手を見て思う
「どうしてこんなになったの?」
保健室の先生が巧の手を見て言った。
「そ、それが、私の肩を…もみすぎて。」
説明するのも辛いらしく、猫実さんが顔を赤らめて言った。
「はあ?」
「すみません。」
巧は、なぜか謝った。
保健室の先生は、呆れながらも巧の手に湿布を貼って、包帯で固定してくれた。今になって、白い布で巻かれた手を見ると力を入れて動かす事ができない。湿布の冷たさが、より一層、手の疲労を訴えている。
保健室から出ると、巧はもう一回、猫実さんに怒られた。猫実さんが怒るときは、目が少し濡れて、顔が赤くなる。
「これで、ペンとか持てなくなったらどうするんですか。」
猫実さんが一番最初に心配したのは、その事だった。言われて初めて、巧はそのことの重大さに気が付く。手は、腫れ上がったように暑く、指の付け根を動かすたびに痛みが走る。
「いいですか、手は人にとって大事なものなんですよ。」
猫実さんは巧の目の前で、自分の手を握ったり開いたりした。廊下で叱られるのは思ったより、恥ずかしい。放課後の静かな廊下は、猫実さんの声がよく通る。通りかかった人が、一人一人、巧たちをまじまじと見て通り過ぎてゆく。
「すみません…。猫実さんの肩は大丈夫ですか?」
巧は心配する。
「大丈夫です。おかげさまで、すっごく元気ですっ。」
猫実さんは怒った顔のまま、肩をくるくる回した。どうやら、巧の手が貧弱なだけのようだ。
困ったのは、その後のことだった。猫実さんの言った通りペンが持てなくなった。小説はもちろん、学校の宿題ができない。ページをめくるのが嫌になって、本も読みたくなくなる。帰りの電車の中で、何もできなくなって猫実さんの隣でずっと、申し訳ない気持ちで座っていなくてはならなかった。猫実さんもずっと、無言だった。猫実さんの方を見ると、声にならない声で「もう!」と口を動かし、ほおをふくらめた顔でにらみ返された。
家に帰っても、家族に説明するのに苦労した。どうして女子の肩をもみすぎて手を痛めたと言えるだろう。巧がやっとひねり出した嘘は、「こ、転んだ」と言うぐらいだった。それにしても母に本気で心配された。本当のことを言ったら、違う意味で心配されただろう。
手持ち無沙汰というか、文字通りてが動かせないのでできる事が何もない。夕食を痛みに耐えながらスプーンで食べたあと、巧は部屋で考え事をしていた。
手を見つめていると、痛みとともに、ほんのりと猫実さんの肩の感触が思い出された。そして、喜んでくれた顔と怒った顔。こんな風に怪我をすることがあるのだなと、妙にしみじみと思ってしまった。教室にこもって本を読んでいるだけの学校生活を送っていた巧にとって、怪我をすることは懐かしいことだった。
誰かを、喜ばせたり怒らせたりして、心が揺れるのも懐かしかった。やはり、お助けカフェを始めた事が、自分を変えたのかもしれないと巧は思った。
今日こそ小説が書けたらいいのに。そう思って無理にでもペンを持とうとしたが、猫実さんの顔が思い浮かんで書けなかった。




