第六十七話 要請してない応援
あの世界にまつわる危険は全て排除する。
金悟は良子に助けられた際にそう決意した。
だから鍵からの警告を受けた金悟は道を塞ぐ生徒達をかき分け、咎める教師を振り切り、必死の思いで目的の場所まで走った。
しかし、そこに到達する前に鍵が今までと違う反応をする。
ジリリイィン、と警戒心を煽るような強い音を発したのだ。
それは何者かが世界の境界を潜った合図。
こちらから向こうに行ったのか、向こうからこちらにやってきたのか。どちらにせよ、重大な危機。
そう焦る金悟だが、鍵が示す位置に辿り着く前に鍵の反応が消えた。
つまりあの別空間へと通じる虹色の光も消えたという事だ。もうこれ以上の行き来はない。
金悟の焦りが嫌な疑惑に変化する。
ここに良子や他の仲間がいない以上、光を消す事が可能なのは一人しかいない。鍵が反応した二回の時間差から考えると、何物かの移動の現場を見ている筈。
その上で光を閉じたのなら、今現在も向こうから来た獣と戦闘になっている可能性がある。
もし本当にそうなら、あの世界の被害を抑える活動で奴に遅れをとったという事だ。奴がいなければ、金悟が間に合わずに騒ぎが大きくなっていたかもしれない。
そうして複雑な思いを抱えて走った金悟が目的としていた場所で発見したのは予想通りの人物。もう関わるなと警告し、その場に置いてきた筈の透人だった。
「オイ、何してやがる」
その透人に金悟は怪訝な顔をしながらも乱暴な口調で尋ねる。
獣との戦いで矢面に立っていると思っていた彼が、実際には目を閉じてただその場に立っていただけだったから。
しかし透人は金悟の声に応えない。
そこで金悟は肩を叩きながら「オイ!」と強めに声をかけた。
それでようやく気づいたのか、透人は目を開いて金悟の姿を確認すると、呑気な様子で答える。
「ん? ああ、玄堂君。あの光は閉じたんだけどさ、向こうから出てきた奴に逃げられちゃった」
「だったら何で追いかけもしねえで突っ立ってた」
「いや、それが見失っちゃってさぁ。それにかなり素早かったから、普通に追いかけても追いつかなそうで困ってた」
透人は凄む金悟にも動じず、内容にそぐわないのほほんとした雰囲気で報告した。緊張感の欠片もない。
相変わらず気に食わない男だが、遅れた自分はどうこう言える立場ではない。
逃げられたのなら被害が出る前に見つけて排除すればいいだけの話だ。
その為に必要な情報を透人に求める。
「逃げた獣はどんなだった?」
「んー。何というか、やっぱりあっちの世界の変な生き物って感じだったかな。足が異様に多くて気持ち悪かったし」
「足が多くて気持ち悪い変な生き物、か。分かった。テメエはもう帰れ」
「ん? いや俺も手伝うよ。動きが速いから一人で追いかけるよりも二人で挟み撃ちとかした方が有効そうだし」
透人には言外に必要ないと言ったのだが、彼は平然と協力を申し出てきた。
透人の報告が本当なら確かに厄介な相手だ。真っ向から襲ってくるのではなく、すばしっこく逃げ回られるのは相性が悪い。
彼の力を借りたくないのは金悟のプライドの問題。
しかし、もし逃して被害を出したら良子に顔向け出来ない。
どちらを優先すべきかは金悟にも分かっている。
「チッ。仕方ねぇな。足引っ張るんじゃねえぞ」
「あぁ、うん。分かってるよ。大丈夫大丈夫」
これから始める事を本当に分かっているのか怪しい透人の言葉に多少の不安を抱えながらも、金悟は獣の捜索を開始した。
*
夏休みを目前にして、授業が半日で終了した応征学園。
その敷地内には広い中庭が存在する。色とりどりの花が咲く花壇と立派な並木がある、緑溢れる憩いの場だ。
木陰にはいくつかベンチが設置されており、座る者に夏の日射しからの避難場所を提供する。
