第七十二話 勝負の夏に
「姐さん、お疲れ様です!」
「……金悟君。そんな大仰な挨拶はいいので早く座って下さい」
金悟がほぼ九十度になるまで頭を下げつつ大声を張り上げて挨拶すると、淡々とした平静な声が返ってきた。
返事をしたのは眼鏡をかけた生真面目そうな少女、尾形良子。ぶすっとした不満げな顔で金悟に体勢を戻すよう促す。
負の世界の獣と宇宙人の問題が解決した後。
透人や早喜と別れ、学校をあとにした金悟はとある建物にいた。
そこはこの地域に住む管理者が拠点としている場所。情報交換や治療などの際に使用する建物だった。
その中でも二人がいるのは長テーブルとパイプ椅子が置かれた会議室。大勢でも使える広い部屋だが、今いるのは二人だけである。
金悟はこの日あった虹色の光の出現と、ある人物についての報告の為に来ていた。
しかし彼は良子の向かいに座ると、言いにくそうにおずおずと質問を切り出す。
「……姐さん。本題に入る前に一つだけいいスか?」
「別に構いませんが、珍しいですね。何かあるんですか?」
「いや、まあ、大した事じゃないんスけどね」
そんな前置きをして他愛のない雑談を装い、金悟は非常にデリケートな問題に挑む。
報告の内容にも関わってくる質問なのだが、確認がとれるまではそうと気づかれたくなかった。
だからなるべく口調が重くならないように気をつけつつ、金悟はその単語を口にする。
「……姐さんは宇宙人って実在すると思います?」
「……どうかしたんですか金悟君。何故いきなりそんな話を?」
質問を聞いた良子が見せたのは、金悟が今まで見たこともないような不審感で一杯の顔。それでも丁寧な口調を崩していない辺りに彼女の育ちの良さが窺える。
こんな世他話、確かに重要な報告の前にするような話ではない。彼女の反応は極一般的なものだろう。
とはいえ、やはり良子のそんな顔を見てしまうと心にぐさりとくるものがある。
金悟は口ごもりながらも、考えておいた言い訳を始めた。
「あー、……その、今日出てきた獣が宇宙人みたいな見た目だったんスよ。いやもう、ホントただそれだけのしょうもない理由なんスけど」
「…………まぁ、いいです。……そうですね、一概に否定はできませんが……私は実在する可能性は限りなく低いと思っていますよ」
「……そりゃそうッスよね。すいません。時間を使わせて」
良子は怪訝な表情を残したままではあったが、視線を下げて真面目に答えてくれた。
その予想通りの内容を確認出来た金悟はぺこぺこと謝る。
やはり宇宙人の件は、正直に話したところで簡単に信じて貰えなさそうだ。
良子に嘘を吐くのは心苦しいが、隠しておいた方がいいだろう。
そう判断したところに、良子の平坦な声がかけられた。
「話は終わったようですね。それでは今日の報告をして下さい」
「了解ス。じゃあまず明海の話から――」
迷いが無くなった金悟は良子に言われた通りに報告を始める。
その内容は透人に関するもの。
鍵を持ちながらも金悟達と距離を置いている彼には、鍵を使用してあの世界への入り口を開いたという疑いがかけられていたのだ。
あの世界とこの世界を繋げるというのはそれだけで相当に危険な行為。もし本当に使っていたとしたら、目の届く範囲に置くか鍵を取り上げるべきだとの意見が持ち上がった。
そこで事実関係の確認が必要となり、同じ学校に通う金悟に白羽の矢が立てられた。その使命を果たす為に、彼はこの日透人を呼び出したのだった。
その結果があの返答。終始自分のペースで喋り、人を小馬鹿にしているような、煙に巻こうとしているような飄々とした態度である。
あの時は苛々したものだが、今考えると例の宇宙人絡みで証を使った事を隠そうとしていたのかもしれない。
というより、そうでもなければ納得できない。
元々あのとぼけた顔と言葉、それに前回の行動から悪用はすまいと踏んで詰問を止めたのだ。自らの見る目と直感が間違っていたとしたら良子に合わせる顔がない。
そういった自らが感じた印象を交えて透人の対応を語り、最後にこう締める。
