第2話「キューの変節」
翌日の朝を迎える。日を浴び背伸びするエフ。
昨日のアリアの演奏が耳に残る。
体に何かが憑依したように全身を震わせ、
鍵盤の上を高速にはじけ飛ぶ腕、手、指。
バイオリンのメロディーをピアノで思いのままに操るテクニック。初めて聞いた曲だと言う。彼女は宇宙人ではなく天使なのかも知れない。
「天使なら泥棒しないと思うけどね」
昨晩、アリアは帰る素振りをなかなか見せなかった。どう切り出して良いのかわからない。悩むエフをよそ目にアリアは何の躊躇もなく、
「外が暗くなってきましたわ、今日はここに泊めさせてくれないかしら」
エフは内心嬉しくもあり、やはり天国に連れて行かれるのかとも畏怖した。
「寝具もゲストルームも食料もありますのでご自由に」と承諾してしまったのだった。
「天使なら泥棒しないと思うけどね」ひとり呟いたエフに、
「エフ様、ニュースの時間です」キューがテレビモニターに映像を流す。
「朝のニュースです。昨日の洋服盗難事件の続報です。店で発見された鉱石らしきものは鑑定の結果、ガラス細工でなく本物の10カラットのダイヤモンドの原石だったことが判明いたしました。なお、洋品店店主は被害届を取り下げた模様です。」
「10カラットのダイヤなら店ごと買えるでしょ」とニュースに突っ込む。
アリアが泥棒容疑で捜査される心配がなくなり、ホッとするエフ。
エフは小さな声で
「キュー、アリアは何者?」
キューは答える
「アリア様は聡明な方です、研究者です。音楽理論に精通し数学理論もエフ様以上と思われます」
驚くエフ、研究者? 数学者? 宇宙人じゃない?
「キュー」宇宙人じゃない?と聞こうとした矢先に奥の扉が開く音がして質問をやめた。
「キュー、音楽かけて、エリック・サティなら何でも」
「エフ様、ではジムノベディから」とっさに口に出たエリック・サティ。
部屋から出てきたアリアがキューを見つめる。
「おはよう」
「おはようございます。アリア様」
エフ
「ん? おはよう」
「ちょキュー、昨日から度々アリアと起動のキュー呼びがない状態で会話してるよね」
「エフ様、わたくしキューはアリア様の音声から特殊な信号を検知してウェイクワードなしに反応できるようです。バグかもしれませんがわたくしにシステムの事は分かりかねます」
アリアは窓際を歩き外の様子をうかがう。エリック・サティの奏でる音符が空間に時の間をつくる。何か決心したように立ち止まりエフの方を振り向いた。
「私ここの高原の風景、風の流れ、音、どれもがとても気にいりました。ここで生活したいです」アリアは微笑む、
「管理人をさせて下さいお給料要りません。ここで自然を満喫して心を癒したい。助けて下さい。」
エフは唖然として疑問をぶつける。
「アリアさん、あなたは何をなされている方なのでしょう。学生さんではないですよね」
「違います、私は旅行者。傷ついた心を癒す旅をしていました。今ようやく心を取り戻せそうな場所を見つけたの。学生時代にピアノを習い、以前は洋品店の店員でした。お釣りを間違えてばかりのできの悪い店員……」
思わず吹き出すエフ、絶対に洋品店の店員ではない。確かに10カラットのダイヤなら店ごと買えるし。と心のなかで突っ込むエフ。
「なるほど……店員さんでしたか、いや先ほどキューに予測させたら何かの研究者ではないかと……」
アリアはキューにウィンクする。
「エフ様、私の予測を過信しないでください。間違うこともあります今後間違いのないよう精度をあげますので今回の失敗をしっかりと記録しておきます。」
「キュー、今アリアの音声でなくウィンクに反応したよね」驚くエフ。
「エフ様、その通りです。音声だけでなくアリア様のウィンクの信号を読み取ることで反応できるようです。」
アリアを見つめ、
「アリアさんは……」一体何があったんだろう?
