一話 僕が川辺でいるワケ
危ないと感じた時には無意識に体が動く。
5年も冒険者をやっていれば、どれほど才能がなくとも、それなりにカンというものが付いてくる。
命というものが一番大事で、二番目には金。そんなことが身に染みているからこそ、無意識に、思いもよらぬ方向からの攻撃に対処できた。
左腕が切られた。そう気付いたのは、とっさに身を投げだし、地面に転がったあとのこと。
敵の気配はしなかった。なぜ。何が。僕が見落とした? だとしたらこんな森には居てはならないようなランクの魔物がいるということ_?
混乱した頭でパーティメンバーに注意を促そうとして、彼らがせせら笑いながら剣を抜いていることに気づいた。そして、リーダーが立っている場所が、僕の左腕を切った存在のいる場所であることにも。
僕が所属しているパーティは、Bランクのそれなりに名の売れたパーティだ。まさか、こんな追剥のような真似をするはずがない。何か勘違いをしているのか?
後衛のレンジャーがこちらに矢を向けているのが見えて、甘い考えは吹き飛んだ。逃げられない獲物を見る目を、今こちらを見つめている目を、これまで何度も見てきた。
「所詮、奴隷頼りのザコだもんなぁ……。ホド?」
リーダーのゴズが、剣を振って僕の血を払う。ねばついた、喜悦の混じった声に、僕は顔をゆがめる。品行方正とは言えない普通の人だったが、そんな下卑た盗賊のような声と顔をする人では無かったはずなのに。
「ま、その奴隷とも今日でおさらばだな。ほら、腕出せよホド。俺らが有効活用してやっからさぁ」
その言葉に、彼らの目的が僕の右腕に刻まれた契約刻印だと分かった。
三人分の刻印。それを欲しがる人は、少なくはなかった。彼女たちの美しさに惹かれてか、僕を見下してなのかは知らないが。
それでも、奴隷契約を横取りすることは重罪だ。これまでは僕自身の意思で契約の移譲をはねのけることができた。
一瞬だけ、周りに視線を巡らせる。命の危機だ。下手に動けば、レンジャーが矢を放つか、目の前のリーダーが剣を振って、それで僕は死ぬ。
死ねば、奴隷は解放され自由になる。彼らもそれは望まないはずだ。すぐさま殺されることは無いだろう。だからと言って悠長にしていれば、冒険者としては死ぬような後遺症が残される。
……死ぬ直前は、初めてではない。ソロだった時代も、奴隷たちを連れて歩くようになってからも、死の恐怖を忘れたことはない。
仲間を、目の前の裏切り者たちではなく、僕の一番信頼する仲間たちを信じること。それが、こんな時には一番重要なことも、よく知っていた。
ためらいを見せたら痛めつけてやろう、と見下して舌なめずりをする彼らを出し抜く方法は、すぐさま思い付いた。それは、仲間への裏切りだと、良心がとがめる。
それでも、躊躇はしなかった。命が、一番大切だ。それがなければ、何もできない。
「契約は、これを望む者! その名を上げよ!」
右手を突き出しながら叫んだ契約文に、裏切り者達の目の色が変わる。
我先にと、自分の名前を叫ぼうとした隙に、血だらけの左腕を無理やり動かす。
ゴズの声とともに、煙幕。
大きく身を投げ出して、矢を避けようとしたが、右足をえぐられる。許容範囲。
重ねて、両手を使っていくつもの煙幕をやみくもに投げる。ちらりと見えた右腕からは、契約刻印は消えていた。
歯を食いしばって周囲に気を配りながら、ノイズボムを二個引っ張り出す。血をまくように左腕を振って、両翼に投げ、敵を撹乱する。
矢が風を切る音と共に駆け出す。爆音。左耳を矢がかすめる。問題無し。
魔法石の発動。風に乗って、僕は死地を脱出した。
……鬱蒼とした森の中で、右足を引きずりながら歩く。
見た目ほどには危険ではないが、油断すれば方向感覚を失うような森。しっかりと対策をすれば問題は無いが、危険度だけを見て突入すれば痛い目を見るだろう。
