小さな肩
「はあ…疲れた。」
放課後、お助け部に戻ると、猫実さんが机に突っ伏してため息をついた。
「大丈夫ですか。」
巧はポニーテールに話しかける。
「昼休みにやったカフェの進行が…大変でした。」
猫実さんはくぐもった声で言った。参加者として考えていた巧も疲れたのだから、進行役として気を配っていた猫実さんはなおさらそうだろう。
「昼休みのことなのに、疲れが残ってますね。」
「そうですね…はあ」
猫実さんは突っ伏したまま、横を向いて巧を見た。その目が何ともいえずに、巧は戸惑う。
「あの…肩でももみましょうか。」
「へっ?」
猫実さんは突然声をあげた。
「あ、嫌だったら…」
「いいんですか?」
巧の声を打ち消して、猫実さんがぴょんと起き上がる。
「はい。」
そのままくるり、と外側を向いて、巧に背中をむけた。
「あ、じゃあ。」
「ありがとうございます。」
「はい。」
自分から言い出したのに、ものすごく緊張する。そっと、セーラー服の白い肩に触れる。猫実さんの肩は小さくて、巧の手にすっぽりとおさまった。生々しい体温に触れて、巧はさらに緊張する。こちらの表情は見られていないのが、救いだ。
そっと、手に力を入れてもむ。ただやり方もわからずに手を動かす。
「あー。」
「大丈夫ですか?」
「気持ちいいです。」
「そ、そうですか…これで合ってるかわからないんですけど。」
どうやら、このまま続ければ良いみたいだと分かった。続ければ続けるほど、手が疲れて、痛くなってくる。人の肩をもんだことなどあまりないから、実際にやって初めてその大変さを知る。開始早々、疲れてきてしまった自分が情けなくなってくる。いつの間にか必死になって手を動かしていた。
「きもちいい…です。」
巧の必死の表情を知る術もなく、猫実さんかうっとりした声でいう。
「巧さん方もむの上手ですね。」
猫実さんが軽く振り返る。ポニーテールの毛先が腕に触れる。その感触に、巧は息が詰まりそうになる。
「そ、そうですか。」
「はい。」
猫実さんはまた、前を向く。
「弱過ぎす、強過ぎず…何というか丁度よいです。」
「なるほど…。」
巧は調整してやっているわけではなく、必死にやっている。それで丁度よい、とは力が弱いからだろう。巧は疲れる手に合わせて、もみ方を変えたりして、何とか持ちこたえる。
そうするたびに、猫実さんがだんだん心地良さそうになってきた。
「今日の哲学カフェで…」
猫実さんはひとりでに話しはじめた。
「巧さんが言ってたことが、気になっています。」
「なんですか。」
返事が雑にならないように、丁寧に言う。それでいて、手の動きが散漫にならないように気を配る。
「小説を書く喜びって…」
必死になっているときに、そんなことを言われて、巧はさらに動転する。一方で、猫実さんは油断しきった声で話し続ける。
「私も自分で味わってみたいなあって思いました。」
「そうですか。」
猫実さんがまたくるり、と振り返る。巧もほほえんで、くすぐったい腕の感触と痛みに耐える。
「代わりに書いてくださいなんて言ってごめんなさい。」
巧は必死に首を振る。猫実さんの目は優しく、穏やかだった。どうしてそんなに素直に「ごめんなさい」と言えるのだろう。巧はいつも、猫実さんの基本的な言葉に心を動かされる。
「猫実さんが言った、私が書かないとなかったことになるっていう言葉が忘れられない、です。」
手は痛むどころか痺れてきて、感触も危うい。それでも巧はやめなかった。この会話ができているのは、この痛みがあるからだ。どれだけ痛くても、この小さな肩にしがみついていようと決めた。うつむきながら猫実さんの背中に語りかける。
「猫実さんって、本当にキャラクターのことを大切にしているんだな…って思って。」
「大切にし過ぎて駄目なんです。」
「どうして。」
「私、実は中学生のとき、小説のコンクールに応募したんです。」
