第八百六十七話
空気が変わる。俺は一歩たりとも動いていないが、この場が先程まで居た大宮氷川神社の本殿ではない事が容易に察せられた。
目の前には偉丈夫な男性に寄り添っている美女と少し線が細い男性。圧倒的な神気は三柱の御方達が誰でもあるかを物語っている。俺は反射的に平伏し言上を述べた。
「神域にお招きいただきありがとう御座います。宇迦之御魂神様の眷属にして半神の玉藻に御座います」
「相変わらず堅苦しいのぅ。そなたは娘の眷属、我の身内も同然だ。力を抜かぬか」
「貴方様は柔らかすぎます。そなたの名と功は伝え聞いておりますよ。妾は稲田姫じゃ、宜しゅうな」
「父上はもう少し威厳という物を・・・我は大己貴じゃ。そなたの事は神界で話題になっておるぞ」
素戔嗚尊様に配偶者である稲田姫様、ご子息であらせられる大己貴命様。氷川神社の御祭神が勢揃いしていた。
大己貴命様はあまり馴染みがない呼称だが、大国主命様や大黒様と言えば殆どの人が成る程と思うだろう。因幡の白兎を助けた神様と言えば知らない人はほぼ居ないと思われる。
「こちらは皇室からの供物に御座います。尊き方々にと帝国臣民より多くの供物が寄せられておりますが、お持ち出来る量に限りがあります故・・・」
「なに、本来持ち込めぬ供物を持参してくれるたけでも有難い。こ奴らに京に連れて行けとせがまれておってのぅ・・・」
京に、という事は宇迦之御魂神様の所にという事だろうか。迷い家とお社で繋がっている宇迦之御魂神様の所には毎日供物を届けているからかな。
「先だってもお一人でお出かけになっただけではなく玉藻殿の饗応を受けたそうではありませんか。これは妾達で食する事に致しましょう」
「ちょっ、前回は酒は無かったのだ。せめて酒だけは・・・」
反論しようとした素戔嗚尊様だったが、稲田姫様の無言の圧力に負け言葉を紡ぐ事が出来なかった。女性の方が強いのは、人も神も変わらないのである。
「そっ、そうそう。我はそなたの父にも注目しておる。権力に囚われず人々を癒そうという心意気、実に天晴である」
「大己貴命様のお言葉、一言一句違わずに父へと伝えまする。お言葉は父の誉れとなり、一層励む事でしょう」
大己貴命様は少名彦命様と日本各地を周り、医療や農業の基礎を築いた神様でもある。病気平癒の権能もお持ちなので診断のスキルを持つ父さんに興味があるのだろう。
その後、大宮のダンジョンを攻略する事や神奈川と京都のダンジョンに回る事を報告して御前を辞する事となった。
神界の風景が消えゆく中、お酒を巡って素戔嗚尊様と稲田姫様との間で攻防が繰り広げられていたような気がするが俺は何も聞かなかった事にしよう。
気がつけば、氷川神社の御神体を前に座る俺に無言で平服する神職の方々という構図。これ、俺が何か言わないとずっとこのままだよね。
ありのままを言う訳にはいかないし、この瞬間に良いように編集して伝えるなんて無茶振りさせないでほしいなぁ。




