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鈴鳴り武者が行く‼︎  作者: 本能寺


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事件ファイル02『お市に近づく男』

『お市に近づく男』


導入:喫茶厨房本能寺の憂鬱

「ねえ秀吉さん! 大変なの、最近お市さんに妙な男が言い寄ってるみたいなのよ!」

喫茶厨房本能寺。ランチタイムの嵐が過ぎ去り、店内にコーヒーの香りと微かな静寂が戻ってきたタイミングを見計らったように、寧々がカウンターに身を乗り出してきた。

極度のお節介焼きである彼女の瞳は、完全に「他人の恋バナ(トラブル含む)」を察知したハンターのそれである。

「……寧々や。そりゃあ大変かもしれんが、ワシは今、皿洗いで死ぬほど忙しいんじゃ」

秀吉はスポンジを握りしめたまま、深くため息をついた。

「お市様が超絶美人なのは知っとるし、なぜか変な男ばかり引き寄せる壊滅的な男運の持ち主なのも知っとる。だがな、ここは喫茶店じゃ。恋愛相談所ではないんだわ」

「そんなこと言って! お市さん、また変な男だったらどうするの……? 秀吉さんなら、人を見る目があるでしょう? だからお願い!」

「ワシのどこにそんな能力があるんじゃ……大体お前なぁ、他人の心配ばかりしてないで、たまには自分の……その、ワシらも今度、二人で飯でも……」

「そ、それはまた今度で! とにかくお市さんのこと、お願いね!」

顔を真っ赤にして、脱兎のごとく厨房から逃げ出す寧々。

「……なんでワシの誘いは光の速さで回避されるんじゃ」

ポタポタと水滴が落ちるスポンジを見つめながら、秀吉はがっくりと肩を落とした。


調査編:密命と完璧な裏付け

翌日。秀吉が黙々と仕込みをしていると、オーナーである織田信長がふらりと厨房に現れた。

「秀吉。お市に近づく男を調べろ」

「……はい?」

「お前なら人の懐に入り込むのが得意だろう。あいつの素性を洗え。ただし、お市には言うな」

「……なぜでございますか?」

「あいつに言えば、変に気を使って余計なことをする」

「……なるほど。それは確かに」

秀吉は手に持っていた布巾をまな板に置いた。つまり、お市には何も知らせず、怪しい男の素性だけを洗えという、極めて面倒な密命である。

「周りにまともな男がおらんから、消去法で浅井長政に連絡先を渡してやったというのに、ちっとも進展せん。そこへ変な虫が湧いた。潰すぞ」

「承知いたしました」

秀吉は深く一礼した。

(……なんでワシが、こんな役回りせにゃかんのだ……)

そう思いながらも、信長の命令に逆らえるはずもない。

秀吉はふと、信長の周囲にいる男たちの顔を思い浮かべる。

明智光秀。仕事と胃薬のことしか考えていない。

柴田勝家。何かにつけて「気合いじゃ!」で押し切る。

丹羽長秀。数字と帳簿――そして米の話になると、人の心を失う。「米一俵で人間一人分の食費が何日持つ」とか、「この支出は前年同期比で何%増えている」とか、そんな話を始めると、目の奥から完全に人間味が消える。――怖い。

松永久秀。――考えるのをやめた。

本願寺顕如。――さらに考えるのをやめた。

そして、自分。

「……」

秀吉は、ゆっくりと目を閉じた。

(……うん。確かに、まともな男がおらんがね)

そこだけは、信長の言う通りだった。

(……いや、ワシまで含めるんじゃないわ)

心の中で一人ツッコミを入れながら、秀吉は深いため息をついた。

(浅井の旦那がガツガツ行かんからって、なんでワシが尻拭いせにゃならんのだ……!)

