二話 彼女に付いて行ったワケ
人の気配。
川辺の草陰で一夜を過ごした僕は、まだ薄暗い時間帯に急速に目を覚ました。
僕はたとえ眠っていたとしても、わずかな気配、物音を逃すことなく目を覚ますことができる。冒険者として、特に駆け出しのソロ時代に最初に身に着けた基本的な技術だ。
ましてや、命を狙われた直後のこれ以上ないほど警戒を強めていた状況だ。いつもよりも遠くの足音でも、聞き逃すことは無かった。
数は、一人。ただ、何かがおかしい。音と気配が一致しない。音は重く、しっかりと踏み込んでいて、タンクのように思える。しかし、気配は小柄で、隠密に慣れている、レンジャーのようだ。
ソロ冒険者にありがちな、一人で何でもこなすタイプかとも思ったが、歩みが正確で、迷いがなさすぎる。器用貧乏の特徴である歪みが一切見当たらない。
どれも一流の、ベテラン冒険者がこのような初心者向けの森に来るだろうか。
疑念を深めた僕は、じっと息をひそめる。幸いにも、距離は遠い。このままじっとしていれば、見つかることは無いだろう。
「……うーん、こっち?」
そんな僕の推測を打ち破るように、足音はまっすぐにこちらへ向かってくる。痕跡を残すようなヘマはしていないはずだ。たまたまだ、僕の存在に気づかれたわけじゃない。
早鐘を打つ心臓を抑え、息をさらに細くし、風に溶け込むように気配を消す。
「うん、やっぱり居た」
状況に不釣り合いな、明るい声とともに、視線がこちらを向く気配がした。
とっさに後ろに飛びのこうとして、右足に力が入らずに後ろに倒れこむ。頭をかばうことはできたが、代わりに背中を強く打ち、呼吸が止まる。
「……大丈夫?」
せき込む僕の近くにゆっくりと歩み寄ってきた彼女が、何の警戒もなく僕をのぞき込む。いや、それは見た目だけだ。冒険者としてのカンが、警鐘をガンガンと鳴らす。
下手な動きを見せたら、その瞬間に僕の首が飛ぶ。彼女は何も油断などしていない。僕からは見えないほど、彼我の実力差が隔絶していることを、冒険者としてのカンが告げていた。無警戒に見えるのは、お互いの実力差を見抜いたうえで、必要な分の警戒しかしていないからか、無警戒であっても僕のことなど一蹴できるからだ。
「……だ、大丈夫」
何とか、震えるのどを動かして彼女が警戒を強める前に返答ができた。
見知らぬ相手を警戒するのは、冒険者の初歩だ。彼女の目には一切の悪意も、害意も感じられず、むしろ少し心配そうに見える。
「怪我してるじゃん。大丈夫そうには見えないけど?」
「いや……そこまでじゃないよ。ほら」
右足にまかれた包帯を見つめる少女に対し、僕は何事もなかったかのように立ち上がってアピールする。さっきはとっさの状況だったから失敗しただけで、怪我をしたならしたなりの動き方はできる。
一人で大丈夫だ、と示したつもりだが、彼女は呆れたようにこげ茶色の目を細め、首を振った。
「うちの村じゃ見たこと無いし、よその人でしょ? その足で帰るのは、さすがに厳しいんじゃないかな?」
彼女の言葉は、まさにその通りだった。奴隷たちを置いてきてしまった街まで、この森を脱出してから丸一日はかかる。森を脱出するまでの時間も考えると、この足で歩きとおすのは、現実的な案ではなかった。
当然ながら、ほかの町を探すのも不可能に等しい。さすがに拠点でもなく、中継点にもしないような町の場所を暗記するような真似はしていない。
返す言葉もなく、しばし沈黙しているところに、彼女が重ねて言う。
「悪い人じゃなさそうだし、いいよ。私はセラ。セラ・オーレン。君は?」
「……ホド。ホド・セフィーユです。良いんですか?」
自己紹介をすれば、知らない人ではなくなる。冒険者は、基本的に助け合うもの。つまり、互いの名前を交換するのは、今からあなたを助けますよという意思表示だ。
