第六十六話 サイレンは鳴る
季節は夏の真っ只中、七月。蒸し暑く、過ごし難い時期。
しかし同時に期末テストという難敵を乗り越えた、夏休みまでもう少しという時期だ。
重荷から解き放たれた多くの生徒達の顔は晴れ晴れとしていて明るい。
授業は半日で終わっているのだが、昼になっても教室に残り、騒いでいる人影が多かった。
そんな教室で、透人と充と力雄の三人も帰る前に今後の予定を話していた。本来ならもう一人それに加わるところではあるが、残念ながらその人物には補習があったのでこの場にいなかった。
夏休みを目前にして彼等は遊びの計画を話し合う。
透人と充は高校生として初めての夏休みに気分が盛り上がっていた。力雄も遠慮しがちではあるものの乗り気である。あの事件以来、少しずつ距離が近づいてきている気がして透人は嬉しく思う。
そこに、ドスの効いた低い声が割り込んだ。
「オイ、テメエ。ちょっくら面貸せ」
乱入者は眉間に皺を寄せてまっすぐ透人を睨んでいた。
その正体は玄堂金悟。他校の二年生とコンビを組んで異空間のモンスターと戦っている男子生徒だ。
彼は高い身長から座っている透人を見下ろして威圧している。
金悟との会話は、白黒の世界でのいざこざがあったあの日ぶりだ。そもそも学校で話しかけてきたのはこれが初めてだった。
そんな金悟が面を貸せと言うのだから用件は一つしかないだろう。
「うん、いいよ。何?」
「いや、いいのかよ。何やったんだお前」
「んー。まぁ、大丈夫だよ」
透人は威圧感をものともせず平然と承諾。それを充にツッコまれてもやはり呑気に返す。
「じゃあ。遅くなったら先帰ってて」
「って、オイ待て!」
そして、呆れ顔の充とおろおろする力雄を置いて立ち上がり、一声かけると見送られながら教室を出ようとする。そんな透人にペースを乱された金悟は苦い顔で慌てて続いた。
透人と金悟は教室から人気のない場所へ移動する。渡り廊下を進んだ先、美術室や音楽室といった特別な教室が並ぶ棟の隅。
この学校は人が少ない割に敷地は広く、余り使われない場所が溢れていた。組織の事を踏まえると、恐らくこういう時の為に意図的にそうした空間が造られているのだと思われる。
途中から先導していた金悟は立ち止まると用心深く付近を確認していた。透人が霊視で探りを入れても話が聞こえるような場所に人はいない。
確認を終えた金悟はぼーっとする透人を睨みつつ、いきなり用件を切りだしてきた。
「テメエ、ここ最近あの鍵使ったか?」
「んー……まぁ、使ったね」
金悟が言うあの鍵。それは、持つ人それぞれの武器となる、あの世界に関わる者にとって必需品である鍵だろう。
確かに鬼の一件の時に使っている。
透人は少し迷った後、ある程度は正直に話す事にした。全て誤魔化そうかとも思ったものの、金悟には何やら根拠がありそうだったので止めた。
すると、険悪な雰囲気を纏う金悟に凄まれる。
「もう関わるなって言っただろ。何で止めねぇんだ」
「そんな事言われてもねぇ。俺にも色々事情というものがあってさぁ」
「お前の事情なんて知らねえ。何であれを使う必要があった?」
「んー…………と、遠距離ヒザカックン?」
「ふざけんな。本当は何だ」
透人の答えは一蹴されてしまった。一応事実と言えなくもないのだが。
しかし詳しく説明しようにも、鬼と一戦交えたとは言えない。かといっていい加減な嘘は躊躇われるし、金悟もしつこく追及してきそうだ。
そこで透人は話題をすり替えようとしてみた。
「そういえばあの鍵、壁にぶつけたら変形しなくなってさ。困ってたんだけど、毎日試してたら一週間位でまた使えるようになったんだよね、どういう理屈?」
「壁にぶつけたって……だから何やってたんだテメエ」
「重い物持つ時とか便利そうだよね」
「ふざけんな。本気でんな事に使う奴いるワケねえだろ。また向こうに行ったんじゃねえのか」
とぼけた態度にとうとう業を煮やしたのか、金悟は透人の胸ぐらを掴んで怒声をあげた。しかしその当人は平然とした顔で金悟の台詞を否定する。
「いや、行ってないよ。もうどんな所か分かったし、第一あれから入り口見た事ないし」
「だからその入り口を鍵で開けたんだろうが」
間を置かず繰り出された追及に、透人は胸ぐらを掴まれたままの状態で首をかしげた。
「ん? ……あぁ、そういえばそんなのもあったっけ。そっちは試した事ないなぁ」
「…………それ、本気で言ってんのか? 本当にあれから向こうに行ってねえんだな?」
「ん? うん。そうだけど」
