第九十五話 迷路の入り口
地下深くに造られた土壁の通路。戦場となったそこは壁や床、天井が無惨にも崩れており、灯りの炎も少なくなっていた。
その破壊の元凶たる九つの尾を持つ怪物に、金属の棒を構える清慈郎が数メートル離れて対峙していた。
整った顔立ちの少年は怪物に対する怯えの見当たらない仏頂面のまま、軽やかな動きで距離を詰めていく。
やがて炎を纏う尻尾が彼めがけて繰り出された。圧力と炎熱が殺到し、周辺の空気が荒れ狂う。
しかし清慈郎は眉一つ動かさずに足を動かし続けた。
代わりに反応したのは後方に控える男女二人だ。
「俺が壁。観鳥さんは炎お願い」
「わかった。任せて」
交わされたのは手短かつ早口の、しかし余裕がある雰囲気の会話。
直後に彼らはそれぞれの役目をこなす。透人が前方右側と左側に頑丈な土壁を出現させ、アンナが冷風を浴びせかけた。
防壁が尾の衝撃を受け止め、冷風が炎を吹き飛ばす。風は前方の清慈郎も巻き込むが、彼は冷気を遮断する空気の層を纏っており無事である。
かくして攻撃は阻まれ、前へ進む道は開かれた。
「せいじろうくん、頑張って!」
「ああ」
清慈郎は後ろからの援護と声援に応え、己に課された役目を為そうと足を強く踏み込む。
そして間合いに入るやいなや両腕を鋭く降り下ろし、狐の頭を棒で打ち据えた。鈍い打撃音が鳴る。
普通の生物なら致命傷。それでなくとも痛みで悶絶するところだ。
しかし式神とやらには痛感がないのか、怯みすらしなかった。反撃の為、狂暴な牙の揃った口を開いて突撃してくる。
しかし牙の到達前に横からの突風が清慈郎に届いた。それに合わせて足を捌き、素早く噛みつきを空振りした敵の右側に回り込む。
次なる狙いは胴体。素早く腕を引き絞り、体の捻りを加えて突きを放つ。すると尖った武器の先端が深く刺さった。
だがやはり式神である狐は怯まない。脚に力が込められ、床がひび割れた。全身での体当たりをするつもりだろう。
清慈郎は避けようとする。が、その前に後方からの援護が先手を打った。
狐の右前肢が、前触れもなく空いた穴に落ちたのだ。
怪物の体が傾き、清慈郎から離れていく。
その動きに合わせて棒を引き抜いた。そして隙を見せている間に数発の打撃を与え、カウンターに襲われる前に距離をとる。
そして構えを取り、次の攻撃の機会に備えた。
清慈郎は手にしたばかりの武器を扱っていたが、その動作は板についたものだった。
理由は数多くの実戦を潜り抜けてきた事であるが、それに加えて、清慈郎が幼い頃から行ってきた悪霊退治に備えての鍛練にもあった。
鍛練には魂だけでなく肉体の鍛練も含まれる。その為戦闘訓練の一環として、日々剣術の稽古をしていたのだ。
勝手は違うものの、魂を刃へと変化させたりそれを振るったりする時も、剣術のイメージを元にしている。
棒を竹刀や魂の刃の代わりに使いこなしながら、清慈郎は改めて実感していた。
今まで積み上げてきたものが血肉となって活きている。
最初は他人に与えられたものであったとしても、現在は確実に自分自身の持ち物となっている。
それをどう使おうと勝手。どう解釈しようと勝手。
だから清慈郎はもう迷わない。
力なき弱者を助け、力ある悪を挫く。その悪が何者であったとしても。
力ある者の責務を果たす。
これは清慈郎が彼自身の意思で選んだ戦う理由であり生き方そのものだ。誰にも文句は言わせない。胸を張って宣言出来る。
これでは最初の位置に戻ってきただけである。ここしばらくの迷いはなんだったのだと言いたくなる位の簡単な答えだ。
ただし重みが全然違っていた。疑問も持たずに仕事をこなしていた頃にはなかった覚悟と責任があった。
全て遠回りのおかげだ。
そして遠回りはついでに他の恩恵ももたらしてくれた。
頼れる協力者。二人の魔法によるサポートである。
透人がかかる重力を軽減しているので体が軽い。アンナが風で背中を押してくれ、炎が発する熱を防いでくれる。
つい先程まで役立たずだった男の全力を、二人も全力で支えてくれる。
見つけた答えを胸に、定めた目的に真っ直ぐ向かう清慈郎。援護を有り難く思いながらも、より戦い易くする為に少しばかりの調整を求める。
「もっと重くていい! 風ももう少し早めで頼む!」
「分かった。調整してみるー」
「任せて! せいじろうくん!」
返事の直後に変化が生じた。
透人から受け取った武器がずしりと重さを増したのだ。楽に扱える範囲から脱してしまったが、使命と責任の重みはこんなものではない。
感触を確かめ、手に馴染ませる。
そこに式神の自動車のような突撃。時間差で尻尾もしなる。
それらは予想通り、タイミングよく発生した壁が受け止めてくれた。
すかさず間合いに飛び込み、重量を最大限に活かして殴る。
そしてナイフのような爪に引き裂かれる前に、急に吹いた横風の勢いを借りて横っ飛び。再び距離をとった。
一撃離脱。
この三人が立てた基本的な戦法を着実にこなす清慈郎は、要求に応えた二人へと優しさのある大声を発した。
「助かった。この調子で頼む!」
「オーケー」
「うん、分かった。頑張ってね!