心の中で絶叫しつつも、秀吉は竹中半兵衛を連れて調査に向かうことになった。

尾行を開始して数時間後。

ターゲットの男は、見た目は完璧な紳士だった。カフェのテラス席でお市と談笑する姿は、絵に描いたような好青年である。秀吉と半兵衛は、彼らに気付かれないよう遠くから監視を続けていた。

「どう見ますか、秀吉殿」

「わからん。だが、あの手の手合いは裏の顔があるもんじゃ」

お市と別れた後、男の足取りを追うと、妙な行動が目に付いた。男は高級住宅街にある宝飾店に入り、ポケットから小さな箱を取り出して店員に何かを依頼したのだ。

男が店を出た後、半兵衛が動いた。

彼はすっと店に入ると、織田家の名前と名刺を巧みに使い、店員から情報を引き出した。

しばらくして戻ってきた半兵衛の顔には、冷徹な理知の色が浮かんでいた。

「当たりです、秀吉殿。あの男、先ほど持ち込んだ指輪の『クリーニングと、内側のイニシャル刻印の削り落とし』を依頼したそうです」

「……前の女の痕跡を消すためか」

「ええ。さらに店員の証言によれば、あの男は過去にも何度か、同じような持ち込みをしていると。使い回している可能性が高いですね」

「なるほどな。典型的な結婚詐欺の手口じゃ」

半兵衛は胸ポケットから、先ほど男が持ち込んだ小さな箱を取り出した。

「店員には事情を説明し、詐欺の疑いがあるため、念のため保管しておいてもらいました。店側の了承も得て、一時的に店外へ持ち出しています」

「……数時間後には返さにゃならんのか?」

「ええ。必要な確認を終えたら店へ戻します。その後、何食わぬ顔で男の手元に戻るでしょう」

「なるほどな」

「ですが、指輪を返したところで、こちらが得た情報まで消えるわけではありません。過去の女性との関係を調べる強力な手掛かりになりますからね」

半兵衛は淡々と手元の箱を見つめた。

「現時点では、ただの証拠品ですから。さて、中身を確認してみましょう」

半兵衛が箱を開いた。

その瞬間。

「……」

秀吉の表情が変わった。

指輪の上。そこに、青白い女が立っていた。長い髪が顔を覆っている。

そして――『ギロッ』

女の幽霊が、男の去っていった方向を憎悪の目で睨みつけている。

「……半兵衛」

「何です?」

「そこに……おる」

「何が?」

秀吉は答えなかった。ただ、指輪の上に浮かぶ女をじっと見つめている。

半兵衛には、何も見えていない。だが、秀吉の顔から冗談ではないことだけは伝わってきた。

「……秀吉殿」

「なんじゃ」

「私には、何も見えません」

「……」

「ですが、あなたが嘘をついているとも思えない」

半兵衛は指輪を見つめた。

「ならば、見えないものを無理に否定する必要もないでしょう。確認しましょう。これが何なのか」

「……お前、幽霊が見えんのに怖くないんか?」

「見えないからでしょうね。見えるようになったら、少し考えます」

「……」

秀吉は思った。(やっぱりこいつ、頭がキレすぎて逆に怖い奴じゃ)

「では、秀吉殿は怪異の調査を。私は並行して、過去の交際相手への聞き取り、SNSの投稿履歴、被害者から提供された振込記録などを洗い出します」

こうして、ミステリーとしての裏付け調査は、一段深い怪異の領域へと足を踏み入れた。


仙石秀久と悲しき指輪の因果

その日の夜。秀吉と半兵衛は、助っ人として仙石秀久を呼び出していた。

姿は見えないが、幽霊と会話ができる男。発する言葉はすべて「鈴の音」だが、強い感情や明確な意思を込めた鈴は、聞いた者の頭の中へ直接響く。

机の上には、昼間に預かった結婚指輪の箱。

秀吉には、そこに青白い顔の女性が浮かんでいるのが見えていた。

幽霊が口を開く。

『あの人は私にこの指輪を渡して、結婚を約束しました。私はそれを信じて……でも、詐欺だと分かって命を絶った。あいつは私の遺体から、誰にも見られずにこの指輪を回収したんです』

仙石が静かに応える。

『チリン……』

その鈴が鳴った瞬間、秀吉は顔を上げた。

今の音には、深い悲しみが込められていた。

秀吉はしばらく、箱の中の指輪を見つめていた。

金額だけを見れば、ただの小さな金属の輪に過ぎない。だが、この女にとっては違ったのだ。この指輪を渡された瞬間、自分が選ばれたと思ったのだろう。これから先の人生を、この男と歩いていけると思った。だからこそ、裏切られたと知ったときには、金を奪われた以上の何かを失った。

