第八十話 不穏なアドバイス
「えーと……それじゃあ、とりあえず俺の部屋に来る?」
「それは少し待ってくれないかしら。折角だから妹さんにも挨拶したいのよ。当然の礼儀でしょう?」
笑亜と市乃が家に来た理由はどうせ光に聞かせられない話に関するものだろう。
そう思った透人が無難と思える対応をしたところ、笑亜は真顔で断ってきた。
それから挨拶をしたいらしい光に顔を向け、丁寧に言葉をかける。
「私は神無月笑亜。あなたのお兄さんと仲良くさせて貰っている同級生よ。そして……」
一度言葉を切った後、実に笑亜らしい妖艶な微笑みと共に続きを発した。
「もしかしたらあなたの未来の義姉になるかもしれない女よ」
「んん?」
予想外の発言に、透人は大いに戸惑った。若干大きめに開いた目でその主を見やるが、澄まし顔で微笑むばかり。発言を撤回するつもりはないらしい。
それを前にしている光は目をぱちくりさせている。突然の事ですぐには状況を呑み込めないようだ。
二人の兄妹が未だ立ち直らぬ中、残る市乃が朗らかに追撃を行ってくる。
「次は私の番だねー。私は白葉市乃。この二人と同じクラスでー。噂好きな女子高生でー。あとはー……未来の義姉になるかもしれないからよろしくねっ」
「んん~?」
間延びした気安い口調で話していた市乃だが、最後にほんのり頬を赤らめた幼い笑顔で爆弾を投下した。
どうやら二人共全力でからかいに来ているらしい。
その成果か、光は笑亜と市乃の間で視線を忙しく行ったり来たりさせては無遠慮に眺め回している。当然の反応といえばそうかもしれないが、透人に似てマイペースな光には珍しい反応だ。
このまま勘違いされては困ると、透人は無駄に高い演技力を発揮した市乃に怪訝な目を向ける。
「さっきのは一体何の話?」
「え~? 何って、可能性だよ。可能性。未来は無限に広がってるでしょ~。私は諦めないからねっ!」
最後は真剣な顔をして答えてきた市乃。何というか白々しい。やはりいつも通りのふざけた態度だ。
単純に否定するだけでは崩せないどころか、更にややこしくなりそうである。
透人は一度心を落ち着けようと目を閉じ、息をつく。それから視線をやや上向け、考える素振りを見せた。
そしてそのまま、とぼけた顔で何でもない事のように話を切り出す。
「……まぁ……うん、そうだね。未来は無限だね。もしかしたら姉になる可能性って事なら、俺にもある位だしね」
「なにその爆弾発言!? まさかの変身願望!?」
素早く反応した市乃がタイミングよく大声でツッコミを入れてきた。
そのすぐ後に、しまった、という口の形で固まる。反射的な行動だったのか、こんなツッコミをするつもりではなかったらしい。
市乃に失敗をさせたと、妙な手応えと達成感を得ていた透人。その兄に遅れて落ち着きを取り戻した様子の光が冷めた声をかけてくる。
「うどん。三人目だからってそんなボケは要らないと思うよ」
「あー、やっぱりカリーもそう思う? でも何か負けたくなくてさぁ」
「うーん。そういうのは分かるけど、もっと他になかったの?」
「いやぁ、思いつかなかったんだよねぇ」
見事に脱線した会話を繰り広げる明海兄妹。
完全な二人だけのペースを前に、先程までとは逆に笑亜と市乃の方が呆気にとられていた。
ぽかんと沈黙していた市乃だが、ふと何か重大な事柄に気づいたように真剣な表情になる。
「……はっ、しまった! 奴はただボケたじゃない! 奴の狙いはこれ……広げたくない話題を無理矢理終わらせる事だったのかぁっ!」
わざとらしい説明台詞のような内容を盛大に叫んだ。何故かエコーがかかったように響く。
それにより明海家玄関に久方ぶりの静かな空気が訪れる。
しばしの静寂を破ったのは市乃の様子をまじまじと見ていた光だった。
「ところでうどん。さっき二人共未来の姉がどうとか言ってたけど……」
