第一回! お助けラジオ
金子先生が大げさなロックを押し下げる。分厚い防音室の扉が音もなくゆっくりと開いた。どこかで嗅いだことのある匂い。音楽室のあの薄い布でできた絨毯のような匂いがする。中は薄暗く、小さな窓から外の日差しが入る以外の光源はない。もう一つ扉を開けると大きなガラスの目の前に、様々な意味を持つボタンが台の上に並んでいた。巧が猫実さんを見ると、息をのんで金子先生の言葉を待っている。目は輝いていて、わけもなく真剣である。巧には、何に真剣になればいいのかわからない。
「これを押すと、学校全体に声が流れる。」
金子先生の言葉に、身がすくむ。突然、心臓の動きが早まって手に汗が滲んでくる。心なしか、お腹のそこも冷えて、痛くなってきた。猫実さんは、黙って金子先生の説明を聞いている。
放送室に入るためには、かなり厄介な手続きがあった。金子先生に言っただけではダメで、放送部の顧問の先生や校長先生にも説明しなくてはいけなかった。その度に、猫実さんが「お助けラジオ」の説明を彼女なりの言葉で懸命にしていたのが耳に残っている。おかげで、申請書は巧が書くことになったのだが、スラスラと猫実さんの考えていることを紙に移すことができた。やっと許しが出て、今こうして放送室にいる。
「まあ、今日は学校に誰もいないから、練習といっても話す練習ぐらいだけど」
「はい。」
猫実さんが、コクリと頷く。
「巧さん、お話ししましょう」
猫実さんは、机の下から丸いすを引き出して早速、話す準備に入った。金子先生は、奥に備えられているソファに軽く腰掛けた。巧は、二人の表情を確認してから猫実さんに向き合う形で、席に着いた。心が、状況についていかない。話す練習って今更何をするのだろう。猫実さんの目を見ると、オレンジ色の照明の光が写って光っていた。
「えーと、では」
猫実さんが咳払いをする。巧は思わず、姿勢を正して座り直す。
「第一回、お助けラジオを始めます。」
「いえーい」
金子先生が、パチパチと嬉しそうに手を叩く。
「第一回の相談者は、巧さんです。」
「ええっ」
「いえーい」
巧は、赤くなって二人を見直す。どうやら逃げ場はない。
「今回の相談は何でしょう」
猫実さんは、巧に見えていない何かが見えているかのように、首をかしげる。
「えっと、これ始まってるの?」
「はい。」
「うーん」
「・・・」
「・・・」
考えているうちに、沈黙が降りてくる。これラジオだったら絶対放送事故だろう。巧は、焦りに身を任せて言葉をひねり出す。
「実は、私、遊ぶのが苦手なんです!!」
「・・・」
猫実さんは、少し巧の勢いに気圧されて黙った。巧は、自分の発言に後悔した。
「た、巧さんの一人称って「私」でしたっけ」
声が空回りするように、わずかに震えている。巧の方にも緊張が伝播してきて、思っていることが言えなくなる。奥で金子先生が笑いを堪えるように震えている。
「いや、すいません」
首筋が燃えるように熱い。耐えられなくなって巧は俯く。
「カットォォ!! なんだ君たちは。全然はお悩み相談になってないぞ。」
金子先生がたまらず立ち上がる。
「すいません。」
巧は、全身が重くなって机に突っ伏した。
「疲れました。小説書くより頭使うんですけど・・・」
「あの巧さん。」
猫実さんが、巧の肩を揺さぶる。
「原稿、作りませんか。」
巧は、何とか身を起こして、猫実さんの顔を見る。
「いいんですか」
「それがいいと思う」
金子先生も、頷く。
「生放送って全部アドリブかと思っていたんですけど。」
「そんなことないよ。みんな練習してる。」
「知らなかった・・・」
巧は、驚くが、少し安心する。座り直して、金子先生の声に耳を傾ける。
「あと、普通に話すみたいにラジオで話したらダメだ。聞いている人は、君たちの声しか情報がないのだから。声も普段よりはっきり、沈黙もNG。」
「話し方も練習しなきゃですね」
猫実さんが、しんみりと膝に手をのせる。
「台詞だけで、小説を書く感じ?」
「そうだねぇ。君は何でも小説で考えるんだ」
金子先生がクスクスと笑う。
「いや、原稿書くなら、小説の練習になるかなと思って。」
「あ、私も一緒に書きます。」
猫実さんが軽く手をあげる。表情は柔らかく緩んでいる。巧もつられて、頷いた。
「あの、話し方なんですけど、放送部の方に教わるのはどうですか。」
猫実さんが、金子先生を見上げて言った。前髪がさらりと額から滑り落ちる。
「いいと思うけど、夏休みが終わってからだね」
「はい」
猫実さんは、返事をすると巧の顔を伺った。
「巧さんも練習ですよ」
猫実さんが、目を細めてゆっくりと笑った。笑顔が向けられたことが、嬉しくて巧は否定できなかった。




