第四十二話 悪夢
「ちょっと待って。今の二つ名みたいなの、何?」
「みたいじゃなくて二つ名よ。組織にいるそういう事が好きな人が私につけたものね。ちょうどいい機会だから言ってみたの」
「じゃあ、他の人にもあるの?」
「ええ。"マッドジジイ"とか"チンピラファイター"とか」
「それ悪口だよね。マトモなやつないの?」
「マトモな二つ名もあった筈だけれど忘れたわね。基本的につけたっきり使わないもの」
「うーん。適当だね」
解らない。
獣の群れを前にしても尚、怖じ気づくどころかどうでもいい会話を繰り広げる二人を見て、夜霧はそんな感想を抱いた。
入り口で行われた戦闘の経緯は見ている。だから侵入者が数的不利をものとのしない事は知っている。
しかし、今の状況はその時とは違う。
並んでいるのは人間ではなく獣なのだ。
しかも、整列させた獣には脳に処置を施してある。まだ実験段階とはいえ、与えた力は絶大。そこらの超能力者など足下にも及ばない。
更に、入り口での戦闘から予想した侵入者の力にも対策を打ってある。
それらをここまで来るような相手が予想していない筈がない。
余裕があるからには向こうも対策はしているのだろう。
しかし、その対策が解らない。
そう。テレパシーで思考を読める自分が解らないのだ。
その事実が数々の挑発で熱くなっていた夜霧の頭を冷した。
いくら読もうとしても雑音が邪魔をする。
テレパシーによるジャミング。
夜霧もそれを応用してこの施設の存在を隠していたのだから、可能だと理解はしていた。
しかし、自分の力が通じない相手に遭遇するのは初めての経験だった。つまり、少女は自分と同程度の実力者。
という事は入り口での憔悴した様子は全てが演技なのだろう。
それも警戒して実力を隠したのではなく、自分を舐めての行動だという印象を受けた。
思考を読めないという、長らくしていなかった体験。高い実力を持つ少女の存在。
予想以上の事態に夜霧は行動を起こせないでいる。
その間も侵入者は何処か呑気な話を続ていた。
「というか、虎とか狼は流石にやだよ」
「大丈夫よ。サポートはしてあげるわ。あんな小物、片手間で充分だもの」
「んー……じゃあ、まあ、行くか」
そう言って前に出てきた少年は肩に鞄をかけ、片手にメモ帳を持ち、上着のポケットからは布製の袋の口を覗かせていた。
彼がサイコキネシスを使う超能力者だとは解っている。見た限りその実力はテレパシー使いよりは劣るものだった。
なのに侵入者の迎撃を任せた実行部隊の隊長を返り討ちにしたらしい。それも監視の目を封じた闇の中で。どうも奥の手があるようだ。
だからいつまでも呆けていられない。
戦力は此方が上。考えを読めずとも押しきれる。
そう自らに言い聞かせ、一斉に跳びかかれ、とテレパシーで獣に指示を出す。
これで多少の被害を出しつつも、獣の群れが少年を蹂躙する。筈だった。
しかし、現実に行動を起こしたのは一体のみ。
残りは指示に従わなかった。動く気配すらしないならまだマシな方で、互いに争う個体までいる。
忠実な僕の反抗に夜霧は戸惑い、頭の中は疑問に支配される。
だが、一体は飛び出していったのだ。
少年の力では止められない速度の突進。
一体だけで十分。
少年の顔に恐怖の感情は無いが、反応出来ていないだけだ。
釘や螺では突進を止められない。
そんな願望に近い予測で自らを無理矢理落ち着ける。
その眼前で、飛び出した獣の爪が少年に届く、寸前。
ドカッ、と"何か"に激突して止まり、そのままズルズルと床に落ちた。何に激突したのかは解らない。ただ、何も無い筈の空中にヒビだけが入っている。
その事に少年も驚いた様な顔をしていたが、動きは止めていなかった。
