今になって振り返る
猫実さんと二手に分かれて、巧は自分の教室に向かう。いつも早くきている生徒たちが数人座っていた。本を読んだり、宿題をやったりして、朝の時間を過ごしている。まずは、自分のバッグを席において身軽になる。
息を吐いて、振り向いて教室の後ろに並ぶ席を見る。巧の席は一番前の真ん中が定位置である。席替えをしたとしても、一つ隣に移るか、また戻るかぐらいである。前の席でないと、声が聞こえないからだ。そうして、ずっと前を向いていたから、別の席に座っている人に気を配ったことがなかった。どんな人が教室にいるのか。どんな部活をしているのか。どんな本を読んでいるのか。知らないまま、ただ前に座っていた。
話しかけなくてはならなくなって、やっと声をかけようとする自分が情けないと思った。同時に、話しかける資格などないと、思おうとした。けれど、猫実さんがくれたチラシを見ると、どうしてもたってばかりではいられなくなった。
教室の隅の方に、男子生徒がいる。優雅に自動販売機で買った缶コーヒーを飲みながら、教科書を開いて読んでいる。名前は覚えていないが、意を決して巧は彼に狙いを定める。チラシを持って、机に向かう。巧の不自然な動きに感づいたのか、彼も教科書をめくる手を止めて、巧と目を合わせる。まともに顔を見たことがない巧は、さらに緊張する。
「あの、おはよう。」
巧は、意識してはっきり発音した。声が小さくて届かない時があるからだ。
「おはよう。」
彼は軽く手をあげて、挨拶を返してくれた。巧はほっとして、ほおが緩む。彼が巧の持っているチラシに注目したので、さっそく一枚渡す。
「今日、こんなことをしようと思うんだけど。」
彼の広げた教科書の隣にチラシを置く。猫実さんが書いたすらりとした文字が、映える。白地に枠で飾った文字だけのシンプルなチラシだ。
「お助けカフェ?」
「あ、そう。職員室の前に机を置いて、みんなで交流できる場所を作った。…作りました。」
「あれ、お前がやったのか。」
彼は、目を見開いて巧の顔をまじまじとみた。
「う、うん。あの、お助け部っていう部活の活動で。」
「へえ…。」
彼はチラシの中の「お助け部とは」と書かれた部分を読み始めた。巧はただ、立ったまま待つ。しばらく沈黙の時間が続く。
「へえ…。」
読み終えたのか、彼は顔をあげてうなずいた。巧もただうなずく。何を言えばいいのか頭が真っ白になる。取り繕おうとして、必死に笑みを顔に貼り付ける。
へえ…。に対して何を返せばいいのか。
巧は必死に考える。小説のセリフを考えるときの脳を働かせた気がした。
「あの、よかったら遊びに来てね。」
「ああ、わかった。」
「うん。」
彼はうなずいて、また教科書に目を落とした。巧はその途端にどっと疲れが押し寄せてきた。周り人にも一人づつこうしないといけないのか…。