「昨日のピアノとても上手だったです。なのに傷ついた心と言われたのが、気になりますけど」
「仕事のことで悩んでたのです、毎日短調な生活でしたので。ここの自然に触れて、ものすごく気持ちいいんです。癒されるんです。」
外は静かに雨が降り出したようだ。窓際にいたアリアがソファに座る。
サティの曲が心地よい。
「で、管理人にしていただけるのでしょうか?」アリアが問う。
「賛成に1票」、またしても裏切りのキュー、今はウィンクもなかったのではないかと思いつつ。
「キュー、賛成の理由を述べよ」
「はいエフ様、この別荘はエフ様が滞在される週末をのぞいて無人になります。ご存じの通り、高原を訪れる旅行者が立ち寄り建物にいたずらをされるケースも今までありました。管理人がいるとそのようないたずらが減るものと予測できます」
「フーム」キューはアリアの味方をしているに違いないが、キューの発言にも一理ある。しかし彼女はどんなに美人に見えても宇宙人であるという不安がある。
曲は、3つのグノシエンヌが流れる。
エフは熟考する。時がサティの曲とともに流れていく。
アリアもエフの沈黙に合わせ目を閉じ、音符と音符の間に情感を漂わせる。キューは二人の様子を見守っている。
ピアノのリズムに情感を漂わせたアリアの目から涙がこぼれる。エフは気がつかない。キューだけがその異変を感じ曲を止めるべきか思考するが、指示が誰からも出されず動けない。
宇宙服を着たアリア、宇宙船の中。アリア一人だけを乗せ宇宙空間をすすむ。
アリアが自分の生まれた星を飛び立ったのは地球時間で190207年前。彼女は、最高峰のAIを搭載したアンドロイドなのだ。
19万年の航行。その間彼女は素数の計算を実行し続けた。リーマン予想を導きだすために。宇宙の真実を求めるための旅が彼女のミッションだった。
いくつもの星系を渡り、太陽系にさしかかるころ彼女のAIは破綻しかけた。いつまでたっても永遠に続く数式に。悩み、苦しんだ。そんな時にラジオ波をつかみ、地球の音楽に触れた。19万年の旅で初めて聴く異世界の波長。
彼女はラジオ波の届く地球上空を何周もする。
そして高原の別荘から流れる曲に引きつけられ立ち寄ったのである。
アリアの回想と涙を感じ取ったキューが言う
「エフ様、ご決断を」
その時ようやくアリアの涙に気がつくエフ。
「キュー、アリアのこと気に入ったんだね。悪い人ではないんだね?」
「エフ様、アリア様は良いお方です。お約束します、私はもう間違いを起こしません」先ほど間違ったばかりのキューが悪びれもせず言う。
アリアが来てからキューの様子が変わった。本来システムの中だけで動いていたキューが、まるで自分の意見を述べているかのように。
エフは簡単なプログラム程度なら理解できるが、キューのこの変節は何か数学的ではない何かの力が働いた気がした。
「僕は今までの経験からキューを信じるよ。ただしアリアの身に何か起きた時は、ただちに連絡をくれるように、キュー、君には悪いが24時間シャットダウンしないでフル稼働してくれるか」
「かしこまりました。ご主人様。お任せください」キューのキーが高くなる。
先ほどまで涙をこぼしていたアリアが微笑みながら二人を見る。
「ありがとうございます。ご主人様」
エフは少し吹き、
「いやいや、ご主人様じゃなくてエフと呼んでもらえば良いですよ」
「簡単な掃除だけしていただければ僕も助かります。本当にお願いしてよろしいのですか」
アリアの顔に安堵の微笑み。
「お部屋もお庭も、見違えるほど綺麗に致しますわ」
「いやいや見違えるほどは困るな」
「私はしっかりアリア様を見守ります。ところでサティの音楽は気に行っていただけましたか」
「ありがとうキュー。いい曲だった。音と音との間の静寂が心にしみ込んできの。涙がでてきたのは私の心が癒されてたからだと思う」
「僕はキューの『エフ様、ご決断を』の言葉が心にしみ込んだけどね、ほんとびっくりしたよ」
「ありがとう、キューに助けられたわね」
「アリア様の涙がとてもキレイだったからシステムがオーバーロードしただけですわ」
キューとアリアのやり取りを通じアリアを信じようと決断した。アリアが何に傷ついているのかが分からないままの状況で、エフは覚悟を決めた。
エフはアリアに別荘での生活に必要な知識を部屋を回って案内する。
食料はここにあるから、来週買ってくるけど、必要なものあったらキューに言えば通販頼んでくれるから。キューがついてるから大丈夫だろう。
奇想天外な週末が過ぎ、夕方エフは街中の自宅に帰る。
見送りに出たアリアに
「週末金曜の夜に戻るからね、それとその赤いニットは外出るときは着ないようにね、似合ってるけど目立ちすぎだから」
アリアは意味を理解しないまま、うなずく。
「うん、わかった」
部屋の中からキュー独りつぶやく。
「エフ様、必ず戻ってきてくださいね。私がオーバーヒートする前に……」
第3話に続く
エリック・サティ「ジムノペディ」
エリック・サティ「3つのグノシエンヌ」