未だ清慈郎の傷は無いに等しい。ただし一歩の間違いで全てが終わる可能性すら有り得る。
しかも己の責任をようやく自覚し始めたばかりの女と、どうにも気に食わないとぼけた男に守られての立ち回りである。
ただし、ただ守られるだけではなく互いに支え合う戦いだ。
案外悪くない。
そんな感情を心の奥底で抱いて口元を緩ませながら、それに気づいて首を横に振りながら、清慈郎は矢面に立ち続けた。
*
「せいじろうくん……」
アンナは隣にいる透人にも聞こえないような小さな呟きを漏らしていた。
ただし、どんな感情による呟きなのかは本人にも分からなかった。今までに感じた事のないような心のざわめきが起こったのだ。
心配か、不安か、罪悪感か。
思いついた候補とはまた違う感覚だった。特に罪悪感は間違っている。
清慈郎はアンナの代わりに戦ってくれている。
とは、思ってはいけないのだ。
武器での戦いに慣れた清慈郎が最前線に立ち、アンナと透人がそのサポートに集中する。
これは適材適所だ。それぞれが自分に適した事をこなしている。
決して甘えではない。
協力に感謝はすれど、負い目を感じるのはかえって侮辱になるのだ。
だからアンナは声援を送りながら魔法を行使する。それも己の役割と信じて。
また、感謝する事は戦闘への協力だけではなかった。
箒で空を飛ぶ際に使う風の魔法。事故があった時に備えての魔法。戦う魔法の中で真っ先に習得した防御の魔法。
それらがちゃんと役に立っている
遊ぶ。助ける。防ぐ。傷つける事が目的でない魔法。だからこそアンナは思う存分力を発揮出来る。
その事実に気づかせてくれたのだ。
ずっと平穏な現状に甘えていた。
カレンの窮地に直面して、このままではよくないと思った。
でも、今までを全否定してはいけない。
優しさや遊びも大切な事に繋がっているのだ。
これから物騒な魔法を勉強していくとしても、絶対に忘れてはいけない。
それがアンナなりの信念と覚悟だった。
清慈郎も透人もそれぞれの信念と覚悟で戦っている筈だ。
「うん、上手くいってる。大丈夫」
アンナは呟きの正体究明を棚に上げ、安心した声を出した。
一歩一歩確実に着実に、戦闘は進められている。
心配はいらない。カレンも含めて皆で無事に帰る事が出来る。
アンナはそんな明るい未来を確信した。
だが、もの言わぬ式神の反撃は唐突に始まった。
作戦を遂行し続ける清慈郎の前で、巨大な狐の全身から青白い炎が噴き出したのだ。
今までで最大規模の炎熱。通路にどんどん広がっていく。アンナによる風も効果が薄い。
逃げ場所がない清慈郎はいいように炙られていた。今は空気の層に守られているが、いつまでも保っていられるものではない。
何か新しい手を打たないと。
アンナは考え、急いで実行に移そうとした。
だがしかし、またも先手は相手側だった。
「ぐうっ!?」
いきなり尻尾が床から出現し、清慈郎を景気よく上方向へと打ち上げてしまったのだ。
直前までその挙動は見えなかった。炎を目隠しにした上で床下を通ってきたからだ。透人も気づかず防御出来なかったようだ。
清慈郎は天井にぶつかるも、そこで止まらずに貫通して上階へと消える。そこを鞭のようにしなった尻尾が追った。
二回目の直撃を受けたら清慈郎はどうなるか。
考えるまでもない。
遅かった。失敗した。間違えた。
後悔が押し寄せ、冷静さを失ったアンナは穴の真下へ駆け寄ろうと足を急がせる。
「止まって!」
その足を、透人の滅多にない大声に驚いて反射的に止めた。
直後、式神の足元に幾つもの穴が現れる。とうとう残る箇所は僅か、もはや床とは呼べなくなった。
