第七十三話 はじめまして
一学期の終業式。
それは世の学生達にとっては面倒な行事だが、それさえ終われば夏休みという節目でもある。誰もが待ち望んでいた日だろう。
その証拠に、校内には朝から弛緩した空気が漂い、多くの生徒が浮かれている。
それは透人も例外ではなく、無表情ながらも内心では高校生となって初めての夏休みに様々な期待を寄せていた。
無論、世間一般の高校生が送る夏休みとは別物になるのだろうが、それでも楽しみにしていた。
そうして待ちに待ったその時が遂に訪れる。
終業式が済み、更にホームルームが終わると、解放感からかクラスは一気に(先生に怒られない程度に)騒がしくなった。
充や紅輝が集まり早速遊びの話を始めたので、透人もそれに加わろうとする。
そんな時届いたのは頭に直接響く不思議な音声。笑亜からのテレパシーだ。
『この後、いつものあの部屋に来てくれないかしら』
内容は理事長室への出頭要請。
しかしこの日は特に何かしらの事件があった訳ではない。
透人は疑問に感じ、答えはないだろうと思いつつも笑亜の方を見る。
すると、同じタイミングで顔をこちらに向けた彼女と目が合った。が、微笑むばかりで何も言わなかった。そのまま速やかに席を立ち、すたすたと教室を出ていってしまう。
恐らく行ってからのお楽しみという事なのだろうが、一応心当たりならある。
つい先日抱いた予感だ。
確かに夏休みになったら何かがあるとは思っていた。ただ、まさか終業式当日からとは思っていなかった。
とはいえ、透人の中に行かない選択肢な存在しない。一切迷わずいつもの部屋へ行く事を決めた。
そうとなれば友人達に一言断らなければならないだろう。
そこでやっと透人はずっと感じていた視線に意識を向ける。自席から充の席の方に動かした椅子に後ろ向きで座り、じーっと見つめている紅輝と正面から向かい合った。
そして数秒後、睨み続ける紅輝の口から僅かな不快感を含んだ声が吐き出される。
「……なあ、透人。お前と神無月さんってやっぱり付き合ってんのか?」
「ん? いや別にそんな事ないけど。何で?」
「だって今アイコンタクトしてただろ! 二人だけが分かる何かがあっただろ畜生!」
「いやぁ、さっきのは俺もよく分かってないよ?」
急に声を張り上げてひがんできた紅輝に、透人は呑気な調子で答えた。
実際、先程以外の場合でも笑亜の真意は未だによく分からない事が多いのだ。透人自身も何を考えているか解らないとよく言われるが、彼女はそれ以上だと思っている。
ただし、正確に言うと二人だけに分かるテレパシーはあったのだが。それはややこしくなるので口にはしない。
「……つまりさっきのはこっそり会うのを示しあわせたとかじゃない、と。そんでもって二人は付き合っていない。……これは本当だな?」
「うん。だから付き合ってなんかないよ」
真剣な顔で詰めよってきた紅輝の言葉を、透人は平静なままで二つ目だけ肯定した。なるべく嘘は吐きたくないので一つ目には触れない。
そんな言葉で不満の色は少し薄れたものの、まだ納得していないような表情の紅輝は声を潜めて訊いてくる。
「……だったらあれか? 力雄とか御上の野郎とかの仲間とかそういう感じか?」
「んー……まぁ、そういう訳じゃない、かな」
透人は短い時間だけ考え、正直に話した。
笑亜が一方的に知っているだけで彼等は知らないのだから仲間とは言えないだろう。
ここで透人を信用したのか、紅輝は晴れやかな顔を見せる。そして透人にある頼みをしてきた。
「よし、そんなら問題はないな。今度ちゃんと紹介くれよ。最近あの感じにも慣れてきたからな!」
「んー。紹介もなにも、すぐ後ろの席のクラスメイトだしそんなの要らないんじゃない?」
「無理だ。流石に一人じゃ色々もたない」
「慣れてきたんじゃなかったの」
堂々と情けない発言をした紅輝に対し、透人が静かに言い放った。
紅輝はそれに言い返そうと口を開いたが、楽しげに弾んだ声に先に割り込まれてしまう。
「はっはっはっ。笑亜は火口君の手には負えないでしょー。あ、でも明海君をけしかけてくれる役にはなってくれるかなー」
いつの間にやら笑亜の席に現れ、好き勝手に発言した市乃。
彼女に気づいた紅輝がうわっ、と驚き身を引いた。一方で全く動じていない透人がほんの少し眉を寄せて尋ねる。
「前々から思ってたんだけど、白葉はそんなに俺と神無月をそういう関係にしたいの?」
「だってさー。一部の例外はいるけど、クラスの男共は皆不甲斐ないじゃーん。これだけいて誰も恋愛経験がないとか情けないにも程があるでしょー」
「え?」
台詞の途中で、透人が反射的に戸惑いの声をあげた。
途端、市乃の目付きが鋭くなった。トーンを落とした冷たい声を透人にぶつける。
「ちょっと待って何今の反応」
「ん……あー……いや、意外だなって」
「意外……?」
そう呟いた市乃は視線だけを動かして辺りを探る。そして一人の人物に目をつけた。二人のやり取りに反応してしまった彼を目敏く発見したらしい。
