第九十六話 彼の役割
「そんな……カレンちゃんは……」
「もう、いないよ。何処にもね」
侵入者の小娘が発した蚊の鳴くような声に、今回の事件の首謀者である彼女は突き放すように答えた。
目的の儀式は侵入者を式神に任せている間につつがなく完了していた。
その結果がこの肉体。かつて孫娘のものだったそれが、現在の彼女の肉体だった。
壊れかけの体を捨てて、若い体に力と意識を移す。端的に言えば「体の乗っとり」である。
己の血筋に連なる者であり、西洋の魔法使いである母からその才能を受け継いでおり、尚かつ若い。孫娘はまたとない器だった。
この儀式、主に参考になったのは式神。そして西洋の魔法におけるゴーレムだ。
共通項は魔力と意識を物体に宿す手法であり、命令を与えて従わせる術である事。それらはこの、他人の肉体に力と意識を移し変える術の研究に大変参考になった。
人体に合わせて術式を組み替え応用するには中々骨が折れたものだ。
不老不死とはまた違うものの、充分上出来といえる結果であった。
それに不老不死はこの体で研究をすればいい。駄目なら再度儀式を行えばいい。そんな考えもあった。
これでまた、統率を続けられる。研究を続けられる。生を続けられる。夢を続けられる。
心中は溢れんばかりの歓喜に満ちていた。あまりの機嫌の良さに、若い少女には似合わない歪んだ笑みを浮かべていた。
ただ、いつまでもそうしてはいられないと、彼女は周囲に険しい視線を巡らせる。
邪魔しようとした子供達に仕置きをしなければならないのだ。
まず一人目は、すぐ目前にいた。
つい先程は嬉しそうだった小娘だが、今は床に膝をつき、顔を伏せていた。体も震えている。
戦意喪失しており、手を下すまでもない。実に情けない姿だ。
となれば注意を払うべきは小僧二人だが、彼らは上に残ってこそこそと相談しているようだった。
内容は聞き取れない。
この体を傷つけてでも戦い、捕まえる。そんな相談か。だとしても即断即決で行動しない辺りに経験不足が感じられる。実力で返り討ちに出来るだろう。
両者の気の抜けたような表情が気にはなったものの、彼女は警戒に値しないと判断した。
*
穴の縁から階下を見下ろす少年二人。
彼らは例え聞かれたとしても、彼ら以外には意味が通じないだろう会話をこっそりと交わしていた。
「……御上君。あれってさぁ、あれだよね?」
「……言いたい事は分かる」
「……じゃあさ、前みたいな感じでいける?」
「……ああ、問題ないな」
「……んー、でもなぁ、こういうのは観鳥さんの呼びかけとかで自分から起きてもらうのがお約束だと思うんだよなぁ」
「……そんな事にこだわっている場合ではないだろう。札は頼んだ」
「……うん。まあ、仕方ないか。仕方ない……んだよなー」
「さっさとしろ」
「ん。分かった」
そして彼らは行動を開始した。
*
「さて、この体を試させて貰おうかね」
彼女は準備運動を兼ねて先手を打つ事にした。
通話に転移。既に幾つかの術を使っているが、発動までがぎこちなく、本調子には程遠かったのだ。
彼女は懐から幾枚かの呪符を取り出し、周囲にばらまく。
僅かの間の後にそれらは式神へと変化した。武者、獅子、烏、蟹、数多くの従順なしもべたちへと。
己の配下がずらっと並ぶその光景を見て、快感にも似た感情が生まれた。
しかし同時に一つの疑問も生じた。
未だに多くの呪符が宙を舞っていたのだ。
術が失敗する程調子が悪いのか。
思いついたが、瞬時に否定する。
それらは己のものではなかった。それどころか見たこともない形式の呪符だった。
そこに理解が及んだ途端、式神には呪符を残らず排除するよう命令を下す。
武者が握り潰し、獅子が噛み千切り、烏が嘴で穴を空け、蟹が鋏で切り裂く。
そんな式神群の猛攻を、するすると避けていく一枚があった。それ自体に意思があるような滑らかな動きだ。
奇妙な呪符はとうとう全てを潜り抜け、彼女の額に張り付く。
それに反応した彼女が己の腕で払う前に、男のよく響く低い声が降ってきた。
「浄」
その瞬間。
彼女の時間が飛んだ。
