閑話1 彼らの失敗
奴隷契約。それは自由を主人に捧げさせるために使われる。
便利で、万能な魔法のように見えるが、それは契約であり、代償を伴うものである。
強力な冒険者を雇う時には、莫大な金銭がかかるように。有能な参謀には、膨大な権力が与えられるように。
奴隷の能力に応じては、主人は支払いきれないほどの代償を伴うものである。
「ァ……。アァ……」
「ひとまずは、キサマの口から説明せい。ホドに、何をしたのじゃ?」
パーティから裏切られた少年の所有物としてふるまっていた3人のうちの1人。ラーが怒気をみなぎらせながら、裏切ったパーティのリーダー、ゴズに問いただす。
そこに奴隷としてふるまっていた時の、主人であるホドを前にした時の柔らかさは微塵もなく。
元Sランク、『鏡月』の二つ名を持っていた偉大な魔法使いとして、大いなる魔力を溢れさせていた。
ホドが手放した契約を手に入れたのは、最も近くでその様子を見ていたゴズであった。
どちらにせよリーダーとしての強権をふるうつもりだった彼だが、労せず手に入れられた分、気が大きくなっていた。
ゴズは元より考えていたよりも早く、ホドが借りていた宿屋の部屋に乗り込み、奴隷刻印を見せびらかした。
「今日からは、役立たずのホドじゃなく、このゴズ様がお前らの主人だぁ!」
部屋を見渡したゴズの目に、美しい三人の女性が映る。
カラスの濡れ羽を思わせるつややかな黒髪の狐獣人であるマヤ。上質な金糸を束ねたような華やかな金髪の龍人であるヘズ。そして、月光のような静謐さをたたえた銀髪のラー。
三者三様の美しさに惚れ込んで勧誘をしては、ホドの奴隷だからという理由で振られたパーティは数知れず。そこでゴズは一計を案じた。この美女たちを手に入れるために、Cランクでくすぶっていたホドをパーティメンバーに勧誘したのだ。
それは確かに成功した。冒険者ランクと報酬につられたホドは、まんまと三人の美女を連れてゴズのパーティに加入したのだ。
そこで満足していれば、これからの不幸は起こりえなかった。
悪知恵を働かせたゴズは、当たり前のことを当たり前だと思い込んでいた。
ゴズの右腕に刻まれた契約刻印を見た瞬間に、3人の目の色が変わる。
マヤの目には、かすかな呆れと侮蔑。ラーの目には、激しい怒りと殺意。ヘズの目には、おぼろげな不愉快と疑念。それぞれの目に映った感情は、数瞬にして移り変わる。
「どうせホドの使い古しだろうがぁ、これだけの美女なら気にならねぇぜ。まずは、どいつから命令してやろうかぁ……?」
ゴズの欲望にとろけた目では、彼女らの小さな変化に気づくことはできなかった。舌なめずりをしながら、3人を品定めする。
異国の装束に身を包み独特の色気を放つマヤは見ているだけでもため息が出るほど美しい。ヘズの簡素なワンピースに包まれた豊満な肢体はよだれが出るほど魅惑的だ。貴族の令嬢を思わせる気品を漂わせているラーは、子供のような体をしているので対象外だった。
ねっとりとねばついた視線に、普段は泰然とした無表情を崩さないヘズの眉根が寄る。不愉快、というだけで、嫌悪感とまでいかないのは、決して無知のせいだけではない。
それは、圧倒的な生物としての格の違い。アリが象を眺めているのを、象がいちいち気にしないだけのこと。不愉快に思うのは、本来そこにいるはずの存在がいないからだ。
その視線を向けてほしかった相手ではなく、その視線を向けて良い存在ではないくせに、所有物としての刻印を持ち、無遠慮に品定めをされている。人間風に言うならば、ヘズはイラついていたのである。
そんな表情の変化を、羞恥の表れと見たゴズは、ヘズを見て声をかけようとした。
「黙れ。おぬしのためではなく、この街の者のためじゃ」
その思惑が現実になる前に、ゴズの声は失われていた。
ラーの使った魔法はサイレント、防音の魔法だ。冒険用のテントや野営地に使い捨てのスクロールを持っていくことも少なくない、ありふれた魔法だが、難易度が低いわけではない。
人の口元にだけ、気づく間もないほど一瞬で、手で口をふさぐような気軽さで使われる魔法では絶対に無い。そんなことができるのは、強者の集まる冒険者の中でも一つまみの上澄みだけだ。
人知を外れた行いに、ゴズは何が起きたのかもわからないままに口を開閉する。ヘズがそれを不思議そうに見つめる中で、ラーがゆっくりと立ち上がった。
「……! ……?!」
さすがのゴズも、尋常でないものを感じ取り、叫び、後ずさろうとする。そのどちらもできない状況にあることを、今ようやく理解した。遅すぎる頃になって、ようやく。
「聞こえなくても、うるさいわね。ラー、黙らせておいて」
マヤが冷たい声でそう言うと、ラーはそれに賛同するかのように魔力を抑えるのをやめる。大きすぎる魔力が、圧力となって部屋の中のものを押しつぶそうとする。
