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神剣イグニスを封じし傭兵は、姉殺しの記憶を知らない ――灰灯院に帰るレイナの神代録  作者: 玉響すばる
第1章 灰灯院と火床の残響

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第3話 灰の中の剣

 人攫いたちは、思ったより浅い場所にいた。


 南の林道は、灰灯院から半刻ほど下った先で二手に分かれる。  片方は街道へ。  もう片方は、森を縫って川沿いの古道へ出る。


 連中はその分岐の先、倒木を盾にした窪地に身を潜めていた。


 レイナは木の上からそれを見下ろしている。


 六人。


 ルクスフェルの見立て通りだ。


 弓が一人。  短槍が二人。  剣が三人。


 装備は揃っていないが、足元は軽い。  野盗というより、人を運ぶことに慣れている連中だ。


 しかも窪地の奥には、荷車がある。  布がかけられていて中身は見えない。  だが、嫌な想像はいくらでもできた。


 レイナは枝に片膝をつき、静かに息を吐いた。


 風向きは悪くない。  弓手から落とすのが先だ。


 考えることはそれだけだった。


 木から降りる。  音は立てない。  落ち葉を踏む足取りひとつにも、迷いはない。


 レイナが剣を抜いた時には、弓手はまだこちらに気づいていなかった。


 一歩。


 距離を詰める。


 二歩。


 風が止まる。


 三歩目で、弓手の喉が断たれていた。


 血飛沫が細く散る。  男は何が起こったのかも分からぬまま、崩れた。


「な――」


 短槍の男が振り返る。


 レイナはそのまま踏み込み、手前の男の膝を斬る。  骨を断つ感触。  悲鳴が上がる前に、返しの一閃で首筋を裂いた。


「敵だ!」


 ようやく声が上がった。


 遅い。


 残る四人が武器を構える。  剣士の一人が真っ先に突っ込んできた。  悪くない踏み込みだが、粗い。


 レイナは半身でそれを外し、剣の腹で男の手首を打つ。  武器が跳ねる。  直後、肘で顎を砕いた。


 短槍の男が横から突き込む。  レイナは身体を沈め、槍の柄を握り込むと、そのまま引いた。


 男が前につんのめる。  その顔面に膝を入れる。


 鈍い音。  鼻梁が潰れ、男は後ろに倒れた。


 最後の二人は、一瞬迷った。


 逃げるか。  戦うか。


 その一瞬が死になる。


 レイナは近い方へ踏み込み、胸を浅く裂く。  致命ではない。  だが身体が止まるには十分だ。


 もう一人が背を向けた。  走る。


 レイナは投げ槍のように、奪った短槍を振った。


 風を裂いて飛んだ柄が、男の背を打ち、前のめりに転がす。  起き上がろうとしたところへ、レイナが追いついた。


「待て、待て!  金なら――」


「子どもはどこへ流す」


「し、知らねえ!  俺は案内役だ!」


「誰に渡す」


「南の――」


 そこで男は息を詰まらせた。


 レイナの目を見たからだ。


 冷たい。  怒っているわけではない。  だが、一切の逃げ道を認めない目だった。


「南の何だ」


「し、神殿の……下の……」    レイナの顔から、表情が消えた。


「続けろ」


「下働きに……回して……売る……ことも……」


 それ以上は聞く必要がなかった。


 レイナは短く息を吐き、男の鳩尾を踏み抜いた。  気絶させるだけで十分だった。


 周囲を見回す。


 息がある者は二人。  どちらも今すぐ動ける状態ではない。


 荷車へ近づく。  布を剥ぐ。


 中には縄。  猿轡。  粗末な毛布。  干し肉。  そして子ども用の小さな靴が二足、転がっていた。


 レイナの目が僅かに細くなる。


 全部、燃やすかと思った。


 だが証拠は残すべきだ。  灰灯院に持ち帰る必要はないが、街道の警邏隊が来れば引き渡せる。  もっとも、どこまで信用できるかは別だが。


 荷車の奥を調べると、木箱がひとつあった。  鍵は壊されている。


 中には銀貨数枚と、古びた布包みが一つ。


 レイナは眉を寄せた。  布包みの形が妙だった。  硬い。長い。だが短剣ほどではない。


 包みを開く。


 中から出てきたのは、黒く煤けた小さな鉄片だった。


 刃の欠片。  いや、刃とも言い切れない。  何か巨大な武具の一部が、長い時間を経て砕けたように見える。


 ただの鉄ではないと、見た瞬間に分かった。


 空気が違う。  古い。  冷たいのに、火の匂いがする。


「……またか」


 レイナは小さく呟いた。


 触れた指先に、びり、と微かな痺れが走る。


 その瞬間。


 火花。


 轟音。


 鉄を打つ音。


 赤熱する炉。


 巨大な腕。


 節くれだった指。


 無骨な横顔。


 ――まだ、足りぬ。


 低い声が、頭の奥で鳴った。


 レイナは反射的に鉄片を放り投げそうになったが、寸前で止めた。  息が乱れる。


 まただ。


 昨日の祠で見た光景に近い。  だが今度はもっと近い。  もっと生々しい。


 鉄を打つ熱。  煤の匂い。  火の粉が肌に当たる痛み。  知らないはずなのに、知っている。


「……ヴァルグレン」


 また、その名が喉に浮かぶ。


 誰の名だ。  なぜ知っている。


 レイナは鉄片を握り直した。


 その時。


 窪地の奥、荷車の陰から、微かなうめき声がした。


 レイナの剣先が即座に向く。  布の影に回り込むと、そこにひとり、少年が転がっていた。