仕方ないな、と言わんばかりの優しい声色に、つい僕は聞き返してしまった。僕も名前を名乗った以上、助けを受け入れると意思を示してしまった後なのに。
「まあね。困ったときは助け合い、っていうのはファムさんもよく言ってるし。ここで君を見捨てていくのは、なんか悪いじゃん?」
彼女、セラはあっけらかんと、軽い調子で笑って濃い栗色の髪を柔らかく揺らす。その様子には悪意も敵意もなく、純粋に人を思いやる心が透けて見える。
枯れたはずの涙がまた出そうになった。
「ありがとう、ございます。近くの村までで大丈夫、です」
頭を下げて誤魔化したが、声は震えてしまった。ぎゅっと目をつぶって、涙がこぼれないようにする。
セラが背中を向けた気配がした。まぶたを開いて、彼女の背中を見る。
「もとからそのつもりだよ、私は別のところに行く気は無いからね。歩ける?」
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」
ただ、何気ない優しさが身に染みる。
彼女がことさらに優しいわけではない。でも、それが当たり前ではないということを知ってしまった。昨日までと同じようには、感じられなかった。
ゆっくりと歩きだした彼女に続いて歩く。左腕と右足は負傷しているが、索敵や採集ができなくなったわけではない。うっすらと周りを警戒しながら、彼女の背中を観察する。
腰に差した剣、肩にかけられたショートボウ、右手にはめられたガントレット。どれも、新品とは程遠く、使い込まれた跡が残っている。なにより、見る限りではどれも同じくらいに使われている。
レンジャー、タンク、ソードマン、ウィザード。冒険者でよく見られる四つのジョブのうち、少なくともウィザードを除く3種の職業を同時にこなしているということになる。
しかも、重心の移動、足運び、目線の置き場所、意識の配り方。かつてのBランクパーティでリーダーをしていたゴズよりも、もっとヘズに近い。それはすなわち、僕が知るソードマンにおける最大値に一番近いということ。
これでウィザードの才能もあるとしたら、【完全者】に……。思考を中断して剣に手を伸ばす。
刹那、彼女の腕がぶれて、気づけば矢は放たれていた。矢は寸分たがわず、僕の感じた敵意に吸い込まれ、かすかな物音とともに気配が消える。
「……っ! すごい……」
「この辺りは慣れてるから、大丈夫だよ」
何事もなかったようにショートボウを背負いなおすセラは、きっと僕が息をのんだ理由を何も分かっていないだろう。
僕に戦闘の才能は無い。剣を振る才能も、敵を引き付ける才能も、弓を引く才能も、魔術を操る才能も、悲しいほどに無い。代わりに得たのは、戦闘を避けるための技術。元Sランク冒険者のラーに、Sランクでやっていけると太鼓判を押されるほどの索敵技術と地形把握能力。
地形について慣れていたとしても、僕と同等の索敵ができるのであれば、その実力はSランクに近いと言っても良いはずだ。
「あ、解体はやりますね」
「別にもう一度こればいいよ? 無茶しない方がいいんじゃない?」
「え、いえ。シャドウウルフは放っておくと群れの仲間に回収されてしまいます。早めに素材を回収しないといけません」
「そうなの? じゃあ手伝うね」
首をコテンと横に倒すセラは、本当に自分の倒した魔物についての知識を持っていないようだった。これは独学で冒険者をしている人には多いことだから、特に不思議ではない。
ただ、【完全者】に近い実力者から聞くと、なんだか変な気分だ。急に身近に感じてしまって、ちょっとほおが緩む。
