第四十四話 当然の帰結
そこは主要な道路に面した大通りから一本横道に入った通り。民家や小規模な店舗が並ぶだけで何の変哲もない場所だ。
そんな街並みにある建物と建物の隙間、誰も気にかけない様な空間で、奇妙な現象が起きていた。
その現象とは、虚空が虹色に輝いている、というものだった。
虹色の輝きは人一人がすっぽり入る程の大きさで、長方形の板のような形になっている。
発光体や光を反射する物体がある訳ではない。ただ光だけが存在していた。
しかし、その奇妙な光景に違和感を持つ者は居ない。
道行く人々は多くはないとは言え、そのほとんどが見向きもしていない。まるで見えていないかのよう。
光を見ていたのはただ一人の男。二十代後半から三十代前半といった年頃の中肉中背の男だ。
男は奇妙な光を恍惚の表情で見つめていて、そのままふらふらと近づいていく。心ここにあらずといった様子であり、何か良くないものに魅入られてしまったかのようだ。
ただし男にそんな自覚はない。行動には迷いも躊躇もなく、止めようとするつもりもない。
男は虹色の光の前に辿り着くと、さもそれが当然であると言わんばかりに、光に向けて手を伸ばす。そして、ゆっくりと移動する指先が光に触れた、次の瞬間。男の姿は忽然と消え去った。
その異常な出来事すら多くの通行人には見えていなかったらしい。平然と、何事も無かったように道を行き交っていた。
僅かな例外を除いて。
*
青く澄み渡った六月の空。梅雨の時期、限りある活躍の場に太陽はここぞとばかりに燦々と輝く。
そんな早くも夏が感じられる陽気のこの日、私立応征学園では球技大会が行われていた。
体育館では女子の種目であるバレーボール。テニスコートで男女共通種目のテニス。そしてグラウンドでは男子種目の野球の試合が行われている。
人が集まるグラウンドの一角で現在進行中なのは一年A組とC組の試合。
ピッチャーマウンドにて構えるのはC組の生徒。毛先をツンツンと尖らせた髪型の男子、火口紅輝。緊張した風もなく堂々としている。
一方、バッターボックスのA組の生徒の顔にははっきりとした不安の色があった。
無理もない。既にツーストライク、ツーアウト。あと一つのストライクでこの回の攻撃が終わってしまうのだ。
相手の事などお構い無しに紅輝がゆっくりと投球モーションに入り、そして、ボールが放たれた。
それも素人には思えない速球。かつコントロールも良く、ストライクゾーンギリギリの箇所に向かっていく。
バッターがバットを振るも、タイミングはまるで合っていなかった。
バシィ! と快音を響かせて小柄なキャッチャーが構えるミットにボールが収まる。
「ストライク。バッターアウト。チェンジ」
何処かやる気無さげな審判の宣言により攻守が入れ替わる。
一回の表を三者凡退で終わらせた事でC組サイドは応援も含めて盛り上がりを見せていた。
A組も、負けていられないとかけ声で気合いを入れてから守備につく。
そしてC組の攻撃が始まる。
一番手はクールな雰囲気の美形、御上清慈郎。登場に周りから黄色い歓声が上がる。そこにはクラスの隔たりはなかった。が、嫉妬や不満を抱いた者もまたクラスに関係無く存在した。
A組のバッテリーもそうだった。
清慈郎をのけぞらせようとして内角高め、顔面近くを狙って投げたのだ。
それには怖がらせる事により以降の打席を有利にしようという戦術的な意味合いだけでなく、恥ずかしい思いをさせてやろうという理由も少なからずあった。
ただ、眼前に迫るボールを清慈郎は避けようとはせず、それどころか、真っ向から立ち向かった。
「悪いが、慣れている」
A組は知らない事だが、これくらいならC組の体育の時間では日常茶飯事なのだ。
清慈郎は体を開き、正面からボールを捉え、無理矢理叩きつけるようにバットを振るった。
痛烈な当たり。
ボールは三遊間を越え、清慈郎は易々と一塁を踏んだ。
そして観客からは黄色い歓声と非難の声が上がり、ピッチャーは居心地を悪くする。
といっても、清慈郎に対する評価は女子と男子では異なっていた。味方の中からも「クソ、避けやがったか」という残念がる声が漏れていたのだ。
