第九十七話 世界は広くて狭くて
バシッ! バシッ!
板張りの広々とした室内で、胴着姿の二人が竹刀を力強く打ち合わせていた。
一人は長髪をだらしなく伸ばした軽薄そうな青年。もう一人は整った顔立ちを仏頂面にしている少年だ。
何度目かの衝突をした後、お互いに大きく距離をとると青年が口を開いた。
「ここ数日で随分と変わりましたね。見違えるようですよ、坊っちゃん」
「その呼び方は止めろと言っているだろう」
清慈郎は霊能力者として兄弟子である青年、川造に向かって不機嫌そうに言った。
彼とは小学生に上がる前からの付き合いだ。年が近いので昔からよく面倒を見て貰っており、苦手なところもあるものの清慈郎は慕っていた。
敬語も「坊っちゃん」も、使われているのは昔からだ。その頃から撤回を求めていたが改善は見られない。その癖清慈郎には「敬語はムズムズするんでタメ口でお願いします」と強制してくるのが川造という男なのだ。
だから清慈郎は抗議にまるで期待していない。半ば恒例となっている軽口のようなやり取りだった。
だがここしばらくはスランプを抱えていて余裕がなかった事もあり、応じていなかった。
だからだろう。川造がやけに明るくて楽しそうな笑顔になったのは。
「おおっ! 随分久しぶりな気がしますよ。すっかり調子を戻しましたね」
自分なりの戦う理由に辿り着いたあの日以来、清慈郎は好調だった。霊能力は鋭く研ぎ澄まされ、仕上がりはスランプ以前よりも格段に良い。悪霊退治の仕事も問題ないどころか、順調過ぎる程にこなせていた。
囚われの少女を救う筈が、結果的に自身の地肉になったのだ。助けを求めてくれたアンナには感謝している。
それから直接は言えないし言う気もないが、きっかけになったあの粗野なクラスメイトにも。
ただ、彼に関しては頭を悩ませる問題もある。
夏休み明けに会った際にあの時の事を追及された場合、どうすべきかを考え中なのだ。
無論真摯に対応するつもりだが、どこまで話すかの線引きが難しい。それに、いくら苦労したとしても自らが蒔いた種なので文句は言えない。
そんな新たな問題があるとはいえ、スランプは脱して調子は上々。
世話好きな川造はずっと心配してくれていたのだろう。自分の事のように嬉しそうな顔だ。
ただ、ニヤニヤと続けられた言葉で、やはり油断出来ない苦手な人物だとも再確認した。
「ところで坊っちゃん。調子を取り戻せた鍵は……やっぱり、あの子ですか?」
「……そんな事はな……っ!」
冷静に否定しようとした言葉は最後まで発せられなかった。
一緒だけ目を泳がせたその隙に、川造が飛び込み面を繰り出してきていたのだ。直前に察知したので防ぐ事には成功したが、危ないところだった。
こんな汚い手はまだまだ序の口。不意打ちへの対応は自然に鍛えられているから、もはや気にもならない。
「おつと、残念残念」
軽薄な兄弟子は全く残念そうに聞こえない声を出すと、再び距離をとった。
そのままピタリと静止して構えをとる彼を目にし、今度は清次郎が口を開く。言いかけた否定を言葉にする為に。
「"あの子"は関係ない。ただ自分で答えを見つけただけだ」
「へぇ。そうですか。それはやっぱり留守番のおサボりの時ですか?」
「……反省はしている」
「おっと、別に説教したい訳じゃないんですよ。夏休みに羽目を外してはしゃぐのは学生の勤めですから。これで坊っちゃんも立派な不良少年ですね」
清慈郎が神妙な顔つきで反省の意を示すも、川造は茶化した発言で流してしまった。
兄弟子達が遠征中の留守番。それがあの日清慈郎に与えられた役目だった。
しかし彼はそれを放棄し、アンナに力を貸して救出行動をとっていた。救出自体が完了してもすべき事は山積みで時間がかかってしまった。数日の間、事情聴取などに時間を割かれ、家を空ける時間が多かったのである。