少年の手から数枚の紙が浮かび、獣の上に落ちる。そして何かを口にすると、獣が床に這いつくばった。もがくばかりで動けないその様子は強大な力に押さえつけられているようだ。
しかも少年は手を止めない。
釘や螺を四肢に打ち込んだのだ。骨や神経が傷つけば戦力にならない。
あっという間に無力化されてしまった。それだけならまだしも起きた現象が理解出来ず、言葉を失う。
そんな夜霧をよそに、指示に従っていなかった獣が一体突進していった。
その獣もまた空中に叩きつけられたように止まる。そして先程と同じように無力化された。
夜霧は足下から這い上がってくる得体の知れない悪寒を感じて震えた。
指示を無視していたかと思えば突然動く出した獣。
少年のサイコキネシスではあり得ない対処法。
何か、重要な勘違いをしているような、間違いをしているような、嫌な感覚。
それが逆に夜霧を冷静にさせた。
まず、指示に従わない原因を確かめる為に獣達の思念を読み取る。
すると答えは簡単だった。
獣達は夜霧以外の、即ち少女のテレパシーも受け取っていたのだ。
少女のテレパシーは夜霧の指示を打ち消し、新たな指示を与えている。
指示に従った獣は単に見逃されただけにすぎない。
確かに答えは簡単だった。しかし、その行為は簡単ではない。
自分と獣の群れが他者のテレパシーに対抗する為に、此方も思念波を放出し続けているのだ。
此方の妨害をすり抜け、十を越える獣の指示を上書きする。しかも読心へのジャミングを残したままで。
普通ならとても同時にこなせる仕事量ではない。
脳にどれだけの負担がかかっているのか想像も出来ない。
もしかしたら少女のの実力は自分と同程度ではなく遥か上なのではないか――
再び悪寒が体中を駆け巡る。
しかし、負けを認める訳にはいかない。まだ研究は道半ばなのだ。完成したら裏社会の全てが手に入るこの研究。とても諦めきれない。
むしろチャンスだと考えるべきだ。
返り討ちにして研究材料にすれば研究は大幅に進むだろう。
己を奮い立たせテレパシーの出力を上げる。
上書きされた命令を更に上書きして正常に戻す。当然言う程易くはない。
夜霧の変化に向こうも合わせてくる。
始まったのは決して目に見えない、それでいて激しい思念の攻防。互いのテレパシーを打ち消し合う超感覚の闘い。
ものを言うのは超能力の強さ。
もし、万が一、本当に実力に差があるのなら分が悪い勝負だ。
そこで一計を案じる。
今、最も優先しなければならないのは獣同士の争いを止めさせる事だ。だから他を捨ててそこに力を集中した。相手も合わせて力の配分を変えてきた事で均衡が保たれ、現状が維持される。
そこを狙う。
向こうの思念が弱まった獣に力を集中させ、一気に押しきる。
そうして三体の支配を取り戻す事に成功した。攻撃の指示を遂行しようと飛び出していく。
「あら、思っていたよりやるじゃない」
何処までも上から目線な少女の台詞。だが、それに苛立つ余裕などない。
既に多大な負荷を受けた頭は割れそうに悲鳴に上げている。ジャミングの雑音さえ苦痛を増大させる程だ。
だというのに夜霧以上に脳を酷使している筈の少女は顔色一つ変えていない。
その顔を絶望に染めてやる。
正面からでは止められてしまう。
だから獣は二手に別れさせ、左右から同時に少年に迫らせる。
少年は少し焦ったような顔で左右を交互に見やっていた。突然三倍に増えた敵に戸惑っているようだ。
これでまず一人は始末出来る。
そう思った時。
「ブロック。ショット」
少年が何やら言い出した。
窮地に思わず出てしまっただけの意味の無い叫びか。
それ位しか思いつかなかった夜霧を嘲笑うように、結果がもたらされる。
左から迫っていた二体がまとめて何メートルも吹き飛び、右の一体は何かに塞き止められたのだ。
後者は何度も見たが前者は初見。
まだ奥の手を隠していたらしい。
が、それが何か見当もつかない。