きれいに額を撃ち抜かれたシャドウウルフに、解体用ナイフを持って近づく。最初にやることは、首元に大きく切り込みを入れること。確実に息の根を止めるためだ。魔物たちは生命力が高いため、動けないだけで生きているという場合が少なくない。そうすると魔法の通りが悪くなってしまう。
血液に含まれた魔力が抜け切ったのを確認して、手早く内臓を切り出す。シャドウウルフの内臓はお金にならない。圧縮魔法とマジックバックを使うだけ無駄だ。次にいくつかの腱と関節を切り、小さく折りたたんでいく。圧縮魔法を通りやすくするためだ。最後に圧縮魔法をかけながら討伐証明である右耳を切り落とす。討伐証明は別で保管しておいた方が手間が減る。
全部の処理をしても1分と少し。こう言うのは速さが大切だ。
「すっごい丁寧だね。外の人たちはみんなこんな感じ?」
「いいえ。僕は魔力量が少ないので、ちょっと工夫が必要なんです」
僕の後ろでのぞき込んでいたセラの発言は、実のところ答えにくいもので、ついいつもの建前でかわしてしまった。
実際に魔力量が少なく、マジックバックの容量は少ないし、圧縮魔法も存分に使えるわけではないので嘘ではないのだが。僕にはもう少し違う事情があった。
恩人に対して隠し事をするのは……と遅れて良心がチクチク痛む。彼女がそこまで関心を持っていたわけでは無さそうなのだけが幸いだ。
圧縮の完了した魔物をさらに魔法の膜で包み、マジックバックの魔法を使う。
「手際良いね。私はいっつも適当にバックに投げ込んじゃうや」
「僕の居た街でも、そうする人のほうが多かったですよ」
「じゃあ、そのやり方は君のオリジナル?」
さらに答えにくい質問が来て、眉が下がってしまう。
イエスと答えても、ノーと答えても絶妙に語弊があり、少々長話になってしまう。
そのうえ、僕にとって生命線となりうる情報だ。本来ならば仲間であるマヤたちにしか話す気は無い。ないが……。
よほど僕が困った顔をしていたのか、セラは大げさに手を振って別に答えなくてもいいと言ってくれたが、僕はゆっくりと首を振った。
「……ギルドに着いたら、お教えしますね。理由は、その時に分かるはずですから」
僕の答えに好奇心を刺激されたのか、何度か瞬きをした後キラリと目を輝かせるセラ。
こげ茶色の瞳が輝くさまは、どこか大型犬を思わせる可愛らしさで。それを真正面から食らった僕のほうが少し後ずさってしまった。
奴隷たちのおかげで、美人には慣れていたつもりだったが、セラは3人のどれとも違う魅力がある美少女だ。頬が熱くなるのを感じながら、マジックバックを閉じる。
「うん、行こうか。早くギルドに着きたい用事もできたし!」
こっちのほうが、彼女の素なのだろう。
警戒心が薄れたというよりも、初対面に対する緊張感が薄れたことによる気安さに見えて、僕は少しうれしくなる。
しばらくは彼女の住んでいる村とやらを拠点にする必要がある以上、彼女と親しくしておくことには利益がある。それに、恩人である少女と壁のある距離感で接するのは、どこか悲しい。
少しでも仲良くなるためのきっかけになるのであれば、自分の優位性を多少失うのも仕方がない。それが布石になるならば、なおさらだ。
僕がソロで動くには限界がある。全てのジョブに精通しているであろう彼女をパーティメンバーにできるならば、たとえ二人でも十分すぎるほどの稼ぎになるだろう。
強く、肩から掛けた安物の鞄につながる肩ひもを握りしめる。
今持っているお金は、ここにあるもので全部。次の送金に間に合わせるためには、多少なりとも危ない賭けに出る必要もある。
僕を先導するセラ。彼女は信頼できる人だ。
一つ深呼吸して、覚悟を決める。
かつて、奴隷を買ったときに決めたはずの覚悟。完遂できたのか、もはや僕には知るすべは無い。
それでも、僕はもう一度、善良な他人を利用することを決めた。