「なんで、俺はアイツは白だと思うッス。今日の獣退治にも勝手に首突っ込んできましたし」
「……そうですか、分かりました。では次に、その獣退治についての報告をお願いします」
「了解ス」
良子は事務的な口調で次の報告を要求してきた。冷たい態度にも思えるが、金悟の根拠が乏しい意見に疑問を挟まないあたり、信頼してくれているのだろう。
その信頼を裏切らねばならないのは、やはり心苦しい。
しかし話を円滑に進める為、やむ無く事前に判断した通り少しの嘘で脚色した報告をする。共有しておかなければならない重要な事実があるのだ。
「――それで、外にいる時はずっと逃げてたのに、室内に追い込んだら急に攻撃するようになったんスよ。これはおかしいっスよね?」
「確かにそうですね……被害がないのは喜ばしい事ではあるのですが、獣の行動としては不自然です。急に行動パターンが変化した事もそうですね」
良子は顎に手を添え、僅かに目線を下げて悩んでいる様子で金悟に同意した。
ピンと張りつめた真剣な眼差し。今回の不可解な出来事について集中して考えているようだ。
ただ、行動パターンの変化については適当な宇宙人が造ったあの場所が関係しているかもしれないのだが。
それはともかく。重要であるのは、積極的に人を襲わずに逃げ回っていた事の方だ。
金悟がこの情報を共有すべきだと思ったのは心当たりがあるからだった。
「……やっぱり例の連中と関係あるんスかね?」
「はい。可能性は高いでしょうね」
顔をあげた良子は再び同意した。その声は先程までと違い、熱を感じる強いものだった。
例の連中とは、証の力を身勝手な目的に使う、管理者とは別のグループに属している輩の事だ。透人にかけられた疑惑も彼等との関わりを警戒してのものだった。
証を悪用する人間は昔からいたらしいのだが、最近過去最大規模のグループが組織されたようなのだ。しかも仲間の目撃談によると、連中の中には獣を操る類の力を持つ人物がいるらしい。
その力を使って大事件を起こされる前に早急に対処すべきとの意見がでているが、中々情報が掴めず対処出来る目処は立っていない。
「とは言え、今回彼等が関わっていたとしてもその目的が分かりません。何を企んでいるのかも定かでない集まりです。これから先、今まで以上に厄介な事態になるでしょう。……ですから私達も、更に努力を重ねなければなりません。どんな困難にも負けないように」
良子ははっきりと力強く宣言した。
その瞳を真っ直ぐ前だけを見ている。得体の知れない不穏な影があろうと、堂々と立ち向かっている。
やっぱり上に立つに相応しい人だ。
そう金悟は再確認し、心から同意する。
今日も無力さを噛みしめたばかりだ。まだまだ自分は未熟で弱い。
だからこそ金悟は強くなる事を誓う。
尊敬する良子の力になる為にも。
「勿論スよ、姐さん。俺ももっと鍛えます。それに、人間相手の喧嘩なら任せて下さい。慣れてますから大丈夫っス」
「そうですね。金悟君は貴重な戦力です。その時は、是非私達の力になって下さい」
「了解ス!」
ほんの少し表情を柔らかくした良子の言葉に、金悟は猛々しい笑みを見せながら返答した。
彼は熱い決意を胸に秘め、いつ来るとも知れぬ危機に備えるのだった。
*
時間はマコトが目を覚ました事で造られた異空間から無事脱出できた、そのしばらく後。
宇宙人とモンスターが共演した舞台となった校舎の裏には、透人だけが一人ぽつんと残っていた。
脱出直後、金悟はさっさと何処かへ行ってしまい、早喜も透人にマコトを任せている間に荷物を取ってくると彼を引き摺るようにして連れ帰っていったのだ。
早喜とマコトが完全に見えなくなった事を確認した透人は気楽な調子で独り言を口にする。
「学校で何かあったのって初めてなんだよなぁ」
それから移動を開始した。目的地は毎度お馴染み理事長室。
どうせ校内にいるのだからと、明日まで待たずに行ってみることにしたのだ。
何度も通った道筋を辿って理事長室まで行き、ドアノブに手をかける。
