息をして
「あの、金子先生に企画書直したいって言わないと。」
巧は立ち上がった。めずらしく、猫実さんよりも早く動き出した。
「ちょっと、巧さん。落ち着いて。変えるのはわかりました。それってどういう風にですか。」
戸惑いつつも、猫実さんは座ったまま掌を下に向けて落ち着くように示した。巧は、我に返ってもう一度、言葉を整理する。いいアイデアに、興奮してしまったことを反省する。猫実さんの目を見てなんとか、冷静さを取り戻した。
「カフェに人が集まりますよね。」
「はい。」猫実さんがポニーテールを揺らしてうなずく。
「その、集まったら、ただ雑談するんじゃなくて、ルールのあるコミュニケーションをするんです。何ていうんだろう…。剣道みたいな。」
巧が首をかしげると、猫実さんも鏡写しのように首をかしげた。剣道という例えが適切でなかったようだ。
「あの、ワークショップみたいにするってことですか。」
今度は巧だけ、首をかしげる。
「何みたい、って言いました?」
「ワークショップです。知りません?」
「わあくしょっぷ…。」
知らない単語なので、うまく聞き取れない。なんとなく猫実さんの発音を真似してみる。
「あの、みんなで集まって、一つのテーマについて、いっしょにやってみよう!という小さなイベントみたいなものです。」
猫実さんは「いっしょにやってみよう!」と手をグーにして軽くふりあげた。
「何を一緒にやるんですか?」
「例えば…」
猫実さんはほっぺに人差し指をつきさして上を向く。
「うーん、呼吸法?」
「呼吸法?」
巧はおうむ返しに、聞き返す。
「あ、はい。私、呼吸法のワークショップできます。」
「え。」
巧は立ったまま、呆気にとられる。猫実さんは立ち上がって、巧の目の前に立った。なぜか少し照れながらへらへらと笑っている。
「じゃあ、これから心が落ち着く呼吸法をいっしょにやってみよう!」
猫実さんはさっきと同じポーズでこぶしを軽くふりあげた。どうやらいっしょにやってみることが大事なようだ。
猫実さんは、足を肩幅にひらいて立ち直す。巧も真似をする。
「鼻からゆっくり四秒かけて吸ってください。いち、に、さん…」
猫実さんが胸をふくらませて、息を吸う。巧もその通りにする。思いきり息を吸うと、背中が伸びて意外なほど気が楽になった。
「二秒息を止めて…。六秒で吐きましょう。全部鼻からです。」
猫実さんは目を閉じて、数を数えた。巧は、目を開けて彼女のしていることをよく見る。三回ほど呼吸をくりかえすと、確かに気持ちが落ち着いた。部室が静かになって、凛と静かになる。猫実さんは最後の呼吸を吐き終わると、ゆっくりと目を開けた。その目が開く瞬間に巧は、引き込まれた。まぶたが開いていく。そして、視線がぶつかる。
ふと、猫実さんの真顔に出会って巧は戸惑う。いつもの、きりっとした雰囲気が取り除かれた、そのままの猫実さんの顔だった。朝起きたばかりのような、穏やかに油断した顔だった。たった一瞬だったが、巧はそこに自分の知らない猫実さんの一面を見た気がした。それが不思議だったのは、もしかしたら猫実さん自身も知らない一面のような気がしたからだ。
「どうでしたか。心は落ち着きましたか。」
「あ、はい。」
また時間が流れ始める。巧はもう一度目の前の猫実さんの声に集中する。
「これがワークショップなんですけど、呼吸法じゃなくていいんです。たとえば、何か物を作ったりでもいいです。巧さんなら、小説の書き方とかのワークショップの先生になれるかもしれません。」
「なるほど…。」