だから父に叱責を受けた。理由も言わないのだから当たり前だ。嘘を吐き通したくはなかったので言い訳はせず、正当な理由もなくサボった事になっている。
役目を投げ出した事を反省はしているが、後悔はしていない。どんな罰を受けようと他人の秘密は守るつもりだった。
そこを川造が庇ってくれ、軽い謹慎程度で済んだのだ。本当に有難い人だ。
その彼は今、実に楽しそうに清慈郎を囃したててきている。実に厄介な人だ。
「あの子のところに行ってたんですよねー。何度も何度も通ったんですよねー」
「もう隙は見せないぞ」
「今まで学校では他人を遠ざけていた坊っちゃんが心を開いた人ですもんねー」
「しつこいぞ。そんな大層な関係でなない。それに坊っちゃんは止めてくれ」
「そうですか? では、どんな関係なんです? せめてどう思っているかだけでも」
アンナとの関係に興味津々の川造だが、竹刀を構える姿に隙はない。こういうところがまた苦手であり、同時に尊敬している点でもあるのだ。
いくら相手が興味津々だろうと清慈郎が付き合う必要はない。とはいえ、しつこい川造は面倒だ。
そこで彼はこの際誤解を正しておこうと思い、正直に言う事にした。
「……俺に、俺の意思を気づかせてくれた、覚悟を教わった……尊敬に値する……友人、の一人だ」
「……あーら、ま。坊っちゃんが素直に他人を褒めるなんて珍しい。とりあえず今日の内にてるてる坊主を大量に吊るしておくとして……本当に友人以上ではないんですか? それともこれからなりたいんですか?」
「だからそんな事はない。ただの友人だ」
「へーえ、そうなんですか」
キッパリ否定したものの、川造はまるで信じていないような口振りで答えた。
その態度に不機嫌顔になった清慈郎だが、次に放たれた彼の言葉に困惑する事態となる。
「ところで話は変わるんですけど、坊っちゃんってやっぱりイケメンですよね」
「……唐突に何だ?」
「いえね、こないだここの門の前でウロウロしてた女子高生を見かけたんです。気になったんで話を聞いてみたらファンクラブの一員だって言われて、やっぱり人気者なんだなー、って思ったんですよ」
「……それがどうした」
「俺、その女の子と仲良くなったんです」
「一体何をしているんだ」
「おっと、勘違いしないで下さいよ。別に国家権力のお世話になるような事はしませんってば。ただ仲良くなって動画やら画像やら貰っただけで」
「本当に何をしているんだ」
「で、その中に面白いものがあったんですよ。見ます?」
冷たい視線と言葉を流し続けた川造は清慈郎の返事も聞かず、構えをとったままその場を離れた。そして稽古場の隅までいくと、おいてある荷物から携帯電話を取り出す。それからは竹刀を下げ、見せたい物を突きだしながら歩いてくる。
清慈郎は興味などなかったが、否応にも画面が視界に飛び込んできた。それにより、驚愕に目を見開き、羞恥で顔を赤く染め事となる。
画面の中にあったのは、笑顔のアンナと彼女を前にして顔を赤く染める自分自身だったから。
その意味を理解した次の瞬間から、清慈郎の脳内で様々な事が連続して起きた。
あからさまに動揺し、混乱し、件の女子高生の正体を想像し、彼女に怒りを覚え、携帯電話の奪取を決意し、そして、
「隙あり」
ぱしん。
と、頭に走った軽い痛みによって冷静になった。
情けない醜態を目にした川造は歯を見せながらひとしきり大笑いした後、清慈郎に助言を授けてくれる。
「いやぁ、まだまだですねぇ。坊っちゃん。もっと大人になる前に色々と経験して世界を広げた方がいいですよ。青春ってのはその為にあるんですから」
川造の言葉を受けて、もう一人の苦手な人物の発言を思い出した。こちらはある意味、兄弟子より遥かに苦手で厄介な相手だ。
いつか言われた、その時は不要だと断じた助言。
『色んな人に相談したらって話。結構世界は広いんだから』