その時、珍しい事に中から話し声が聞こえた。それもなにやら剣呑な雰囲気。静かでありながら痛い程の緊張感を伴う空気が扉越しににも伝わってくる。
しかし透人はそんな状況だろうと躊躇せず開く。そうして彼はそこで珍しい人物を目撃した。
「だから余計な真似で事態をややこしくするな、と言っているんだ」
「あら、何を言っているのかしら? 私はただ見ていただけの傍観者よ。冤罪もいいところだわ」
「とぼけんな。俺を遊びに利用しただろ」
この部屋の主となっている笑亜に、迫力のこもった視線と圧力を伴う重い声を向けていたのは、担任の武藤猛先生だった。
彼はソファに腰掛ける笑亜を見下ろすように立ったまま話している。そのせいか威圧感が凄まじい。
だが笑亜はそれを華麗に受け流し、楽しそうに微笑みながら発言を続ける。
「遊びに利用、だなんて言い方が悪いわね。教えたの行き先に偶然彼がいただけじゃない」
「確実に分かった上でやったんだろうが。ジジイは許してるようだがな、俺はまだ反対してんだよ」
「あら、いつまでそこに立っているのかしら。貴方も座っていいのよ。こんな怖い大人と違って」
「じゃあ遠慮なく」
「二人しておちょくんじやねえ。お前もこいつに影響されんな」
先生を無視して声をかけてきた笑亜とそれに乗った透人。二人に先生の鋭く研ぎ澄まされた視線が突き刺さる。
笑亜は何ともないように笑っているが、透人は一瞬だけビクッとなった。彼女の域にはまだまだなものの、大分耐性がついてきている。
そんな二人を見た先生は深いため息を吐き出して気持ちを切り替え、それから話を元に戻す。
「まあいい。話の続きだ。今日のあれの動き、お前がテレパシーで誘導してたんじゃねえのか」
あれとは金悟が担当するモンスターの事だろう。
彼も何かおかしいと言っていた事を思い出す。確かにあの白黒の世界に入り込んだ時に遭遇したものはもっと積極的に襲ってきていた。
疑惑が本当なのかと気になった透人は先生と同じように笑亜を見る。
すると彼女はテーブル上のカップを取って紅茶を優雅な動作で一口飲み、その行動により先生の眉間の皺を深くさせてから答えた。
「それについては本当に違うわよ。あまり大勢に見られそうならそうしようとは思っていたけれど、実際には必要なかったもの」
「……それについては、か。つまり俺を利用した事は認めるんだな?」
「だからどうしたのよ。それくらいでグチグチ言うなんて相変わらず器の小さい男ね」
先生は開き直った笑亜の言葉に大きな反応を示したが、透人としては「必要なかった」という部分に興味が湧いた。
目線を向けて促すと、真剣味を帯びた顔で笑亜は話し始める。
「玄堂君のところはね、犯罪組織が暗躍していたりして色々と不穏なの。今回も彼等の情報収集のようなものだったのよ」
「……全く聞いてないんだが?」
「ええ、そうでしょうね。言ってないもの」
ジトッと睨む先生の方を見もせずに薄い笑みを浮かべてそう言うと、笑亜は再び真剣な表情に戻した。
「ただまぁ……不穏とは言っても、表に出てくるのはまだまだ先の話ね。その分彼等は周到な準備をしてくるでしょうけれど」
「んー。要するに、時間が経ったら大きい戦いがあるの?」
「ええ、そうね。けれどもうすぐ夏休み。修行編をやるにはもってこいの季節よ」
「……それは、自主的に修行しろって事? それとも何かやる予定があるの?」
話題に似つかわしくないおどけたような調子で言った笑亜に、透人は同じように気楽な調子で尋ねる。
その質問に、笑亜は返答の代わりとして悪戯っぽい妖艶な微笑を見せた。
嫌な不安と好奇心の疼きを同時に抱かせる、悪魔めいた笑み。今年の夏は非日常的な騒動が待ち受けているだろうと確信させるものだ。
その確信を得た透人はそれも悪くないか、と思った。むしろ少しばかりわくわくした気分の方を強く感じていた。
そして不機嫌そうな顔で「オイ、それも聞いてねえぞ。また何か企んでんのか」と問いただす先生は無視されていたのだった。




