約束したけど
空の色は形容し難く、青い色がだんだん薄くなってきている。白い光が、日没の気配をうっすらと演出している。巧は何となく、通学路の石田畳の模様を目でなぞりながら歩いた。道端に捨てられたゴミや、黒い染みになった吐き捨てられたガム。わきに植えられている街路樹。どれも目新しいものはない。ただ、何かを考えるための背景のように日常を演出していた。
「夏休みまだまだありますね。」
うるさい車の音が背景でも、話していると分かれば聞き取れる。巧は猫実さんの声を聞きながら、歩幅を調整した。猫実さんも少しゆっくり巧に合わせるように歩いてくれた。
「はい。小説書きたいです。」
通り過ぎる人たちが、少し二人の並びを崩して歩き去っていく。当然のように巧はまた猫実さんの隣に並び直す。こうして自分が誰かに合わせて歩いていることに、少し驚く。猫実さん以外の生徒に対しては、帰り道が同じであっても歩幅をずらして歩いた。だから、こうして話していることが刺激的だった。
「それもいいですけど。どこか行きませんか。あの花火大会とか。」
言われていることが信じられなくて、上の空になってしまった。猫実さんの方を見ないまま、「いいですね。」と言った。
「あと、夏祭りもいいですね。」
猫実さんは、ぽんぽんと提案を続ける。そのすべてが別の世界の出来事のようで納得がいかない。まるで、小説のセリフを考えるみたいに、他の誰かの気持ちになって相槌を打っていた。どうして猫実さんはそんなことを言うのだろう。と考えてやっと、遊びが苦手だ、という発言が気を使わせているのだろうと察した。
巧は、どうしてか体から力が抜けるような気持ちになった。嬉しいのに、その気持ちがどこか場違いなような気がした。少し、歩きが乱れて猫実さんから離れてしまった。慌てて、一歩だけ小走りになって追いつく。
「楽しそうですね。」
「はい。」
猫実さんは、巧の目をしっかり見て言った。彼女と話していて、そうした細やかな仕草も、話を受け止めていることを示すサインなのだと知った。話の筋を意識することも、何となく笑うのではなく、ちゃんと微笑みかけるということも、猫実さんが教えてくれたことだと思う。誰も教えてくれなかったけれど、そうだからこそ巧は愛おしいと思う。そんな小さなことが、自分の心を少し明るくするのだ。
「私の街では、今度花火大会があるんですよ。」
「へえ。」
「海から上がる花火です。金色がきれいな花火で、、、」
少し想像できない。ただ、一緒に行けたらいいな、とだけ思った。それだけで楽しいに決まっている。
「行きましょう!」
巧は勢いに任せてそう言った。
「はい」
巧の勢いに、答えるように猫実さんも強く肯く。
猫実さんは、電車の中で集合時間など簡単に教えてくれた。電車の音に紛れて、少し聞き取れなかった部分があった。
「じゃあ巧さん、あとでメールしますからね。待っててくださいよ」
「はい」
帰りぎわ、猫実さんはそう言って電車を出て行った。見えるか見えないかのところでもう一度猫実さんは手を振った。巧も急いで手を振り返す。そのときには、ボニーテールが見えた。
次の日。青い空の下、巧は俯いて自分を悔やんだ。
「 ・・・」
「・・・」
片方は呆れて言葉が出ない。もう片方は、申し訳ない気持ちが出てきて言葉が出てこない。普通ならセミの声がいっそう二人の間の静寂を際立てるのだろうが、巧にはあまり聞こえてこない。聞こうとして耳をすますと耳鳴りがしてきた。
「で、何で私なんだ」
おかげで、頭の上から降りかかってくる声に反応するのが遅れた。慌てて顔をあげる。
夜桜先輩は、真っ直ぐに巧を睨みつけながら、腕を組んだ。鋭い目に射抜かれて、いっそう場を離れたくなった。
「あの、電話で言ったんですけど、わからなくて ・・・」
「はあ」
先輩は、腕を組んだまま、またため息をついた。
猫実さんと花火大会の約束を取り付けた後、巧は「やっぱり分からない」と、とてつもない不安に襲われたのだった。当然、夜は眠れず、『花火大会がわからない』というタイトルでエッセイを一本ノートに書いてみたが、わからなかった。そのエッセイの結論は、楽しむ気持ちがあれば大丈夫、ということになっていたが、今思い返すと当たり前過ぎる。その流れで、夜桜先輩に電話してもうまく伝えることができず、結局「会って聞いてあげる」という返答を得た。優しい言葉なのかもしれないが、巧は首を洗って出てこいという意味なのかもしれないと思いつつ先輩の元を訪れたのだった。
家とは思えないほどの、立派な構えの建物と、綺麗に整備された庭を背景に仁王立ちする私服姿の先輩は、学校で会うよりも雰囲気がある。文藝部の部室よりアウェーである。というか、夜桜先輩の自宅である。
「つまり、ネコと一緒に花火を見にいくことになったんだね。よかったね。」
「はい。そうなんですけど。」
夏の空の日差しが、巧の首の裏を焼く。玄関の日陰に立つ先輩は壁に手をついて寄りかかっている。このままだと門前払いになりそうなので、急いで言葉を捻り出す。
「そういうの初めてで、どうしたらいいんですか。」
「別に普通にいればいいんだが。」
先輩は、少し口をすぼめて、どこがおかしいのと言った。
「その『普通』が、わからないんですけど。」
「今、君は普通にいるじゃないか。」
先輩は巧に掌を向けた。思わず自分の姿を確認する。半袖シャツに、半ズボンにサンダル。何の工夫もない服装だが、これでも人に会うために気を使って選んで来たのだ。しかし今となっては選んできて、パッとしないということがとても恥ずかしい。
「これって普通なんですか。」
「うん。」
「うーん」
巧は、口を曲げて首をかしげる。先輩の方も、ため息をつきながら、髪をかきあげる。自分の言っていることが自分でもわからなくなってくる。そろそろ暑さで頭も回らなくなってきた。
「よし。」
先輩は一人で合点がいったようだった。
「今日1日私と付き合え。」
巧は口を開けたまま、腰が抜けそうになった。