ビギナー冒険者の一つの壁になっている狩場で、大怪我を負って血を流している僕は、誰が見ても駆け出し冒険者が背伸びをして失敗した図に見えるだろう。
そうでは無い、と説明しなければならない状況にならなかったのは、ある意味では幸運だった。
「よかった……。聞いてたとおりだ……」
人目につきにくい獣道を息を潜めて移動し続けた先に、穏やかな流れの川があることは知っていた。川と言っても小さく、清浄で、魔物も寄り付かない。冒険者にとってはうまみのない場所。道に迷って、数時間さまよったような冒険者しか知らないような秘境だ。
あの場所から風の魔法石で数キロを飛び、その後2時間をかけてでも移動をしたのは、誰もいない、そこにたどり着くため。
止血と痛み止めは完璧にできたし、薬草も使った。それでも、右足と左腕に入った傷がすぐにふさがるわけじゃない。
下手に動きすぎれば、命に関わる。しかし、動かなければ、殺されていた。
ブルッ、と恐怖に身を震わせる。
死ぬ覚悟もできていないなんて、甘いことを言う気はない。
だけど、仲間だった者から剣を向けられるのは、また違う恐怖だった。
奴隷契約を移し替える隙を狙って煙幕を張れたのは相手の油断によるもので、射手から逃げ切れたのは幸運だった。百に一つ程度の、他愛もない幸運でも、命がかかれば大いに助かる。
川の水を口に含み、生を実感する。油断はできないが、ここなら安全だろう。
この森を狩場にする冒険者でも、この川までは入ってこない。あのパーティはこの森を狩場にしていたわけではないから、まずたどり着くことはできないだろう。
一息つくと、ズキズキと傷が痛む。
「ぐ……一日は動けなさそう、かな」
清潔な水で傷口を洗い、包帯を巻き直す。剣の切れ味が良かったのか、思ったよりも腕の状態は悪くない。自分の磨いた剣の切れ味を、自分で感じることになるとは思わなかったが。
足は多めの消毒と、麻酔効果のある薬草で包む。もしも悪化すれば、命が助かってもどうしようもない。慎重かつ、念入りに手当を施す。
「はぁ……」
疲労にまみれたため息に、わずかな後悔が交じる。
マヤ、ヘズ、ラー。僕が契約していた、奴隷たち。
奴隷契約を移した以上、彼女たちとのつながりは何も無い。命を預けたことも、預けられたことも、たくさんあった。
戦闘のできない僕にとって、彼女たちは生命線だったし、それ以上にかけがえのない仲間だった。自分には勿体無いくらい、強くて美しい人たちだった。
利用するだけ、そう思って買った彼女たちのことを、心から信頼していたし、尊敬してしまっていた。それくらい、素晴らしい人たちだった。
……奴隷の横取りは重罪だ。【契約の魔女】が決めた世界の理、それに反することは、国を滅ぼすに等しい。だが、今回は僕が契約を移した。僕が反論しようと街に帰れば、今度こそ殺されるだろう。
命惜しさに契約を移したことは、奴隷たちにも分かるだろう。彼女たちは、僕に幻滅するはずだ。
せめてもの慰めは、僕の奴隷契約は実質的にその意味を成していないことぐらい。
生殺与奪の権利を握るために必要な首輪は、全員外してある。僕が彼女たちの主人であれたのは、ひとえに彼女たちからの信頼があったからだ。その信頼は裏切ってしまったけれど。
「う、うぅ……」
僕に、涙を流す権利なんてない。そう思っても、ポロポロとこぼれ落ちる涙を止めることはできなかった。
傷の痛み、1人の寂しさ、パーティに裏切られた悲しみ、命を狙われた恐怖、彼女たちともう旅ができない辛さ。
色々な感情が吹き出して、止まらない。
先のことを考えないと。
そう思えば思うほど、何もかもを失った、手放してしまった現実と向き合わなきゃいけなくて、また涙をこらえる。
無事な右腕で、足を抱えてうずくまる。できるだけ体を小さくして、息を殺し、川の水音にまぎれて、嗚咽をこぼす。
傷の痛みが治まるまで、僕は一夜、独りで涙を流し続けた。




