明日は何とかなる
猫実さんの部屋に通されて、巧はまた感心する。大きな本棚がひとつあって、いろいろな本が収まっている。そのとなりには学習机。そして、白い布団のベッド。スペースはあるが、物は少ない。床に置かれているのは、立てかけられた竹刀袋と、防具のかばんぐらいだった。
「巧さんの座るところが、ない。」
猫実さんはちょっと待ってて、と巧を残してリビングの方に消えてしまった。巧は、また一人戸惑う。猫実さんの部屋を観察するのも失礼だと思いつつ、ついみてしまう。机に置かれている本や、整理の仕方など細かいところが気になる。整理が行き届いていて、思ったよりも猫実さんの生活感が見えない。
「はい、これ。」
猫実さんは折りたたみ式の薄い机と、クッションを持ってきた。それを床に立てて、二人で座る。
「思ったより、女子らしくないって思ってたでしょ。」
「えっ…。」
巧は見透かされて、面食らう。
「うふ、まあいいんですよ。さあ、始めましょう。」
猫実さんは買い物袋から次々と毛糸を取り出す。
「これ、切ります。」
巧は我先にと、手に取る。
「じゃあ私は、フェルトを丸く切りますね。終わったら私も毛糸を切ります。」
することが決まると、猫実さんはそばに置いてあった学校のカバンから、裁縫セットを取り出した。
巧はさっそく、毛糸の束の入り口を探す。先から十センチぐらいの長さで切る。
「このぐらいでいいですかね。」
「あ、はい。じゃあそれをたくさん作ってください。」
猫実さんはフェルトにペンで円を描こうとしている。直径が三十センチぐらいの大きさの円だ。折りたたみ式のテーブルでは窮屈なので、猫実さんは自分の学習机に座り直して、作業をすることにした。巧は、一人床に座って、糸を切り始める。
二人の間に、無言の時間が訪れる。黙ってこうしている時間は、猫実さんとの特別なものだ。何も言わないで、そばにいることに初めは戸惑った。お助け部で二人でいる時間は、そんな時間の一つだった。でも、慣れてくるとそれは巧にとっても、一番好きな時間になった。「巧さんの好きにしていいんですよ。」と猫実さんが言ってくれたからだ。最近は忙しいけれど、猫実さんの隣では、なぜかリラックスして小説が書ける。
猫実さんのお母さんが部屋に入ってくる。どうやら、手間をかけてアイスティーを入れてくれたようだ。氷が入ったグラスに、紅色のきれいな紅茶が入っている。
「お茶、どうぞ。」
と巧のテーブルにお盆を置く。小皿には、クッキーが何枚か入っている。
「ありがとうございます。」
巧は手を止めてお辞儀をする。
「ありがとう。」
猫実さんも手を止める。
「ごゆっくり。」
とだけ言って、お母さんはドアを閉めた。
猫実さんは学習机から降りて、床に座るとグラスを手に取って一口飲んだ。巧も、お茶を味わう。なかなか飲んだことがない甘酸っぱい感じの味がした。夏らしい味だ。
「どう?」
猫実さんが巧が切っていた毛糸を手に取る。
「まあ、一本ずつ切ってます。」
「はさみを借りていいですか。」
猫実さんが手を開いて巧の前に差し出す。巧は裁縫ばさみの取手のほうをその手のひらに置く。
はさみを手に取ると、猫実さんは自分の手に毛糸をくるくると巻き始めた。空色の糸が、猫実さんの手を包んでいく。十周ほど巻きつけると、手袋を脱ぐように、毛糸の輪を外した。
「これを切るの。」
輪の断面にはさみを入れると、同じ長さの糸が同時に切れた
巧は猫実さんのアイデアにはっとする。
窓の外の日がゆっくりと傾いてきた。猫実さんはフェルトの円を二枚作った。後で縫い合わせて、球にするのだ。巧も猫実さんが教えてくれた方法で、毛糸の束を順調に積み上げていった。猫実さんも巧が作業している小さなテーブルについて、フェルトの円を広げた。
「今度は、切ってくれたのを並べて貼ります。」
猫実さんはボンドのフタをあけて円の一番外側をなぞるようにそれを塗った。そして、巧が切った糸を数本とると、円の縁に貼り付ける。
「外側から貼ると重ならないですみます。どんどん貼ってください。」
巧も、糸を手に取って、フェルトに貼る。色とりどりの毛糸でにぎやかになっていく。色はバラバラでも、重ねるほどに調和していく。楽しくなって、巧は手が汚れるのも気にせず、毛糸をフェルトに押し付ける。小学校のころの図工の時間に戻ったみたいだ。小さいころに感じた楽しいことを猫実さんとやり直している。そんな感じだ。高校生になって、いつの間にかできなくなってしまったことだ。