「……そりゃ、死んでも離れられんわな」

秀吉の声から、いつもの軽さが消えていた。

半兵衛は何も言わなかった。ただ、目の前にいる秀吉と、誰もいないはずの空間を交互に見ていた。やがて彼は理解する。この事件では、普通の捜査だけでは届かない場所に、もう一つの「証言者」がいるのだと。

幽霊は悲しげに目を伏せた。

『あいつはまた、この指輪でお市さんを騙そうとしている。だから離れられない。次の被害者を出さないために……』

仙石の鈴が、静かに一度だけ鳴った。

『チリン……』

「……分かった」

秀吉は顔を上げ、細めた目に鋭い光を宿した。

「姐さんの気が済むまで、付き合ったる。姐さんにはちゃんと成仏してもらうし、ついでに、あのクソ野郎には二度と女を騙せんようにしてやるわ」


解決編:恐怖の蔓延と死者の裁き

翌朝。宝飾店から指輪を受け取り、何食わぬ顔で日常に戻った結婚詐欺師が自宅のポストを開けると、一枚の紙が入っていた。

それは、昨夜までに半兵衛が集めた被害者情報をもとに、秀吉が用意したものだった。

【1日目:警告】

『3年前、由美から300万円を騙し取ったな』

男は鼻で笑った。「なんだこれ。どこかの探偵が嗅ぎ回っているのか? 偶然だろ」

その時。

『チリン』

どこからともなく、単調な鈴の音が一つ鳴った。

男は一瞬だけ笑みを止める。「……なんだ、今の音?」

まだ意味は分からない。少し気味が悪い程度の、ただの警告に過ぎなかった。

【2日目:疑念】

『2年前、沙織に結婚を約束して全財産を奪った』

『チリン……チリン……』

「誰だ! 監視しているのか!」

底冷えするような間隔の鈴の音。男は周囲を見回す。姿は見えない。だが、確実に不気味な存在が自分を見張っているという確信が、じわじわと苛立ちと恐怖を煽り始める。

【3日目:断罪】

『あの指輪は、死んだ女から回収したものだ』

男の顔色が一瞬で土気色に変わった。

男はそこで初めて、自分の記憶を振り返った。誰もいなかった。あの女が死んだ夜も。冷たくなった指から指輪を抜き取ったときも。誰にも見られていない。そう確信していた。

――だからこそ。

今、背中を冷たい汗が伝っている理由が分からなかった。

「……違う。あれは誰にも見られていないはずだ……!」

震える声で呟く。返事はない。

ただ、

『チリン』

と鈴が鳴った。

男は息を止めた。その音は、今まで聞いたものとは違っていた。音なのに、意味が分かる。言葉ではない。だが、確実に頭の奥に突き刺さるように分かるのだ。

『――見ていた』

「……嘘だ」

男は後ずさった。

「そんなわけがない……っ」

もう、誰かに監視されているという発想ではなかった。これは、自分が知らないところから来ている。自分が殺したわけではない。それでも、自分が死に追いやった女が。今も、自分を見ている。

【4日目:宣告】

深夜の路地裏。男は震える手でポケットを押さえた。

そこには、店から戻ってきたあの指輪が入っている。今夜、もう一度お市に会って、この指輪を渡すつもりだった。

――そのことまで、知られている。

『チリン……』

男の脳裏に、意味だけが直接浮かんだ。

『――次は、お市だな』

男は完全に崩れた。

人間ではない何か――死者そのものが、自分を裁こうとしている。

「やめろ……! 俺は悪くない!」

逃げ込んだ暗がりの中で、男は喚き散らした。

「あいつらが勝手に金を出したんだ! 騙される方が悪いんだ、俺のせいじゃない!」

その醜い自己正当化の叫びを、空気を切り裂く音が遮った。

『チリンッ!!』

男の脳裏に、強烈な意思が叩き込まれた。

『――ふざけるな』

男は息を呑んだ。

その直後、闇の中から秀吉がゆっくりと姿を現した。

(……ここまで追い詰めてまう必要があるか)