そうとしか思えないような感覚を味わった。いつの間にか景色が変わっていたのだ。
配下の式神は視界から消えており、床が遠く天井が近い。
上方に吹き飛ばされたのか。
しかし、いつまで経っても景色は変化しない。落ちずに宙に留まっているというのか。
確認したかったが、動けなかった。身じろぎ一つどころか、視線すら動かせなかった。ただただ無力だった。
理解の及ばない現状に、混乱と困惑は頂点は達する。
そんな折、先程と同じ低い声が聞こえてきた。今度は何故か下からだった。
「確かにあなたは才能溢れる上に研究を重ねた傑物だ。よくここまで辿りついたと思う。汚れた手を除けば尊敬に値する。……だがな」
皮肉めいた称賛の言葉は徐々に近づいてきていた。つまり上ってきているらしい。混乱に拍車がかかる。
声の主は彼女の視界に頭から現れ、やがては全貌を見せた。
厳しい目つきの端正な顔。正体は小僧の内の一人だった。
だが体が半透明だった。それに空中に浮いている。
まるで幽霊。
そんな素直な感想を抱いた。直後、己もまた似たような状態なのではないかと思い至る。
ならば、己と少年の違いは何だ。
何故彼は自由に動いて、己は動けないでいる。
答えは彼女の中には存在しない。それでも彼女は考え続ける。
一方、目の前で停止した半透明の小僧は、凄みを効かせた表情で重々しく告げてくる。
「そこは俺達の領域だ」
言葉と共に、半透明の鋭く尖った腕をつきつけられた。
その瞬間、彼女は理解した。
己の命は少年が握っている事。
己が知らなかった術を扱う集団が存在する事。
彼らにはこの分野において勝てない事。
踏み出してはいけない領域に足を踏み入れてしまった事。
それらの様々な事柄を、一瞬で否応にも理解させられた。
かくして壮大な夢は崩れ去る。
音もなく静かに、欠片すら残さず綺麗さっぱりと。
*
最低限の家具が揃うだけの質素な部屋に、二人の少女がいた。
一人はベッドに横たわり、もう一人はその脇に座って見守っている。
窓から見える景色は薄暗いが、明かりはついていない。
薄暗い中、座っている方の少女はじっとしていて音も立てていない。この室内では静かに時が動くばかりだ。
やがてベッドに寝ていた少女がゆっくりと目を開いた。
「……んっ、ここ、は……?」
「気がついたね。大丈夫、カレンちゃん?」
「……えっ……と、うん。大丈夫、だよ」
「よかった……」
ぎこちなかったものの、呼びかけに返されたのは確かにカレンの声。
アンナは何もかもが元通りになった従妹の声を聞いて胸を撫で下ろすと、きつく力を込めて抱き締めた。
カレンも少しの戸惑いを見せたものの、腕をアンナの背中に回してくれる。
一時は本気でもう会えないと思っていた。
だからとめどなく涙が溢れてくるものの、それを拭うことすらせず、しばし従姉妹はお互いの暖かさを味わっていた。
ここはアンナの家、カレンが寝泊まりしていた客室である。
気を失ったままのカレンを連れて研究施設から脱出してから数時間。
とりあえず事件は解決し、終息に向かっていた。
それというのも首謀者が別人のように大人しくなり、素直に罪を認め捜査に協力的でいるからだ。
初めは、何か裏があるのでは、と大勢に疑われもした。だが供述に嘘はなく、部下も本気で戸惑っていたので、一応信用されている。
原因は儀式の失敗による精神的なショック。
と、いう事になっている。
透人が先頭に立ってそう誤魔化したのだ。だから真相を知るのは三人だけである。
とはいっても、アンナは最後に清慈郎が何をどうしたのかよく分かっていない。
カレンの祖母の異変についても意見が別れていて不明。透人は清慈郎のせいだと断言し、容疑者は後遺症が残る筈はないから他の要因だ、と反論していた。
分からない事ばかりでアンナの頭はパンクしそうだった。
魂を一度抜いて正しく戻したと説明されたが、そもそも魂が何なのかがよく分かっていないのだ。ただ、魂が視える透人もよく分かっていないらしい。彼は「まあ、助かったって事実だけあればいいんじゃない?」と呑気に言っていたので、アンナもその通りに思う事にした。
