして息を吐いた。
「昔、町で一番偉かった奴だよ」
「その息子って?」
男は道の先を見た。さっきまで避けていた名前を、今度は自分から口にした。
その名前を俺は覚えた。まだ顔も知らない。会ったこともない。ただ、その男が今、西で人を従え、集落から「取り分」を集めている。
「昔は」
白髪混じりの男が言った。
「あいつ、本当に人を守ってたんだよ」