一瞬だけ、秀吉の胸に迷いが生じた。だが、すぐに消えた。

この男がこれまで何人の人生を壊したのか。そして、これから何人を騙すつもりだったのか。

「……だったら、ここで終わらせるしかないわな」

秀吉の顔から、完全に笑みが消えた。

「……姐さん、相当怒っとるな」

男の顔が引きつる。秀吉は氷のように冷たい目で見下ろしながら、残酷な芝居を打ち始めた。

「『ふざけるな』言うとるわ」

男は怯えきった目で秀吉を見た。幽霊が、この男を介して自分に語りかけてきているのだと完全に錯覚していた。

少し離れた暗がりからその様子を観察していた半兵衛は、眼鏡の奥で目を細めた。

(……秀吉殿。随分と、楽しそうですね)

半兵衛自身も薄く笑みを浮かべながら、秀吉が仙石の意思を「幽霊の言葉」として巧みに偽装し、男の恐怖を最大限に引き出している様子を見守っていた。

男の頭に断片的な意味が突き刺さる。

『チリン!』

『――約束』

(ワシが言葉を選んどるだけだ。……けど、こいつには、それくらいせにゃかん)

秀吉は内心で冷たく言い放ちながら、低い声で言葉を紡ぐ。

「『お前が結婚を約束したんじゃろうが』……だそうじゃ」

「何を言ってるんだ!」

男が叫ぶが、鈴の音は止まらない。凄まじい連打が響く。

『チリン!』

『――金』

『チリン!』

『――人生』

『チリン!』

『――返せ』

男はたまらず両耳を塞いだ。だが、意味は消えなかった。音は聞こえていない。それでも頭の中には、断片的ながらも明確な怒りの意思だけが直接響いている。

男は、自分がこの鈴から、この意思から絶対に逃げられないことを初めて理解した。

秀吉が最後の一撃を通訳する。

「『人の人生を金に換えて、まだ自分は悪くないと言うんか』じゃ……『奪った金も人生も返せんのなら、せめて二度と同じことをするな』とな」

恐怖に判断力を奪われた男は、震える手でポケットから指輪の箱を取り出し、道端に力いっぱい投げ捨てた。

「これのせいだ! もうやめる! 許してくれ!!」

男が絶叫した直後。

しばらくの沈黙があり、静かに、一度だけ鈴が鳴った。

『チリン』

男の頭に伝わったのは「許す」という言葉ではない。

『――もう二度とするな』

という、これ以上被害者を増やすことを禁じる、重く決定的な意思だった。

「ひっ……!」

男は悲鳴を上げ、二度と振り返ることなく暗闇の奥へと逃げ去っていった。

「……逃げたところで、無駄ですがね」

背後から歩み寄ってきた半兵衛が、分厚いファイルを手にして眼鏡を押し上げた。

「過去の被害者本人たちにも連絡を取り、振込記録やメッセージの履歴など、裏付けの取れる証拠をまとめました。あとはこれを警察に届けるだけです。怪異の事件はこれで終わりですが、現実の詐欺事件は、これから法がじっくりと裁くことになります」