それは聞いたことがない。巧は、聞き逃すまいと耳をすませる。
「一生懸命、賞をとってやるって必死で書きました。」
巧はそのときの、猫実さんの姿が簡単に想像できる。昼も夜も書いたのだろう。今の自分がしようとしてもできないぐらいの努力をして、書いたのだろう。
「本当に頑張ったんですよ。小説の書き方の本とか読んで、何度も書き直して。夏休みずっと。」
猫実さんは、腕を動かして、目のあたりを少しふれた。涙しているのだろうか。巧からは表情が見えない。
「でも、結果は落選でした。選評も一切なくて、次回作に期待しますって、言われちゃいました。」
巧はただ、打ちのめされて言葉を失う。
「才能がなかったんです。」
巧は、夜桜先輩が猫実さんが書けない理由をそう説明していたことを思い出す。
「そんなわけないです。」
必死に打ち消す。手の痛みが、強烈に胸に突き刺さった。
「いいんです、だって。それ以外に説明が…。」
猫実さんが、また目のあたりを軽く拭うように触れた。それなのに、声はずっと穏やかだった。
「才能がないとしか、説明がつかないじゃないですか。」
今度は、巧は打ち消すことができなかった。猫実さんはもう、自分でそうわかってしまったのだから。
ただ、猫実さんの肩をもむことしかできない。
「だからもう、言葉がなくて、描こうとすると思いつかないんです。」
それ以上にどうしようもないことはないかもしれなかった。猫実さんは自分で、自分の力でどうしようもないところまで行ってしまった。
「巧さんが、私の役目はお助け部を作ることって言ってくれて、うれしかったです。私にもまだ作れるものがあるんだ、って思って。今日のカフェでこれをいえばよかったな…。」
「そんな…。」
巧はもうほとんど力が入らないのに、手を動かし続けた。もむ、というよりただ、触っているだけだ。猫実さんはもう一度目を拭って、しばらく黙っていた。
それからふと、ふり返って、
「疲れてませんか。」
と言った。
「少し…。」
と巧は今回ばかりは隠しようがなかった。
「あ、じゃあ、これくらいでいいです。つい甘えて…長くなってしまいました。」
猫実さんの声と顔は晴れ渡った空のようにすっきりしていた。巧の方を向くと、目の前で、思いっきり伸びをした。
「見て、肩がすごい軽い! 生まれ変わったみたい。」
猫実さんは喜んで、肩を何度もくるくると回した。巧はそれが嬉しくて、ぼんやりと笑っていた。
「巧さん、肩もむのがほんとに上手ですね。」
「いえ、それほどでも…。」
巧は垂れ下がりそうな頬を必死で吊り上げるようにほほえむ。
「むっ。」
巧が軽く手を振ると、猫実さんの眉間にしわが寄った。
「手が…。」
「えっ。」
巧は反射的に、手を隠すように膝の上で重ねる。
「手が…。」
猫実さんはそれでも構わずに、巧の腕をつかんで手に取る。
「真っ赤…」
巧は自分で見ても明らかだった。赤く腫れ上がって、むくれていた。
「巧さんの手が…。」
猫実さんはもう一方の手もぶん取って、確かめる。
「大変です。」
猫実さんが確かめるように巧の手を触る。
「大丈夫?」
「感触が…ない。」
「も…もうう〜〜っ。」
猫実さんは巧の手を持ったまま、思いっきり目を閉じてあきれ返った。
「巧さんの、ばかです。ど、どうしてこんなになるまでっ…。」
猫実さんが手を持ったまま言葉を失っている。
「猫実さんと話したかったから…。」
というと、猫実さんはものすごく変な味のするフルーツを食べたかのように、なんともいえない顔で悶えた。
そして、かっと目を見開くと、
「巧さんは、ばかです。」
と言った。そして、巧の手首をつかんだまま立ち上がると、
「行きましょう。」と、言う。
「どこに?」
「保健室です。」
「え…」
こうして、巧は猫実さんにしっかり手をひかれながら、保健室に連行されていった。