「よしっ、無理矢理引き戻した!」
思惑通りの展開に戻ったのが余程嬉しかったのか、市乃は大袈裟なガッツポーズを決めた。
そんな彼女に、光は冷淡な瞳と容赦のない言葉を投げかける。
「えーと、この、白葉さん? はとりあえず面倒だから放置しておけばいいよね?」
「うん、それでいいと思うよ」
「あれぇ!? 初対面の年下から辛辣な言葉が!? 年上への敬意が足りてないよ!? お兄さんちゃんと教育して!」
光の確認を兄が認めると、議題になっていた張本人から激しい抗議の声が飛んできた。
だが、あれだけ派手で騒々しい発言をしていたら仕方のない話だろう。真面目に相手にしていたら疲れるだけだ。放置するのが正しい対応である。
いくら抗議されても透人に方針を帰る気はない。
そのまま話を終わらせようとする。
「もうそろそろいいんじゃない? いつまでもここにいるのもなんだし。いい加減上がろうよ」
「ちょっと待ってうどん。えーと、神無月さん? と話したいんだけど」
そこに光が待ったをかけ、もう一人の名前を出してきた。
邪魔をされた形になったが、透人はただ無表情で別にいいけど、と許可を出す。
すると光は平然とした真顔で笑亜に向かい合い、
「それじゃあ、神無月さん。お願いがあるんですけど」
「ええ、何かしら」
「おねえちゃんって呼んでもいいですか?」
「んんん?」
最後の不意打ちを放った。
安心していたところにそれを受けた透人はあからさまに困惑の様相を見せる。
それは元凶である二人の客も同様で虚を突かれたような顔をしていた。
ただ一人平常心の光は当の本人と顔を向け合い、首をかしげながらにこやかに尋ねる。
「いいですか?」
「……えっ? …………え、ええ。そうね……構わないわ」
「それじゃあ、よろしくお願いしますね、おねえちゃん」
「凄い格差がついたよ!? いや、別にいいんだけど、いいんだけどもっ!?」
自分から言い出しておきながらこうなる想定はしていなかったのか、笑亜は見るからに狼狽え、それでも品のある態度で肯定した。
我を取り戻した市乃は声を張り上げわめいているが、いまいち歯切れが悪い。
透人でさえ自らの妹の高すぎる順応性に当惑し、困ったように表情を少し歪ませていた。
こうして玄関先で行われた透人を陥れようとする企みは、最終的に光一人だけが笑う結末を迎えたのだった。
中学生相手に醜態を晒した高校生三人は二階の透人の自室に移動した。
ちなみに光は一階の居間でアイドルグループのライブDVDを見ている。来客があって中断していたそれの続きが見たかったらしい。
好都合なので好きにさせた。
室内では麦茶とかりんとうの載る皿が置かれたテーブルを挟み、透人と笑亜が向かい合って座っている。
そこまでなら理事長室での密会と同じ構図。だが異なる点が一つある。
市乃が部屋の壁際に寝転がり、手足をじたばたさせ騒がしくしていたのだ。
「あ~。ちくしょ~。この前のリベンジしたかったのに~。妹に二股疑惑かけられて白い目で見られてしまえって思ってたのに~。兄妹関係ギクシャクしてしまえって思ってたのに~」
「人の部屋で暴れないでくれる」
市乃の自分勝手な願望に透人は色々と思うところはあったが、静かにそれだけを言い放った。
「うぅ……冷たいよぉ。この人冷たいよぉ。もっと言う事あるでしょうよ~」
すると同情を誘うような悲しげな声で非難してきた。
が、長々と愚痴っていた彼女はそれを止めてすっくと上体を起こし、あっけらかんと述べる。
「ま、笑亜が家族公認になったみたいだからいいっちゃいいんだけどね」
「……んー。いや、あれは公認というか、ただのあだ名みたいな感覚だと思うけど」
今まで兄妹として過ごしてきた経験を元にして正直な意見を唱えた。
