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クリエイト!(その3)  作者: 大塚
夏が始まる
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きらきらしてる

「散歩でもしようか」

 先輩の言葉になんとなくうなずいた。しかし、「散歩」の準備は結構大がかりなものになった。先輩は家の奥から古い自転車を取り出してきて、「高さあわせてね」と巧に渡した。

 さび付いたサドルのレバーを引いて高さを合わせる。先輩はそのうちに水筒に麦茶を入れてきて、麦わら帽子を二つ持ってきた。水色のリボンと赤いリボンがついている。

 「熱中症にならないようにね。」

 と言いながら巧の頭にかぶせる。ありがとうございます、と言う暇も無いうちに、先輩は自分の自転車にまたがって空を見上げている。雲が豊かに立ちこめる、夏らしい空だった。高さを合わせたら今度は空気を入れる。さっそく汗が額を伝ってくる。でも、空気を押し込むほど、期待がこみ上げてきて巧は楽しい。

 「できました」

 「よし」

 先輩はうなずくと庭の門をあけて自転車をこぎ出す。巧は先輩の自転車を追う。麦わら帽子が飛ばないようにあごの下で紐を結んだ。走り出すと爽やかな風が体を包む。

 どこに行くのか、巧はあえて聞かなかった。聞いてしまうとなんだか楽しみが減ってしまう気がした。先輩もいつもより無邪気に「日焼け止め塗り忘れた」と笑っている。

 すっかり葉がついた桜の通りを抜ける。夏の道は木漏れ日を映してどこまでも続いていた。「春はこの道、桜がいいんだよ」と先輩は言う。巧はただ「はい」と言う。この町で人がどのように過ごして、どのように思っているのか。先輩はすらすらと語る。自転車のかごに入れた水筒がころころと笑うように転がっている。

 二人の自転車は川に沿ってまっすぐ走った。巧はどこまで行くのだろうと、銀色の自転車を追う。先輩の自転車の方がスペックが高いのか、先輩は涼しい顔でこいでいる。巧は息をあげながらついて行く。

 やがて川は海に出た。途端に、建物に遮られない青い天球が広がった。巧は思わず空を見上げる。吸い込まれそうな空だった。かすかに水平線が遠くに見える。自転車を止めて先輩は水筒を開ける。巧もまねをするようにもらった水筒の麦茶を飲む。冷たい感触がゆっくりと喉を通っていく。同時に潮の香りを吸い込む。

 「いいでしょ」

 先輩は得意げに笑う。前髪がすこし汗でくっついている。巧はただうなずく。海をこんなに近くで見たのはいつ以来だろうと思う。砂浜は無いけれど、堤防の向こうにきらきらと水面が続いている。空は目の前まで覆い被さっていて水平線が切れ目無く見渡せる。

 「ここから花火が上がるの」

 その言葉だけできれいだとわかった。

 それから海岸線に沿ってしばらく自転車を走らせると、大きな公園があった。そこに自転車をとめて、歩くことにした。水筒を手に持って、一面の芝生の道を歩く。木の香りと潮の香りが合わさって、とても爽やかだった。海の遙か向こうには別の街のビルや山がかすかに見える。車の音もなく静かで、時々飛行機が空を飛ぶ音が低く響く。

 「まあ、デートの下見として公園も見ておくか」

 二人で歩きながら公園を回った。原っぱが広がるすっきりとした公園だった。何も言わずに景色を眺めていた。言葉を失わせる静けさだった。いざ考えるとどういうふうに先輩に声をかけたら良いのか、巧はわからなかった。

 「たのしいですか?」

 思わず巧はそう尋ねる。

 「たのしいよ」

 と先輩は前を向いたまま言う。

 「僕ばっかり、よくしてもらって。先輩にはなにもできてないです。」

 先輩は巧の言葉を聞いて、ちょっと困ったように笑った

 「横にいるだけでいいんだよ」

 巧は、恥ずかしい気持ちになる。そんなふうに誰かと一緒に過ごしたことがなかった。静かな楽しみだった。風が爽やかに吹いて、暑さはいつの間にか和らいでいた。何も考えずに先輩の横を歩いた。

 「横にいるだけって、なんだか難しいですね」

 巧は照れながら笑う。

 「なにが難しいの?」

 そういう巧が面白くてたまらないと言うように先輩が声を弾ませる。面白がってくれるだけありがたいが、自分がなぜそんなに面白いのか不思議に思ってまた戸惑う。

 「なんだか、特別な日なのに普通にいないといけないみたいで。あ、誕生日なのに自分から『誕生日だよ』って言っちゃいけないみたいな感じ?」

 「ああー、ははは」

 先輩はよく笑う。いつも文藝部の奥で小説と向き合っている姿とはすこし違う。今日は難しいことを忘れて、思いっきり羽を伸ばしているみたいだ。


 「そっか、君にとっては特別なのか」

 先輩は遠くの景色をみる。ベンチがあったから二人で座ることにした。木のベンチは使い込まれていた。やわらかく新しく座る二人を受け入れた。

 すわると、青い空が体を包むように感じた。

 「いいなあ、特別って。」

 巧は、きょとんとして先輩を見る。先輩はゆったりとベンチの背に体を預けて深呼吸をする。まぶしそうに麦わら帽子を深くかぶった。

 「すべてがきらきらしてて。そんな目で世界を見たらきれいだろうな。良い小説も書けるだろうな。」

 先輩は目を閉じて、歌うように言う。麦わら帽子の影のしたに長いまつげが見える。

 「先輩だって。そんなに年も変わらないし」

 巧はなぜだか必死に、なって先輩を励まそうとする。

 「そうかな。」

 麦わら帽子の下で目がぱっちりと開く。そのまままっすぐ空をみて、先輩は手を伸ばす。長く白い指が空に向かって大きく広がる。

 「きらきらしてる?」

 ベンチによりかかかったままうつろな目で先輩は尋ねる。巧はわからなくて笑う。淡い影の下にある、白いまぶたがまた閉じる。

 「そういうのっていつか無くなるものでしょう。だから憧れるの」

 巧は、自分の中の心の火がパチリとともるような気がした。

 「僕は、今しか書けない小説が書きたい。」

 「そうだね。」

 「いつかうまい小説が書けるとかじゃなくて。下手でもいいから、今しかないものを書きたいと思う。多分自己満足ばかりだろうけど。」

 興奮すると声がふるえる。心から話すときはいつもそうだ。巧は、先輩のようにゆったりとすることもできずに言葉を探す。

 「そうだね。」

 先輩は、かみしめるように言った。麦わら帽子の下の目が巧を見てしきりに笑っている。なぜたか目を背けらない。先輩は声を出さずに笑いながら、おもむろに手を伸ばして巧の手に重ねた。巧は、息を呑んで先輩を見つめる。冷たい手が、巧の手を力強くぎゅっとつかんだ。巧はなされるままに先輩の力をしずかに受け止めていた。何かにしがみつくような強さだった。心臓を握られたかのように巧は感じた。それから、ふっと手の力が緩んで手がはなれた。先輩は目を閉じていた。手に、かすかな痛みだけがしびれるように残った。

 かすかに唇が動いて、先輩は何かをつぶやいたような気がした。巧にはわからなかった。


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