自分の所有物に固執するヘズが、丹精込めて一つひとつ保存の魔法をかけた道具たちは、カタカタと音を鳴らすだけで無傷で済んだ。
マヤとヘズも、押しつぶそうと力をかけたものならともかく、怒りのままに吹き出た魔力程度はそよ風のようなものだ。
「ガァッ……ギ……」
糸の切れた操り人形のように、ぐちゃりと膝をつくゴズ。ラーが制御を手放したサイレントの効果は切れたが、彼の口から言葉が発せられることは無かった。強大な魔力に押しつぶされ、肺の中の空気が無理やり押し出される。どうしてこんなことに。思考すらままならぬ苦痛の中で、ゴズの脳内には疑問が残った。
常識で言うのならば、ゴズが間違っていたわけではない。
奴隷というものは主人に服従を誓っており、その刻印は絶対的な命令権となる。
そのカラクリは、主人の言うとおりに働くことを代償に、生存を許してもらうという契約だ。当然ながら、主人は奴隷の生殺与奪の権利を持っていなければ話にならない。多くは、奴隷首輪と呼ばれる、首を絞めつける魔術がかかった道具を使って管理が行われる。それをしていない奴隷は、主人に逆らえないほど弱い奴隷ばかりだ。
彼女らの主人であるホドは、戦闘においてはほとんど役立たずと言ってもよかった。その程度の主人に首輪もなしに従っている奴隷など、大したものではないだろうと侮ってしまうのは仕方のないことなのだ。
奴隷が、主人の人柄に心酔し、あるいは異性として惚れているがゆえに、喜んで付き従うことを選んでいるなど、現実的では無いことだった。
「ヘズ、武器の手入れでもしましょうか」
「うん、いいよ」
後のことはラーに任せて、ヘズの気をそらすことにしたマヤは防音の結界を張った。
本音を言えば、自分もラーと一緒にあのクソ野郎をいたぶりたいところだが、もしもヘズの逆鱗を刺激することになれば、この街が地図から消えかねない。
あのお人好しの少年が、自分の仲間がそれをしたことを気に病まないはずもない。誰かがヘズの気をそらす必要があった。
魔法に精通したラーなら、尋問用の魔法も知っているだろうし、同じ人間だからこそ分かる部分もあるだろう。そう判断したマヤは、おとなしくヘズの遊び相手になることにした。
後ろで防音の結界が貼られたことを感知したラーは、薄く、長く、息を吐く。
命の恩人である少年は、たとえ自分を裏切った相手であっても死ぬことを望まないだろう。かろうじて、彼女の中で冷静な部分が、そうささやく。
怒りに身を任せて、この世のありとあらゆる苦痛と恐怖を味合わせて、死んでも死なない呪いをかけて、永遠に殺してやりたいのが本心だ。しかし、刻印など関係なしにただ一人の主人として忠誠を誓っている少年の心は、ラー本人の感情よりも重い。
目の前で無様に涙とよだれを垂れ流して恐怖と苦痛に呻いている姿で少しは留飲も下がった。これ以上は、彼は止めるだろう。
胸元に左手を当てて、小さな水晶がつけられたペンダントを意識する。かつて、Sランクとして活動していた時とは比べ物にならない、低級の魔法触媒だが、今のラーにとっては何にも代えがたい宝物だ。
術者の意識に応え、スムーズに魔力を吸い込んだ触媒は、空中に魔方陣を書き上げる。立体的に、いくつもの魔方陣を重ねていく。いくつもの曲線が、踊るように空中を走り、ただ一つの結末へと向かっていく。
それは、契約魔法の模倣。【契約と代償の魔女】がもちいた御業の一部再現。
一時的な奴隷契約を結ばされたゴズは、それがどれほどの偉業かを理解できない。
それに反応したのは、防音の結界で包まれたヘズだけ。最もその領域に近いがゆえに、異常さに気づき、最もその領域を目指すがゆえに、薄く微笑んで目線を外した。
一時的な奴隷契約によって、ホドに行ったこと、その思惑まで洗いざらい吐き出したゴズは、眠らされて乱雑に床に打ち捨てられた。
「ラー、終わったの?」
その姿を見たマヤがラーに声をかける。ヘズはぼーっと窓から空を見ている。
「……おおよそ、思った通りじゃ」
「知らないとはいえ、龍のつがいに手を出したのね。信じられないほどの命知らずだわ」
マヤが鼻で笑うような呆れ声でゴズを馬鹿にしながらその頭を軽く蹴る。ラーもまた同じ意見だったので、その行動に何も言うことは無い。
「それで。ホドは?」
「分からぬ。契約が切れた以上、その居所を探るのは困難じゃ」
「この馬鹿ども、ホドを見失ったの? あいつは別に足が速いわけじゃないのに!」
イラついた様子でもう一度ゴズの頭を蹴ろうとしたマヤを、ラーが手で制する。
マヤの言葉がホドを心配しているのは分かる。ゴズたちがホドを見失ったせいで、森の中に彼を置き去りにしてしまった挙句に、現状は行方不明だ。