それでは巨体の体重が支えられる訳もない。足場が崩れ、乗っていた怪物もろとも階下へと落ちていった。清慈郎を追いかけた尻尾も見えなくなる。
しかしそれで終わりとはいかなかった。
青白い炎が穴から噴き出し、上へ登っていったのだ。その様は逆に流れる滝のよう。
その光景をぼうっと見つめていたアンナに、背後から透人の穏やかな声がかかる。
「これはお願いするよ、観鳥さん」
「……うん、分かった!」
若干落ち着きを取り戻したアンナは、背中へ元気よく返事をすると同時に走り出した。
透人に負けていられない。
やる気をみなぎらせて大穴の縁に立った彼女は風の魔法を発動した。激しい勢いの吹き下ろしだ。
そうして発生したのは風と炎のぶつかり合い。余波を周辺に撒き散らしながら、両者譲らず拮抗する。
これでいい。勝てなくても、清慈郎に向かわなければそれでいい。
下方への極寒の風を維持したまま、アンナは足に力を込めてその場に留まり、天井を見上げて叫ぶ。
「せいじろうくん! 大丈夫!?」
「俺はいい! ここから投げる!」
どうやら無事らしい清慈郎だが、返事は大きく省略されたものだった。
アンナは意味を掴めず戸惑ったものの、透人の方は問題なく理解したようだ。
「タイミングはー?」
「今、すぐだっ!」
吼えるような声の直後に、天井の穴から落下してきた棒が見えた。清慈郎が持っていた武器だ。
それが透人の「変形、盾」という言葉によって形を変える。幅が広くて下が尖った金属板へと。
清慈郎による真下への投擲に更なる力が加えられたのだ。
天より降る刃となった武器は空中を直進。風で加速し、炎をつき抜け、そして九尾の狐に命中。背中から貫通して風穴を空ける。
地下空間が振動し、土を穿つ音が響いた。
炎は跡形もなく消え、尾の束は力なく垂れ、全身は微動だにしなくなる。そして長い硬直の後、式神はただの紙切れへと変じた。
シンと静まり返る通路。
勝利が実感出来ず、アンナはただ呆然としていた。
そこに怪物撃退の功労者である清慈郎が上階から降りてくる。
肌も服装も汚れや焦げだらけのボロボロな姿だが、彼は疲れすら見せずに気丈に振る舞った。
「中々厄介だったが、やっと終わったようだな」
「んー。でもこれはあくまで中ボス。まだ目的達成じゃないよ」
「……うん、急いでカレンちゃんのところに行こう」
清慈郎の様相を見て感慨深いものがこみあげたのだが、全部終わった後にとっておこうと、ひとまず大事にしまっておいた。
だからアンナは気持ちを切り替え、透人の意見に乗った。
のだが、
「その必要はないよ」
そんな声が一行の行動を止めた。
発生源は強大な狐だった紙切れの裏から飛び出したもう一枚の紙。先程カレンを連れ去った時と同じ現象だ。
注目していると、紙から光が生まれ、その軌跡が五芒星を描いた。その次の瞬間、強烈な発光。
閉じた目を開くと、そこにはカレンの姿が現れていた。
「あっ!」
そうと認識した瞬間、アンナは穴を飛び降り、魔法を使い着地。急いで従妹に駆け寄る。
しかし、何かが違う。と、違和感を覚えて立ち止まった。
その正体は分からないが、漠然と嫌な予感がする。止めろ、という言葉が脳裏にちらつく。
しかしアンナはそれらを強引に無視して声をかけた。
「カレン、ちゃん……? どう、したの?」
上ずった震え声に対し、少しの間を置いてカレンが口を開く。
彼女には似合わない、他人を見下すような瞳と高圧的な雰囲気で。
「若造三人で妖狐を倒したのはよくやったもんだよ。でも、残念だったね。もう手遅れだ」
その表情もその口調もその雰囲気も、全てカレンのものではなかった。




