第八百六十八話 とある住宅街にて
「チッ、何でイスラムの奴が・・・」
ここは氷川神社から程近い閑静な住宅街。民家の庭に入り込み、体を小さくして隠れる男性が居た。一見ごく普通の帝国臣民のようだが、口から漏れた言葉は日本語と違っていた。
「上からの命令、だけじゃないな。俺自身が許せないからだよ」
呟いた愚痴に返ってきた返事を聞き、隠れていた男は立ち上がって身構えた。そこには彫りが深くどう見てもアジア系ではない男が立っていた。
「お前、ムスリムだろう?何故日帝に利する!」
「だから言っただろう?上からの命令でもあるし、個人的にもお前のやろうとしている事を許せないからだよ」
答えになっていない答えを返した男は不審者に近付く。不審者は警戒して後退するが、すぐに塀に当たってしまい下がれなくなった。
「に、日本神道なんてモノの台頭を許せるのか?お前の神はそれを許すと言うのか!」
「それとこれとは話が別だ。義には義を、恩には恩を。我らが神はそれを忘れる事をお怒りになるだろうさ」
説得を試みるも失敗した不審者はズボンのベルトを勢いよく引き抜いた。直線状になり固まったそれは、少々細い長剣となった。
「暗器、か。情報通り大陸系の人間みたいだな。大人しくすれば痛い目には・・・手遅れか」
不審者は対峙する男に気を取られすぎた。武器を手にきり抜けようとした不審者は、塀に乗って頭上から襲撃してきた第三の男に全く気付く事なく意識を刈り取られたのだった。
「協力に感謝する。それに情報も正確だった」
「なに、当たり前の事をしただけだ。帝国は第二の故郷だからな。こいつらが仕掛けていた爆弾の場所は都度陸軍情報部に通報しておいた。彼らに任せておけば大丈夫だろう」
背後から急襲した男は小さな背嚢からロープを取り出すと、気絶した男の腕を後ろに回して縛り始めた。
「帝国は委任統治領に過ぎなかった我が国のインフラを整え、民に帝国臣民と同様の教育を施してくれた。お前も言っていただろう、恩には恩をと。我々は忘恩の徒にはならんよ」
どうやらこの男は台湾国の諜報に関わる人物のようだ。男は不審者を縛り終えると肩に担いで立ち上がる。
「そちらこそ、遠い欧州の民が帝国にここまで助力するとはな」
「簡単な事だ。我らはエルトゥールル号を忘れない」
エルトゥールル号はダンジョンが転移してくる五年前に発生した事件である。オスマン・トルコ帝国より派遣されてきた軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖にて遭難。五百名以上の乗員が命を失う惨事となった。
「・・・お主とは気が合いそうだ。今度牛肉麺でも食べに行かないか?」
「良いな、だが暑くなる前に頼むぞ。暑くなったら美味しいトルコアイスでも食べに行こう。渋谷にいい店があるんだ」
台湾情報部の情報員とトルコ情報部の情報員は拳を合わせると、次の仕事を熟すべく別々の方向に散って行った。
神使様による華やかな参拝の裏では、男達の激闘と交流があった。表に出る事はない裏の世界の戦い。それは歴史の闇に人知れず埋もれていくのであった。




