第七十九話 夏休み修行編
夏休み一日目。
非常に濃い終業式当日から一夜明けたこの日。
早朝のまだ薄暗く、日中より涼しい空気が流れる中、透人は自宅の玄関前でじっくりとストレッチを行っていた。
昨日女性陣に色々と言われた彼は考えた結果、自主的にトレーニングをする事にしたのだ。
今からは体力作りの為の走り込みである。だが他にも走りながら出来そうな事を試そうとも思い、着ているジャージのポケットにメモ帳や鍵等を入れている。
体をほぐしつつもそれらの使い方について透人が考えを巡らせていると、玄関がガラガラ音を立てながらゆっくり開いた。
「……透人。……もう、起きてたのね」
顔を覗かせたのは透人の母親である明海閑。肌が青白く、表情に乏しい、儚げな人物だ。
その雰囲気と途切れ途切れの細い声からよく誤解されるが、別段体が弱い訳ではない。いたって健康である。父親によると昔からこうだったらしい。
母親のいつもの日課を知っている透人は、郵便受けから新聞を取り出しつつ挨拶する。
「あ、母さん。おはよう。はい新聞」
「……ええ、おはよう。……その、格好……何か、あったの?」
母親は新聞を受け取り挨拶を返した後、不思議そうに疑問を発した。
言葉は少ないが、それでも質問の意図は理解出来る。
運動部でもない、インドア派な息子が積極的に運動をしようというのが不可解なのだろう。
だが詳しい説明は当然出来る筈もない。
透人は何食わぬ顔でとぼける。
「んー、いや。別に何もないけど。何となく体を動かそうかと」
「…………そう。……頑張ってね」
「ん? ……うん」
母親はいつもより少し長い沈黙の後、僅かに口元を緩ませて儚げに微笑んだ。
その反応に透人が違和感を覚えながらも返事をすると、母親は引っ込んで玄関をゆっくり閉める。
そして玄関前には考える素振りを見せる透人が一人残された。
母親の意味ありげな表情に、透人は何かを勘づかれたかと悩んでいたのだ。
全てを理解してはいないだろうが、何か危険な事に首を突っ込んでいるという事なら分かっているのかもしれない。
それでも細かく追及してこないのは信頼故か。
だとしたら余計、危険に遭遇しても大丈夫と言えるように特訓に励むしかない。
新たな理由を見つけた透人は気を引き締め直し、走り込みに出発する。
初めはただのジョギング。誰も通らぬ早朝の歩道をペースを保ちながら走る。
その途中で霊視を使い始めた。意識を半分程度割いて辺りを探っていく。
視える範囲は集中した場合より狭いし、安定しない。霊視そのものの練習と、何かをしながら同時に使う場合の練習だ。
人が皆家の中にしかいないと確認したところで次を試す。
メモ帳を手に取り、魔法を発動。
自身にかかる重力を操作し、負荷を高める。服を硬化させ、わざと動き難くする。柔らかな微風を吹かせる。
とりあえずこの状況で使えそうな魔法、問題なさそうな魔法を使っていった。
使えば使う程上達するものなのかは分からないが、とにかく使っていく事にしたのだ。
そうして色々しながら二十分程走ったところで公園に寄った。
水分補給をし、少し休憩するとポケットから龍の飾りを取り出す。付喪神のロンだ。
小さな相手に透人は気楽な調子で話しかける。
「おーい。ちょっと起きてー」
「……なんですか旦那ぁ。今は別にワタシの力なんて要らないでしょうよぉ……」
返ってきたのはやる気無さげな声。
目は半分閉じており、またすぐにでも寝てしまいそうだ。
そんなロンを諭す為に、透人は強めの口調と目付きで力を求める。
「だからその、いざ必要になった時の練習だよ。何が出来るのか把握してないと本当に必要な時に困るでしょ?」
「…………はぁ~。分かりました付き合いますよぉ。それで、まずはどうするんで?」
渋々といった様子だが、ロンは引き受けてくれた。
そこで透人は力を借り、記憶を掘り返し、実験がてら様々な記憶を再現させ、付喪神の力を確かめた。
十種類再現させたところで、使い続けていた霊視で魂の反応を察知する。
そこでロンをポケットに戻すと休憩を終え公園から出発。再び色々な力を行使しつつ来た道を引き返していった。
家に帰ると朝食が用意されていた。ご飯と味噌汁、焼き鮭と卵焼きというメニューだった。
運動で空腹だったので、素朴でよく口にするメニューでもいつも以上に美味しく感じた。
朝食の次は自主的なトレーニングとは別にある、やらなければならない事をする時間だ。
夏休みの宿題である。
透人は毎年早めに終わらせ後半を遊びに費やすタイプだった。
自室のテーブルで問題集を進める。
勉強がそれほど苦手でない透人は集中して取り組んでいた。
しかしやはり楽しいものでもない。ので、サイコキネシスでシャーペンを操って文字を書く練習をしてみた。
これが想像以上に難しい。
物をぶつける程度なら大雑把な狙いでもいいが、文字を書くとなると精密なコントロールが要求されるからだ。
試行錯誤を繰り返し、想像が描く軌道に近づけていく。
その途中で、扉の向こうから声がかけられた。
「うどーん。暇ー。何かやろー?」
間延びした軽い声は妹の光だ。
