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クリエイト!(その3)  作者: 大塚
新しい始まり
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「ボクハナンチョウデス」

 クラス全体の動きが止まって、勝浦に視線が集まった。音が消えた。巧は自分の心臓がなる音だけを聞く。

 「本日、この高校に、史上初めての一大イベントが開催される。その名も、お助けカフェであるっ!」

 堂々とした古風な口ぶりで、勝浦は朗々と話した。皆、静かにして聞き入っている。

 「そして、その主催者の一人がここにいる。」

 勝浦が、眼光鋭く巧を見る。

 「浅野巧だっ。」

 名前を呼ばれる。巧は勝浦の目を見つめ返す。立て、と言われるまでもなく巧は立ち上がった。背中に大勢の人の気配を感じる。教壇を上って、勝浦の隣に立つと、教室が見渡せた。じっと、座ったまま巧を見つめる人。談笑している時の姿勢のまま、首だけ前を向く人。本から顔をあげて、興味深そうに目を細める人。不快そうにそっぽを向いて、教室から出ていく人。その全てが見渡せた。


 ああ、いつもと同じだ。と巧は思った。

 緊張を通り過ぎて、笑いたくなった。


 「この子は難聴なんです。」

 はじまりは中学生の時だった。入学したころ、巧は母と一緒に職員室にあいさつをしに行った。その一言を言うために。その時の担任の先生はどう思ったかは知らない。


 「じゃあ、クラスの皆にも、浅野くんから伝えてください。」


 その時からそれが自然な成り行きであるかのように、新年度の初めの一日に、特別な時間が作られた。


 「僕は難聴なんです。」


 クラスの皆の前で、巧はそう宣言しなくてはならなかった。その瞬間だけ、自分は特別な存在になる。これから、普段の会話をちゃんと聞き取れなくても変だ、と思われないように。席替えの時に、毎回変わらない前の席の名前があってもいいように。声にすぐ気がつけなくても、不快だと思われないように。むしろ、あまり声をかけられないように。


 「僕は難聴なんです。」

 クラスが変わるたびに言い続けた。一年間だけ続く魔法。効き目を取り戻すためには儀式が必要です。皆の前に立って「ボクハナンチョウデス」と、唱えてください。なるべく大勢の人が聞こえるように気をつけてください。あまり、悲しそうに言わないでください。魔法が効きすぎてしまいますから。そう、普通に、何も知らない皆にわかるようにちょっとだけ苦々しく言うのがいいでしょう。


 それが済んだらなるべく静かに本を読んで過ごしていきましょう。まるでそれ以外のことには気がついていないかのように、何かに夢中になりましょう。大丈夫です。魔法はあなたの背中をしっかり守ってくれます。一年間だけ。お一人でゆっくり過ごしてください。


 この魔法は本当に良く効いた。巧の学校生活は、平穏すぎるほど平穏だった。時々、魔法が効かない体育の先生や、他の学年の先生に叱られて理不尽な目に遭った。けれど、それ以外は至極、平穏だった。


 しかし、この魔法の最大の欠点は、巧自身もその意味を理解できないことだった。「ボクハナンチョウデス」


 難聴ってなんだ? 


 教科書にも辞書にもはっきりとしたことは書いていなかった。それは淡々と、耳の機能に障害が起こるメカニズムが書いてあるだけだった。そこには、なぜ自分には友達がいないのかについては書かれていなかった。どうやったら、聞き逃したことを「もういいよ」といわれずに、聞き返す方法は教えてくれなかった。目立ちすぎず、「人の話を聞け」と怒鳴られず、それでいて集団に溶けこんでいられる方法を教えてはくれなかった。


 だから、訳のわからない呪文を唱えるたびに、自分の心と、その呪文の意味するところがずれていった。その呪文を唱えるたびに、深まっていく心の溝を一人で見つめているしかなかった。


 だから、そんな問題に比べれば形だけで、皆の前に立つことなど、巧にとっては簡単なことだった。もう、何回目だろう。「この子は難聴です。」と小学校の聴力検査でわかってから、何年この魔法の中で生きてきただろう。


 ときどき、魔法が効かない人がいた。いや、効かないというより知った上で、その効き目を破ってくる人だ。巧よりも、この魔法の意味をよく知っている人。そして、その中にいる巧を、わざわざ現実の世界に引き戻してくれる人。


 「あなたは不幸だ」と、「あなたは弱い」と、「あなたはまあまあだ」と。そして「あなたは特別じゃない」と面とむかって言ってくれる人がいる。

 そして、何もなかったかのように、笑ったり、泣いたり、怒ったりしてくれる人がいる。



 勝浦が、巧の背中をたたいた。軽く押し出すように、そっとたたいた。

 その一撃で、長い間、巧を包んでいた透明な結界は崩れ落ちた。巧の視界をおおっていた巨大なガラスの壁が崩れ落ちた。壁の向こうにも、同じ景色が広がっていた。音はしなかった。代わり映えない、教室だった。何度も立ったことのある眺めだった。しかし、その見えない壁が割れた時、粉々になった破片が光を反射して一瞬、まばゆいほどに光った。巧は、その時に見えた光を、自分はこれから忘れることはないだろうと、思った。


 現実の世界で、巧は息を吸う。

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