清慈郎はその助言は確かに正しかったと思った。
*
「アンナちゃん。早喜さん。今日は楽しかったよ」
「うん、私もだよ」
「おう、アタシもだ」
カレンがはにかみながら言うと、満面の笑みを浮かべるアンナと若干照れている早喜からも同意が返ってきた。
場所はアンナ宅の広々とした玄関前。
日射しが照りつけるのも構わず、門扉の傍にカレンが、向かい合う位置にアンナと早喜が立っている。
そして門の外には一台の高級そうな自動車が停まっていた。カレンを迎えにきた自動車だ。
この日、カレンは祖母と暮らしていた家へと帰る。
事後処理や事情聴取、それから未来を担う当主候補として責任を果たす為である。魔法や呪術という業界において血筋が持つ影響力は大きいのだ。
カレンは今まで色々なものを恐れて逃げてきた。色々な人に甘え助けられてきた。
早喜に背中を押され、アンナやジニーに受け入れられ、透人や清慈郎にも救われた。
けれどそのおかげで恐怖に立ち向かう決心がついた。世話になった人達のように強くありたいと、未熟なりに覚悟を決めて挑み続ける決心だ。
意識が朦朧とする中、監視用の映像で三人が強大な式神に立ち向かう姿を見ていた。魔法の強さよりも心の強さが重要だと言われているような戦い方だった。いつかまた心が折れそうになったとしても、彼らの勇姿を思い出せば乗り越えられる気がする。
この日は逃げが許される最後の日。
だから女子三人で買い物やカラオケなどをして思う存分遊んでいたのだ。
本当は市乃や透人や清慈郎も誘ったらしいのだが、既に予定があるとして断られていた。最後に直接お礼を言えないのは残念だが仕方ない。
もっとも、透人の言動には未だに慣れないので、会わなくて助かったという部分はあるのだが。初めに失礼な態度をとった事もあって気まずいのだ。
難しい事情を頭の隅に追いやっての"普通"の遊びは久しぶりに心から楽しめた。未だ抱える問題は多かったが、頭上の空のように晴れ晴れとした気分だった。
そんな心情が顔に出ていたのだろう。早喜が安心したような声をかけてきた。
「すっかり元気になったみたいだな。前の時とは大違いだ」
「早喜さんのおかげだよ」
「それを言うならアンナのおかげだろ」
「ううん。アンナちゃんだけじゃない。早喜さんのおかげでもあるんだよ。ありがとう」
素直な気持ちで感謝すると、おぉそうか、と早喜は応えて照れ臭そうに頬をかいた。
彼女とは一日で随分と打ち解けた。
気が強くても優しい人物だ。別れるのは寂しい。こんな人と友達でいるアンナが羨ましい。
魔法と関係の無い一般社会での普通の友達というのは貴重な存在なのである。
それも、心から気にかけて心配してくれるような友達は。
「また何かあったらアンナに頼れよ。アタシも出来る限り手伝うからさ」
「うん、分かったよ。それと……これからもアンナちゃんをよろしくね」
「任された。天然の親友を持つと苦労するな」
早喜の冗談めかした囁きに二人だけでニイッと笑いあう。それだけで通じ合うものがあった。まだまだ沢山話していたいと思ってしまう。
そんな二人の空気に、純粋な疑問の声が割り込む。
「二人で何を話してるの?」
声の方に顔を向ければ、そこには首を傾げるアンナがいた。内緒話に混ぜて欲しそうな仕草だ。
それに早喜は答えず、代わりにカレンの背中を優しく押して促してくる。
「ほら、そろそろ行くんだろ」
そうして従姉妹同士は向かい合った。早喜は気を使ったのか、少し離れたところにいる。
アンナとは今まで散々語り合った。
だから今から交わすべき言葉は一つだけだ。
「じゃあ……またね」
「うん、またね」
しばしの別れ。一時離れるだけ。会おうと思えば会えるし、連絡も取れる。
今回はただ思い出を抱えてそれぞれの道に戻るだけ。またいずれ交わる道に。
だからどちらも、涙は見せずに笑顔で手を振った。