 十二、三ほど。  痩せている。  頬に殴られた痕。  手首には縄の擦れた跡。


 意識はあるが、立てないらしい。


「他にもいるか」


 レイナが問う。


 少年は怯えた目で見上げたあと、かすかに首を振った。


「……二人、逃げた」


「どっちへ」


「朝のうちに……売りに出された……」    レイナの舌打ちは小さかった。  だが、空気はひどく冷えた。


 遅かった。  いや、今ここで全部を拾えると思う方が甘い。


 そういう世界だと、分かっている。


「立てるか」


 少年は首を振る。


 レイナは少しだけ考え、それから鉄片を布に包み直して懐へ入れた。  次に少年を担ぎ上げる。


「ぐっ……」


「死んでないなら我慢しろ」


「……あんた、誰」


「傭兵だ」


「名前は」


 レイナは一瞬だけ黙った。


 何でもない問いだ。  いつも通り、答えればいい。


「……レイナ」


 言えた。  言えたはずなのに、胸の奥が少しだけざわついた。


 別の音が、霧の底で微かに動く。


 レイナス。


 その響きはまだ遠い。  だが、確かに近づいていた。


 少年を担いだまま、窪地を出る。  南の林道は湿っている。  空は重く、雨の匂いが濃くなってきた。


 灰灯院へ戻る前に、北の古道の祠へ寄るべきか。  いや、先にこの少年を連れ帰る方が先だ。


 ルミエラならまずそう言う。  ルクスフェルは、面倒そうに笑うだろう。


 戻る道の途中。  森の中ほどで、ふいに小さな灯が前方に現れた。


「一人増えたか」


 ルクスフェルだった。


 今日は灯のままらしい。  浮いたまま、レイナの肩の高さで揺れている。


「見えてたなら手伝え」


「神に担がせるつもりか」


「減らず口ばかりだな」


「それはお前だ」


 ルクスフェルは少年を見た。  その灯がわずかに揺れる。


「南の連中は」


「潰した。  二人逃げたらしい」


「そうか」


「喜ばないんだな」


「全部を拾えぬことは、お前も知っているだろう」


 レイナは答えなかった。


 その通りだったからだ。


 ルクスフェルはしばらく沈黙し、それから不意に言う。


「懐のものを見せろ」


 レイナの足が止まる。


「何の話だ」


「鉄片だ」


 レイナの目が細くなる。


「見えてたのか」


「見えるとも。  嫌な匂いがする」


「何だ、あれは」


「今はまだ、ただの欠片だ」


「答えになってない」


「お前がそれを持ち帰るなら、そのうち分かる」


 またそれだ、とレイナは思う。


 この手の物言いばかりする。  知っていて、今は言わない。  必要な時だけ、小出しにする。


 だが今回は、ルクスフェルの声音に少しだけ硬さがあった。


「それをヴァルグレンに見せるな」


 レイナの呼吸が一瞬止まる。


「……誰だ、それは」


 ルクスフェルは答えない。


 ただ灯が揺れ、森の奥を示すようにふわりと動く。


「まだ会うには早い」


「お前は今、確かに名前を言った」


「言っていない」


「聞こえた」


「お前には、まだ聞こえただけで十分だ」


 レイナは睨んだ。  だがルクスフェルは逃げるようにふっと距離を取る。


「帰れ、レイナ。  今日はもう足りている」


「勝手に決めるな」


「決めるとも。  お前は放っておくと拾いすぎる」


「拾うべきものだった」


「知っている」


 少年がレイナの背で小さく身じろぎした。  熱がある。  急がなければならない。


 レイナは舌打ちし、森道を歩き出した。


 灰灯院へ近づくにつれ、胸の奥のざわつきは薄れた。  石柱の灯が見えた時には、ようやく息が整う。


 門の前には、ルミエラが立っていた。  今日は最初から眉間に皺を寄せている。


「昼までに戻る、とは」


「戻っただろ」


「昼ではありません」


「誤差だ」


「その誤差に一人増えているんですが」


 レイナは少年を下ろした。  ルミエラは即座にしゃがみ込み、傷と熱を確認する。


「中へ。  ユノ、湯を。  サラ、薬箱を持ってきて」


 昨日来たばかりの子どもたちが、もう動き出す。  ぎこちないが、止まらない。  灰灯院の中では、止まるより先に手を動かすことを覚える。


 ルミエラは少年の額に手を当て、レイナを見上げた。


「あなたも」


「私は平気だ」


「そういうことじゃありません」


「何だ」


「顔色が悪い」


 レイナは少しだけ眉をひそめた。


「外に出る前より、戻った後の方が疲れて見えます。  何がありました」


「人攫いがいた。  それだけだ」


「嘘ですね」


 即答だった。


 レイナは反論しなかった。  ルミエラには、無駄だ。


「あとで話す」


「必ずですよ」


「分かった」


 ルミエラはそれ以上追及しなかった。  その代わり、少年を抱えて建物の中へ急ぐ。


 レイナは門の外に一瞬だけ立ち止まった。  懐の中の鉄片が、まだわずかに冷たい。


 火床。  鉄。  槌。  ヴァルグレン。


 知らないはずのものばかりが、少しずつ増えていく。


 門の灯が揺れる。  ルクスフェルの気配はもうない。


 灰灯院の中からは、鍋の音と子どもの声がする。  人の生活の匂いが、神代の残響を押し流していく。


 レイナはようやく中へ入った。


 だがその夜。  鉄片を机に置いた瞬間、火も灯していない部屋の中で、それは微かに赤く脈打った。


 まるで、まだどこかで炉の火が生きているかのように。

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