今現在、二人の少女がその恩恵を受けていた。
短髪でスレンダーな体型をした勝ち気そうな少女と、金髪碧眼それに誰もが羨むスタイルを持つふわふわした雰囲気の少女である。
「なぁ、アンナ。こないだのテストの事だけどな」
「…………ふぇ? 何か言った? さきちゃん」
勝ち気そうな少女、早喜が話しかけるも、ふわふわした雰囲気の少女、アンナは首を傾げて聞き返す。手にするパンを食べるのに夢中で聞いていなかったようだ。
早喜とアンナの二人は校内で食事をとっていた。ただ、午後から学校に用事がある訳ではなかった。
アンナは帰宅部で、早喜が所属する野球部も練習は休み。補習などもない。
それでもこうしているのは、単にアンナが購買で販売されている食べ物を気に入っているからだ。
その気持ちは早喜にも分からなくはない。
ここの購買で販売されている食品は、アンナに限らず多くの生徒から美味しいと評判だ。
購買で売られる物としては常識的な値段なのに、どう考えてもそれ以上の価値があると言われる程だ。
アンナによると、どれもこれも一流の実力を持った人物が良質な材料を用いて手間隙かけた品物らしい。
たかが高校の購買に力を入れすぎだという話だ。何も知らなければ笑い飛ばしていただろう。しかし、あの秘密を知っているこの怪しい学校なら充分有り得ると思えてしまう。
ただ、だからといって早喜はわざわざこんな日にまで食べたいという思いはない。さっさと帰ってクーラーの効いた部屋で涼みたいとさえ思っていた。
しかしアンナは食に対して非常に強いこだわりを持っているのだ。食べ物への主張は一度言い出したらなかなか曲げない。
アンナと友達として付き合う以上は、食べ物に関しては譲らなければならないのだ。
とはいえ、早喜は別にそれが嫌いでもなかった。美味しいものを食べている時の幸せそうな顔は見ているとこっちまで幸せな気分になってくる。
食べながらだと話が進まないという点は少し困りものだが。
早喜はアンナの意識がちゃんと自分に向いている事を確認してから再び話を切り出す。
「だからこないだのテストの話だよ。アンナ、今回は異様に成績良かったよな?」
「うん。それがどうかしたの?」
「それがどういう事か分かってるか? 何で今回だけは良かったんだ?」
どうしてこんな話題を持ち出したのか察していない様子のアンナに、早喜は確認をとるように尋ねる。
アンナは今まで成績があまりよろしくなかった。
興味があるものに関しては豊富な知識を持っているから、決して頭が悪い訳ではないと思う。ただ勉強には興味がまるで湧かないだけなのだ。
ハーフでいかにもな見た目なのに、元々日本が好きだったイギリス人の母親が家でも日本語しか使わないとかで、英語すら危ない。
だから中学で仲良くなってからずっと早喜が勉強を見てきた。早喜も少年野球があったので勉強が疎かになりがちだったが、アンナよりは点数はとれていた。
それでもアンナは赤点を何度もとっていたし、補習の常連だった。
そのアンナが、今回の期末テストでは全教科で平均点以上を叩き出したのだ。
これは快挙である。本来有り得ない程の。
アンナは未だによく分かっていない様子で答える。
「ふぇ? 何でって……えぇと、せいじろうくんに勉強見てもらったから?」
「そうだ。御上に教えて貰ってたからだよな」
今回の快挙は本人の言う通り清慈郎のおかげだ。テスト期間中、時間があれば勉強を見て貰っていたらしい。丁寧で根気強く、とても分かりやすかったとか。
しかし清慈郎は入学してからずっと無愛想で排他的。人付き合いもほとんどなかった。それでも顔がいいので女子のファンは多いが、早喜はあまり好ましく思っていなかった。
そんな清慈郎がアンナに勉強を教えるきっかけとなったのは市乃の提案である。