急に威圧感が弱まった金悟の質問に透人があくまで自然と答えると、彼はしばらく黙った後、舌打ちして手を離した。
しかし、ギロリとした鋭い目付きは変わらず、凄みのある声で問いかける。
「向こうへの入り口はこれからも出す気はねえんだな?」
「うん、試す気はないよ。行っても楽しい所じゃないし、何の得も無いし」
「…………普通はそうなんだよ」
相変わらず軽い返答を受けた金悟は明後日の方向を向き、苦虫を噛み潰したような顔で言った。不機嫌さは残っているが、怒りの矛先は透人でないものに変更されている様だ。
それを丁度いい機会と見た透人は好奇心の赴くまま尋ねる。
「何? 何があったの?」
「テメエには関係ねえ。もう用はねえからさっさと帰れ」
「でも、何か手伝えるかもしれないし」
「テメエの助けなんていらねえ」
「……ふーん。じゃあ、鍵が直ったのはどういう理屈?」
「教える義理はねぇな」
「でもまた壊れた時に困るし」
「そん時ゃそのまま捨てちまえ」
「冷たいなぁ。少し位教えてくれてもいいのに。これ未だによく分からな――」
求めた説明をすげなく拒否されてもしつこく食い下がっていた透人だが、金悟の頑なな態度を受けとうとう諦めムードで愚痴り出す。
その声が、不意に聞こえてきた音により止まった。
リイィィィン。
と、手にしていた鍵が不思議な響きの澄んだ音色を発したのだ。そして同じ音がもう一つ他の場所からも聞こえてきた。発信源までの距離と方角がはっきり分かる。
テレパシーにも似ているが未知の感覚に透人は戸惑う。
一方で明確な反応を示したのは金悟だ。
焦りが伝わる荒げた声で悪態を吐く。
「近い……クソッ、この学校の中か!?」
そして、脇目もふらずに飛び出していった。
その様子から大体の事情を察した透人は、急いで追いかけながら推測した仮説の確認をとる。
「これってもしかして、あの入り口出現の合図ー?」
「黙れ、引っ込んでろ!」
「でもそっちは止めた方がいいよー」
透人の質問に暴言を返し、忠告を無視して廊下を走る金悟。音の発信源への最短ルートを直行している。
やはりあの虹色の光が出現していて、誰かが潜る前に閉じようと急いでいるのだろう。時間のロスはしたくないようだ。
仕方なく透人は金悟と別れ、一人で多少遠回りになる道を進んでいった。
わざわざそんな事をする理由は一つ。その方が早いからだ。
何故そうなるかといえば、金悟が進んでいるルートには騒いでいる生徒や部活動がある生徒が大勢いて通行に支障をきたすからだ。
案の定そちらの方向からは「邪魔だ!」という怒鳴り声が聞こえてきた。
こういう時、霊視は本当に便利である。
金悟に代わり、透人は音を頼りに虹色の光を目指す。方向と距離からすると目的地は屋外、校舎裏。ここも元々人気の少ない場所だ。
霊視を使いつつの移動により、誰ともすれちがうことなく例の入り口が視認出来る位置まで辿り着く。
周囲には誰もいない。既に何かが起こった形跡もない。被害が出る前に終えられそうだ。
そうして安心したところが油断に繋がってしまったのかもしれない。
虹色の光に特に急ぐ訳でもなく歩いて近寄り、透人は取り出した鍵を差し入れる。その直前。
鍵が新たな反応を示した。
ジリリリィンッ、と今までの澄んだ音色から警戒を促すようなけたたましい音へと変化したのだ。
これは初めての経験だったが、透人は疑問に思わなかった。何故なら、あからさまなその原因が目に飛び込んできたから。
灰色の怪しい影が光の中から現れていたのだ。
堅そうな体に薄い羽、幾つも生えた細い足。体長は五十センチくらい。
サイズを考えなければ、まるで虫のような姿。けれど自然には存在しない、歪で気味の悪い姿だ。
向こうの世界のモンスターを認識した瞬間、透人は反射的に後退りする。
虫のようなモンスターはそれを追いかけるように飛行し、風のような速さで猛然と体当たりをしてきた。
透人は避けきれず、大きさの割に重い衝撃を受けて仰向けに倒れてしまう。しかし傷は軽い。すぐ上体を起こし、追撃に備えて武器を用意しようとする。
「ワンダー…………ッ!」
透人は鍵を武器の形に変化させようとしたものの、名前を最後まで言わずに止めてしまう。
その理由は、あの虫が透人の予想に反する行動をしたから。彼を無視して何処かへ飛び去り、視界から完全に消えてしまったからだ。
「んー…………しまった。どうしよう」
あとに一人残った透人は、頭をかきながらばつが悪そうに呟いたのだった。