ホドの最初の奴隷であるマヤからすれば、心配でたまらないだろう。その心情はラーとしても察するに余りあるが、ゴズを痛めつけたところでホドが帰ってくるわけではない。
なにより、ホドが逃げきれたことは幸運だったという事実もある。
「……こやつら、ホドのことを殺す気だったようじゃ」
「は?」
ミシリと、黒い気配が部屋を満たす。
触れるだけでも気を狂わせるような、負の感情が形をとったもの。遠い異国で呪力とも妖力とも称される、魔力とは違う方法で精製された世界の力。
呪いにも祝いにもなる扱いの難しい力だが、マヤにとって手足のようなもので、制御は呼吸をするに等しいはずのもの。
「殺すでないぞ」
「……っ! 分かってるわよ! こんなザコを殺すために使うなんて、私の力を安く見ないでよ!」
ホドのためではない、と言いたげな言葉とは裏腹に、必死で怒りをこらえた顔は赤く染まっている。
「ホド、生きてる?」
そんな二人の間に割り込んだのは、いつもののんびりとした雰囲気を失ったヘズの声。
緊張が走る。もしものことがあれば、二人がかりで止める必要がある。
言葉を選ぼうとしたラーに、トパーズ色の澄んだ瞳が向く。その瞳に映った感情は、純粋な心配。
金龍の一族は、つがいと認めた相手の苦痛、助けを求める声をどこからでも感知できる特殊能力がある。それが機能していない現状は、ヘズにとって不安なことだ。
考えうる要因として最悪なのは、つがいの死。それに比べれば、ホドから拒絶されたかもしれない可能性は些事だった。
「生きておる。あやつに渡した宝石は、まだ効力を発揮しておらぬ」
ラーは、その感情に向けて一番必要な言葉を素直に返した。
ラーがその魔力を存分に込めて作った身代わりの宝石を埋め込んだブレスレット。戦闘面では十分な才能を持たなかった少年に、万が一があってはならないと渡してあったものだ。
それはホドの意思に関係なく、命の危機に瀕すれば必ず発動し、その怪我を癒やして安全な場所、つまりはラーの近くに転移させるものだ。ラーはそんな効果のことは一つも話さず、肌身離さず付けるようにとだけ伝えているが、あのお人好しで真面目な少年がプレゼントを粗末に扱うはずもないと信頼していた。
実際、ホドはラーから貰った初めてのプレゼントに大いに喜び、毎日丁寧に磨いて大事にしまい、毎朝身に着けてから外に出ている。今日も、ホドはそれを身に着けているし、ゴズたちが手を付けたとも言わなかった。
「……結局、どこに逃げたのよ」
「風の魔法石を使ったらしい。とのことじゃ。Bランクの冒険者も地に落ちたのう……」
ホドの魔力量では、それほど遠くに行けないはずだ。それを欲に目がくらんで見逃すとは、呆れた声も出ようというもの。
だが、その愚かさのせいで、愛しい人は生きながらえることができた。
「人の奴隷奪おうとしてる時点で、品性のかけらも無いわよ! Bランクパーティはその時点で失格だわ!」
「……人のものに手を出したら、死刑」
ホドは、まだ生きている。
それを知ったマヤとヘズは、一気に表情を柔らかくし、不安を吐き出すように愚痴をこぼす。それでも、ラーの表情にはうっすらと憂鬱な気が残っていた。
命は助かっても、心はどうか。
マヤもヘズも、人との関わりが薄く、人生経験が少ない。だから、ゴズたちの裏切りも、クズのやったこととして、他人事として割り切れてしまう。
しかし、たとえクズだったとしても。仲間だと思っていた者から裏切られるのは、身を引き裂かれるように辛いものなのだと、ラーは知っている。
かつて自分がされたように、今すぐに見つけ出して、抱きしめて背中をさすり、独りではないと慰めてやりたかった。それができない現状が、腹を引き裂きたいほど口惜しい。
「人探しのまじないが禁忌でさえなければ……」
愚痴を吐ききった後、ぼそりと、マヤもまた悔しそうにつぶやく。ヘズですら、ゆっくりと首を振る。
人を探す魔法はある。しかし、どこに行ったか分からない人を探すために使えば、【期待と失望の妖精】に目を付けられる可能性がある。
世界に8人しかいない、世界を滅ぼせる存在、【特級】の一人。ましてや、目をつけたもののすべてを例外なく狂わせ壊している、最悪の災厄である。万が一にも目覚めさせてしまう可能性など、禁忌とされるのも当然であった。
「ひとまずは憲兵に……業腹じゃが、チュレの所へゆくぞ」
「仕方ないわね。このゴミも処理しないといけないもの」
自分の力でできないことは、他人の力を借りる。冒険者として、早めに身に着けるべき教訓である。教訓にのっとり、ラーとマヤはこの街の憲兵長の元へ行くことに決める。
ヘズは、どこか遠い目をしながら、空を眺める。自分がホドと出会うまでには、まだ長い時間がかかるだろうと、彼女はなんとなく感じていた。