光の真意は掴めないが、深い意味もなくただのノリで行動するというのはよくあるのだ。
または、もしかしたら逆らってはいけない相手だと直感したのかもしれない。だとしたら正解である。
透人の意見を聞いた市乃は目を閉じて大きくため息を吐くと、それに同調する。
「確かにそんな感じもあったんだよね~。その辺りは私でもよく分かんないし。ホント厄介。一筋縄じゃいかないとは思ってたけど予想以上だったよ、もう。母親が買い物に行っている時間を狙ったのは正解だったね」
「そんなことまで調べてたの」
わざわざご苦労な事である。
透人はむしろ感心した。
「それで神無月。結局何しに来たの?」
「……え? あっ、ええ」
声をかけると、難しい顔で沈黙していた笑亜がらしくない上ずった声を出した。
それから、こほん、と咳払いを一つ。
平静を取り戻し微笑みを浮かべてからようやく本題を始める。
「勿論貴方の修行の話よ。十二日間見させて貰ったから、それまでの中間査定というところね」
透人は十二日間を思い返しながら、一体何を言われるのかと身構える。
先に言及してきたのは冗談めかした喋り方の市乃だ。改めて笑亜の隣に座り、苦笑いしながら評価を発表する。
「まぁ、とりあえず遊びすぎというか舐めてる感はあるよね。夏休み満喫してんなお前、って感じ」
「フフフ。でもそれでいいと思うわ。いつでも呑気に平常心が貴方の持ち味だもの。遊びながらちゃんと鍛えて、それぞれの力も少しずつ伸びてきているし。でも……足りないわね」
「足りないって、何が?」
「手札よ。今ある力を伸ばすのは当然としても、貴方の強みを活かすには多い方がいいでしょう?」
納得出来る理屈だ。
特に透人が持つ力は一つ一つは弱く、他人のサポートに回った方が効率がいい位だ。
しかし足りないからといって簡単に増やせるものではない。
透人は訝しく思い、問いかける。
「でもどうするの? これ以上増やすなんて無理でしょ」
「確かにジャンル自体は無理かもしれないけれど、手札を増やす手段はそれだけではないわよ。手っ取り早いのは魔法よね」
聞けば単純な話だった。
魔法ならばいくつも種類がある。
事実、以前にもアンナから教わり使える魔法を増やしていた。
「じゃあ神無月が新しい魔法を教えてくれるの?」
「そうしたいのは山々だけれど出来ないわ。私と貴方では使っている魔法の形式が違い過ぎるもの」
「それこそ新しい手札になるんじゃないの?」
「形式の違う魔法は互いに悪影響を与えるわ。無理矢理使えなくもないけれど、それは高等な応用技術。貴方が身につけるには早いわね」
「それじゃどうするの?」
「同じ魔法を使う人……つまり、観鳥さんに頼ればいいのよ」
当然と言えば当然の笑亜の提案に、少しの沈黙を挟んでから透人は答える。
「いや、それは嫌な予感しかしないんだけど。三回目のリベンジとか」
どう考えても弱味になる事である。
以前そうしてきた市乃をじっと見据えて言った。
すると彼女は手を横に振りながら軽い口調で否定する。
「やだなぁ~。そんなエグい事しないってば~。修行編の邪魔はしないよ~」
「ええ。その点は私も保証するから安心して。クラスに言い触らしたり、ネタにして脅したりはしないわ」
笑亜も続いてキッパリと断言。
それも信用したくなるような、力強い真剣な瞳で正面から射抜きながらの台詞だ。
どうしても透人に新たな魔法を身につけさせたいらしい。
「……んー……分かった。今日の夜にでも教えてくれるか確認してみるよ」
強く勧める事に妙な引っ掛かりを感じながらも、断る理由もないと透人は笑亜達の言う通りにする事にした。
それを聞いた二人は顔を見合わせて嬉しそうに笑い、やはり何かを企んでいそうな様子だった。
夏休みはまだ一月近く残っている。
その間に波乱が起こりそうな予感をひしひしと感じる透人であった。