毛糸が足りなくなる心配はあったが、なんとか二枚の円にまんべんなく毛糸を取り付けることができた。空色の中にカラフルな毛糸が散りばめられている、元気で爽やかな色だ。
猫実さんが立ち上がって、伸びをした。巧もちょっと足を伸ばして、深く息をついた。猫実さんは机を動かして、風にあたるように窓辺においた。後はボンドが乾くのを待って、縫い合わせて綿を詰める。
「後は私がやります。お疲れ様でした。」
猫実さんが巧の前の床に座って、にこりと笑った。
お母さんに夕食を食べていくか、と止められたけど、なんとか断って帰路につく。猫実さんは駅まで送ってくれるそうだ。夕方の空は、まさに二人で作ったコミュニケーションボールと同じ色をしていた。青い空に、夕暮れの淡い光が広がっている。雲は伸びやかに線を描き、壮大な模様を空に作っている。
その景色を見ると、ずっと作業をしていた疲れが吹き飛ぶような気がした。
「今日は楽しかったです。」
「はい、私も。」
猫実さんは大きくうなずいてくれた。
「猫実さんって、ものを作るの上手ですよね。」
「そうですか。」
「フェルトを切ったり、作る段取りも考えいるじゃないですか。」
実際、毛糸を貼り付ける作業は、平面のフェルトに貼り付けることで、手間が省けてきれいに仕上げることができた。もし、紙の球や、ビニールボールに貼っていたら、立体物を浮かせて作業しなくてはならず、大変だっただろう。
「ああいうのを思いつけるのはすごいです。」
「そっか。キュウちゃんの影響かなあ…。」
お助け部の部屋のポストを作った人だ。巧も会ったことがある。夜桜先輩と、同年代にして研究機関の所長をしている。奇抜な言動と、ノリのいいキャラをしたクレイジーなお姉さんと言ったところだ。
「中学校のころ、創作活動研究部っていう部活に入ってたんです。そこで、夜桜先輩とキュウちゃんに会って。」
三人だけだが、そうそうたるメンバーだと巧は思う。
「夜桜先輩は、小説を書いたり、本を作ったりしてて、キュウちゃんはいろいろ物を作ってて私も手伝いました。」
「楽しそうですね。」
「ええ、楽しかったです。納豆混ぜ器とか作りました。」
猫実さんが一人で笑う。
「納豆混ぜ器?」
「そう、キュウちゃん、納豆を何回混ぜたらおいしいのか研究してる時期があって、それで機械で測るために…。ふふっ」
昔のことを話す猫実さんはとても楽しそうだ。
「猫実さんは何か作ったりしましたか?」
「私はあまり。二人の手伝いをしていることが多かったかな。夜桜先輩は文章で、キュウちゃんは工作で。どっちも味わえて得だったかも。」
文系と理系の分野にまたがる二人の間で、猫実さんはとても多くのことを学んだに違いない。
「その時の経験が元で、私も何かを生み出せる人になりたいって思ってるんです。全然二人には及ばないけど。いつか何かを作ってみたいです。」
猫実さんの口調は、軽く熱を帯びていた。そういうふうに自分の中の物を話すやり方を巧は、覚えておこうと思った。
すこし先に駅の明かりが見える。猫実さんの歩みが心なしかゆっくりになる。巧も、歩幅をゆるめる。
「私は、何ができるんだろうっていつも思います。」
猫実さんは独り言のようにつぶやいた。巧はもしかしたら、聞き逃してしまうぐらいの声だった。何とか拾うことができたのは、猫実さんが考えていることが何となくわかったからだ。
「猫実さんは、もしかしたら形のなものを作っているのかもしれません。」
巧は、慎重に伝わるかどうか確かめるように言った。猫実さんは少しうつむいたまま、ゆっくり歩いている。夕暮れの暗い空気がやわらかく二人をつつむ。
「どうやったら、人を助けられるのか、ということを作ってるんじゃないですか。お助け部も、明日のカフェだって、はっきりした形はないけど、猫実さんが作った立派な作品です。」
違いますか。駅の前で巧はついに足を止めた。猫実さんは何だか嬉しそうに、笑っていた。何かを思い出したように、ふといつもの顔で笑った。
「そうですね。その通りです。でも…。」
猫実さんは、自分の手を腰の前で組んでしゃんと立ち直した。そして、巧を見る。
「お助け部は、私だけの作品ではありません。巧さんも一緒に作るんです。」
巧はうなずいた。その言葉だけで、今になってやっと明日は何とかなると思えた。




