汗と沈黙──言葉にならない距離の中で
ギンスは野駆け以降、なんだか優しい。
今まではただの仲のよい同僚だったのに、なんだかちょっと違う関係になっている気がしていた。
(以前より近い感じ……なんだろう)
木剣を振るギンスが視界に入り、彼の首筋に見える汗を見た時にふと思った。
汗をぬぐってやりたいな、と。
今までそんなことを考えたことがないのにどうしてだろうと考えた。
「ティニー様!どこを見ているんですか?きちんと稽古をつけてくださいよ」
メイは額に薄く皺を寄せ、少し眉をひそめている。
「ああ、ごめんごめん。ちょっと考え事をしていたんだ」
「団長が連れてきた令嬢のことを考えてらっしゃったんですか?あれはひどいと私たちも思います」
「メイ、上司のことを悪く言ったらダメだよ。気を付けて」
「そうですけど、私の尊敬するティニー様が傷つけられるのは私たち絶対許せません!」
他の女性騎士がいつの間にかティニーを囲んでいた。
「皆、ありがとう。私は大丈夫。事情があって連れてきたと思っているからさ」
「それでも……」
ティニーは、まだ口を開きかけている彼女たちの顔を順に見渡した。それぞれが自分のために怒ってくれているのが分かる。
「本当にありがとう。気持ちは、すごく嬉しいよ」
柔らかく微笑みながらそう言うと、騎士たちの表情に少しずつ緊張が解けていくのが見えた。
(近いうちに、レーガ様と婚約自体を見直すための話し合いをせねばならないな……)
手紙はあくまで気を使って書いてくれたことで、あまり期待しない方がいいと思い始めていた。
レーガのことは、理想的な見た目だし好ましいと思っていた。だが、思うようなロマンチックな関係とは程遠いし、フィオナという元婚約者も出てきて、気持ちは盛り下がっていた。
フィオナはまだ王宮に滞在中で、王宮で見かけることがある。
(今度、フィオナのことをきちんと話すと手紙に書いてあったけれど、彼女を王都に連れてきたのはなぜだろう)
自分を大切に思うのならば、不誠実に思われるようなことは普通しないだろうと思えた。
「ティニー、なに難しい顔をしているんだよ」
ギンスがタオルで汗を拭いながら近づいてきた。汗がキラキラ眩しい。
「ちょっと……訓練のメニューを考えていたんだよ。男子はあっちだろう。隊長が呼んでいるぞ」
気恥ずかしくなってぶっきらぼうに返した。
「ティニー様、最近、やたらとギンス様が話しかけてきますよね?」
「前からだろう」
「それはそうですけど、なんというか距離が近いというか」
「そうかな?」
「はい、なんとなく」
メイは木剣を手に取ると、また稽古をつけてほしいとねだってきた。
「ティニー様が男性だったら私、ぜひ結婚したかったです!」
「ははは……ほんとにメイは私を好きだよな。……よし、今日は打ち込み100連発だ!」
「はい!望むとこです!」
元気な声が訓練場に響いた。
――訓練を終えて汗を流したティニーは、緊張した気持ちで団長室の前に立っていた。
(ものすごく緊張するな)
深呼吸してから扉をノックすると、低い声で返事があった。
名乗るとすぐに扉が開いた。レーガ本人だった。
部屋の中では就業後の今も作戦会議がまだ行われていたのか、地図や資料が広げられている。
「お忙しいところすみません。出直してきましょうか?」
「いや。今日は、ここまでにしておくつもりだった。入ってくれ」
彼は手を上げると、部下たちが即座に退出していく。
「さて、かけてくれ」
ソファに腰を下ろすように促された。彼が対面に座ると部屋の空気が一瞬ピリリと張りつめた。
「……手紙、ありがとうございました。私なりに婚約のことを考えてみたのですが……」
話を切り出すと、レーガがピクリとした。
「その前に、フィオナのことをきちんと説明させてもらえないか」
「ええ……はい」
正直、あまり聞きたくなかったが、ティニーはうなずいた。
「フィオナは私の遠い親戚だと話したな?オレは彼女を小さい頃から妹のように可愛がっていた。そのため、とても懐かれている」
「懐かれているって……。犬や猫じゃないんですよ?彼女は団長を兄だとは思っていないようですが」
「団長とオレを呼ぶのだな」
ティニーは、話の核心から外れた指摘に眉をひそめた。だが、レーガも不満そうだった。
「団長で間違いないじゃないですか」
「2人でいる時に名前で呼び合うことにしていたはずだが」
「そう呼べない状況になっているのは、団長のせいです」
今までは、レーガは上司で爵位が上だし、と遠慮していたが、悩まされた日々のうっぷんが溜まっていた。
「……すまない。フィオナがどうしてあんなことを言ったか説明したい」
レーガは一度目を伏せ、言葉を選ぶように静かに息を吐いた。
「ちゃんと話す。誤解されたままでは、終わるわけにはいかない」
(終わるわけにいかない?ヘンリーニからどうしても結婚するようにでも言われているのだろうか?)
思うところはあったが、ティニーは黙ってうなずくと彼の言葉を待つことにした。