しかし市乃が何を言ったところで清慈郎にはメリットはない。排他的な彼ならすげなく断ってもおかしくない提案だ。
それなのに彼は何故か引き受けた訳だが、その理由は考えるまでもなかった。何故なら最近の彼は分かりやすい反応を見せるようになってきたから。
どこからどう見ても、清慈郎がアンナに好意を抱いている事は丸わかりだった。
ただそうなると、ファンの群れが何かしてきそうなものだが、今までそんな事は一度もなかった。
どうも裏で市乃が暗躍しているらしい。大人数にバレたり邪魔が入ったりしないよう情報工作しているようなのだ。
市乃がそこまでする理由は単純に面白がっているからだろう。人を完全に玩具扱いしている。
そういうところが早喜には気に食わないのだが、今回限りはアンナの成績という結果があるのであまり強く否定する訳にはいかなかった。
ここからが本題。
早喜は確かめておくべき内容をアンナに質問した。
「……御上について、どう思ってる?」
「どうって……う~んと……頭が良くて優しい、友達だよ?」
「友達、ね。まあ、やっぱりそうだよな」
アンナは嘘を吐く時は明らかに動揺して分かりやすい反応をする。つまり間違いなく本気で言っていた。やはり気づいていないのだろう。
アンナはその容姿故に男子の注目を浴び、つきまとわれたりしてきた。そしてそんな連中を早喜はずっと追い払ってきた。
ただ清慈郎は今までアンナに寄ってきた男共とは違う。無理に迫ったりといったアンナの迷惑になるような事はしないし、勉強についても恩に着せるようなことはなかった。
だから早喜は本人が良ければ口を挟む気はない。むしろ応援してもいいとさえ思っている。
だが、本人はこの通り難攻不落。
彼の思いが報われる日は来るのだろうか。
「罪な女だねぇ、全く」
「さきちゃん、何か言った?」
「いんや何にもー」
人の気も知らないアンナを余所に、何だか切なくなってきた早喜は空を仰ぐ。
視界に広がるのは、頭上で日光を防いでくれている緑の葉と、見ていて気分が良くなってくる様な雲一つない清々しい青空。
コントラストが美しい夏の風景だ。
そこに突如、奇妙な異変が生じる。
それを目にした早喜は思わず困惑に満ちた声をあげてしまう。
「んん?」
おかしな影が鮮やかな景色の中に入ってきたのだ。
青い夏の空を飛んでいくのは固そうな体を持った虫のような影。カブトムシなら町中で見るのは珍しくとも、問題なかった。
ただし今見かけた虫は決してカブトムシなどではなかった。色は灰色、角も異様な形に曲がり、足も六本どころではなく、サイズも小さな子供くらいはありそうだった。
自然界の生き物としてはまずあり得ない存在。だがしかし、早喜には一つそんなあり得ない存在に心当たりがあった。
ただ早喜が困惑から立ち直る前に、謎の虫は何処かへ飛び去り視界から消えててしまった。
このままでは他の生徒にも見つかり騒ぎになる。それどころか虫が生徒に危害を及ぼすかもしれない。
心当たりがある早喜にはこの事態を収める責任がある。
困惑から復帰すると直ぐ様行動を起こす事に決めた。
「……アンナ。これやるから食べていいぞ。アタシはちょっと用事がある」
「ふぇ? いきなりどうしたの、さきちゃん?」
「悪い、急ぐから説明はまた今度!」
早喜は残っていたパンをアンナに渡すと、急いで虫が飛び去った方向へと駆け出した。
「あんの適当野郎めぇ……」
その道すがらとある人物を脳裏に浮かべ、顔をしかめて悪態を吐く。
それから取り出したのは携帯電話。毎度騒ぎを持ち込むあの馬鹿には文句を言わないとやっていられない。
「また変な生きもん逃がしやがったな、お前ぇぇぇ!!」
早喜は電話の向こうの宇宙人に怒りをぶつけるように力を込めて叫んだ。