似た事を考える人は何処にでもいる、とピッチャーは少し安心した。
次なるバッターは何を考えているか分かりにくい無表情の男子生徒、明海透人。ボーッとしていて、とてもスポーツが出来そうには見えない。
少し安心した投手は気持ちを切り替え、第一球。
結果から言えばボールだった。ただし、透人は見きわめて引いたものの、バントの構えをとっていた。
堅実に走者を進める犠牲バント。
スポーツが不得意に見える透人ならばそれが確実だろう。
ピッチャーは余裕を持って投球し、透人がバントの構えをとった。
そして、サードがバント処理の為に前に出る。
ピッチャーはこれなら余裕だと思ったものの、すぐにそれが間違いだったと気づいた。
透人はボールが接触する直前、構えたバットを強く押し出したのだ。
プッシュバント。
強めの打球は意表を突かれたサードの股を潜り転がっていく。
カバーも遅れてしまい、その間に清慈郎は二塁へ進み、透人も僅かな差でセーフとなった。
A組にとっては悪い流れが続き、誰もが苦い顔をしていた。そこに更なる追い打ち。
三番手は高身長で体格にも恵まれた男、玄堂金悟であった。他校の生徒との喧嘩等、良くない噂が多い男だ。目付きの悪い顔でふてぶてしく構えている。
いかにも飛ばしそうな体格であり、それ以上に恨みを買いたくない相手。
そこで、ピッチャーは一塁に出しても構わない位の気持ちでボール気味に投げた。本人としてはそのつもりだった。
しかし実際にはストライクゾーンから大きく外れてのボール。心理状態が影響しているのだろう。
その後も似たような結果が続き、結局フォアボールとなった。
「フン」
金悟は不満そうにしながら一塁へ行く。
これで満塁。A組にとっては一回から最大のピンチ。
しかし、打席に入った選手を見てA組守備陣はいくらか落ち着いた。それというのも相手はいかにも弱そうだったからだ。
C組の四番はキャッチャーをしていた小柄な影、黄山力雄。おろおろしていて頼りない印象がある。
「うぅ……ごめんなさい……」
しかも何故だか謝っていた。
恐らくチャンスを潰してしまうことを謝っているのだろう。これはもう戦力不足によるただの数合わせ、四番なのはくじ引きか何かで適当に決めたから。A組勢はそう考えた。
それならもう大丈夫だろうと安堵し、ピッチャーは余分な力が抜けたボールを投げる。ストライクゾーンの隅を突く速球。素人には手が出ないだろう。
「…………ごめん、なさいっ」
それを力雄は謝罪と共に迎え撃った。
響く快音。空高く打ち上げられたボール。
ただの数合わせではなかったらしい。といってもこんなフライならアウトに出来るだろう、と平静を保ったままピッチャーは振り返る。
しかし、打球は中々落ちてこない。
高く高く遠く遠く、青空を飛んでいく白い粒。それは外野の走りに追いつかれぬまま、外野の守備位置の遥か後方に落ちた。
「は?」
呆然とする守備陣が理解するのに時間はかかったが、それが意味するのはたった一つの事実。
満塁ホームラン。
力雄が謝罪していたのは反則的な力で勝ってしまう事であったのだが、A組に気づける訳はなかった。
「よっしゃぁ!」
「いよぉーし! よくやった黄山ー!」
「えーと……うん……」
ホームに戻ってきた力雄をC組の選手達が取り囲んで暖かく歓迎する。何故か力雄は申し訳無さそうな顔をしており、困っている様子だった。
そんな事は考慮されず、選手だけでなく観客からも褒められ、力雄は更に縮こまる。
ただ、盛り上がるC組生徒の中に一人、納得していない少女がいた。
「何でどいつもこいつも帰宅部なんだよ!?」
言っている事はもっともである。が、彼女もまた騒がしい帰宅部の少女と一緒に女子競技のバレーボールで目覚ましい活躍を見せ、マネージャーなんて勿体ないと思われていたのだ。
しかし、その事を指摘する者はいなかった。
そしてこの日、C組は男女を含めた全ての試合に大差をつけて勝ち進み、他を寄せ付けぬ強さをもって球技大会で優勝した。