驚愕の顔つきで声を震わせながら問いを発する。
「……まさか……麻生君、彼女いるの?」
「……いや、いないんだが……何で俺に聞いた?」
落ち着いた、いつもの様子で答える充。一見したところ不自然な点は見つからない。
しかし市乃は自らが培ってきた技術と経験で判断を下す。
果たして情報収集の専門家が出した結論は、クロだった。
「うわぁー! 本当だったー! 私とした事がなんたる失態、なんたる不覚! 完っ全にノーマークだったぁー!」
市乃は床に手と膝をつき、うちひしがれた様子で叫んだ。ふざけているというより、本気で悔やんでいるようだ。
そんな彼女と入れ替わり、充に真っ先に詰め寄ったのは紅輝。勢いに任せてまくしたてる。
「あぁ!? マジかお前!? どこの誰だいつからだ!?」
「いやいや、待て待て。それは白葉が言ってるだけで」
「中学の後輩で去年から」
「何で言ってんだお前ぇぇ!?」
充はあっさり情報提供した透人に盛大なツッコミを入れた。それも過去聞いた事がないような声量。どうも本気で動揺しているらしい。
それと対照的に落ち着いた様子でいる元凶は諦めの言葉を口にする。
「いや、白葉にバレたらもう無理だと思うよ」
「ふっふっふ。その通ーり! 今度はきっちりマークしてあげるんだからねっ!」
「ほら」
復活した市乃が無駄に高いテンションで宣言。
それに乗じて紅輝や他数人も嫉妬やひがみで騒ぎ始め、教室は危険な域まで喧しくなった。
「あぁ~……こんなんになりそうだから隠してたのによぉ……」
そんな周囲を遮断するように、充は耳を塞ぎ机に顔を伏せ、一人絶望にふさぎこむ。
この後やり玉にあげられた彼は、騒ぎを聞きつけた先生が来るまで、やっかみや無粋な質問を浴び続けたのだった。
「あれで見破るなんて白葉ってやっぱり凄かったのかなぁ」
透人は静かになった教室から抜け出し、理事長室を目指していた。そして目的地に着くまで、市乃が無駄に発揮した観察能力について考えていた。
普段からずっとふざけている彼女だが、その技術は磨きぬかれている。どれだけ時間を費やしたのか想像もつかない。
だが、そんな努力の結晶をしょうもない事にしか使っていない気がしてならない。
そう思わせるようなふざけている態度は周囲を油断させる為なのか、それとも本気なのか。
多分本気なのだろう。
難しい事は何も考えていないに違いない。
目的地の前に達した時点でそう結論づけ、考え事を止めた。
そして頭を切り替えてから扉を開く。
すると、初めて耳にする陽気な女性の声に迎えられた。
「いよぉう。はじめましてだな、少年」
透人が室内に入ったと同時に声をかけてきたのは、笑亜の隣にドカッと座る妙齢の女性。
赤い長髪に翠の瞳。上背がある体を季節外れの長袖の迷彩服に包み、欧米風の彫りの深い顔には不敵な笑みを浮かべている。
活動的で豪快な印象を受ける人物だった。
「あ―、はい。はじめまして、どなたですか?」
挨拶から続け様に質問した透人に、いつもと比べて少しばかり柔らかく微笑んでいる笑亜が答える。
「このお姉さんの名前はヴァレン。早い話が私達のお仲間よ」
「おう。そっちも笑亜から話は聞いてるぜ。よろしくな、少年」
「あ、はい。よろしくお願いします」
話を聞いていると言う割に名前を呼ばないヴァレン。彼女が手を差し出してきたのでその手を握る。
そうすると痛い程力強く握り返され、ついでにブンブンと振り回された。
これまでの短い時間でも彼女の人となりが見えてくる。やはり男らしい豪快な人のようだ。
解放された透人は定位置に着きつつ、呼びだした笑亜に用件を確認する。
「今日の用事ってこの顔合わせだったの?」
「いいえ。それだけではないわよ。けれどもう少し待ってて。もうすぐ…………ほら、来た」
笑亜がその言葉を口にしたとほぼ同時に、静かでゆっくりと扉が開いた。
そこから顔を見せたのはつい先程も見かけた人物。不機嫌さを隠そうともしない、仏頂面をした先生だ。
「オイ、一体何の用だ? 俺は忙しいんだが」
「よ! 久しぶりだな、猛」
不満げな台詞を吐き出した先生に対し、ヴァレンは手を軽くあげながら挨拶した。
その次の瞬間。
バタダンッ!
ダダバンダダンッ!!
幾つもの乾いた破裂音が繋がって轟くと共に、幽かな影が視界を横切り、強烈な暴風が室内を吹き荒れた。
扉が開け閉めされた音と床を蹴る音。
それらの音の正体を察したのは、二人の大人の姿が消えていた事に気づいた後だった。
「……えーと。速すぎて見えなかったんだけど……先生が逃げてヴァレンさんが追いかけたって事でいいの?」
「ええ。それで合ってるわ。まったく、先生にも困ったものね」
透人もしばらく呆然として言葉を失う程の出来事だったが、なんとか立ち直って状況を把握した。
その確認を受けた笑亜は愉快そうに微笑みながら肯定する。
透人はこの部屋を訪れる人間の非常識さを改めて思い知ったのだった。