こうなってくるといくら数を増やしても変わらないかもしれない。
だったら質で勝負を仕掛ける。
獣へのテレパシーを全てキャンセル。
そして、浮いた力は傍らの男に回す。
この男は現段階での夜霧が手掛けた実験体の最高傑作。
ただし、全力で超能力を使わせれば脳が耐えきれずに壊れてしまうだろう。
できれば使い捨てにはしたくなかったが、そんな事を言っていられる状況ではない。
切り札を消耗させた責任はあの二人にとって貰う。
「さあ、奴等を適度に潰してしまいなさい」
今回の指示は強固に守りを固めた為か、相手の干渉を一切受けずに済んだ。
実験体は前傾姿勢を取り、力を溜める。そして、目にも止まらぬ速度で駆け出した。
先程獣に迂回させた"何か"がある地点。
そこを実験体に殴らせる。
リミッターを外した最大の力をサイコキネシスでブースト。筋肉の動きに合わせた念動力で加速させた攻撃。
その結果、衝撃波と爆音を伴う打撃となって"何か"を叩きつける。
施設全体を揺らす程の一撃はとうとう"何か"を上回った。ガシャァン! と盛大な音を立てて砕け散ったのだ。
この最高傑作の全力なら通用する。
それを確認した夜霧はニタリと笑った。
一方、少年は怯えたように目を見開き、後退る。
それでも尚、立ち向かう意思は残っていた。
「ブロック」
何をしたのか。
正確な事実だとの確認は出来ずともある程度は予想がつく。
"何か"を作り出したのだろう。だが、そんなものは無駄な抵抗にすぎない。
それを理解しているのか、少年は抵抗を続ける。メモ帳を千切って追撃の姿勢に入っていた実験体に貼り付け、右手を前に出して言葉を発した。
「硬化。重力増加」
そして、再びの爆音。
しかし、予測と違い今回は大きなひびが入っただけ。"何か"はまだ健在していた。音も若干弱まっていた気がする。
結果から見れば少年の口にした言葉が現実になっている。
その辺りが未知を解き明かす鍵か。
検討する余裕が無いのが惜しい。
今は侵入者に排除に専念しなければならない。
結果は出ているのだ。
あとは時間の問題――
『残念。もう時間切れ。ゲームオーバーよ』
希望を見出だした夜霧に、底冷えのする声がテレパシーで届いた。そこで夜霧は発信源であろう少女に注意を向け、そして得体の知れない感覚に凍りついた。
そこにいたのは人ならざる何か。昏く禍々しい雰囲気を纏った生気の感じられない少女。
時間が止まったように動かない夜霧に、死神は宣告する。
「地獄に落ちなさい」
『地獄に落ちなさい』
同じ台詞が耳と脳に響いた、瞬間。
世界から全てが消え去った。
気づいた時、夜霧は漆黒の闇に漂っていた。
上下左右も解らない、自分の姿すら見えない。色も音も匂いも温度も無い謎の空間。
そこで夜霧はただ漂う事しか許されていなかった。
体を動かせない。
全身の感覚がない。
テレパシーも使えない。
どうする事も出来ない。
いくら思考を巡らせても打開案は出ない。
恐らく幻覚だろうとは思う。
ただ、そう言い聞かせたところで意味はない。
そのまま時間だけが過ぎていく。
その時間の感覚さえも頼れない。
数分、数時間、数日、どれだけ経ったのか全く解らない。
直接的なダメージはない。
苦痛や死を連想させる幻覚でもない。
しかし。
状況を脱する事の出来ない無力感。
生きているという実感も薄まる、何も無い膨大な時間。
いつ終わるとも知れない責め苦に夜霧の心は磨耗していく。
ここで夜霧は今まで感じていた得体の知れない感覚が何だったのかを理解した。
それは、恐怖。
これまで与える側にいた為に無縁だったその感情が、理解した事で全身に染み渡り、瞬く間に心は押し潰される。
そして、
「――――――――――――――」
狂ったように声にならない叫びを上げ続けた。