エピローグ:優しい鈴の音と新たな怪異

誰もいなくなった路地裏。

秀吉がゆっくりと歩み寄り、投げ捨てられた指輪を拾い上げた。

「……仙石。もうええんか?」

『チリン』

先ほどの激しい怒りが嘘のように、静かで、穏やかな音が一つ響く。

今度の鈴には、怒りがなかった。恨みもない。ただ、静かな安堵だけがあった。

「そうか」

秀吉は掌の上の指輪を見つめた。

「……姐さん」

指輪の傍らに姿を現した幽霊に、秀吉は問いかける。

「まだ、あいつのことが心配なんか?」

幽霊は答えなかった。ただ、お市の姿を思い浮かべるように、静かに目を閉じる。

「……そうか」

秀吉は小さく息を吐いた。

「最後まで、自分のことより他人の心配かい」

幽霊は小さく笑った。

『……あの人が、同じ目に遭わなければ、それで』

「大丈夫じゃ」

秀吉は、珍しく迷いのない声で言った。

「もう、あいつは誰も騙せん」

背後から、仙石の鈴が鳴った。

『チリン……』

幽霊は、その音を聞いた。

そして初めて、心から安心したようにふっと表情を和らげた。

『……ありがとうございます』

その姿が、ゆっくりと薄れていく。

「……ええんじゃ」

秀吉は小さく笑った。

「もう、あんたが見張っとらんでも大丈夫だで」

最後に一度だけ。

鈴が鳴った。

『チリン……』

今度こそ、その音はどこまでも優しかった。幽霊は夜風に溶けるように完全に消え去り、後には、澄んだ鈴の音の余韻だけが微かに残っていた。

後日、喫茶厨房本能寺。

「秀吉さん、今回はちゃんとお市さんを守ったんですね! やっぱり秀吉さんはすごいわ!」

寧々が身を乗り出して褒め称える。

「ワシは最初からそのつもりじゃ! ……で、寧々や。事件も解決したことだし、今度こそ二人で……」

「あ! お市さんが呼んでる! じゃあね!」

またしても、目にも留まらぬ速さで逃げ出す寧々。

そこへ、淹れたてのコーヒーカップを手にした信長が通りかかった。

「で、お市の次の女難は誰だ?」

「……なんで次がある前提なんじゃ!!」

秀吉の悲痛なツッコミが、本能寺の厨房に空しく響き渡った。

――――――――――

時計の針を少し戻す。

事の始まりは、事件が解決する数日前に遡る。

まだ空が白み始める前の早朝。

とある住宅街――あの結婚詐欺師の自宅周辺で、一人の住民が目を覚ました。

『チリン……』

澄んだ鈴の音だった。

「……なんだ?」

時計を見る。午前五時過ぎ。

窓の外を覗いてみる。誰もいない。

だが、鈴の音だけが、家の前をゆっくり通り過ぎていった。

『チリン……』

その日からだった。

近所の住民たちが、同じような話をし始めたのは。

「昨日の朝、鈴の音聞かなかった?」

「聞いた。五時くらいだった」

「俺も聞いたぞ」

「でも、外には誰もいなかった」

そして、四日目。

秀吉たちがトラウマ植え付け作戦の総仕上げを行う頃には、噂は少しだけ変わっていた。

「……あの鈴、なんか変じゃないか?」

「どういう意味?」

「音を聞くと、妙に寒くなるんだよ」

「俺は逆だ。寒いっていうより……なんか、恨まれてるような感じがした」

「恨まれてる?」

「分からない。ただ……あの鈴を聞いた瞬間、背筋が凍った」

誰かがスマートフォンを取り出した。

「だったら、今朝の音、録音してあるぞ」

画面に映ったのは、薄暗い住宅街。

人影はない。車も走っていない。

ただ、遠くから――

『チリン……』

鈴の音だけが聞こえる。

その瞬間。録音を聞いていた全員が、なぜか言葉を失った。

音そのものは、どこまでも静かだった。

それなのに。そこには、人の耳では聞き取れないはずの何かが混じっているように感じられた。

――怨念。

――怒り。

――そして、誰かを追い続ける執念。

SNSには次々と投稿が現れた。

『ここ数日、朝5時くらいに鈴の音聞いた人いる?』

すぐに返信がついた。

『聞いた』

『うちも』

『4日連続』

『誰もいないのに鳴ってる』

『あの音、聞いたらめちゃくちゃ寒気する』

『朝の鈴の怪異』

『五時の鈴』

『誰もいない道の鈴』

そんな呼び名がいくつも生まれた。

その中に、一つだけ妙な名前があった。

『これ、もしかして……鈴鳴り武者じゃね?』

最初は、誰かが冗談半分で書き込んだだけだった。

だが、その投稿をきっかけに噂は一気に広がった。

『早朝の鈴鳴り武者』

『午前五時に現れる幽霊』

『誰もいない道を歩く武者の霊』

『鈴の音を聞いたら、誰かに恨まれている証拠らしい』

『最後まで鈴が鳴ったら、逃げても無駄』

誰も、その姿を見た者はいない。

誰も、その正体を知らない。

ただ――あの四日間、朝の五時頃になると、どこからともなく鈴が鳴り響いていたのだ。

『チリン……』

そして、その音を聞いた者は決まってこう言うのだった。

「……なんだか、誰かに付きまとわれている気がする」

それが何なのか。

それを知っている者は、まだ誰もいない。

ただ一人を除いて。

――仙石秀久。

幽霊が成仏し、詐欺事件が幕を閉じた今。

仙石秀久は、また別の場所で。

誰かの怨念を聞きながら、今日も鈴を鳴らしていた。

『チリン……』

鈴鳴り武者の噂は、また一つ増えた。

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