そして今はジニーや協会の魔法使いが本家やあの地下空間を調査しており、アンナ達にはひとまずやる事はない。
いずれまた色々と話を聞かれるかもしれないが、今日のところは休んでいいとの事だった。
だからアンナは自宅でカレンの目覚めを待っていたのだ。
アンナはカレンから離れ柔らかい表情と優しい声音で尋ねる。
「もう動ける? 歩けそう?」
「……うん、大丈夫」
「じゃあ、行こう。二人が待ってるから」
答えを受け取ったアンナはカレンと連れだって歩く。
目的地はリビング。その扉を開けるとソファーには透人と清慈郎が座っていた。
透人は無表情で用意しておいたスナック菓子を遠慮なく食べているが、清慈郎はそわそわとして落ち着かない様子だった。
対照的な待ち方をしていた彼らだが、アンナ達に気づくとほぼ同時に顔と声を向けてくる。
「ん、起きたの?」
「……視たところ大丈夫そうだが……体に異変はないか?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます。……それと、今回はご迷惑を――」
「あぁ、いいよいいよ。俺は俺で理由があって動いたんだし」
「気に病む事はない。当然の仕事だ」
頭を下げるカレンの謝罪を、二人は受け取ろうとしなかった。
とぼけたものと堅いもの。それぞれ異なる顔つきと口調だが、共通して気遣いではなく本気で言っているような雰囲気だ。
アンナは有難い気持ちで胸が一杯になる。
「二人とも……」
そのせいで言いかけた言葉が詰まって途切れた。
ごめん、なんて謝罪は求められていない。それはいつかも言われた事だ。
だからアンナは、いつかと同じようにとびきりの笑顔でお礼を言う。
「二人とも、本当にありがとう!」
「いやいや。こちらこそ、色々と助かったよ。ありがとう」
「…………ああ、俺も助かった。感謝している」
何故だかお礼合戦になった。
透人は無表情で気安く。清慈郎は顔を背けてぶっきらぼうに。正に三者三様。
そんな光景を見てキョトンとしていたから少し遅れたものの、カレンもまた礼儀正しく「ありがとうございます」と言った。
それからアンナとカレンは声をあげて笑う。何だかとても可笑しかったから。
自分では止められなくて、しばらく笑い声は続く。やっと収まったのは笑いすぎてお腹が苦しくなってきた頃だった。苦しくても久しぶりの良い気分だった。
落ち着いてくると周りを見る余裕が生まれる。ボーッとしている透人とそっぽを向いている清慈郎が目に入った。二人の女の子が思いっきり笑っていたのに、やっぱり二人とも相変わらずだ。
そう思っていたのだが、ふと清慈郎の異変に気づいた。何だか顔がやけに赤いのだ。
最後に頑張り過ぎたせいかもしれない。
アンナは清慈郎に顔をずいっと近づけた。至近距離、息がかかるような位置にの顔がある。
「大丈夫?」
「……あ、ああ。いや、……ゴホッ、ゴホッゴホッ」
すると清慈郎は素早く体ごと向きを変え、何度もむせた。
アンナは心配になり、重ねて「大丈夫?」と声をかけながら背中をさすった。しかし、彼は更に激しくむせてしまった。
アンナがどうするべきかと困っていると、耳に淡々とした声が届く。
「観鳥さん、悪化してるからやめてあげて。放っておけば勝手に回復すると思うよ」
「アンナちゃん……やっぱり変わらないんだね」
二人の声に振り返った。
透人はよく分からないいつもの真顔だ。カレンは何だか残念そうな顔、でも小さく笑ってもいた。
二人の台詞の意味がよく分からなかったアンナはどういうことなのかと訊くが、とぼけられて求める答えは得られない。
ただ、そうこうしている間に後ろからのゴホゴホが消えていた。清慈郎は透人の言う通りに落ち着いたらしい。
無事に治って良かったと思う。
おやつがあって、お喋りがあって、笑顔があって、騒がしい。
これは友達と遊ぶ普通の夏休みの風景だ。
そう感じてアンナはにこやかに笑い、そして改めて実感した。
カレンの、そして日常の奪還に成功したのだと。