中学校も夏休み。どうやら暇を持て余しているらしい。
透人は宿題と超能力の練習で忙しい。
が、別に今すぐやらなければならないものでもない。
「分かった。何やる?」
という訳で二人で対戦格闘ゲームを始めた。光もこの手のゲームはよくやっている。兄妹で対戦するのはいつもの事だ。
ただし透人はサイコキネシスの訓練を続行していた。光の死角になる場所で物を動かしていたのだ。
複数の物事を同時にこなすいい練習になる。
と思っていたのだが、そんな中途半端な気持ちではやはり勝てない。
延々と負けが続いてきたので超能力の練習を止め、ゲームに集中した。
そこから挽回していったが、最後まで追いつけず結局負け越してしまった。
昼食の時間。この日母親は学生時代の友達と食事に出かけている。
なのでゲームで負けた透人が素麺を茹で、光と二人で食べた。
午後は本を読んだ。
読みかけの小説があったのだ。ある少年漫画の小説版である。
クーラーの効いた涼しい部屋で何の力の練習もせずに読書を楽しんだ。
それを読み終えると、今度はファイルに納められた書類を読み始める。笑亜から借りた、組織が関わった事件を纏めたものだ。
様々な人、様々な力、様々な戦い。
足りない経験を補う為には、頭に知識を蓄える事も重要な事だろう。
夕方には再び走り込みをする。
人通りが早朝より多いので、同時に使うのは霊視だけにして三十分程走った。
夜は夕食を家族一緒に仲良く食べ、疲れを流す為にゆっくり風呂に浸かり、のんびりとくつろぐ。
それからは再び力の練習。
サイコキネシスで市乃から貰った棒手裏剣を操作する。的は魔法で作り出した空気の壁に紙を張ったもの。外しても何処にも傷がつかない便利な的だった。
それを一時間程度こなした後はゲームで遊んだ。有名な大作RPGである。顔は相変わらずだが、熱中した様子でプレイしていた。
ただし夜更かしはせず、日付が変わる前に眠りについた。
夏休み二日目。
朝には色々と能力の練習をしながらの走り込み。まだ慣れず昨日の疲れが残る中、毎日続けるべく気力で走った。
朝食を食べ、少し宿題を進めた後は外に出かけた。
行き先は最寄り駅。そこで充を含む中学時代の友達と待ち合わせをしていたのだ。
「全然変わらないね、おはよう」
「よっ。春以来だな」
「ミッツにあけみちゃん、おひさー!」
「こんな所で騒ぐな恥ずかしい。あとまだ言ってんのかそれ」
久しぶりに会う旧友達と近況や思い出話を語りながら街中を巡り、丸一日遊んだ。
帰ってからはサイコキネシスや魔法の練習と過去の事件についての勉強をし、日付が変わる前に寝た。
夏休み三日目。
この日は深山食堂でのバイトがある日だった。
「ほらぼさっとしてないでテキパキ動く!」
「そんな言い方しなくても……」
「あぁ、別にいいよ。大丈夫大丈夫」
真面目に仕事に取り組む中、休憩時間になると力雄に今まであった妖怪との戦いの話を聞く。
力雄はどうしてそんな事を訊くのかと不思議がっていたが、「また何かあった時に備えて」と言ったら複雑な表情をしながらも快く教えてくれた。
夏休み四日目。
昼食を終えた午後、家に充、紅輝、力雄の三人が遊びに来た。
「なぁ……写させてくれよ。ラーメンでもチャーハンでも食わせてやるからよ」
「えー、やだ」
といっても、主な目的は自分からはやりそうもない紅輝の宿題を進める事だ。案の定手つかずのそれを、厳しい態度で根気強く教えてある程度は進めさせた。
それからは四人でゲームをしたり下らない話をして楽しく過ごす。
途中からはいつの間にか光も(勝手に)混ざって賑やかに遊んでいた。
夏休み五日目。
今までの四日間と同じ様に体と各種の力を鍛え、学び、遊ぶ。
一日目同様予定がなかったのでそれぞれたっぷり時間をかけ、念入りに取り組んだ。
透人の夏休みは、少々のおかしな成分が混ざっている事以外は平凡な日常とも言えるものだった。
そしてそんな日々を重ねていったある日、夏休み十二日目。
朝は走り込みをしながら霊視や魔法の訓練。
昼間はサイコキネシス等の練習に励み、宿題を進め、呑気に遊ぶ。
そして何事もなく一日が終わろうとした夕方。
二階の自室で二度目の走り込みの準備をしていた透人に階下からの呼び声が届いた。
「うどーん。お客さんが来たよー」
「……分かったー。すぐ行くー」
この日は約束も予定もない。
急な客に疑問を感じつつも、透人は裏の力に関わる品々を厳重にしまい玄関まで下りていく。
「え? 私の事ですか?」
「フフ。ええそうよ。光ちゃん。私達はあなたとも仲良くなりたいの」
「そういう訳だからさぁ~、一緒にお喋りしてよ。光ちゃ~ん」
すると、非常に聞き覚えのある二つの声が聞こえてきた。光と客である二人組の少女が立ち話をしていたのだ。
彼女らは透人に気づくと声をかけてくる。
「フフフフフ。久しぶりね」
「イェーイ。泣いて喜べこのやろー。現役女子高生が二人も遊びに来てやったぜー」
その正体は妖しく微笑む笑亜とニヤニヤとほくそ笑む市乃。
何故来たのかは分からなかったが、何やら企みを抱えていそうな雰囲気だった。




